2020年07月15日

一度も撃ってません

 えっ、石橋蓮司初主演作なんだ。 今までもありそうだけど・・・ドラマではあるのかも、映画としては初、ということか。 阪本順治監督作品。

  一度も撃ってませんP.jpg 噂のヒットマン!? でも本当は売れない小説家

 純文学でデビューした小説家の市川進(石橋蓮司)だが、その後は鳴かず飛ばずで、“サイレントキラー”という殺し屋の一挙一動を列記するハードボイルド小説に転校してかなりの年数になる。 毎夜、ハードボイルドなイメージで夜の街を徘徊する市川には、「伝説のヒットマン」という噂があった・・・という話。

  一度も撃ってません4.jpg ハードボイルドにバーを訪ねる。
 カウンターの奥にいるのは元検事の旧友の石田(岸部一徳)で、一筋縄ではいかないキャラクターはさすが。 というか最初はほんとにヤバいヤツ感があふれているのに、だんだん本質が見えてくるってのがおいしすぎる! っていうかかっこいい! すごいな、岸部一徳!
 それに対して市川はナレーションがかっこよくて面白いんだけど、市川本人の深みがあまり感じられなくて(それにも意味があることがあとあとわかるんですが)、石橋蓮司の佇まいに頼りすぎじゃない?、ってちょっと思ってしまった。

  一度も撃ってません2.jpg 元ミュージカルスターのひかる(桃井かおり)を含めた三人は学生時代からの仲間。
 学生運動をしていた時期を共に過ごした・・・というのが強固な友情の土台のようで、各世代にいろいろな何かがあるのでしょうが、あの世代の方々には非常に特別な何かなんだな、と。 下の世代である私には全然わからないのですが。
 着飾ってバーを訪れる時間こそ「ほんとの自分」と輝くひかるの、まったく輝かない昼間の姿に度肝抜かれる(桃井かおりが富士そばで働くおばあちゃんだった!)。 シャレで作った映画です、と見せかけながらちっとも手を抜いていないんですよ。

  一度も撃ってません3.jpg こんな親子共演でいいの?
 市川の担当編集者(佐藤浩市)も定年が迫ってきたため若い編集(寛一郎)に引き継ごうとする・・・という世代の差を強調するためのキャラクターだったけど、上と下に挟まれてぼやくだけの佐藤浩市は面白かった(強さとか説得力とか全然なくてつい物足りず、そういうものを求めてしまっている自分の気づく)。 一緒の場面はなかったけど柄本明と柄本佑もちょっと出てくるし、江口洋介も妻夫木聡もいるし、ほんとに豪華キャストなのです。

  一度も撃ってません1.jpg あれ、『インファナル・アフェア』?
 その中でもサイコーなのが豊川悦司なのです。 出てきた瞬間、「おや、この人・・・トヨエツか!?」とわかってからずっと笑いっぱなし。 このトヨエツだけで観た価値があった。 この髪型、『ミッドウェイ』の撮影時期と近かったのかしら。
 ミステリとしてはタイトルでネタバレなのでミステリとしては観ないけど(ミステリ要素を一人で背負っていたのは岸部一徳かも)、それなりの伏線がきっちり張られていた。 ベテラン脚本家丸山昇一の腕を見る。 Jazzyな音楽はあまりにも狙いすぎかな、と思うけど、そういうカッコつけも許せてしまうのがこういうお遊び映画なんだろうな。 ただ、受け付けない人がいるかもしれないのもちょっと感じる。

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2020年07月13日

エジソンズ・ゲーム/THE CURRENT WAR:DIRECTOR'S CUT

 ベネディクト・カンバーバッチとマイケル・シャノン共演というだけで観たい。 もともと4月10日公開予定だった・・・3か月遅れた。 まぁ、大作じゃないから順番に公開されるってことでもあるんだけど。

  エジソンズゲームP.jpg 未来を照らすのは、誰だ。
  勝つためならルールは無用。究極のビジネスバトル。

 1891年、白熱電球による明かりを公表した発明家のトーマス・エジソン(ベネディクト・カンバーバッチ)は伝統の事業化を始める。 その際、送電には直流が適していると考えていたが、実業家のジョージ・ウェスティングハウス(マイケル・シャノン)は遠くまで送電するには交流のほうが安価で適していると考えた。 直流と交流、どちらが世界に選ばれるのか。 エジソンは交流の危険性を訴えるが・・・という話。
 “メンロー・パークの魔術師”など、聞き覚えのある言葉に「おおっ」となり、電気のビジュアルには『プレステージ』(クリストファー・ノーランの)を思い出させる。 あれにもニコラ・テスラが出てきたしね。
 電灯のない時代の暗闇、これがこの映画の価値か。

  エジソンズゲーム3.jpg ベネディクト・カンバーバッチ、いい男感ゼロ。
 あえて封印ということなのか、エジソンを偉人として描かない方針なのか、この映画のエジソンは自分の発明に固執する偏屈な人物(実際もそれに近かったのかもしれない)。 仕事中心、愛情はあるけど家族は後回しという古い日本人的な感じがちょっと懐かしく思えるほど。 それにしてもベネディクト・カンバーバッチ、こんなに背が低かった?、とずっと気になって仕方なかった(なんか映像いじってますか)。

  エジソンズゲーム2.jpg いかにも悪役っぽい見掛けながら、紳士的なウェスティングハウス。
 実業家として目指しているものは非常に今日的。 ウェスティングハウスとエジソン、それぞれの妻のタイプも対照的で、時代というか運命的なものを感じさせますね。 実はビジネスは結構どうでもよくて(直流と交流の違いも説明しないから)、エジソンとウェスティングハウスというまったく違う二人の対比を描いたもの。 マイケル・シャノンが渋くてカッコいい! エジソンをディナーに招待したのにすっぽかされる場面は傷心過ぎる!

  エジソンズゲーム5.jpg 不遇なニコラ・テスラ(ニコラス・ホルト)はこの映画でもやはり不遇だった。
 投資家JPモルガン(マシュー・マクファディン)の存在が、モノづくりより投資のほうが儲けられる時代の到来を告げていてなんだか悲しくなる。 でも邦題『エジソンズ・ゲーム』自体も『イミテーション・ゲーム』に乗っかった安易さでJPモルガン的ではないかとまた悲しくなる・・・。

  エジソンズゲーム1.jpg 身長差、おかしくない?
 エジソンの秘書サミュエル・インサル(トム・ホランド)の誠実さが救い・・・。
 ウェスティングハウスとエジソンが協力し合って電気の普及に努めていたら、もっと良いものができたのでは。 つい、そう思ってしまいますよ。
 しかしタイトルに何故『DIRECTOR'S CUT』が入っているのだろう、と不思議だったけど・・・この映画にはバージョンが3つあり、これは108分のインターナショナル版とのこと。 初号は2017年トロント映画祭で公開されたけど、当時のプロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインに編集に口出しされ監督の納得のいくものではなかったらしい。 その後、ワインスタインがセクハラで失脚し、スコセッシがバックアップしてやっと監督自身の編集ができた・・・ということらしい。 映画ってほんとに時間がかかるのね(トム・ホランドはこの撮影中いくつのとき?)、プロデューサーと監督が同じ方向を向いてないと最悪・・・と実感。

ラベル:映画館 外国映画
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2020年07月04日

コリーニ事件/Der Fall Collini

 原作を読んだのは何年か前ですが・・・(過去記事を見たら約6年前でした)、なんともいえぬ後味の悪さを覚えています。 これも映画になるとは、やはりフェルディナント・フォン・シーラッハはドイツで人気があるのね。 でも原作『コリーニ事件』は日本で本屋大賞の「翻訳小説部門」第一位を獲っているのに、あまり知られている感がないのは何故?

  コリーニ事件P.jpg 正義に挑む
 2001年のある日、高級ホテルのペントハウスで、ドイツの経済界の大物ハンス・マイヤー(マンフレート・ツァパトカ)が殺害される。 犯人として逮捕されたのはファブリツィオ・コリーニ(フランコ・ネロ)、イタリア人ながら30年以上もドイツで模範市民として暮らしていた人物。 取り調べには一切黙秘で通しているため、裁判を成立させるために新人弁護士のカスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)がコリーニの国選弁護人となる。 しかしライネンにとってハンス・マイヤーは子供の頃からの恩人、幼馴染と言えるハンスの娘のヨハナ・マイヤー(アレクサンドラ・マリア・ララ)との仲は悪化し、尊敬する法律学のマッティンガー教授(ハイナー・ラウターバッハ)も被害者側の証人に。 ライネンは孤立無援となる中、コリーニの動機を探すことに・・・という話。

  コリーニ事件5.jpg ハンス・マイヤーとコリーニの二人のショットは印象的。
 実際にコリーニが手を下した場面はないので、彼が話すまでは真相はわからないという原作の要素もばっちり再現。 ドイツ映画らしい生真面目さにあふれている。

  コリーニ事件2.jpg コリーニとライネン、二人だけのシーンも数えるほど。
 その数少ない場面もほぼライネンが話すばかり。 沈黙で受け止めるコリーニの顔!
 コリーニ役のフランコ・ネロさんはマカロニウェスタンの大物らしく・・・あたしは存じ上げなかったのですが、顔のしわや皮膚に刻まれた厚みがただごとではないです。 このキャスティングが肝だったのだろうな、と。

  コリーニ事件1.jpg 裁判中、被告はガラス張りの箱の中。 つい感染症対策に思えてしまう。
 コリーニが何もしゃべらないので、中盤過ぎまでライネンの個人的な話に・・・。 あぁ、そういえば原作もそうだったなぁ、と思い出す。 ライネンの出自(トルコ系移民)は記憶になかった、そういうのは文章より映像のほうがわかりやすいのであろうか、単にあたしがそういう意識が薄いのであろうか。 ライネン役のエリアス・ムバレクの実直感もよかった。

  コリーニ事件3.jpg 損な役回りはハンスの娘のほうである。
 ヨハナはかつてライネンと恋仲になっていた時期があり・・・でも今は父親を殺したとされる男の弁護人。 その複雑な立場故に感情的になってばかりで、残念な印象になってしまう。 この女優さんもすごく見たことがあるんだけど、思い出せない(あとから、『フェアウェル さらば哀しみのスパイ』の人だと思い出すけど、いろんな映画に出てらっしゃいます)。
 重要な役割を担うマッティンガー教授役のハイナー・ラウターバッハの佇まいもただごとではなく、すごい俳優なんだろうなとオーラを感じる(以前、ケヴィン・コスナーのドイツ語吹替をされていたそうである。 津嘉山正種ってことだよ!)。 実力派で固めたキャスティングが、ドイツの本気具合なのかも。

  コリーニ事件4.jpg 見かねたライネンの学友も手助け。
 その過程でライネンの父親との関係の修復の様子も。 これまでのことを思うとよく話したりできるな、と思っちゃったりもするんだけど・・・裁判でわかるコリーニの動機にかかわることが大きすぎて、個人的な事情が吹っ飛んでしまいます。
 法律が正義の根拠として語られがちだけど、そもそも法律は時代によって変わってくるということ。 いったい誰が誰のために新しい法律を作っているのか、わざわざ調べなければ一般人はどこが変わったのかわからない・・・という法律のそもそも論。
 大変重たいのですが・・・あえて救いが込められたラストシーンはベタではあるんだけど、うっかり涙がこぼれました。
 ドイツ本国では『コリーニ事件』の出版により問題視された法律が改正された(映画では語られなかった、完全に小説の映画化ということなのか)。 同じことが日本で起こりえるだろうか・・・と考えると、社会の成熟度が全然違うんだろうな、と思えてしまった。 映画単体としての評価は難しいんだけど(原作を知っていたからよかった気がする)。

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2020年06月21日

ルース・エドガー/LUCE

 予告を観たのは臨時休館前のこと。 サイコサスペンスっぽいテイストだった。 でも“BLACK LIVES MATTER”の流れ後ではただのサイコサスペンスだとヤバくない? 勿論、それは日本での宣伝のためであって、実際は“BLACK LIVES MATTER”の複雑さの一端を伝えてくれるものだった。

  ルース・エドガーP.jpg あなたは人間の本性を見抜けるか――。
  誰からも称賛される17歳の高校生ルース。彼は“完璧な優等生”か、それとも“恐ろしい怪物”なのか――。

 バージニア州アーリントンの高校に通う17歳のルース(ケルヴィン・ハリソン・Jr)は陸上部でのエースであり、成績優秀者としても一目置かれる存在。 が、ある日ルースは提出したレポートのことで歴史教師ウィルソン(オクタヴィア・スペンサー)に呼び止められる。 ルースの考え方に危険な何かを感じたウィルソンは、ルースの養父母ピーター(ティム・ロス)とエイミー(ナオミ・ワッツ)に懸念を告げるが・・・という話。
 これには実力派有名キャストが必要だった。

  ルース・エドガー1.jpg オクタヴィア・スペンサーうますぎる。
 ルースだけじゃなく、登場人物全員がなんらかの隠したいことを持っている・・・本心を誰も語らない・・・ので観客としてはもやっと感が半端ない。 なんですか、これって<『羅生門』スタイル>ってやつですか。
 個人の内面にもっとフォーカスはしないんですか!、と思っちゃうけど、もともとは戯曲だそうで、舞台だったらこのわからなさも受け入れられるかも。 いや、なんとなく「そうなのかな」とは推測できるんだけど、確信は得られない感じ。

  ルース・エドガー2.jpg 豪華キャストなのに妙にリアル感のある配役。
 こういう家族、アメリカにいそう・・・という感じがすごくする。
 ルースは黒人、両親は白人ということで養子だということはすぐわかりますが、「養子」というだけじゃない苦悩(黒人としてのアイデンティティ、白人の裕福な両親の期待に応えるなど)が日本人にはちょっとわかりにくい。 『This Is Us』のときも思ったことだけど。 養父母側としても「救ってあげたのだから守らなくては」という意識が強いというか(特に母親)、「親とはどうあるべき存在なのか」を観客は突きつけられているようだ。 よかれと思っての言動がちょっと無神経な養父、ティム・ロスぴったり。

  ルース・エドガー3.jpg 「社会に認められる黒人であるために」振舞うウィルソンの背景がつらい。 これが黒人に対する社会的抑圧なのね。
 でもこれは多くの人が「大人として、子供や若者にはわきまえていてほしい」と感じてしまうことと一緒でもあるんだよな・・・。 それと、女性専用車にぼやっと乗ってきてしまう男性を見たとき「この人、まわり見てないんだな」という残念な気持ちがして、更に「あぁ、この人はまわりを見ずに(見られることを意識せずに)生きてこれたんだな」と感じてしまうというか・・・あたしは乗った車両の客がほぼ男性だったらたじろいで降りてしまうタイプだ。 これもまた女性に対する社会的な抑圧が存在してるからだ。 でもルースが結果的に利用したクラスメイトはアジア系・・・なにこの人種間の闇。 抑圧、多すぎ!

  ルース・エドガー4.jpg “完璧な優等生”としてスピーチ。
 「ルース」とは黒人らしくない名前なのだそうな。 彼の本名を養父母は発音できなかったので、名付け直したということらしい。 アイデンティティを追求したら、そもそものはじめからボタンがかけ違えられているということに。 でも彼はアメリカ社会で生きていくことになるのだから生きやすいようにとの気遣いだったわけで。
 個人の復讐には社会を変える力はないということなのか、なんだかもう考え込みすぎる・・・。

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2020年06月18日

ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語/LITTLE WOMEN

 『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』、三か月遅れで日本公開決定!
 オルコットの『若草物語』は幼稚園の図書室(?)で読んだ。 勿論子供向けにリライトされていただろうけど、第一部と第二部両方あったからそこまで変更はされていなかったのかもしれない。 厳しい現実にぶつかる第二部よりも、当時のあたしは第一部が好きで、折に触れて読んでいた気がする。 あれ以来読んでないけど、『若草物語』はあたしの人生観を決めた作品だったのかも。 この映画を観て、そう気づいた。

  ストーリー・オブ・マイ・ライフP.jpg 今日も「自分らしく」を連れて行く――。

 アメリカ、北部のある田舎町で。 マーチ牧師とその妻(ローラ・ダーン)には四人の娘がいた。 しっかり者の長女メグ(エマ・ワトソン)は愛し愛される人との結婚を夢見、とにかく活発な次女のジョー(シアーシャ・ローナン)は小説家になる夢を持っていて、ピアノを愛する三女のベス(エリザ・スカンレン)は天使と呼ばれるほど心優しく、マイペースで頑固な四女のエイミー(フローレンス・ピュー)は画家として身を立てるつもり。 父は従軍牧師として南北戦争に行ってなかなか帰らない。 隣家のローレンスさん(クリス・クーパー)と甥のローリー(ティモシー・シャラメ)はマーチ一家を支えている・・・という話。

  ストーリー・オブ・マイ・ライフ4.jpg ジョーはいつも走ってるイメージ。
 冒頭は原作の第二部から。 時間軸を交錯させ、第二部が進行していく合間に第一部の内容が回想シーンとは少し違う形で表現される。 そうすることで長さを回避し、第二部の流れにかかわりのある過去がピックアップされるという形で大胆に省略してる。 だいたい『若草物語』を読んだことがある・大体の話は知っている観客がほとんどですよね、足りない部分は各々補完してください、と言わんばかりの潔さ(原作読んだことがない人は、こだわりがなくて逆に素直に受け止められると思う)。 これは現在なのか過去なのか、一瞬考えるところもあるけれど、きちんとヒントを出してくれてる。

  ストーリー・オブ・マイ・ライフ3.jpg エイミー、前半は何かをやらかしそうでずっとドキドキしてた。
 実際やらかすんですが・・・ある時点で大きくやらかしてくれたおかげで「このあとは大丈夫だろう」という妙な安心感が。 エイミーの自由奔放さを子供心に恐れていたらしいということを思い出す・・・あたしはジョーが好きだったというか、ちょっと神聖視ぐらいしてました。 「結婚するだけが女の幸せじゃないわ!」という彼女に「そうだそうだ!」と思っていたのです、幼稚園児なのに。 メグは同じ長女なので「わかる〜」という部分もあったけど、「貧乏なんてもうこりごり」のセリフには引いた・・・それはあなたがいらぬ見栄を張ったからじゃん。
 原作を読んでいたときには気づかなかった、四姉妹のそれぞれ意地が悪いところ(ベスはないけど)にちょっと驚きつつ、多面性のある・奥行きのあるキャラクターが現代版である意味なのかな、と。 もしくはあたしも彼女たちの年齢をはるかに超えてしまったということなのかも。

  ストーリー・オブ・マイ・ライフ1.jpg ジョー、本気で作品を仕上げる。
 小説家として身を立てる!、経済的にも自立する!、というジョーの覚悟は気持ちいいけど、その問題が2020年でもリアルに響いちゃうというのは女性の立場ってまだまだなの?、と悲しくなる。 南北戦争の時代ですよ、約200年前だっていうのに。 でもこのへんの感覚は、監督・脚本のグレダ・ガーヴィグの投影が強いのかも。 ジョーやメグのもっといいところありますよね、なんだけど、全部描けないから、ここに中心を据えたんだろうな、と。 シアーシャ・ローナン、『ブルックリン』のときより若い感じがしたよ!

  ストーリー・オブ・マイ・ライフ2.jpg ローリー、すごくいいやつ!
 個人的にはローレンスさんのクリス・クーパーの微笑ましさにメロメロでしたけど、ベスとローレンスさんの交流、もっと深くていいところありますよね! いや、描かれてはいるんだけど、もっと見たかった・・・。
 まぁ全体的に、男性キャストは四姉妹にとって都合のいいキャラになってたな〜。 お父さんなんてドラマティックに帰ってきて以後はいるんだかいないんだかよくわからない扱いだし、四姉妹に重心を置くとそうならざるを得ないのかな〜。 何事にもバランスはむずかしい。
 で、ベスなんですよ。 彼女の運命は受け入れるのがむずかしい! 今ならばまぁそういうこともあるとわかっているけど、幼稚園のあたしには理解不能だったから、「神様ってひどくない?」と思ったわけです。 もし神様が存在するならば何故こんなひどいことが起きるのか、と納得できなくて「神様なんか信じない!」と思ったのでは・・・八百万の神はいると思うんですけど、一神教的な考えには全く魅力を感じないのは、『若草物語』のせいだったのかも、としみじみ感じましたよ。 これって「三つ子の魂百まで」か?
 あぁ、コスチュームプレイって素敵、と思わせてくれる衣装の数々(ドレスとかではない日常服のほうが魅力的)も素晴らしく、『若草物語』って古典なんだなぁ、と実感した。

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2020年06月13日

デッド・ドント・ダイ/THE DEAD DON'T DIE

 映画館の営業が再開し、延期されていた映画の公開も続々と決まり、「あれ、このままでは追いつかなくない?」と気づいてきた今日此頃。 それでなくともレイトショー枠がないのである(シネ・リーブル神戸はがんばってくれている、でもその時間に帰るとスーパー閉まってるんだよ!)。 でも一日二本とか観る体力・気力が自分にあるかちょっと自信ない・・・。
 が、とりあえず行けるものは行っておかねば!

  デッド・ドント・ダイP.jpg 今夜、最強のゾンビたちが目を覚ます

 アメリカのある田舎町センターヴィル。 警察のロバートソン署長(ビル・マーレイ)とピーターソン巡査(アダム・ドライヴァー)が通報によって森を捜索した後、無線の調子が悪くなりバッテリーも切れた。 極地で何かの開発実験をした影響で地球の地軸がぶれているという説もあり、夕方がいつまでも明るい。 その夜、墓場から死者がよみがえり、ダイナーに押し寄せた・・・という話。

  デッド・ドント・ダイ1.jpg 警察署のみなさん。
 ジム・ジャームッシュ的オールスターキャスト。 お遊び的コメディだということはわかっていたつもりだったのですが・・・なんかもう、ほんとに「悪ふざけ」なんじゃん、という気持ちに。
 役者の方々はセルフイメージとか最近の目立った役に重なるイメージの役柄で、おまけにメタ・フィクション要素も入れつつ回収もなく、「いや、ジョージ・A・ロメロ的なもの以上にはなってないよね!」とゾンビもの好きとしては物足りないのだ。

  デッド・ドント・ダイ2.jpg ティルダ・スウィントンのサムライ感もわざとなのかどうか・・・。
 その日本的なものはどうなの・・・刀に鍔がないけど居合刀ですか・・・。
 ジム・ジャームッシュの映画には押しつけがましく、わかりやすいテーマはない。 ゆるい、オフビートな空気が魅力だ。 でも『デッド・ドント・ダイ』にはあたしが思う“オフビート”感が薄く、自分の好みの狭さがあることを感じてしまった。 『リミッツ・オブ・コントロール』や『パターソン』は大好きなんだけどなぁ。
 あとでジム・ジャームッシュのインタビューを読んだら、ロメロを尊敬しているらしい。 もとから「ロメロ的なもの」を超える気はなかったようだ。 ちぇっ。

  デッド・ドント・ダイ3.jpg ケイレブ・ランドリー・ジョーンズとダニー・グローヴァーが絡むくだりはいい味だった。
 トム・ウェイツとイギー・ポップが揃って出るのがいかにもジム・ジャームッシュだなぁ、と思うけど、「でもあたしはファンというほどではないらしい」と実感。 そんな中、アダム・ドライヴァーのとぼけた味わいは最高で、「これが旬ということか!」と思う。 ビル・マーレイとのツーショットの安定感、素晴らしすぎる。

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2020年06月06日

ハリエット/HARRIET

 3月27日公開予定だったのである。 が、前日に公開延期が決まり、十日後ぐらいには映画館もほぼ営業自粛による休業に入った・・・というかなしいめぐりあわせの映画。 アカデミー賞授賞式でフッテージを観たり主題歌を聴いた記憶もやや薄らぎ、「あれ、19世紀の話だよね?」と不安になってきた。 6月5日(金)が出勤なので木曜の夜に映画館のホームページをざっくりはしごしたら『ハリエット』が公開になると知り、急遽最終回18時25分からに行った。 神戸国際松竹、悲しいほどにガラガラであった・・・。

  ハリエットP.jpg 彼女は一度も失敗せずに奴隷から英雄になった。

 1849年、アメリカ、メリーランド州。 ブローダス農場の奴隷ミンティ(シンシア・エリヴォ)は奴隷の母から生まれ、奴隷として生きていた。 結婚し自分も子供を持つことを考えたミンティだが、農場主(奴隷主)から「お前の子供も私の奴隷だ」と言われ、「自由か死か」と逃亡を決断、北のペンシルバニア州を目指す・・・という話。
 そうあってはいけないのだが、タイムリーな映画になってしまった。 所属の違う奴隷同士が結婚して、子供が生まれたら母親の奴隷の持ち主のものになるという発想(?)にびっくり。 子供は母親の従属物という考え方なのか? それとも押しの強い農場主が自分のものにするための屁理屈なのか。

  ハリエット1.jpg 序盤のミュージカル演出に驚愕。
 歌がね、とにかく素晴らしいのです。 ミンティの歌も、牧師さんの歌も、<黒人霊歌>ってこういうものか!、という。 悲惨な奴隷の窮状も歌を介すことで目を覆わなくて済む(それがいいかどうかはわからない)。
 映画自体はなんというか・・・『あぁ無情』みたいな感じがした。 すごく長い話を一本の映画にまとめたんだろうな、という(それでも125分あるのだが)。 うまくいきすぎるというかいい部分だけつないだようなところはあるんだけど、ミュージカルテイストな分、リアルタッチじゃなくても気にならなくなってくるから狙い通りなのかな。
 とにかくハリエット(自由になったミンティが改名)を演じるシンシア・エリヴォあってのこの映画。 本人が歌うことも含めての、ハリエットになり切った存在感ですよ。

  ハリエット2.jpg ミンティに執着する農場主の息子ギデオン(ジョー・アルウィン)もなかなかよろしい。
 登場人物はわかりやすく類型的なれど、たまに笑いをとる場面があり、人間くささがほの見える。 そんなところも舞台のアドリブっぽく感じたり。
 社会派ではあるんだけど大河ロマンの趣きもあり。 とはいえ、自由黒人や地下鉄道といった当時の背景についての説明は最小限なので、事前に多少の知識がないとちょっと厳しいか。 でも「あぁ、南北戦争のきっかけってそういうことか!」と腑に落ちました。

  ハリエット3.jpg 南北戦争のあたりはかなり駆け足。
 ハリエット・タブマンはアフリカ系アメリカ人として初めて20ドル紙幣の肖像に採用されることが決まっているそうで・・・アメリカではある程度知ってて当たり前なのかな。 それにしても奴隷制度って・・・人種差別って二百年ぐらい前の感覚を今も引きずってるっていうことなのかと。 あの当時のことを知っている人はもう誰もいないではないか。 なのにそんな感覚だけ残っているってなんなんだ。
 あたしが知っている範囲でも、「白人警官による黒人への傷害致死」は何件もある。 そのたびにデモが起こったり暴動が起こったり・・・多少は変わっているのだろうけど、本質的な何かは変わっていないのか。
 そんなところにエンディングの“STAND UP”、じわじわと涙がこみ上げる。

  
 あぁ、音楽に込められた希望ってすごい。

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2020年05月30日

レ・ミゼラブル/LES MISERABLES

 「もうひとつの『レ・ミゼラブル』」、“レミゼ”じゃないレミゼ、と話題、「『パラサイト 半地下の家族』がなければこれが本命だった」という前評判の高さにもつられ、でも救いがなさそうなんだよな・・・と覚悟して。

  レミゼラブルP.jpg “悲劇”は終わらない この街は今も燃えている

 フランス、パリ郊外の街モンフェルメイユはヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の舞台として知られているが、治安の悪い地域でもあった。 他の街から異動してきたステファン(ダミアン・ボール)は、クリス(アレクシ・マナンティ)、グワダ(ジブリル・ゾンガ)がいる犯罪防止班(BAC)に加入する。 様々なグループが対立しあい、町は常に一触即発。 特にイッサ(イッサ・ペリカ)という少年のいるグループは子供たちだけに後先を考えずに厄介なことをしでかす。 ある日、サーカス団から「ライオンの子供が盗まれた」と通報があり・・・という話。
 かなりドキュメンタリータッチ。 現実のパリ郊外暴動や監督自身の経験をもとにつくられたそうで・・・フランス、大丈夫か? いや、この世界、大丈夫か?、という気持ちになる。 いや、大丈夫じゃない。

  レミゼラブル3.jpg BACの三人。
 ステファン(青いチェックのシャツの人)は新参者なので、観客は彼の視点で映画を観ることになるわけだが・・・先輩二人の横暴ぶりにげんなり。 しかしこの街の警官でいるためにそういう道を行くしかない的な不器用さ(もしくは臆病さ)のせいであることが次第にわかってきて・・・だからって同情もできないんだけど。
 いや、同情というのはちょっと違うか。 出てくる人たちみんなどこか強引で、話が通じなくて、弱いものであってもどこかちゃっかりしてて、生物としての本能に忠実な感じがする。 つまり、みんな自分のことで精いっぱい。

  レミゼラブル5.jpg ピリピリと、それぞれの立場で警戒・信用していない。
 組織とかではなく、個人の警官として頼りにならないどころか「悪徳警官」にしか見えない・・・。
 いったい、住民はこの町に住んでいて気が休まる時はあるのだろうか。 移民とか、文化的慣習が違う人たちが初めから仲良くするのはむずかしいだろうけど、そもそもみんな頭ごなしなんだよね。 誰も信用しない、信じたものが負けを見るみたいな風土(?)。 やったもん勝ちみたいな、でも当然やられたらやり返すみたいな、弱肉強食の空気がこの街を覆っている。

  レミゼラブル4.jpg 子供たちのグループもかなりやらかしている。
 イッサに代表される子供たちは常に怒りを抱えている。 警官からはぼこぼこにされ、親にも匙を投げられ、共にいられるのは仲間だけだけど、その仲間も確実に一枚板とは言えない。 とんでもない悪ガキどもだが、彼らに正面から向かい合う大人もいない。
 「悪い草も人間もない。 育てる側が悪いのだ」というユゴーの言葉がずしんと響く。
 だとしても・・・そのラストシーンはあんまりだ。 ばっさり切られて、「へ、そこで終わり!」と放り出された。 どよーんと、落ち込む。
 民族・宗教的な対立要素が、いつしか「お仕置き(?)された子供たちの恨み」と「わかってくれない・わかる気がない大人たち」の対立になっていく・・・未来に救いはあるのか。
 子供たちはスラム街に住む本物かなぁ。 これを演技指導したならすごいよ。

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2020年05月28日

盗まれたカラヴァッジョ/UNA STORIA SENZA NOME

 「この映画、観たい!」とずっと思っていたのは、『ローマに消えた男』・『修道士は沈黙する』のロベルト・アンドー監督の最新作だから。 この二作はとても面白かったのです。 ミステリ要素を散りばめながら、アメリカやイギリスとはまったく違う語り口で・・・さすがイタリア!、と思ったのですよ。
 しかも今回はカラヴァッジョの盗難についての謎を扱うということで、期待のハードルが否応なく上がります。

  盗まれたカラヴァッジョP.jpg 今、イタリア美術史上最大の闇が明かされる。

 1969年、カラヴァッジョの名画『キリスト降誕』が何者かによって盗難に遭い、以後行方不明。 マフィアが盗んだとされているが、詳細は不明で、それ故にさまざまな説がまことしやかに語り継がれてきた。
 人気脚本家アレッサンドロ(アレッサンドロ・ガスマン)のゴーストライターを秘密裏に務めている映画プロデューサーの秘書ヴァレリア(ミカエラ・ラマッツォッティ)は、ある日ラック(レナート・カルペンティエリ)と名乗る謎の男が近づいてきて、今も未解決の〈カラヴァッジョの名画『キリスト降誕』盗難事件〉にマフィアがかかわっていることを告げ、実情を話すからフィクションの映画の脚本にしてくれという。 仮にバレても書いたのはアレッサンドロで、ヴァレリアには危険はないから、と。 ヴァレリアが書き上げた事件の裏側に迫るプロットはプロデューサー、映画監督から熱狂を持って受け入れられ、映画の制作が始まる。
 しかしマフィアにとっては“都合の悪い出来事”故、なんとか制作中止に追い込もうとアレッサンドロを拉致、昏睡状態になるまで痛めつけるが、「ミスターX」を名乗る者(ヴァレリア)から「アレッサンドロから預かっていた」と撮影の続きの台本がメールで送られてくるように。 「ミスターX」は誰だ!、と騒然となり・・・、という話。

  盗まれたカラヴァッジョ1.jpg 40歳過ぎて独身、母親と同居はイタリアでも肩身の狭いものであるらしい。
 何故ヴァレリアはゴーストライターで甘んじているのか、というのがよくわからなくて・・・無理しているわけでもなく、自分から進んでやっている感じで。 なのでアレッサンドロのいい加減さに腹が立ってくるのだけれど、マフィアに「絵の盗難に次いで詳細を誰から聞いた?」と脅されても「あれは自分が考えた想像の産物だ」と言い張ったのには見直しましたよ(たとえ、自分の見栄のためであろうとも)。
 しかし“普通の人”が誰も出てこない。 ヴァレリアが主役という形なので彼女に共感しようと思って観ているのだけれど、「え、それ、ヤバくない?」ということをどんどんやる・・・共感はあきらめ、この人はどこまで行くのだろうと眺める感じになっていった。
 原題は『名もない物語』、ヴァレリアが書いたプロットのタイトルと同じ。 あっ、カラヴァッジョはそんなに関係ないんだ、邦題詐欺(?)か、と気づく頃には盗難事件は置いてけぼりである。 これ現実? 妄想?、となんだかハラハラする。

  盗まれたカラヴァッジョ2.jpg 母親のアマリア(ラウラ・モランテ)は序盤、観客には母親と教えられないので姉かと思ってしまった美魔女ぶり。
 ヴァレリアの母親へのこじらせ具合もなかなかで面白いのですが、「表に立つ男を陰で支える女」である母親に反発しながら同じようなことをしているヴァレリア・・・で、結局母親と和解してしまうのなら・・・イタリアに根深いという男尊女卑的感覚が拭えないんですけど・・・ともしかしたら映画のテーマとは違うところでもやもや。 『ローマに消えた男』と『修道士は沈黙する』ではそんなこと感じなかったのに、主役が男性だったからか? それはそれでショック。

  盗まれたカラヴァッジョ3.jpg ヴァレリアの変貌ぶりも見どころ。
 ラック役のレナート・カルペンティエリは、『ナポリの隣人』の予告で観た「マンディ・パティンキンにちょっと似た人」である(『クリミナル・マインド』のギデオンのほうではなく、『HOMELAND』のソールのほう)。 普通の人が出てこない分、登場人物のキャラがみんな濃くて「さすがイタリア!」と思う。
 映画の監督を引き受ける巨匠クンツェとして出てきた人にも見おぼえがあり・・・イエジー・スコリモフスキじゃないか! そりゃ巨匠だね!
 とか思っている間にクライマックス。
 ・・・あれ、こんなはずでは。
 結局、現実と虚構の境目が限りなく曖昧、というテーマなら『ローマに消えた男』のほうがぐっと洗練されていたのに。
 あぁ、なんかすごくもやもやする。 期待しすぎたのであろうか。

 あ、約一か月半ぶりのシネ・リーブル神戸は、クーラーききすぎでした・・・休館中に空調を新しくしたか分解掃除でもしたのでしょうか。 熱くもなく寒くもなく、常にちょうどいい温度だったのに。 今後はストール的なもの必須だわ(感染症拡大防止のため、ブランケットの貸し出しは休止中です)。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月18日

時をかける少女

 午後3時頃、ツイッターのトレンドワードに『時をかける少女』が入っていて・・・ちょうどそのとき、関東圏では大林宣彦監督版『時をかける少女』を地上波で放送していると知り・・・関西ではやってないんですけど!、と思わずアマゾンプライムをチェックしたらあったので、観てしまった。

  時をかける少女P.jpg いつかどこかで 出会うはずの彼に、会ってしまった。
 高校2年生の芳山和子(原田知世)は幼馴染の堀川吾郎(尾美としのり)と深町一夫(高柳良一)と同じクラス。 理科室を掃除に行ったとき、何者かの気配を感じた和子はラベンダーの香りを感じたあと気を失う。 それ以降、彼女はタイムリープしていることに気づき・・・という話。

 1983年7月公開だそうである・・・あたし、子供の頃に映画館で観た記憶がありますが(同時上映は薬師丸ひろ子主演『探偵物語』)、そんな前ですか・・・(汗)、ちゃんと見るのはそれ以来かも(かつてのテレビ放送時ではカットされていた場面もあった気が)。 理科室のシーンはよく覚えているんだけど、「オープニングってこんなだっけ?!」とスキー場のシーン(しかもモノクロ)に驚く。 でもちゃんと深町君への違和感を描き出しているんだよなぁ。
 こんなにレトロモダンだったか! 深町家の異世界感、すごいな!、など、当時気づかなかったことに気づく(あたしも歳をとり、理解が深まりました)。 温室のラベンダーが明らかに造花とか、気づかなくてもいいことも気づいてしまうけど。
 理科室の倒れたフラスコから立ち上る白い煙の動きとかすごく芸術的! それ故にコラージュ的なタイムスリップシーンに違和感があるけど・・・CGや“不気味の谷”とは違う種類の違和感なのですよ(違う時代だなと感じるというか)。 崖のシーンは特殊効果とは思えなくて、ほんとに崖で撮影したんじゃないか(安全基準は大丈夫か?)、と聞きたくなる。 高校の掃除当番がゴミ袋を焼却炉に直接入れるとか、弓道部の練習場がグラウンドの一角(他の部活の方たちが近くで練習してる)とか、今の視点ではいろいろ基準が違うことに時代を感じてしまいます。 尾道(竹原)の街並みや和子の家、部屋の小道具などはレトロモダンで時代を超越しているにもかかわらず。
 深町君に漠然とした憧れを感じてしまっていたあたしでしたが(原作でも深町君はいい)、今観るとゴロちゃんの地に足の着いた好青年ぶりにおののく。 すごいよ、ゴロちゃん。
 高柳良一はのちに「自分は役者には向いていない」と角川書店にコネ入社(?)して編集者に転身しましたが、尾美としのりと比べて、と考えていたのならちょっと納得(個人的には彼を棒だと思ったことはないが、同時代で見てきているからかなぁ。 ドラマ版『ねらわれた学園』も盛り上がって観てましたよ。 主役はほぼ高見沢みちる ‐ 伊藤かずえだったけど)。
 古典教師役の岸部一徳が、やたら要潤っぽく見えてしまうことにも驚きました。
 なのに、最後の理科室のシーンではうっかり泣いてしまう。 純愛、と言えば聞こえはいいけれど、その瞬間はこれは永遠、と思ったことが、勿論その気持ちも真実なんだけど、決して永遠ではないと今のあたしは知ってしまいました。 だからこそそれを信じる和子の姿に、理想という幻を見るのです。
 幻想の少女を押し付けられた原田知世、その中でも輝きを放つ・・・。 アップのシーンで瞬きなしの目ヂカラ、吸い込まれそうです。
 エンドロールでいきなりアイドル映画になりつつ(ミュージカル?)、それ自身がタイムリープになっているという・・・大林作品の真骨頂はこういう実験性なんだよね、と感じる。 『転校生』よりもぐっと暗い町並みはホラーのテイストもあり。 赤い鼻緒の下駄なんてアイテムは萌えとホラーの境目じゃないですか。

ラベル:日本映画
posted by かしこん at 20:07| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする