2021年01月14日

劇場版 鬼滅の刃 無限列車編

 今回の緊急事態宣言の発令により、15日(金)から映画館もレイトショー設定がなくなる。 観るなら今のうちだ!
 混雑してるから落ち着いてから・・・他の映画のほうが先に終わっちゃうから・・・と気づけば公開から3カ月がたとうとしておりました。 それでもまだ一日5回以上も上映しているのだから、すごいよ。 そりゃ国内興行収入一位になりますよ。
 アニメテレビシリーズのほうはJ:comオンデマンドで2018年12月から2019年1月ぐらいにかけて観てたんですが・・・なにしろほどほど前なので。 関連特集やNHK『LIFE』の<スーパースター:割引の刃>とかのパロディで記憶を呼び起こしつつ、特に復習はしないままの流れで映画館へ。

  鬼滅の刃無限列車P1.jpg その刃で、悪夢を断ち斬れ
 家族を鬼に殺され、唯一生き残った妹の禰豆子も鬼になり、鬼への復讐を誓う竈門炭治郎は、<鬼殺隊>に入隊して修行を終えた。 初仕事は短期間に40人以上の人間が行方不明になったという“無限列車”を捜索する任務。 禰豆子を連れた炭治郎は鬼殺隊仲間の我妻善逸、嘴平伊之助とともに無限列車に乗車し、鬼殺隊最強の剣士“柱”のひとりである炎柱の煉獄杏寿郎と合流する手はずになっていた。 しかしそこには思いもよらない敵が・・・という話。
 純粋に、テレビシリーズの続き。 「これまでの『鬼滅の刃』は」的な説明は一切ないので、多分テレビシリーズを見ないで劇場版だけ見た人はいろいろわかりにくい・乗り切れないところもあるかと・・・でもそれは<劇場版>の宿命のようなもの。
 あたしは復習はしていかなかったですが、いろいろ思い出せたので乗り遅れなかったかな、と思う。

  鬼滅の刃無限列車1.jpg 炭治郎、台詞多いぜ。
 「夢の中に閉じ込められる」というのはこれまでも多々扱われてきたネタですが・・・こんなにも心が痛く、繰り返されるのがつらい、というのはなかなかないかも。
 あとやっぱり絵がきれいですね。 煉獄父が小山力也であったことが個人的にツボでした。

  鬼滅の刃無限列車2.jpg 煉獄さん、前半はほぼ気配を消していますが・・・それすら終盤への振りかと。
 本編では結構耐えたんですけど・・・エンドロールの絵と音楽、<煉獄杏寿郎メモリアル>みたいな構成に一気に涙腺決壊寸前!
 しかも「長い話のまだ途中」というのがまるわかりで、せつなさ倍増です。

 それにしても・・・シリーズ構成も脚本もクレジットは“ufotable”。 ここまでチーム制というか、個人の名前が出てこないのが昨今のアニメ事情なのでしょうか(詳しくないのでわかりません)。 『千と千尋』と比較したくなる人の気持ちもむべなるかな・・・あっちは“宮崎駿”というクリエイターのためにすべてのスタッフが付き従うという構図。 いや、『鬼滅の刃』は原作ありきだから、原作要素を最大限に発揮することが製作においての至上命題だったということか。 どっちが上とか下とかではなくて、方法論が違うものを同列に語ることは無意味です。
 わかりやすさを優先させた台詞は、映画としては台詞が多すぎとは感じるけど、PG12とはいえ子供向けということで。

  鬼滅の刃無限列車P2.jpg鬼滅の刃無限列車P3.jpg ポスターもいろんなバージョンが。
 もしこの映画がなかったら、日本の映画産業はもっとどん底だった。 大ブームを作ってくれて、とても感謝です。
 さて、レイトショーのないこれから、新型感染症拡大予防の観点からも、あたしはいかにして映画を観にいくべきなのか、あらためて考えないといけないな・・・。

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2021年01月09日

ソング・トゥ・ソング/SONG TO SONG

 というわけで1月5日レイトショーで観た映画はテレンス・マリック監督作『ソング・トゥ・ソング』でした。
 しかし兵庫県も緊急事態宣言を要請となり、来週からレイトショー枠がなくなる気配・・・いや、開けてもらえてるだけいいのか、仕事も減りそうだから昼間に行けばいいのだろうが・・・普段動かない時間に動くってどうなんだろう、とか考えてしまう。

  ソングトゥソングP.jpg 夢が終わる。人生が始まる――

 音楽フェスが数多く開かれる街、オースティン。 音楽に魅入られ、その仕事をしたいと願いつつも形に出来ないフェイ(ルーニー・マーラ)はいつしか音楽プロデューサーのクック(マイケル・ファスベンダー)の愛人になっていた。 が、あるパーティーで出会った売れないソングライターのBV(ライアン・ゴズリング)と何かを感じ合う・・・。
 と、あえて言おうとすればそんな感じなんだけれど、実は説明的な描写や物語的なものが一切ない。 テレンス・マリック×エマニュエル・ルビツキの映像叙事詩。 豪華キャスト起用は、顔がわかる人じゃないとシーンが切り替わったときに誰が誰だかわからなくなるからじゃないかな・・・というか、あたしの知っている人ばかりで助かった。

  ソングトゥソング1.jpg また、ルーニー・マーラが髪型・髪の色ともにバンバン変わるので、時間軸に悩む。
 まさか“音楽フェスの観客になっている”ことがこんなにも幻想的で奇跡のように美しいとは。 というわけで映像は素晴らしいのですが、話の筋を追いたい人にはイライラする展開に・・・『ツリー・オブ・ライフ』以後の映像叙事詩的流れが極まったものだとわかってないとつらいかも(わかってなかったですが、「あ、そっちなのね」と冒頭で納得)。

  ソングトゥソング2.jpg なんかこんな場面、『騎士たちの聖杯』にもなかったかな?
 テレンス・マリック作品は『シン・レッド・ライン』が最初で、それはすごく好きでいいと思ったのですが(ジム・カヴィーゼルもそれで好きになりましたよ)・・・今回は『ツリー・オブ・ライフ』・『騎士たちの聖杯』にもこんな場面なかったかな?、と感じること多々。 絵画のような美しさだから記憶に残ってる――実際にはいろいろ違うんだろうけど、印象として近いというか。

  ソングトゥソング6.jpg 向こう側から差し込む光。
 では音楽がメインなのかといえば・・・そこまでではない感じ。 映像の力が強すぎて、楽曲がBGMになってしまった感(個人的に大切な曲が流れていたらまた印象が変わるだろうけど、あたしはそうではなかった)。 “SONG”とは、様々なインスパイアそのものであるということはわかった気がする。

  ソングトゥソング3.jpg 音楽フェス自体、いつ開催できるのかという現在の視点からの哀しさもあり。
 あやういルーニー・マーラはとても美しいです。 フェイはステージでギター弾いてるけどプロミュージシャンではない様子・・・自分探し中のフリーターといった感じか。 ここではないどこか・ここにはないなにかを探している人って定番だけど、それが痛々しく感じてしまうのはもうあたしは若くないってことですかね・・・(でもテレンス・マリック監督は70代後半なはず、すごい)。

  ソングトゥソング5.jpg キーボードを弾くライアン・ゴズリングはちょっと『ラ・ラ・ランド』のセブを思わせる。
 マイケル・ファスベンダーの役も『それでも夜は明ける』の農場主や『SHAME』の主人公を思い出させるキャラ・・・同じような役ばかりは少し悲しくなるけど、それも人物説明をしなくてすむためなのだろうか。 ナタリー・ポートマンそんな役なんだ!、と思いきや、ケイト・ウィンスレットは更に「そんな役!」なのでびっくり。

  ソングトゥソング4.jpg  『騎士たちの聖杯』よりわかりやすかったのは、メインキャラが女性だからでしょうか。
 「人生にいろいろ悩んだけれど、結局私はこう選択しました」という話ですよね・・・と思っていたら、ラスト間近でいきなりキリスト教的倫理観というか、女性にかけられる社会的呪いを受け入れているような展開に・・・えっ、なに、価値観の古い説教?!、と愕然とした。
 気のせいか、あたしの考えすぎか・・・今年最初の映画なのに、なんだか気分が重くなる。 エンディングの音楽に、助けられたけど。

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2020年12月30日

私をくいとめて

 今年最後に行った映画は『私をくいとめて』になりました。 しかもよりによってクリスマスイヴに観ちゃったという・・・他意はなかった、行けるのがその日しかなかった。 「木曜サービスデイなのに今日はやけにすいてるな〜」と思ってから気づいた(汗)。
 『勝手にふるえてろ』の原作×監督コンビの二作目、題材はまたしてもこじらせ女子。

  私をくいとめてP.jpg わかりみ深すぎ崖っぷちロマンス!

 会社員として働くみつ子(のん)は31歳、おひとり様ライフを満喫中。 今の状況にも焦らず楽しく生きていられるのは、彼女の脳内に相談役のA(声:中村倫也)がいて、会話や悩み相談をしているから。 しかし取引先の営業担当・多田くん(林遣都)に恋していることに気づいてしまい(Aに気づかされてしまい)、みつ子の平穏な日々は崩れ去る・・・。

  私をくいとめて5.jpg ちょっといい焼肉店にも一人で入るよ♪
 冒頭からみつ子とAの会話、特にみつ子の意外にもぞんざいな喋り方にひるむ。 みつ子、ちょっとヤバいやつだな!、と一人の世界に浸るアラサー女子のあやうい狂気を感じるから(それはまた、かつて自分も持っていたものだと思うから)。 でもヤバさを最初から出すことで、だんだん「いや、みつ子、結構普通では?」と思わされてしまうというか。
 だってみつ子はちゃんと働いているし、自分で料理もするし部屋も片付けるし、休日は外に出る。 黙ってたらかわいいし、A以外と喋るときもかわいい。 こじらせているとしても復帰しようと思えばすぐにできそうな立場なのである。

  私をくいとめて3.jpg 先輩お局ノゾミさん(臼田あさ美)、最強すぎる。
 ヤバさで言えばノゾミさんのほうがヤバいが、彼女はもう突き抜けているというか、自分はこれでいいという強さがあるのでこれはこれでいいと思う。 みつ子はそんな先輩とすごく仲がよく、そういう相手が一人でも会社にいるんだからみつ子はそんなにひどくないよ、とか思っちゃう。 勿論、みつ子もノゾミさんがいるありがたさを実感しているわけだが。 二人の会話シーンはなんだか楽しかった。

  私をくいとめて1.jpg で、多田くんがかわいすぎる!
 一部女性たちから「あの中ではいちばん出世しなさそう」と評価を下される多田くんなのだが、いろいろ不慣れ感全開! それでも誠実感ダダもれ! なんてキュートなんだ! それぞれ違う役の林遣都を知っていなかったら、この多田くんのイメージで林遣都に惚れてしまいそうなほどである。 そりゃ、みつ子も好きになっちゃうよね、という説得力抜群。 でもラブストーリーは主軸ではないのだ、他者を好きになることをみつ子が受け入れ、一歩踏み出すまでのぐるぐるがメイン。 多田くんよりAのほうが台詞絶対多いよね!

  私をくいとめて4.jpg 唯一の親友・皐月(橋本愛)に会いにイタリアまで行く。
 みつ子にも皐月にもトラウマとなっている深い事情があり・・・でもそれは特別な事情ではなく、誰しもに心当たりがあるようなこと。 些細なことだろ、と言われてしまうかもしれないけど、してる側には深い意味などないのかもしれないけど、された側は深く傷つくし、それが社会における“生きづらさ”をつくっているのだと、ほんとにわかってもらいたい。 フェミニズムは女性の権利だけを声高に叫んでるんじゃない、立場の弱さや強さを理解し合うことでみんなが自由になりましょうという考え方なので。

  私をくいとめて2.jpg 築地本願寺に向かって拝んでいます。 東京でも築地エリア周辺なのがよい。 みつ子の会社の社員食堂はオシャレだけど!
 できる女澤田さん(片桐はいり)もかっこいい。 でも「できる女」という部分だけで判断し、澤田さんの背景に気づくのが遅れちゃうのも、みつ子もまた視野が狭かったということなのだが。
 大瀧詠一の“君は天然色”のリピート具合、何故か新しい生活様式を取り入れているかのようないくつかのショットなど、いつつくられた映画なのか不思議に思えたけど、たまたまそういうこともあるのでしょう。 133分という長尺で、もうちょっとうまく編集すれば長さを感じさせなかったとも思うのだけれど、のんの感情豊かな表情をカットしたくなかったのかな。 作家性が強い作品でもありながら、主演女優の魅力が詰まった種類の映画だった。

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2020年12月29日

ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢/THE HIGH NOTE

 <『プラダを着た悪魔』×モータウン>、みたいな予告編につられて。 ときにはこういう手ぬるそうな映画もいいよね(褒め言葉)。

  ネクストドリームP.jpg 頂点にいくためには、底辺からはじめるしかない。

 かつてビッグヒットを飛ばし、ベテランシンガーとして活躍中のグレース(トレイシー・エリス・ロス)のアシスタント・付き人として毎日雑用をこなしているマギー(ダコタ・ジョンソン)だが、いつか音楽プロデューサーとしてこの業界で働きたいと願っている。 またグレースは大スターだが「所詮懐メロ歌手」と一部に言われていて、新曲を出したいのだが今はリスクが高いとブレーンたちに理解してもらえない苛立ちを感じている。 二人の夢の行方は・・・。

 予告編のイメージだと、グレースは落ち目の歌手かと思ってたんだけど全然そんなことはなくて、ライブでもガンガン広い世代の観客を動員しるし態度もまた大スター(えらそうなところが過去の栄光にすがっている感じはあるけど)。 マギーと一緒のサクセスストーリーを期待するとちょっと違う感じ。
 でも音楽はノリノリで楽しい! グレースを演じるトレイシー・エリス・ロスはダイアナ・ロスの娘だそうで、まさにあのサウンドをアップデートした感じ。

  ネクストドリーム4.jpg グレースのマネジャーのジャックはアイス・キューブだ!
 業界あるあるも興味深いですが、役割的序列というか、「アシスタントならばそれ以上のことに口を出すな」的な感じが契約社会アメリカだった。 目指すところが同じならば、いい意見を取り入れるのもありなのでは?、と考えてしまうあたしは甘いんだな・・・ということを思い知る(勿論、信頼関係があってこそではあるが)。

  ネクストドリーム1.jpg グレースとマギーの関係描写がさりげないが、いい。
 マギーがやたらドジっ子みたいに描かれていないし、グレースもわからずやではないし、と無駄にイライラしなくてもすむんだけど、マギーの他人を尊重していない感もさらりなので、彼女が痛い目を見るところも大きなダメージを受けているのかどうかよくわからない・・・観ている側もあまり落ち込まなくてもすむからそれでいいのか?
 それがイマドキっぽいのかもしれないけれど、あまり残らないかも・・・バランスってむずかしい。

  ネクストドリーム2.jpg マギーは駐車場で歌っていたデヴィッド(ケルヴィン・ハリソン・Jr)を気に入ってプロデュースしたいと申し出る。
 音楽プロデューサーという仕事はこういう感じです、と示したのは新しいかも。 そこまでやるならアレンジャーの仕事は?、と思ったりもしたけど・・・境目がむずかしい職業なのね。 だからこそたやすく恋愛に行ってほしくなかったかなぁ。 グレースとジャックの、アーティストとマネジャーの絆がなんだかんだいっていい感じだけに。
 ビル・プルマンがマギーの父親として登場、など、地味ながら堅実なキャスティング。 ダコタ・ジョンソンはこういう普通っぽい役でこそかわいさがいきる気がする(『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を否定するつもりはない)。 『プラダを着た悪魔』と比較しちゃうのはよくないよね、まぁ同傾向と言ってしまってはそれまでですが。

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2020年12月27日

天外者 てんがらもん

 観に行くか迷ったけれど、行かなきゃ行かないで後悔するかもしれない(『キンキーブーツ』の再演に行かなかったことをすでに後悔していたから)。 しかも神戸市内では109シネマズHATでしか上映してないし(25日から神戸国際松竹でも上映開始になりました、その後OSシネマズハーバーランドでも上映予定)、レイトショー設定の時間は遅めだが、行ってきた。

  天外者P.jpg 時代を超え、志は未来に生き続ける――

 江戸時代末期、黒船来航の衝撃が全国を揺るがしていた頃、長崎で若き薩摩藩士・五代才助(三浦春馬)は新たな時代の到来を前に自分にできることを模索していた。 坂本龍馬(三浦翔平)らと出会い、生まれに関係なく誰もが夢を持てる国にしなければとイギリス留学を志すが・・・激動の時代を駆け抜けた若者たちの物語。

 長い話を109分でまとめてしまう力技、清々しいほどの省略っぷり。 五代友厚について、幕末について多少知識がなかったらついていけないことも織り込み済みのように。 あたしは朝ドラ『あさが来た』でディーンフジオカがやってた人ですよね、ぐらいしかなかったので説明不足をひしひしと感じてしまいました。 多分、五代友厚は大河ドラマの主役にしてもいいくらいエピソードが多そうなので、映画一本では無理と割り切っているのかもしれない。

  天外者1.jpg お約束のアクションもあり。
 当時の長崎にはいろいろな人が集まっていたのだな・・・と。 勝海舟(丸山智己!)がいるから海軍操練所の頃ですかね、地理的にも江戸よりは薩摩や長州の人たちが多いし、学問を求めてくる人もいる。 でも開国を望まない人たちもいて・・・「問答無用!」と刀を抜くやつらも。 あぁ、こういうのがいるからあたしの中で薩長のイメージが血なまぐさいままなのだ。
 始めのほうは「あぁ、製作費が少ないんだなぁ(キャストはコネでなんとかなっても、資金のなさはいかんともしがたい)」と悲しくなってしまったのだが、キャストの熱演に引っ張られ、次第に気にならなくなった。 地方発の映画としてはまれに見る豪華キャスティングですし。

  天外者2.jpg 海援隊の活動ですね。
 龍馬は早々に名前が出るけど、森永悠希演じる長州藩の若者は利助という名前だけで(わかる人はそれだけでわかるんだろうけど)、「イギリス行く!」ってなって「こいつ、『長州ファイブ』か!」と気づく。 のちの伊藤博文でした。 登場人物の名前を最初から明確にしないというのは粋だけど。 西川貴教もかなり後半で「弥太郎!」と呼びかけられて、あ、この人、岩崎弥太郎なのかと気づく有様。

  天外者3.jpg 西川貴教、意外によかった!
 スクリーンでアップで見ると「TMさん、老けたな・・・」と思っちゃったけど、一人置いて行かれて屈折した感じとか佇まい含めて、存在感あり! ミュージカルや舞台が多いイメージだけど、時代物結構いけるんじゃ! 大河ドラマにも出てほしい!
 また三浦翔平が坂本龍馬ってスマートすぎてどうなのかなってちょっと思ってたけど、これまた意外に程よい野太さが出ていて、若い頃の上川隆也を思い起こさせる感じがすごくよかった。

  天外者4.jpg こんなにも掘り下げ不足、説明不足の映画だが、それでも最後まで引っ張られるのは五代友厚を体現する三浦春馬がいるから。
 「これを入口に五代友厚を知ってください」ってことなのかもしれないけど・・・まさに、今後彼をメインに大作ドラマがつくられるとして、誰が五代をやるんだよ・・・春馬くんがいないと意味ないじゃん。 周囲の人間にすごく慕われていたことを本人とその家族だけが知らないまま亡くなった、みたいなところまで真似しなくていいんだよ・・・。

 映画を観た後、関テレ制作のドキュメンタリーを見た。 <「五代友厚」制作委員会>ってあったからタイトル付けにも難航したんだろうなぁと予測はしてたが・・・地方発映画の難しさが垣間見えた。 けれど省略されてた五代友厚の部分がこれで補完されたのも確か。 ドキュメンタリーを見ると映画の評価が上がるけど、映画単体でとなるとね。 これは役者を観にいく映画です。

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2020年12月23日

ノッティングヒルの洋菓子店/LOVE SARAH

 <ノッティングヒル>で<洋菓子店>、色鮮やかなお菓子が映ったポスター、これは狙われてるな!、とまんまとつられてやってきました。 つくづく、イギリスは食べるものがおいしくなってるんだねぇ。

  ノッティングヒルの洋菓子店P.jpg 悲しみはスパイス、喜びは隠し味。あなたの思い出、お菓子にします。

 舞台はロンドンのノッティングヒル。 確かな腕を持つパティシエのサラと親友のイザベラ(シェリー・コン)は夢だったベーカリーをノッティングヒルにオープンするため、様々な努力を重ねて開店直前までこぎつける。 しかし、不慮の事故でサラを失い、店の存在は暗礁に乗り上げる。 出資者は手を引き、物件を他の人に譲らなければお金が返せないと決意するイザベラだが、サラの娘クラリッサ(シャノン・タルベット)は納得せず、祖母ミミ(セリア・イムリー)も経営に引っ張り込んで店をオープンしようという。 そこへ昔、サラと因縁があったマシュー(ルパート・ペンリー=ジョーンズ)がパティシエを志願してくる。 彼は星つきのレストランで働くシェフなのに、何故? イザベラはマシューへの悪感情を隠そうとしないが、クラリッサは「彼がもしかして私の父親かも」と思い、まずは試食用のお菓子を作らせてみる・・・。
 ヨーロッパでは、ベーカリーはパンだけでなくスイーツを置くのが普通なんだけど、映像的にパンはあまり映らず、だから邦題が<洋菓子店>になってしまったのかな。 原題“LOVE SARAH”は彼らが開くこのお店の名前、サラへの想いで集まった人たちが働くお店。

  ノッティングヒルの洋菓子店6.jpg はじめの頃、並ぶのはフランス菓子ばかり。
 そもそも、腕を見せるためにとマシューがつくった一品目が、<イスパハン>(ローズとフランボワーズのマカロンケーキ)。 それってピエール・エルメの専売特許では? マシューって腕はいいけどオリジナリティがない? お菓子は専門外?、それでもこのお店にこだわる理由あり?、とマシューの目論見につい注目。
 ロンドンのナンバーワン有名デリ<オットレンギ>がお菓子を監修!、というのがこの映画の大きなウリですが、最近スイーツのトレンドを追いかけていないのでどれくらいすごいことなのかよくわからない・・・。 マシューとサラとイザベラは20年前、パリの製菓学校に通った同期という設定なので、並ぶお菓子はフランス式なのだろう。 ポットの紅茶をお供に並んでるケーキを一口ずつ食べてみたい! イギリスの食事、ほんとにおいしくなっているんだなぁ(まぁお菓子なら、種類は少ないがイギリス式もおいしいけど)。

  ノッティングヒルの洋菓子店1.jpg 広くもない厨房で、よく何種類も作れるなぁ。
 遠目にフランスパンが映ってたり、お客さんがパンオショコラやクロワッサンを買い求めているので普通のパンも作っているらしい・・・すごいな。
 が、お菓子は添え物にすぎない。 主題は、大切な人を思いがけず突然失った者たちの落胆と再生。 ミミはかつてブランコ乗りとしての栄光に包まれたのに、今は何もすることがなく(多分十分な稼ぎはあるのだろう)、一人娘のサラと関係も良好ではなかったところの事故。 クラリッサはバレエダンサーとしての道を歩んでいたけれど、悲しみのあまりバレエができず、“喪の仕事”としてベーカリーの仕事にのめり込む。 イザベラは自分も作る側だったが、サラの才能に感服して彼女を支える側・店舗経営の実務面に回っていた。
 悲しみに向き合うことで自分の人生にも向かい合う。 ありがち話かもしれないけれどぐっときた。 感情を表に出すのが苦手な人たちが多いイギリス映画だからかもしれない。 「言葉にしなきゃダメなのかよ!」と開き直るのではなく、素直に言葉に出さない・出せないことにうしろまたさを感じてるっぽいのがいい。
 またオープンしてからすぐ店がうまくいかないのも王道だけどいい。 作りたいものより、お客さんが食べたいものを作るという姿勢への転換に、多文化都市・ロンドンの今の姿が。

  ノッティングヒルの洋菓子店3.jpg 意外にもカギとなる抹茶ミルクレープ。
 えっ、日本を思い出す洋菓子って抹茶ミルクレープなの? でもそのビジュアル、あたしが思う抹茶ミルクレープとはちょっと違うんだけど・・・(おまけにイザベラには「日本人は時間が余っているのね」と言われてしまう。 作るのに手間がかかるからですかね。 もっと手間のかかるお菓子は他にもあると思うけど)。
 これまた店内は自然光で撮っているようで、説明的なセリフもないし、特に山場もないのでメリハリを求める観客には不評かも。 でも今のあたしには省略具合もはっきりしない感じもほどよく、このお店にくるお客さんとの関係も含めてじんわりと心にしみた。
 ただ・・・こんな大して広くないお店でお皿に載せたお菓子を直接並べ、多くのお客がイートインする環境・・・ヨーロッパではこれが普通なら、COVID-19で大打撃を受けちゃうよなぁ・・・と別の意味でもしんみりしちゃった。

posted by かしこん at 04:09| 兵庫 ☀| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月20日

燃ゆる女の肖像/PORTRAIT DE LA JEUNE FILLE EN FEU

 否応なく耳に入る高い前評判にハードルが高くなるのを抑え、事前に情報をできるだけ入れずに鑑賞(でも「静かなる『キャロル』」という表現は耳に入っちゃった)。 もともと、『水の中のつぼみ』の監督だったセリーヌ・シアマが監督・脚本というだけであたしは観たかったのです(あぁ、今はなきシネカノン神戸で『水の中のつぼみ』を観たなぁ、2008年映画だって)。

  燃ゆる女の肖像P.jpg すべてを、この目に焼き付けた――。

 18世紀、フランスのブルターニュ地方にて。 画家のマリアンヌ(ノエミ・メルラン)は若い女性に絵の描き方を教えている。 生徒からある絵について問われた彼女は、<燃ゆる女の肖像>と名付けられた絵画を描いたときのことを思い出す。
 貴族の娘エロイーズ(アデル・エネル)の見合いのための肖像画を依頼されたマリアンヌは、エロイーズが結婚を拒否しているため画家であることを隠して彼女のいる孤島に会いに行く。 エロイーズの一挙一動を見つめて、こっそり肖像画を描くが・・・という話。
 画家は見つめる側、モデルは見られる側、という立場を徹底しながら、その関係が対等であることを描いたもの。
 主な登場人物はほぼ女性、ほぼ心理劇、フランス映画っぽい曖昧さなど、賛否両論になりそうな要素は多々あれど、「対等な関係」を美しく描いているのが素晴らしい!

  燃ゆる女の肖像2.jpg あの時代、女性の画家が普通に活躍していたというのもうれしいじゃないか。 写真がないから肖像画需要が高い−モデルが結婚前の女性だから画家も女性がよい、という理由ではあれど。
 18世紀設定ではあるが、女性ばかりの登場人物だからか閉塞感はあまりない。 台詞で多くが説明されないため、空気感で理解しないといけないところがちょっと難解。 これもまた「理解しないで、感じて」なのかもしれない。
 夜の室内では蝋燭と暖炉の明かりだけが光源、という構図の美しさ! あの時代の静物画みたい!
 またBGMが一切ないので(音楽は使われるが、それは登場人物たちが実際に耳にしているもの)、海の音など背景音と生活音がくっきり。

  燃ゆる女の肖像4.jpg 油絵が描かれる過程も興味深い。
 “描く”から始まるので、マリアンヌ目線で見るエロイーズは謎めいている。 でも描かれることを受け入れてから、エロイーズの心情がドンと前に出る。 冒頭からかなりシーンの省略があるのに、ワンカットでずっと続く場面もあって、その対比が「語りたいこと・描きたいこと・伝えたいこと」をなによりも物語る。 二人だけの世界にはならずいいバランスを作り出しているのがメイドのソフィの存在。 ギリシャ神話のオルフェウスの話を三人それぞれの解釈を語るところがポイント。

  燃ゆる女の肖像1.jpg 大半のシーンが絵画のようで。
 全編静かで、自然光の下だから輪郭もはっきりしてないこともある中、くっきり映る鏡の使い方に二回度肝を抜かれた。 年齢設定がよくわからないけれど(エロイーズは17歳くらい? ソフィは15歳くらい? 少女性がテーマに深くかかわっている)、目力のあるこの役者さんたちでよかった。
 そうか、肖像画には暗号がいっぱいなのはそういうことなのか・・・と心から納得できたことは今後絵画を見る視点が変わる、と思う。
 ヴィヴァルディの<春>にこんなに心を動かされるとは!
 ラストシーンには「えっ!」っとなるけど・・・それが必然だと頭ではわかるけど、マリアンヌの心情を思うとこちらの心もざわざわする・・・感情移入しちゃってる。 この気持ちは『キャロル』のラストシーンと全然違うよ・・・。

posted by かしこん at 15:23| 兵庫 ☁| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月16日

ザ・バニシング ―消失―/SPOORLOOS

 新開地のCinemaKobeにて、一週間限りのレイトショーで『ザ・バニシング−消失―』が公開。 嬉々としてスケジュールを調整し、観てきた。 ついでに年末ご挨拶の郵便(第一陣)を、『轢き逃げ』で岸部一徳さんがもたれていた郵便ポストに投函。 はい、自己満足です、受け取る側には誰もわかりません。
 『アングスト/不安』のときより観客は少ないようだが(あれは行ったのが金曜日だったから多かったのかも)、平日でも確実にいることにニヤリとする。
 1988年、オランダ映画(監督はフランス人のジョルジュ・シュルイツァー)。 スタンリー・キューブリックが「これまで観た中で最も恐ろしい映画」と言い、「サイコ・サスペンス映画史上bP」とも言われている。 ビデオリリースはされていたが、2019年4月より日本劇場初公開が決定。 それがめぐりにめぐって今、神戸にやってきております。

  ザ・バニシング消失P.jpg 彼女は消えた、跡形もなく、忽然と
  彼はただ知りたかった、その行方を

 夏、ツール・ド・フランスの実施時期に、恋人同士のレックス(ジーン・ベルヴォーツ)とサスキア(ヨハンナ・テア・ステーゲ)はオランダから車で、フランスの山荘に向かおうとしていた。 途中、立ち寄ったドライブインで、コーラとビールを買いに行ったサスキアは戻ってこなかった。 レックスは懸命にサスキアを探すも、有力な手掛かりが得られないまま時間が過ぎていく。
 その一方、<ある衝動>に突き動かされている男がいた。 彼はレイモン・ルモン(ベルナール・ピエール・ドナデュー)、妻子のいる化学の教師。 綿密な計画を立て、シミュレーションを繰り返し、失敗も次に生かすため臆さない。 そんな彼が、3年後もサスキアを探し続けるレックスを知り・・・。

  ザ・バニシング消失3.jpg このシーンで安堵した。
 あまり予備知識がなく、「彼女が失踪する」ことしか知らなかったので、いつサスキアがいなくなってしまうのかと冒頭からドキドキしっぱなし。 ドライブの途中、トンネルを通過中にガス欠なんてひどいが、もっとひどいのはサスキアに対するレックスの態度。 彼女に何の説明もなく、車に置き去りにしてトンネルから出て行ってしまうのだ! 人としてのレックスへの不信感はMAXである(「運転しているのはボクなんだからガソリンのことも任せろよ」と言っていた手前、プライドが傷ついたからそういう不貞腐れた態度を取ったのだろうとは思うけど)。 ガソリンを取って戻ってきたら車にサスキアがいない、トンネルの外まで出ると、そこでサスキアが懐中電灯を抱えて立っていた・・・サスキアになんて気持ちにさせるのか! ひどすぎる!
 と、個人的にものすごくむかつく&ハラハラだったけど、現代の視点で見ると演出はどことなく牧歌的ですらあり、緊張感や劇的な要素をあえて排除しているように感じられた。 時代的なこともあるけど、あえてしている意図。 だから話が進めば進むほどヤバくなる。

  ザ・バニシング消失1.jpg 「あれから三年」とまだサスキアを探すポスター。
 三年後、レックスはサスキアを一人で探し続けていた。 ほぼノイローゼ状態になっているレックス。 彼のもとに、いまのサスキアを知っているとほのめかす手紙が何通も届くようになり、レックスは町のオープンカフェなど様々な場所に呼び出されるが誰も来ない。 ついにはTVを利用してレックスは“犯人”に呼びかける。 「ただ真実が知りたい」と。

  ザ・バニシング消失2.jpg カフェで待ちぼうけを食わされるレックス。 どんどん人相が悪くなってきている。
 罪悪感や無力感はここまで人を蝕む、という見本のようなもの。 気持ちもどんどん追い込まれ、「サスキアに何が起こったのかわかるなら、何をしてもかまわない」みたいな状態に。 その気持ち、よくわかる。 「好奇心、ネコを殺す」という諺はヨーロッパ発祥なのか?
 「彼女が幸せに生きているのをわからないのと、彼女が死んだことがはっきりするのと、自分にとってどっちがいいのだろう」と自問するレックス。 もう一つ忘れているぞ、「彼女は死んでいるのに、自分はそれすらも知らない」を。
 というわけで特別に派手なシーンもなく、レックスとレイモンのかみ合わない問答にも付き合わされる感が強いのだが、ひたひたと忍び寄ってくる不吉な予感・予兆に身震いが来る。 直接的な描写がないからこそ、レイモンの笑みに戦慄する。
 あぁ、なんて後味が悪いんだ!!
 『アングスト/不安』がいわゆる無秩序型のサイコパスを表現していたならば、本作が描いているのは秩序型。 秩序型の気味の悪さを余すところなく伝えてきてる。 これが1988年・・・『羊たちの沈黙』の3年前? サイコサスペンスというジャンルは短い期間で急激に成熟したのだと実感。

posted by かしこん at 01:51| 兵庫 ☁| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月29日

THE CAVE ザ・ケイブ サッカー少年救出までの18日間/THE CAVE

 えっ、これはドキュメンタリーなの? 劇映画なの? とちょっと悩む。 まぁどっちでもいいのだけれど。
 この事故そのものはニュースで知っていて、全員救出に安堵したけれど、後追いはしていなかった。 チリの落盤事故のときを思い出したからかも。 いつか詳細が映画になると感じていたからかも。

  THE CAVEザ・ケイブP.jpg 状況は“絶望的”・・・だが誰ひとり“信じること”を諦めなかった――

 2018年6月23日、タイ・チェンライ。 地元のサッカーチームの少年たちとコーチは練習を終えた後、近くのタムルアン洞窟に入っていったが、突然雨が降り出し、洞窟内の水位が急激に上昇、水から逃れるために洞窟の奥にどんどん入り込んでしまう。 洞窟の入口で何台もの自転車を発見した管理人の通報で少年たちが洞窟内にいることが推測されたが、水が引かないため捜索できず、タイ国内だけでなく国外からも専門家が集まり、どうにか少年たちを探し出そうとする・・・。

 
 近くにこんな洞窟があったら子供だったら入ってしまうよなぁ、いつも行ってたら危機感を感じなくなるよなぁ。 しかし洞窟に入り込んでしまった少年たち&コーチよりも、救出する人たち(特にダイバーのみなさん)に焦点を当てた作品だった。 ところどころでご本人が本人役で登場するので、完全な劇映画ではなく、ドキュメンタリーなテイストも残ってた。 

  THE CAVE2.jpg ポンプで水を排出。
 洞窟の中で一体どうしていたか・・・はひたすら忍耐だったから、ということであろうか(仏教的な信心深さ故に少年たちはコーチに従っていて、コーチのプレッシャーはいかほどだったかというのも少ない場面で十分に伝わった)。 捜索側の人々に視点を置いた群像劇は、世界共通の要素と「タイならでは」と両方を描いている。
 タイにも“お役所仕事”はあるんだね!、と笑ってしまいそうにもなるけど、当事者としたらやりきれない・・・じゃあ他にどうすればいいのかといえば難しいこともわかるが、関わる人が多くなればなるほど声が届かなくなる悲しさですよ。

  THE CAVE3.jpg 洞窟の全貌がまったくわからない。
 ハリウッド映画なら、洞窟の断面のCG画像を使って説明しそうだが・・・この映画ではそんなことはしない。 ホワイトボードに貼られた手書きの紙の図のみ、「第4チェンバー」などとダイバーたちが今いる場所を示すテロップのみ。 全貌が見えない、というのが参加した人たち全員の気持ちだったんだろうな。 全員救出されるとわかっているのに観客のこちらもハラハラする。

  THE CAVE1.jpg 鎮静剤で完全に意識を失くさせた状態で外へ連れ出す。 水中でパニクって暴れたりしたら狭い洞窟では命取りになる、という理屈はよくわかるのですが、後ろ手に縛られるし感情面では割り切れない。
 映画として稚拙な部分はあれど、誰も責めない語り口は公平を心掛けるドキュメンタリーの信念を感じさせる。 本人が演じることで、心理的なセラピーの一面もあったのではないかしら。

posted by かしこん at 14:25| 兵庫 ☁| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月14日

パピチャ 未来へのランウェイ/PAPICHA

 タイトルからファッションの世界を描くものかと思ったら・・・予告を観てガツンと頭を殴られる。 アルジェリア・・・90年代を描いているのに、まだ本国で上映禁止なんだ。 どうなってんだ!? フランスとの複雑な関係は承知していますし、90年代は内戦下にあったから? でももう2020年ですよ、過去を見直せるんじゃないの。

  パピチャ未来へのランウェイP.jpg わたしらしく、闘う。

 1990年代のアルジェリア。 大学生のネジュマ(リナ・クードリ)はファッションデザインに情熱を傾けていて、顧客の要望に合わせて作った服をナイトクラブの女子トイレで販売している。 しかし住んでいる大学の寮からクラブへ行くのに実は命がけ。 未婚女性が夜に外出するのは勧められてはいないのか、途中で出くわす検問は警察を装った過激派だったりするのでいつ襲われてもおかしくない。 女は男にただ従って、決められたヒジャブを身につけていればいいという者もいる。 しかしネジュマは国を出ていく気はなく、この地で自分の可能性を試したいと思っている。 彼女の気持ちに賛同し、同じ寮生の友人たちもファッションショーを開くことに協力するが・・・という話。

  パピチャ未来へのランウェイ3.jpg 同室のワシラ(シリン・ブティラ)と一緒にクラブへお出かけ。
 浮かれて楽し気な若者たちの場面はここだけ。 冒頭の彼女らがおバカっぽく見えれば見えるほど、その先との落差が激しくなる。 女には教育はいらないと罵声を浴びせられたりもして、ほんとに腹が立つどころじゃない。
 昼間の町にはあたしたちと同じような服装の女性たちもいるんだけど、原理主義者やその考え方に固まった者たちには許せないらしく。 見るからに原理主義者ではない男性たちも、考え方の根底には男尊女卑があって。 「なんでそんなこと言われなきゃならないの?」、「なんでこんなことになってるの?」ともやもや感が半端ない。

  パピチャ未来へのランウェイ4.jpg ハイク=宗教的に女性に許された布、かな。
 だったらハイクをつかってドレスを作ろう、ハイクだけでファッションショーをしよう!、と盛り上がる彼女たち。 でも「金曜に女性だけで集まることは禁止されている」とか意味がわからないんですが・・・ネジュマたちに圧力をかける・暴力をふるうのは男性ばかりではなく女性たちもいるというのが悲しい。 父や夫に命令されて自爆テロ実行犯になった女性や子供たちもいる現実。
 “パピチャ”とは劇中でネジュマにかけられる呼び名。 お嬢さんとかおねーちゃんという意味であろうか、と感じたけど、「常識外の明るく魅力的な女性」という意味合いの現地のスラングらしい。 人や状況によって褒め言葉になったり侮蔑語になったりするのだろうか。

  パピチャ未来へのランウェイ2.jpg 寮の食堂にランウェイをつくってショーを!
 ノリとしては大学のサークルのちょっとしたイベント、って感じなのに、それを命懸けでしないといけないという・・・なんなんでしょう、ほんとになんなんでしょう。
 男性は全員女性から生まれているんですよ、子供を産んでくれるのも女性ですよ。 なんでそんな態度がとれるの? 未来を創る若者たちを殺してどうするのか? それを是とする宗教があるというならばそれに何の意味があるのか? でも、「従わないものは殺す」の思考の人にはそんな問いかけは届かないんだろうな、という圧倒的な無力感。
 国を出ずに戦う、そこで生きるという選択をしたネジュマたちに希望が託されているのだろうけれど(ムニア・メドゥール監督自身の体験が元になっているという、彼女はフランスに逃れてこの映画をつくった)、あたしはこのラストシーンでも立ち直れていない。

posted by かしこん at 16:27| 兵庫 ☁| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする