2019年11月19日

少年たちのおだやかな日々/多島斗志之

 単行本が1995年、最初の文庫が1999年、二十年振りの復刊となった様子。 なにをもって復刊の決め手になったのかわかりませんが、短編7編のうち3編がドラマ化されている、というのが大きいのかなぁ・・・(あたしは観ていないが、多分『世にも奇妙な物語』で)。
 40ページ前後の短編ばかりなので、読むとなったらサクサク読めてしまったが・・・読後感というか、読んでいる最中からかなりブラック。 題名の<おだやかな日々>の対極ばかり。

  少年たちのおだやかな日々【新装版】.jpg 出てくるのはほぼ中2男子。 その時代、中二病という言葉はあっただろうか。
 『言いません』・『ガラス』・『罰ゲーム』・『ヒッチハイク』・『かかってる?』・『嘘だろ』・『言いません』収録。
 「あれ、読んでなかったつもりだけど、読んでたっけ?」と愕然とする。
 多島作品は長編のほうが好み(もしくは連作短編)、と思っていたので読んでいなかったつもりだったが、やけに記憶にある・・・それも、覚えていたくないほうの、不愉快な感じ。 こういうのを進んで書く人ではないので、ある種の実験のつもりだったのかな?
 14歳男子の無知と怠惰と、冒険心と好奇心、どうにかなるかと流れを見てしまう部分とどうにかしなければとから回る部分、意地を張ったり張らなかったりなど、ひとつひとつは“あるある”なのに、その状況下においては最悪の選択になる・・・。
 男の子ってなんてドンくさいの!、と思う反面、女子は女子で別方向のヤバさがあるよね・・・。
 あぁ、『感傷コンパス』みたいなやつを読んで、口直しが必要だわ・・・。

ラベル:国内ミステリ
posted by かしこん at 02:09| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月13日

我ら荒野の七重奏(セプテット)/加納朋子

 読んでいない本にブックカバーをかけ、栞がないものには準備して(ショップカードや広告用のポストカードを切る)、出勤・外出時のお供の控えを追加しようと未読本の山の一部を整理していたら、「あ、これ読んでなかったわ」と気づく。 まぁ、読み始めればすぐ読めるからねぇ、と読み始めれば、ほんとにすぐ読み終わってしまった・・・。

  我ら荒野の七重奏 加納朋子.jpg 部活をがんばる中学生を支える親たちの物語。
 出版社の編集としてバリバリ働く山田陽子は、同時に一人息子の陽介を愛する母親。 中学生となり陽介は吹奏楽部に。 小学生の時はPTAだ自治会だといろいろ大変だった陽子は、中学校に入れば楽になるだろうと思っていたが、<吹奏楽部親の会>というものが存在して・・・という話。
 PTA小説『七人の敵がいる』の続編。

 おいおい、ちょっと待て! 陽子の夫はこんなに「いい感じの素敵なダンナさん」ではなかっただろ! ふざけているのかと首根っこつかんで締め上げたくなるような「ダメ系夫の最大公約数」だっただろ、とつい前作『七人の敵がいる』を引っ張り出してちょっと読み返してしまったではないか。 ほら、やっぱり。 なので序盤はキャラが変わった?、という違和感でいっぱい。 夫だけでなく陽子自身も。
 その後、夫のダメ振りもあらわれてきたのだが・・・確かにおなじみのメンバーも出てくるのに、微妙に<シリーズもの>感が薄い。 前作を読まずとも楽しめるように書かれているからだろうか? キャラクター小説ではなくコンセプトが先にあって、それにキャラクターを当てはめたからだろうか。 それとも、彼女たちは成長したのにあたしは成長してないから?
 公立中学校で吹奏楽をやる大変さ、それを支えるための大変さに脚光を当てているのはいいのだが・・・ほんとはもっとあるよね、各方面に気を遣ったためにいまいち踏み込みが足りないような気が。 三年間を7章で収めているために、ディテールが少ない感じで物足りない!
 まぁ、それは『七人の敵がいる』も同じで、一冊で六年間だから・・・陽子の仕事についても具体的な描写は避けているのが気になったし(そっちを描いてしまったらPTAのほうに集中できないという事情はわかるのだが)。
 そう、もっと細かいところまで読みたかったのかもしれない。
 もう中学生のときのように繊細でも尖ってもいないですが、でも中学生だったときの気持ちは覚えているから。

  七人の敵がいる 加納朋子.jpg こっちのエピローグの話はどこに?
 2010年の作品なので陽子の無神経発言は大目に見れますが、多分PTAのことはそんなに変わっていない気がする・・・日本の教育の脆弱さをみせつけられる感じがして、なによりホラーなんですけど。

ラベル:国内文学
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月09日

特捜部Q 自撮りする女たち/ユッシ・エーズラ・オールスン

 ハヤカワ文庫新刊で<特捜部Q>が出たので、「ならばもう図書館で待たずに借りれるな」と思ったわけです。 ポケミス版、すぐに借りられました。 シリーズももう7作目ですよ・・・全部読んでいるけれど、記憶がごっちゃになってきている部分はあるけど。

  特捜部Q07自撮りする女たち.jpg “SELFIES”:自撮り写真
 未解決事件を専門に扱うコペンハーゲン警察の特捜部Qに予算削減と解体の危機が。 チームの一員・ローセの精神的不調(前の事件からの影響)で報告書を上げられず、警部補のカール・マークは上層部の陰謀にどう対処するか考える。 そんな中、元上司から最近発生した事件がかつて自分が捜査していた未解決事件と似ているという電話がカールのもとに入る。 だが世間ではまた別の事件が起こっていて・・・という話。

 なんでシリーズが続くと「その部署を解体させよう」という流れが必ずと言っていいほど入ってくるのだろう・・・『相棒』も『CSI:マイアミ』もそうだったし。 利権を絡ませたいの? 知らないところで利権は生まれてしまうものなの? “部門の危機”で話をつなげようとしているのではと感じてしまうんだけど、それはあたしが世間を知らなさすぎるのか?
 とはいえ今回のメインは“自撮りする女たち”。 苦労や努力はせずにおいしい目にだけあいたいという人たちと、そんな社会保障にぶら下がる態度を快く思わない者の憎しみ合いなのだけれど、立場は正反対に見えて本質は同族嫌悪なのではないかと感じられて・・・共感できるできないの域をこれまでのシリーズ作以上に越えてしまったような。
 が、今回の主役はむしろローセである。 彼女の背負ってきたもの全部が明らかにされ・・・とにかくつらい。 カールの反省が少なすぎる!、ぐらいに感じるのだ。 だから少なからず連動している複数の事件ですら、ローセのことよりはるかに軽くなる(むしろ「どうでもいい」です)。 今回、いつものようにカールとアサドは身の危険を感じることはほぼないですが、その分ローセをあまりにもひどい目に合わせすぎ! ほんとにひどい! ここにいくまでに助けの手はなかったのかとつい思ってしまうけど、周囲の人間にとっては「そこまでだと思っていなかった」部類になってしまうんだな、と・・・自分ももっとまわりに目を向けなければ、自分の尺度で判断しないようにしなければ、と自戒する。
 それにしても今回、Qの地味なメンバー・ゴードンの存在意義を初めて感じたよ・・・みんなローセが大好きということです。
 次はアサドの秘密(?)だろうか。 でもそれはあとにとっておいて、むしろカールがQに来るきっかけになった事件を先に解決してほしい。 ハーディの調子もよくなってきているみたいだし、決着がついてほしいです。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月02日

チャイルド・ファインダー 雪の少女/レネ・デンフェルド

 たまたまタイミングで、一気に読んでしまった。 買ったときに持っていた本が重く、こちらを読み始めてしまったため。
 「ファンタジー的な要素が混じりこむ」と訳者あとがきにあったのでそういうテイストなのかと思いきや、予想以上にハードで残酷な事実を容赦なく提示する。 やべぇ、やられた。

  チャイルドファインダー 雪の少女.jpg 原題:“The Child Finder”
 <子ども見つけ屋>と呼ばれるナオミは行方不明の子供たちを見つけ出すことに人生のすべてをかけている。 そんな彼女のもとに、オレゴン州で3年前5歳で突然姿を消したままの少女マディソンを見つけてほしいと依頼が。 マディソンの母親以外は誰もが少女は死んでいると思っている。 ナオミはマディソンの足跡を一から辿り直すことにする・・・という話。

 ナオミがマディソンを探す過程と、突然違う世界に入り込んでしまった“スノウガール”のパートで構成される。
 このスノウガールパートが思いのほか多く・長く、読むのがつらい! しかし読んでいかないと先へ進まないので・・・「子供がこんな目に遭うのはおかしい!」と憤ることができる自分の感覚はまともであると感じられるというか、ほんとに怒りがわいてくるよ。
 しかも、ナオミ自身もどこからか逃げてきたらしいが記憶がないという過去を抱えているという、ありがち展開ながらそれがなくては始まらない話になっており・・・誰にでも起こりうることかもしれないけれど、そうじゃないかもしれないという救いもちょっとある。 そう思ってはいけないのだが・・・。
 ナオミの過去の調査例から、虐待で最もひどいものは無視・ネグレクトで、それに比べれば暴力をふるうほうがまし(無視されると自我が育めない、自分がいないまま。 敵がいることで自分と相手を区別できるので、回復過程で明確な差が出る)、という結果はひどいよ・・・仮に助け出されても、その後に適応できるかどうか難しい、まさに人生を破壊された行為。
 ・・・あぁ、つらい。
 現実に今も起こっている出来事だからこそ、安易にハッピーエンドだけで終わらせないということなのだろう。
 ナオミの過去に迫る続編が本国では刊行されているようである。 日本版も出るといいが。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月23日

メインテーマは殺人/アンソニー・ホロヴィッツ

 『カササギ殺人事件』の作者による邦訳最新刊!、となればこれまた否が応でも期待しちゃいますよね・・・。
 期待しすぎて(?)、読みに入るのをちょっと待ってしまった。 まぁ、図書館の急ぎの本があったせいもあるのだが、落ち着いたので取り掛かったら、あっという間に読み終わってしまった。 ここ何年も暑くて「10月を楽しみたい!」というあたしの願いはしっかりかなえられないのだが、これのおかげでその気持ちを取り戻したような気がする。

   メインテーマは殺人.jpg 原題:“THE WORD IS MURDER”
 <わたし>こと作家のアンソニー・ホロヴィッツは、脚本を担当している警察ドラマの監修にかかわった元刑事のホーソーンから、自分の葬儀の手配に行った老婦人がその日のうちに殺されたという奇妙な事件について聞かされる。 しかもこの事件を解決する自分を本にしないかという。 <わたし>はこの愛想のない変わり者に反感を抱きながらも、彼の優れた推理能力にはひかれ、いつしか行動を共にする・・・という話。
 まさにシャーロック・ホームズとジョン・ワトソンの関係へのオマージュ!
 ワトソンやヘイスティングさんが「名探偵と親しくなったことで、自ら記録係をかって出る」という立場なのに対して、ホロヴィッツとホーソーンは最初から契約の関係ってのがちょっとひねっていますが、信頼関係が深まり友情が・・・という過程は一緒? でもワトソンさんたちと違ってホロヴィッツはすでに作家だから、エゴとか自己顕示欲が強い! そういうのも全部書いちゃうから面白い!
 で、勿論オマージュやパスティーシュで終わるわけがなく、きちんと正統派ミステリです!
 大上段から振りかぶってないけど、きちんとフェアプレイ。
 『カササギ殺人事件』のインパクトよりは少々ゆるめですが、ホロヴィッツが携わっているテレビドラマや映画の仕事など、いわゆる業界裏話的なものがなかなか楽しい(特に『刑事フォイル』!、それもこれも海外ドラマがいっぱい観られるようになっているおかげ)。 ホロヴィッツだけじゃなく、実在の人物がゴロゴロ出てくるのも楽しい。 ただ主要人物ダミアン・クーパーのモデルが明らかにダミアン・ルイスなんだけど・・・『アレックス・ライダー』にも出てるからきっと友人でお断りを入れてるよね・・・と思うけどドキドキしちゃった。
 <著者あとがき(謝辞)>までも作品と同じ世界観で書かれている手の込み具合。 これは絶対シリーズ化だね!

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月14日

殺人鬼ゾディアック 犯罪史上最悪の猟奇事件、その隠された真実/ゲーリー・L・スチュワート スーザン・ムスタファ

 「あぁ、そういえば邦訳が出たから読みたいと思っていたのにすっかり忘れてたなぁ」とその本の実物を見て思い出す。 確か、発売時期になんかの書評で取り上げられていたのです。 奥付の発行は2015年9月ですよ・・・4年以上も忘れていたとは。 でも、逆に言えばその後、話題に出なかった(新事実が判明していない)ということでは。
 犯罪ノンフィクションを結構好んで読んでしまうほうですが、ゾディアック事件に関しては未解決なのと専門の邦訳書が少ないこともあり、あたしの知識は映画『ゾディアック』(デヴィッド・フィンチャー監督)に上書きされてしまいました。 映画の原作であるロバート・グレイスミスの『ゾディアック』邦訳を読んでも「映画と固有名詞のカタカナのふり方が違う(トースキーがタースキーになっている、など)、なにより最有力容疑者の名前が全然違う」とパニくるほど。 本書でもかなり違うので(トースキーはトスチに、ヴァレーホがヴァエホーに、など)、どれがどれなのか納得するのに時間がかかって。
 でもある程度わかってきたら、本書の主張は映画ともグレイスミスの主張とも符合すると感じられて「おぉ!」となる。
 しかし本書の読みどころはゾディアック事件の真実というよりも、親に捨てられた子が過去を振り切ることのほうだった。

  殺人鬼ゾディアック単行本.jpg 表紙は著者の父親の写真。
 2002年5月、39歳であった“私”(筆者)は初めて実の母親の名を知る。 素晴らしい養父母に育てられ愛情を感じてはいたが、実の親には見捨てられたという感覚からずっと逃れられない著者は、母親に実の父親のことを尋ねるが、母はあまり覚えていないという。 それならば、と自力で調べ始めたら・・・父親はゾディアックだったのではないかと考えに至った。

 何故、そんなにも自分の生物学上の両親のことを知りたがるのか不思議でたまらなかった。
 養父母がいて関係が円満なのだからそれでいいではないか。 知ったからっていいことばかりじゃないのに、とあたしは思ってしまったが、筆者は信心深い養父母から愛と赦しの大切さを学んでしまったので、生物学上の両親のことも愛して赦したくてたまらないらしい。
 遺伝上の父親と別の母親との間に生まれた子供(筆者にとっては義妹弟になる)に、自分が見つけ出した手掛かり(父親はゾディアックらしい)を突きつけて「兄妹だから(一緒に受け止めよう)」みたいに迫るのは・・・すげー迷惑だと思うんですけど、筆者はなかなか気づかないし(自分の妹だというだけで通じ合えると思っていた、と書いている)、「実の親に捨てられた悲しみは一生付きまとって離れない」と自分のことだけでなく妹弟のことも含めて断言している。 彼とは違う形で対処している可能性を考えに入れてない・・・「すべてを赦し、受け入れる」という筆者の想いは素晴らしいと思うが、それをすべての人に強要しないでほしいな、と感じてしまった。 彼はそうしなければならなかったのだろうけど、誰もがそうではないのに。
 とはいえ、父親の親族との交流が描かれると、「なるほど、そうやって縁が続く・親戚の輪が増えていくのは面白いかも」と思わされるけれど・・・もし自分だったらそこまでしたいだろうか、したくないとしたらそれは何故なのか、と考える。
 筆者は「愛されたい」という渇望に忠実に行動している。 愛されたいから自分も愛していく、という感じ? それでやっと自由になった。
 あたしは、自分が愛していない人に愛されることを求めない。 その気持ちに至ってようやく自由になった。
 多分、到達した気分は似ているけど、その過程は千差万別なのだ。 筆者の心の平穏に祝福あれ。

posted by かしこん at 15:19| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月10日

本と鍵の季節/米澤穂信

 米澤穂信新作、ようやく図書館から順番待ちのご連絡あり。 次の予約も詰まっていることなので、とっとと読んでしまいましょう。
 メイン登場人物は高校生だがこれまでのシリーズものとは別、ということでどんな感じかなと思ったのですが(あたしは『さよなら妖精』は好きだが、『氷菓』はしっくりこなかっらので他の<古典部シリーズ>は読んでいない)、これは都内の公立高校に通う男子二人がたまたま図書委員になったことで知り合って・・・と青春小説スタイルでありながら、ガツンとハードボイルド!、だった。

  本と鍵の季節 米澤穂信.jpg 帯:「これは図書委員の僕らの推理と友情の物語」
 “僕”こと堀川次郎は高校二年の図書委員。 利用者がほとんどいない放課後の図書室で、同じく図書委員の松倉詩門とよくコンビで当番を務めることが多い。 ある日、図書委員を引退した先輩女子が訪ねてきて、僕らに祖父が遺した開かずの金庫の鍵の番号を探り当ててほしいとい頼んでくるのだが・・・(『913』)など、ちょっとした出来事に巻き込まれたりした二人の約一年間を描く連作短編。

 これは・・・シリーズ化するの、難しい!
 それぞれが傷を負ってしまったから・・・お互いがそのことを知ってしまったから。
 体育会系のタイプじゃない、ガリ勉秀才タイプでもない(でも二人ともそこそこ成績はいいらしい)。 偏った知識はあるが意外な王道がわかっていないなど<今どきの若者>感全開で、何度「男の子だなぁ」と思わされたり。
 その中で、ひそかに忍び寄ってきたものが、最終章『友よ知るなかれ』で爆発!
 勿論、謎解き要素はしっかりフェアだし、男子二人の下品過ぎない減らず口のやりとりは「男の子だなぁ」とニヤリだし、女同士とは違う(しかも体育会系じゃない)男の友情は大変いい感じです。 ちょっと読み足りない気もするんだけど、この先は描かないほうがいい気がするし・・・このはかなさのようなものもまた、ある種の青春だなぁ、と思うのです。

ラベル:国内ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月08日

生まれながらの犠牲者/ヒラリー・ウォー

 正直、まだ暑い。 夜でも窓を開けるだけではやはり無理で、冷房をつけて扇風機も回してしまう。 湿度を感じてしまうからだ! お風呂あがりにすっきりしないし、本もなんだか湿る気がする。 だからまだもう少しエアコンはつけることでしょう。
 そして読みたい本も読むタイミングを待っている本もたくさんあるのだが、ふいっと来たものをすぐ読んでしまいことも。
 なにしろヒラリー・ウォーだから! またページ数も330ページというほどよい薄さ。

  生まれながらの犠牲者 ヒラリー・ウォー.jpg 原題は“BORN VICTIM”。
 <創元推理文庫創刊60周年記念>・<名作ミステリ新訳プロジェクト第9弾>、と力が入っておりますが、それだけ期待できる実績ありです。
 コネチカット州のストックフォードという小さな町で、成績優秀で品行方正おまけに眉目秀麗という13歳の美少女バーバラ・マークルが帰宅してこないと母親から警察に連絡が。 ダンスパーティーの翌日のことだったので遊びに行ってまだ帰ってきていないだけではと考えた警察署長のフェローズだが、事態はそんな単純なものではなかった。 事件であると判断し、一斉捜査が行われるが、小さな町故の人出の足りなさもあってバーバラの行方は杳としてつかめない。 いったい、バーバラは何故姿を消したのか? ひたすらに地道な捜査を続けるが・・・という話。

 同じプロットである『失踪当時の服装は』では行方不明になったのは18歳の大学生だった。 しかし今回は13歳なので・・・それだけで事件の性質が変わるのです。 そして名探偵的な人物は登場せず、コツコツと手掛かりを集めて可能性を一つ一つつぶしていく、という捜査の基本が。 アメリカの小説なのになんとなくイギリスっぽい感じがしてしまうのは、この地味さ加減であろうか。 それとも時代的なものか(本作が書かれたのは1962年)。
 そして、ほんとに最後まで犯人がわからない。 途中で「もしかしてそうかな?」と感じはするんだけど、確証が得られるのは最後の章の7ページ分。 冒頭から積もりに積もったものが爆発するかのような、滑り落ちて崩れるかのような慟哭。
 そこでタイトルの『生まれながらの犠牲者−BORN VICTIM』の意味がずしんと突き刺さり。
 ・・・あぁ、これまた立ち直れない。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 03:05| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月03日

沈黙する教室 1956年東ドイツ − 自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語/ディートリッヒ・ガルスカ

 先日観た映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の印象が深く残っており、原作を読むことに(というか、映画の前から図書館に予約を入れていたのだが、やっと来てくれたのである)。
 クラスメイトの中の一人であったディートリッヒ・ガルスカが、その当時のこと・その後のことを閲覧可能になった資料を掘り起こしてまとめたもの。 ジャンルとしてはノンフィクションながら、著者はプロではないためか翻訳の問題なのか中途半端感がいなめない。
 逆に、これからあんなドラマティックな映画を作ったのがすごいな、と思った。

  沈黙する教室.jpg 1956年の秋、東ドイツの小さな町シュトルコーの高校で起きたある出来事。 「西側のラジオがハンガリー動乱の犠牲者にむけた黙祷を呼びかけてるぞ!!」という級友の言葉に応えた形でクラス全員が授業中に5分間沈黙を守った、それも2回。 その当時ソ連支配下の社会主義国家であった東ドイツにおいて、それはいつしか<国家への叛逆>と見なされるようになった・・・。

 映画の舞台となった町とは違った(もっと小さい町だった)。 黙祷も2分ではなく5分だった。 やってることの意味を彼らはちょっとわかっていた。 ここには映画には描かれていない現実がある。
 そして映画には書かれていない、西側に行った人たち・いかなかった人たちのその後、40年後の同窓会についてのほうが多くページを割かれている。 それがまたせつなく・・・だからベルリンの壁は築かれることになってしまったのか、それを撤廃するまでにどれだけの人が犠牲になったのかと考えずにはいられない。 東から西に行ったとしても西は<地上の楽園>ではないし、そもそも人間のいるところに楽園などありえないのに、何故そのような宣伝をしてしまうことができるのか(それにだまされてしまう人を作り出す状況が生まれるのか)。
 これは当時の東西ドイツだけではなく、のちの北朝鮮や中国にも言えること。 言論の規制と独裁にいいところなど何もない。

 筆者は自分を「私」と書いたり、「私たち」と書いたり、「ディートリッヒ」と書く。
 どこまで意図したものかはわからないが、それがときにものすごく効果的で、ときに違和感を抱かせた。 映画を観て状況を把握できていなかったら、読み通せたかどうか自信がない。 決して長い本ではないのだが・・・意向を確かめていないクラスメイトをかばうためか個人情報をできるだけ出さないためか、かなりぼやかされたり省略されているところがあるので。 きっかけになった出来事自体は同じだが、全面的にオリジナルキャラクターで物語を紡ぎあげた映画版のディテールにノンフィクションのほうが及ばないのだ。
 とはいえ、「もしこの時代に自分が生きていたら」と考えさせられることは必定で、つまり「もうそんな世の中にしてはならない」ということなのだ。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月27日

国語教師/ユーディト・W・タシュラー

 図書館からやってきました。 しかし、全然違う時期に予約したのに、そのときのあたしの待ち順番もまちまちなのに、「次、あなたですよ」と一気に何冊もやってくるのは何故なのか(勿論、そういうやつは次の予約が詰まっているので急いで読まねばならない)。
 なので気合を入れて集中して読みました。

  国語教師.jpg <ドイツ推理作家協会賞受賞作>だそうです。
 作家を招いての、高校でのワークショップ。 作家のクサヴァーはある高校に行くことになるが、そこで国語の教師をしているのはかつての恋人マティルダだった。 十六年振りの再会がもたらす、二人の過去と現在は・・・という話。

 冒頭から、クサヴァーのダメ男っぷりにあたしは嫌気がさしている。 しかしマティルダは「運命の相手」とばかりに惚れ込んでいて・・・大変イタいんですよ・・・。 同じようなスピード、同じような度合いでお互いを好きになれるのは奇跡だな!、と改めて思う。 つまり、先に好きになってしまったほうが、多く好きになってしまったほうが、負けになる。
 無神経な男と、裏切られた傷がまったく癒えない女との、<イヤミス的話>かと思ってしまいましたが・・・もっと大きなテーマがあって、不意を突かれた。 ミステリの体裁を採ってはいるが、この路線は純文学では?
 さすがゲーテとリルケの国・ドイツ。 懐が深い。 感情や余分なものを排すかのような文体と構成なのに、最後のパラグラフではうっかり泣きそうになってしまって自分で驚いた。 クサヴァーはほんとにひどい男だが、マティルダにも欠点はある。 それなのに。
 「人の心はままならない」と言ってしまえばそれまでですが・・・あまりよろしくない業やら宿命のようなものについて考えてしまいたくなる。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする