2019年07月14日

プラスマイナスゼロ/若竹七海

 帯に「葉村晶より不運で、頑丈で、影の薄い三人組――」とあり・・・更に「若竹七海が描く、ほのぼの学園ライフ・・・・・・がただの青春ミステリなわけがない!」とも書いていて、「あぁ、ブラック要素、容認されてるんだ」と言葉に詰まる感じになる。
 いや、ブラックなところとか落ち込むような読後感とかキライじゃないんですよ。 キライじゃないんですけど・・・自分の中にあるらしい基準を突きつけられて悩みます。

  プラスマイナスゼロ 若竹七海.jpg 不良娘・普通・お嬢様トリオ。
 葉崎山高校に通うミサキはすべてが全国標準内に収まる通称<歩く平均値>。 テンコは成績優秀・品行方正を絵にかいたようなお嬢様ながらこの世のあらゆる不運を浴びる体質で、もう一人のユーリは地を這う成績を気にしない義理人情に厚い極悪ヤンキー。 三人がいるところを「プラスマイナスゼロが歩いてる」と言われてしまうが、まったく違うからこそ三人は親友・・・と気安く口にできないシャイな間柄、と書けば学園青春小説(連作短編)だが、「で、どうすんのさ、あの死体」から始まっちゃうので、確かにただの青春ミステリではない。

 テンコの不運っぷりがただごとではなくて、いや、そこはコメディ要素だとわかってますよ、中途半端より極端に振り切ったほうがいいのもわかりますよ。 でも共感力のせいなのか想像力のせいなのか、なんか笑えない・・・なにもそこまで、とつい感じてしまう。 ユーリの単細胞ぶりも痛々しい。
 でも本作に出てくる死体その他については「ひどい!」とかは思わないんだよな・・・自分のはっきりしない基準がわからない。
 もっとキャラを書き込んでほしかったのかしら。 ひとつひとつが短編だから仕方ないんだけど、三人の何気ない描写が少ないので、ありきたりの友情ってやつをかみしめられないのよね〜。
 “卒業旅行”でやっとそれっぽくなるけど、それで高校生活最後だもんね!
 もっと続き、読みたいな〜。 でも青春はいつか終わるから青春なのだろうか。 過ぎてしまえばそれははかないほどに短くて。

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2019年07月13日

ポーの一族 ユニコーン/萩尾望都

 <新世紀の“ポーの一族”>、二冊目の単行本。
 長編だった『春の夢』と違って、今回は短編集。 なれどバリーという新キャラクターをめぐる長編という見方もできる(時代があちこちに飛ぶので章立てが変わる、とすれば)、更に一族の秘密や“エディス”後のエドガーとアランにかかわる事実がいろいろと判明する、かなりつっこんだ話になってます! それがいいのかそうじゃないのか、好みがわかれそう・・・。

  ポーの一族 ユニコーン1.jpg マットな手触りに銀の型押し。 二人はこんなプリントの服を着ているのではなく、あくまでイメージ映像だと思う。

 2016年、ミュンヘンに現れたエドガーは憔悴している。 ファルカらは久し振りの再会を驚きと喜びで迎えるが・・・(“私に触れるな”)。
 あとは過去の話なので、2016年の話の続きが次の巻になるのかな、と思います。
 “エディス”後のことは「知りたいような知りたくないような・・・」の気持ちがあたしにも少しあるので、リアルタイムで『ポーの一族』を読んでいた人・大ファンだったけどその後萩尾望都作品にあまり触れてこなかった人たちが反発するんじゃないか・・・という危惧を感じます。 いや、『春の夢』のときに「絵の変化についていけない」人たちがいっぱいいたから、そういう人たちはこっちは読んでないかな。 そのほうがお互いの精神衛生上にいいような気がする。
 もともとの『ポーの一族』に比べると格段に台詞は多くなっていますが、あちらは主に<人間界に紛れ込んだバンパネラ>たちの話(なので短い時間しか生きられない人間から見たら彼らは永遠の謎)、こちらは<人間のいる世界に生きているバンパネラ>たちの話、と土台が違う気がするので単純な比較は無意味かと。 完全に主役はバンパネラたちで、人間は添え物というか、彼らが出会うその他大勢に過ぎなくて。
 むしろ、長く生きてしまうが故に感情的なわだかまりもいつまでも抱えて生きていかなければいけない、忘却という安らぎがないという悲しさがより強まる。 だから、それが<執着>という感情につながっていくのかな、と、アラン=イノセントを求め続けるエドガーに涙なのです。

ラベル:マンガ 新刊
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2019年07月12日

パールとスターシャ/アフィニティ・コナー

 先日読んだ『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』からのつながりで、これを。
 あっちは<ノンフィクション・ノベル>だったが、こっちはフィクション。 とはいえ事実を下書きにしてある。
 あぁ、今更近現代史を学んでいるよなぁ・・・。

  パールとスターシャ.jpg 一面のヒナゲシ。
 1944年、12歳の双子パールとスターシャは家族とともにアウシュヴィッツ絶滅収容所に送られたが、“死の天使”ヨーゼフ・メンゲレに目を付けられ<メンゲレの動物園>に二人だけ入れられる。 殺される危険は遠のいたが、双子という存在にとりつかれた医師の実験対象としての日々が待っていた。 パールとスターシャ、それぞれの視点から交互に描かれた恐るべき世界と、少女たちの純粋さの記録。

 これもまたつらい話だが、パールとスターシャの強さと双子故の違いの大きさが牽引力となって一気に読了。 現在進行形ではなく、ある時点から過去を振り返っているのだろうと冒頭から確信できたので、途中で二人が非業の死を遂げることはないと思えたのも大きかった。
 少女独特の想像力と潔癖さって最強だな・・・と改めて感じさせる一作。 何度も目から涙がこぼれそうに。
 メンゲレは実在の人物ではあるが、悪魔のようなキャラにもなっているな、と。 今回は二人の目から見たものだから余計に、ただ気まぐれに残酷なだけのイカレたやつでしかなく、腹立たしいことこの上ない。 だから、人間性を失わない数少ない大人たちが尊く思えてしまう悲しさ。 そんなことではダメなのに。
 パール、スターシャ、それぞれの言葉に何度も胸を突かれたが、最も刺さったのはこれだった。

> でも、わたしとしては――自分が許したがっているとわかった。わたしを苦しめた者は決して許しを乞うまい――これは確かだ――それでも、許すのが自分に残された唯一の本物の力かもしれないと知った。
 復讐するのが生きる糧だったのに、あるときそう考えるのだ。 13歳で! あたしにはそう思えるかどうかわからない・・・。
 原題の“MISCHLING”、本文中では「混血児(ミシュリング)」として出てきた。 ミシュリングはルビとして。 混血とは・・・ユダヤ人の血が流れている、という意味か? ナチス時代に制定された法的な定義らしいが(勿論、勝手な差別だが)、パールとスターシャが大好きな学者のおじいちゃんからは「すべての生きものの多様性」の素晴らしさとして教えられていて・・・。
 赤いヒナゲシは流された血、倒れた人々の象徴なのだろう。 ヒナゲシの可憐さや美しさはそのままなのに・・・。

ラベル:海外文学
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2019年07月09日

いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件/大崎善生

 買ってすぐに読み始めたのだが・・・前半で一回止めてから、長いことほったらかしにしてしまっていた。 悲劇に至ることをわかっていながら描かれる幸福な日々に、なんかこう・・・つらくなってしまったというか。
 カバーをかけた状態で置きっぱなしにしていた。 「あれ、これってなんだっけ」とふと気づいて取り上げ、「あ」と気づく。 それをまた戻すのも、なんとなく不誠実のような気がして、最後まで読み通すことに。

  いつかの夏.jpg タイトルはGRAYの曲から。
 2007年8月に起こった、ありえないほど残酷な<名古屋闇サイト殺人事件>。
 本書は徹底的に被害者側の視点で、彼女の生涯を描き出す。 母と母の姉、彼女の恋人の視点も踏まえつつ、ほぼ「娘と母の物語」。

 結末を並走させる前半のほうが、読んでいてつらかった。
 読むのを再開させたのがちょうど大学に進学するあたりで、「このままではこの娘と母の関係、ヤバくない?」と別の視点が入ったので最後まで読むことができたかも。 親のために自分の希望をあきらめる・妥協する子供って地方都市にはいっぱいいるが、名古屋という大都市でもあるのだなぁ、という。 いや、そこそこ大都市だからそれなりのものがある程度手に入るから、かもしれない。
 しかし、彼女の大学選びはあまりにも短絡的すぎる・・・特に興味がない学部に入って講義がわからない・つまらないはさすがに(彼女の言葉は聞けないから推測でしかないのだけれど)。 これがある種の<大学全入時代>の実情なのか、もはや大学はモラトリアムとも呼べなくなっているということなのか、ということを考えてみて少しつらさから離れてみた。
 犯罪のルポルタージュは加害者側に重点を置くものが多いが、本作は徹頭徹尾被害者側である。 加害者たちのことは書く価値もないからだそうだが、完全に筆者の思い入れで成立しているので、これを犯罪ルポルタージュと分類するのが間違い。 たまたま悲劇的な死を遂げてしまった、ある女性の伝記である、と考えるべきでしょう。
 この筆者の作品は以前、『パイロットフィッシュ』と『アジアンタムブルー』を読んで「・・・同じ話じゃないか!」と本を床にたたきつけたくなって以来小説は読んでいないんだけど、ノンフィクション系の『ドナウよ。静かに流れよ』・『聖の青春』のほうがまだ読めた。 それでもどこか小説っぽいのだが、事実がベースだからロマンティズムが過度になりすぎないのがまだいいのかもしれない。
 被害者側である辛さについて、加害者側のプライバシーが保護されすぎている点について何度も言及があるが、2019年7月時点においてそれらは普通の人たちの共通認識になっていると思う。 だから若干の時間のずれを感じるが、それもまたおかあさんの努力の結果だと知る。 「つらい経験は人を成長させる」というけれど、それは結果論で、そこまでつらい目に誰も遭う必要なんてないのだ。

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2019年07月08日

島はぼくらと/辻村深月

 なんとなく勝手に「離島を舞台にした青春もの」だと思っていましたが・・・全然違った。 いや、島に住む高校生4人が主要人物なのでそういう意味では“青春もの”で間違いないのだが、離島じゃなかった。 買ってから2年以上も放置して何を言ってるんだって感じですが・・・フェリーで20分の瀬戸内海の島、しかもIターンを積極的に誘致しているという若干トリッキーな設定で、読み始めちょっと焦る。 これは思っていたものと違うかもしれない。
 いや、違ってていいんだけどさ・・・。

  島はぼくらと.jpg 表紙のイメージはそういう少女マンガっぽいじゃん。
 瀬戸内海に浮かぶ冴島。 朱里、衣花、源樹、新の四人は島の同級生だからフェリーに乗って一緒に高校に通っている。 島の若者たちは高校卒業と同時にほぼ島を出ることになるのだが・・・という話。

 高校生4人が主人公なのかと思っていたら・・・大人の女性たちも思いのほかクローズアップされて、「女たちの物語」になっていた。
 「シングルマザーの島」と一部で冴島が呼ばれたように、「親」と「娘」の関係性に重きが置かれている。 彼女らを描くために、4人が狂言回しになっているときもある。 だったら最初から群像劇でよかったのに(完全なる三人称にした方が。 途中での視点のブレが気になった)。 男子2名が割と便利な存在になっており、そんなことなら最初から女子二人をメインにした方がよかったのでは・・・という気もしたり。 全体的に<女の友情>が描かれているので、男性が割を食っている感じがしてしまうからかもしれない。
 とはいえ、「地方で生きることを肯定する物語」なのはすがすがしい。
 地方は生きづらい、という話が多いから・・・まぁ、それも事実ではあるのだが、地方は地方なりにいいところはある。 結局は自分がどう生きるかという話になってしまうのだが。 その分、冴島のとっている人集め・島おこしの内容が「突拍子もない」と「いい話だけど裏がある」の間みたいな感じなので・・・リアリティは「?」だけど、これはこういう設定だと割り切れば。
 あたしはずっと人口30万行くか行かないかぐらいの地方都市で暮らしてきたが、不便はあってもそれはそれでやってきたし、十分だったと思う。 むしろ情報や知識しかなくて実物を見たことがなかったから、都会に行くときはいろいろ見ようと思ったし、神戸市で暮らすようになってからもいちいちいろんなものが新鮮である。 生まれた時から大都市が身近にある人たちは、そして歴史的な事柄もちょっと見回せばたくさんあるのに、意外と興味を持っていないのを見ると、「なんてもったいない」と思っちゃうけど、そんなもんなのかなぁ、とむしろ自分の貪欲さが一般的ではないことにおののくから。
 勿論、島にも厄介なところはありますが・・・それとどう折り合っていくのか、自分がずっと住むのならどう変えていきたいのか。 そこです! 人が多いと「誰かがやってくれるだろう」に流されがちだけど、人が少なければ「やってくれる人はいない・自分がやるしかない」と思うようになるもの。 そこがいいなぁ、と。
 おさななじみとの別れはつらいと思うけど、「大人になってからだってまた違う友達はできるよ」ということも言っておきたい。
 本作での蕗子とヨシノがそうだったように、あたしもそうだし! 昔からの友達は特別だけれど、それ以外存在しないわけじゃない。 17歳では想像しにくいとは思うけど、時間がたてばわかる。
 まぁ、いろいろあっても、切なくもすがすがしい気持ちになりましたよ。

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2019年06月26日

生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者/アンドリュー・メイン

 AXNミステリーの<早川書房ブックリエ>でこれが紹介されていたのをたまたま見て・・・「あ、読みたいなぁ」と強く思ったので未読本の山から取り出す。 最近買ったばかりなだけに、隙間のあるところに入れたり置いたりしてしまって、どこにあるのかちょっと考えた・・・(でもすぐにみつかったので、よかったよかった)。

  生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者.jpg 熊、コワい。
 生物情報工学を専門とする学者で、生物学の大学教授であるセオ・クレイはモンタナ山中での調査を終えてモーテルに戻ってきたところを、急遽警察に拘束されて尋問を受ける。 全く心当たりのないセオだが、他者とのコミュニケーション能力に自信のない自覚のある彼は正直に受け答えしようと考える。 どうやら彼は殺人の第一容疑者とみなされていたようだが、被害者はクマに襲われたという検視結果が出て、セオは即刻釈放された。 被害者はセオのかつての教え子で、研究者として独り立ちしていたジュニパーだった。 セオはまったく知らなかったが、たまたま近いエリアでフィールドワークをしているときだったために疑われたのだ。
 ジュニパーの記憶はわずかしかない。 自分は教師として一体彼女に何を教えたのか。 自責の念にかられたセオは独自に調査を開始、これはクマではなく“クマを装った人間による殺人ではないか”と仮説を立てるに至る。 しかし警察はまったく信用してくれず、セオは一人でこの仮説を証明するためにフィールドワークに乗り出す・・・という話。

 これが意外にも、結構面白かったのです!
 他者とのコミュニケートには問題ありでも、頭の中では饒舌すぎるセオ(そう、しかもこの話は一人称形式なのだ)。
 科学的発想と根拠のある仮説でガンガン進み、身に危険を顧みないということにすら気づいていない学者バカ気質、そのくせ性善説なのかな?というくらい最悪の事態を想定しないであとから気づく。 カリン・スローター世界の後ではその「ぬるさ」が意外に心地よかったりする。
 リチャード・ドーキンスとスティーヴン・ジェイ・グルード論争が下火になったのは、「進化の過程が非常に複雑なものであり、遺伝子か生物かという論議は決定的要因を単純化しすぎるという考え方が主流になったからだ」、などの発言にニヤリとさせられるしね。
 学術的根拠で畳みかける前半が章立ても短いこともあってすごく読みやすく、話に入り込みやすくなっているところにシュール展開がきて、見事な省略法。 終幕はド派手な冒険小説のようでありながら、結構大味になってしまっているのが残念。 次のシーズン更新が決まっていないアメリカの連続ドラマの最終回みたいだった。
 セオ・クレイのシリーズは続いているようなのですが、一作目のラストでここまで行っちゃったら次作はどこから始めるのか、いったい何人が生きているのか知りたい。 次の邦訳もお願いします。

ラベル:海外ミステリ
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2019年06月23日

ブラック&ホワイト/カリン・スローター

 結局、読んじゃいましたよ、すぐに!
 恒例、ウィル・トレントシリーズ最新作(もはや第何弾とか数えるのも面倒になってきた)。
 とはいえ主役はウィルではなく、サラなどウィルをめぐる女性たちだが・・・(しかもサラは別のシリーズの主役だった人なので、どうしても彼女が目立ってしまう)。

  ブラック&ホワイト カリン・スローター.jpg 原題は“UNSEEN”、<目に見えないもの・隠されているもの>の意か。
 メイコン警察署管内、ある警官夫妻の家に何者かが押し入り、発砲。 夫は重体、妻は命からがら敵の一人を反撃し殺害。 いったい何故、こんなことが起こったのか。 そして現場には潜入捜査中のGBI特別捜査官ウィル・トレントがいた。 病院に運ばれた夫はサラ・リントンの元夫ジェフリーの息子のジャレド、妻はジェフリーと過去に組んでいたレナ・アダムス。 サラはジェフリーの死をレナのせいだと今も考えており、ウィルの見るところレナは嵐を呼ぶ女だ。
 さらにレナのチームの他の警官も銃撃され、レナとブランソン警視があぶり出そうとしている謎の犯罪者“ビッグ・ホワイティ”のせいではと考えられたが、ビッグ・ホワイティはあまりに内部情報を詳しく知りすぎている。 組織内にスパイがいるのではないか、と誰も信じられない状況が続くが・・・という話。

 またもや冒頭からすさまじい出来事が展開する。 アメリカのハードボイルド系ミステリはそうでなきゃならんのか!、と言いたくなるくらいの感じで。 まったく、この人たちはどれだけの修羅場をくぐらねばならないのか、とため息が出るほどだ。
 今回の主要人物はサラとずっと対立していた(サラに憎まれていた、というべきか)、レナ・アダムスである(訳によってリナだったりレネだったりしたような気が・・・だからすぐ思い出せなくて、「あぁ」と一瞬考えた)。
 こういう人っているよなぁ、とレナ視点の部分を読んでいて感じる。 おかしい、あぶないと本人も感じているのにそのままにしてしまう、もしくはなんとかなるかなぁ、誰かがやるかなぁと考えてしまう人。 全部自分の責任ではないのに、何故か誰かの不注意を引き付けてしまう人。 たいがい大怪我したり早死にしたりするのだが、ときどきまわりがその部分を被ってしまう。 レナはそんなタイプで、自覚もあるのにどうすれば直せるのかわからない、複雑な怒りと自己嫌悪を抱いている人。 近くにいたら「こいつ、めんどくさいなぁ」と絶対思ってしまうだろうが(作中でも女性の登場人物の多くはレナに悪感情を持っており、逆に男性は好感情を示している)、登場人物であれば多少なりとも共感や理解が示せるところがミソである。 というか、「これって誰かのせい」と考えられたら人は楽で、責任を自分以外の誰かに押し付けたいということなんだろうなぁ、と。
 邦題『ブラック&ホワイト』は本文中に何度か出てくるけど、それぞれ違うものに対する表現。
 美しいものもみにくいものも白いところと黒いところ両方を持っている、ブラックorホワイトじゃない・どちらか片方をはっきり選べるわけじゃない、というような意味合いかしら、と感じてみる。 しかし昨今の世界はすべてが複雑だ。 でも、まざりあって全部がグレーではないというのが救いなのだろうか。 この世界にもまだ美しいものが、信じられるものがあるよ、という。 でもそれを輝かせるために、ここまでひどいものをセットしなければいけないのか・・・まったく、容赦がないぜ。
 そんな中、ウィルは成長への階段を大きく昇ったようである。 それはよかったけど・・・サラの感情の乱れが、いつまでたっても思春期の女子みたいでイラっとする部分も。 彼女もウィルとともに成長してくれそうな気配もあるが、アンジー問題に片が付いていないので、この先の展開がまたつらそうである。
 とか言いながら出たら読んでしまうんだけどさ。

ラベル:海外ミステリ
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2019年06月18日

四人の女/パット・マガー

 噂に名高いパット・マガー、やっと読む。
 コラムニストとして一世を風靡し、更に上り坂のラリー。 しかし彼には誰かを殺さねばならない理由が。 <犯人捜し>ではなく<被害者探し>を題材にした、「いつまでも色あせない傑作ミステリ」なのだそうである。

  四人の女【新版】.jpg 表紙に描かれている4種類の飲み物は、そのまま4人の女性のキャラクターの象徴だった。
 誠実で控えめなシャノン、女優で自由奔放なクレア、才女で気位が高いマギー、若くて美しいが計算高くて愚かなディー。

 冒頭で誰かがベランダから落ちて死ぬ。 次の章では時間が戻り、成功を手にしたラリーが崩れ落ちそうな手すりを見つけて「事故に見せかけられる」と誰かを殺そうと決めてディナーパーティーを画策する。 一体誰が殺されるのか? 候補はラリーをめぐる四人の女たち、元妻のシャノン・妻のクレア・愛人のマギー・フィアンセのディー。 現在と過去を照らし合わせながら、ラリーの殺意を探っていく話。

 この時代、面白いな!、と改めて感じる。
 『四人の女』は1950年発表・・・約70年前! 黄金期ミステリの流れなれど、トリックよりも人間ドラマ重視(勿論、作品全体に仕掛けはある)なので古びてない! 全然違う4人の女たちの言動が、今でも通じちゃうことが微妙に悲しくもあるのだが、そこがすごいです。
 風俗的には古いところはあるけれど、そこは「レトロ」だと思えば全然問題ない(逆に2・30年前とかの方が古さが際立って感じるかも、携帯電話を持っている人と持っていない人がいるとか)。
 とにかくこのラリーがほんと、むかつく男なのだ!
 こんな男に女たちが振り回されるのがかなしい! でもラリーがダメ男だとわかっていても、シャノンもクレアもマギーもディーも、それぞれの理由で彼を忘れられない・手放したくないらしく・・・恋愛感情のもつれって理性で割り切れないものなのね、と思う。 またラリーも腹立たしいんだけど、最近のモラ夫とかサイコパスとか容赦なく良心の呵責も感じない絶対変化しない人間の存在を知ってしまうと、「まだそれよりはましなのか?」と感じてしまったりする自分がいるよ・・・。
 でもあたしはラリーにはかかわりたくないね! ダメな人と深くかかわってしまうと自分の人生がどうなるかわからない、という指南書でもあるけど、一目でわかるダメな人ばかりじゃないのが難しいところ。 人生の真理です。
 鮮やかな幕切れは、その先を描いてほしいと思わせることも封じてしまう勢いが。
 この時代に女性が描いたものだからこそ、という鬼気迫る感があります。

ラベル:海外ミステリ
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2019年06月08日

死人狩り/笹沢左保

 勢いがついているのかどんどん読み進む。 翻訳ものに比べると、やっぱり最初から日本語の本は読みやすいから。

  死人狩り.jpg でもなんかイメージと違った・・・。
 7月、伊豆西海岸を下田から沼津まで結ぶ60人乗りバスに、銃弾が撃ち込まれて運転手が死亡、そのままバスは海に転落し、乗員乗客27人全員が死亡した。 警察は無差別大量殺人ではなく、乗客の誰かに強い恨みを持つ者による犯行とみなして、被害者についてしらみつぶしにあたっていく。 犯人の狙いはいったい誰なのか、事件の真相とは・・・という話。

 タイトルの『死人狩り』とは、死んでしまった被害者たちの背後関係を探る、という意味だった。
 えっ?!、って感じ。 なんか思っていたのと違ったよ。
 しかも時代のせいなのか(オリジナルは昭和57年4月に刊行)、痴情のもつれというか・・・必要以上にエロい場面があるんですけど・・・(汗)。 かといって官能小説に分類されるほどではないので、あの時代、駅の売店で買って新幹線や特急で読む出張族向けにエロを強化された文庫やノベルズが多かった、と何かで読んだことがあるような・・・これもそういう感じだったのかしら。 それでなくとも著者はキャリアの後半、ほぼエロの通俗サスペンスを量産していたような印象があたしにもあり、これはさきがけの時期? 過渡期?
 別な時代性にも驚く。

> 男が靴ベラをズボンのポケットに入れて持ち歩いているということは、九九パーセントまで確かである。

 ・・・マジで! 当時男性は革靴をオーダーして作ってもらうのが常識だったのですか。 そういうところは興味深い。 警察の人が参考人を恫喝したり、その言動は今の基準ではアウトだろうなぁ、っていうのは想定内だったけど。
 浦上という刑事さんが伊集院さんという刑事とコンビを組んで聞き込みに動くのだが、浦上さんは妻と子供二人をなくしている(このバスに同乗していた)。 捜査中に伊集院さんが何者かに襲撃され、病院に担ぎ込まれたことがあった。数日入院を言い渡され、ぶつくさ言う伊集院に、浦上が、
>「たまには、人生についてゆっくり考えていろ。特捜本部の方からも、無理をしないようにと言って来ているし、おれも一人で歩くのは女房を亡くしたような気がして寂しいんだが、仕方のないことだろう」
 となだめるのだが・・・いやいやいや、浦上さん、奥さんと子供たち亡くしたばかりなんですけど! そんな状況でこんなこと、言う? 作者、ここ書いてるとき浦上の奥さん死んでること忘れてたんじゃないの? それとも、そういう軽口(?)、出て当たり前なものですか?
 コンプライアンスではないけれど、「そんな無神経な発言しちゃう?」と思ってしまう今のあたし・・・こういうのが“不寛容な世の中”になっている証拠なのかしら。
 最後の章まで犯人がわからないのはサスペンス小説としての矜持なのかもしれないですが、あたしは途中で「そうなんじゃないかなぁ」と思い当たってしまった。 だから余計に関係ないエロい話が苦痛だったのかもしれず。
 でも、ちょっと聞き込みをしたぐらいで、その人を殺すような人がいたとは思えない、と結論付けているのは・・・大丈夫なのですか。 それとも、現在のほうが予想もしない裏の顔を持つ人の割合は増えているということか。 ネットもスマホもこの時代はなかったしね。

ラベル:国内ミステリ
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2019年06月05日

地球の中心までトンネルを掘る/ケヴィン・ウィルソン

 短編集はあまり読まない(読むタイミングがよくわからない)あたしですが、これは“<シャーリイ・ジャクスン賞>・<全米図書館協会アレックス賞>ダブル受賞作”という帯を見て、「おっ!」っと思いまして。
 単行本なので、勿論図書館から借りましたが。

  地球の中心までトンネルを掘る(海外文学セレクション).jpg 11の短編集、連作ではなく。
 収録作は・・・。

『替え玉』
『発火点』
『今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き』
『ツルの舞う家』
『モータルコンバット』
『地球の中心までトンネルを掘る』
『弾丸マクシミリアン』
『女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)』
『ゴー・ファイト・ウィン』
『あれやこれや博物館』
『ワースト・ケース・シナリオ株式会社』

 「ほんの少しだけ「普通」から逸脱した日々を送る人々の生活と感情の断片を切り取った11のエピソードが、どれも不思議としみじみした余韻をもたらす短編集」、という紹介文。 タイトルからもう、ちょっと変わってますよね感があふれてる。
 しかもどれも短めで。 2〜30ページくらい? 『ゴー・ファイト・ウィン』がいちばん長いかな、それでも60ページぐらいじゃなかったか(もう手元に本がないので曖昧な印象ですが)。 だから一編がすぐ読めてしまうんだけど、広い行間と漂う余韻に浸る時間も欲しくなる。
 冒頭の『替え玉』から「わ、来た!」という感じでガツンと。 語り手は代理祖父母派遣会社に“祖母”として登録している設定で、「なんか星新一だ!」とあたしは盛り上がりました。 次の『発火点』は、謎の人体自然発火現象により黒焦げになってしまった両親を持つ語り手が、いつか自分も両親のように突然燃え尽きる日が来るのではないかと思いながら日々を過ごす話(これだけでもうせつない!、泣きそうになっちゃった)。
 コメディ要素もあるんですけどね。 軽めのトーンで明るく語ろうとするから(半分くらい一人称形式)、余計にせつなく感じるのかも。
 日常にしてはちょっと変わってる、ぶっとんだちょっとSF的設定の中で、必死で普通を手繰り寄せようとしている人たちの物語、という感じで、レイ・ブラッドベリっぽさもある。 これって最高の褒め言葉だよ!
 それと何故かどの作品にも日本ネタが出てくる不思議、『ツルの舞う家』のツルは折り鶴のことだったし。
 文庫が出たら、多分買うと思います。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする