2021年04月19日

21ブリッジ/21 BRIDGES

 あぁ、この映画のフッテージを初めて見たのは“Hollywood Express”だった・・・コロナ前。 日本公開はうれしいが、チャドウィック・ボーズマンがもういないなんて・・・あたしの中では彼はブラックパンサーの人ではなくてジェームズ・ブラウンの人なの。

  21ブリッジP.jpg マンハッタン島、完全封鎖。最後まで、戦う。

 アメリカ・ニューヨーク。 父親である警察官が殉死、葬儀に参列した子供のアンドレは、葬儀に駆け付けた市警の人たちの数と、市警流の葬儀の仕方を目の当たりにする。 19年後、少年はアンドレ・デイビス刑事(チャドウィック・ボーズマン)となり、被疑者にためらわず発砲し監査委員会の常連になり、現場の警官からは裏で「死刑執行人」と呼ばれていたりする。
 そんなとき、夜中のマンハッタン島で麻薬の盗難事件があり、応援に駆け付けた警官8名が銃撃される。 警官が襲われた事件は警察一丸となって解決するのが不文律、アンドレ・デイビスはマッケナ署長(J・K・シモンズ)らのすすめで麻薬課の腕利きフランキー・バーンズ(シエナ・ミラー)と急遽コンビを組んで捜査を開始。
 一方、実行犯であるマイケル(ステファン・ジェームズ)とレイ(テイラー・キッチュ)は、クスリは30キロと聞いていたのに現場には300キロあり、「話が違う」と愕然。 何かにはめられたのかもしれないと疑念を抱きつつ、逃走する・・・。
 <『ダーティハリー』+マイクル・コナリー>とも言える王道展開、新たなキャストでつくるってことは、このジャンルはある程度需要があるというか、基本のフォーマットが存在しているということ。 このジャンル、確立されてる!

  21ブリッジ3.jpg マイケルとレイ、そのマスク・・・。
 マイケルは『ビールストリートの恋人たち』の彼氏の人、テイラー・キッチュは『バトルシップ』は主役だけどその後脇に回ることが多くなっている人、と見覚えあるキャスティングなんだけど、シエナ・ミラー含めて(それを言うならチャドウィック・ボーズマンも)みんなちょっと佇まいが地味系。 メイクダウンというかスター性抑えて「そこらへんにいそうな人」の役作り。 他の警察官の人なども、あたしがよくわかっていないだけで脇役実力派で固めているのではないだろうか(なんか見覚えがあるような気がするんだけど、どこで見た人なのかわからない)。 アメリカン・バイプレイヤーズか・・・ここがちゃんとわかってたら、もっと楽しめたんだろうなぁ。

  21ブリッジ2.jpg さすがにJ・K・シモンズは地味にするにも限界が。
 ニューヨークだからだろうか、人種の偏りがあまりないような・・・黒人・女性・白人・その他も、とバランスよく感じるのは、プロデューサーも務めたチャドウィック・ボーズマンの意向? シエナ・ミラーのギャラの少なさを自分のギャラから取って埋め合わせたというし、俳優だけでなく映画制作にもノブレス・オブリージュを発揮しようとしてくれたのだろうか。

  21ブリッジ4.jpg どんな方向に行っても主人公は大きなケガを負わない。
 今のかなりダメージ受けたよ!、な場面でもガンガン走るし、地下鉄まで逃げるマイケルを追いかけたアンドレ、ホームにいるマイケルとどうするのか・・・の対峙場面がこの映画の白眉! でもかなり走ったのに息の乱れは最小限。 あたしだったらぜーぜーいってへたり込んで、会話すらままならない(いや、ここまで追いかけられないかも)。 全然弾切れしないとか、80年代の大味アクション映画をリスペクトしてますね(『リーサル・ウェポン』とか)。 誰が黒幕か、なども大変わかりやすくなっておりますが、偽造パスポートづくりのプロなどおいしいキャラも多かった。 そもそもアンドレ・デイビス刑事の抱えているものがまだまだ大きくて、これシリーズ化にできるキャラなんですけど! 原作小説はないんですかね、ヒットしそう。
 マンハッタンにかかる21の橋を封鎖せよ!、というNY市警の機動力にはまいりました。 日本では多分同じことができない・・・アメリカの底力、感じましたよ。 だからこそ邦題は『21ブリッジズ』複数形ではダメだったのか。
 というか、このタイトル、なんて読むの? 21をトゥウェンティ・ワンと読ませるのなら、そのままBRIDGES:ブリッジズじゃないのかな?

posted by かしこん at 03:01| 兵庫 ☁| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月17日

ノマドランド/NOMADLAND

 最初にチラシが置かれたのを見たとき「まだ先だなぁ」と思っていたのに・・・その日は来てしまい、過ぎるんだなぁ、と。

  ノマドランドP.jpg “あなたの人生を変えるかもしれない、特別な作品”

 アメリカ・ネバダ州。 リーマンショックによる不況で企業や工場がつぶれ、人がいなくなった町は廃墟と化した。 家を失ったファーン(フランシス・マクドーマンド)は荷物をキャンピングカーに積み、車上生活を送ることに。 仕事を探して季節労働の現場を渡り歩きながら、ファーンが出会った人と風景のこと。 ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション小説が原作、クロエ・ジャオ監督作品。

  ノマドランド1.jpg ほぼ映像詩。
 冒頭の字幕で、アメリカでは町に人がいなくなったら郵便番号も廃止されるとあって驚愕。 アメリカの広さとシビアさを思い知る。 でも住所がなくても普通に仕事につけるし、役所でもすぐ手続きとかできるし、なんだこの実利的な感じは!、と思う。
 説明的なことはほとんどなく、特に前半は「フランシス・マクドーマンドが立ち会っているドキュメンタリー」のよう。 実際にノマドとして生きている人たちが出ていることにゆっくり気づかされる(カギになる登場人物が本人役で出ている、というか、ご本人がそのまま映画に映っているというか)。

  ノマドランド3.jpg ほぼこんなシーン。
 都市がほとんど出てこない。 雄大な自然、といえば聞こえはいいが、自然って厳しいから暑さ寒さも容赦なく。
 「ホームレスではなくハウスレス」など印象的なセリフ。 ノマド生活の引き金が貧困だと突きつけられたのは、わかっていても強烈だった。 季節労働者の過酷さをあえて描いてないので大変そうに感じない人もいるかもしれないけど。 また風景が美しいのでひどくない感じがしてしまうのだが、こういう美しさを日常的に見るためにはこんなにも犠牲を払わねばならないのかと。

  ノマドランド4.jpg 
 車での放浪生活って自由そうに見えるがとても綱渡りであることが早い段階から描かれるので・・・あたしはまったく憧れないが、そうせざるを得ないタイプの人もいるのだろうな、と思う。 寅さんのように。
 フランシス・マクドーマンドありきというか、企画から携わらなければこの役はできないだろうと感じる。 俳優としての覚悟ですね。
 「また路上で会おう」が彼らのあいさつ。 もう二度と会えないかもしれないけど、どこかでまた会えるかもしれないから。

posted by かしこん at 18:35| 兵庫 ☔| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月14日

映画 バイプレイヤーズ 〜もしも100人の名脇役が映画を作ったら〜

 『バイプレイヤーズ』はシーズン1からずっと観ている。 それがついに劇場版になるとなれば、お祭りだ! 是非盛り上げなくてはねぇ、と思います。 でもドラマ版シーズン3に複雑な気持ちを抱いた身としては(勿論、続いてくれるのはうれしいんですよ。 ただ漣さんの不在が受け入れがたいというか)、劇場版にも複雑な気持ちがなくもなく。 でも「観ない」という選択肢はない。 多分そんなに傑作ではないことはわかっているんだけど、見届けることは最初から観ている、シーズン1が始まる前から6人が好きな役者であるあたしの責任にも似ている。

  映画バイプレイヤーズP.jpg この映画は、本当に完成するのか!?
 郊外にあるバイプレウッド撮影所では、昨今の状況故、NHK・民法各局が放送するドラマを別々のスタジオで収録しているため、100人以上の俳優たちがバイプレウッドを行き来している。 その中で、濱田岳(濱田岳)が監督となり役者の仲間内で自主映画を作ろうとしていた。 『ちいさいおじさん』がバズり、その続きを撮ることになった低予算配信組も作業は進行中。 その中でのちょっとしたトラブルが様々に絡み合い、事態は予想していない方に向かう・・・という話。

 正直、最初からいまいちノれなかった。 田口・松重・光石の三人のショットでは、「誰かが不足感」が半端ない。
 オープニングで4人がバイプレウッドに向かって歩いていくシーン、4人しかいないことに強烈な寂しさを感じた(第一話のときもそう思ったんだけど・・・テレビサイズよりもスクリーンのほうが、違和感は拡大されて映るらしい)。
 ドラマのシーズン3(『バイプレイヤーズ〜名脇役たちの森』)との時系列に「あれ?」となってしまったのと、まぁ確かに劇場版はこれまでの集大成ではあるんだけど、「シーズン3を別の方向で編集したらこうなりました」というのが劇場版で、シーズン3と表裏一体の位置づけ。 だから映画単体では評価できないつくりになっているなぁ、と。 そうなるとシーズン3のほうが時間が長いし(25分×12回)、寺島さん帰ってきたし、最終回なんてジャスミンの成長と漣さんとで号泣しちゃったんだよ。 むしろ集大成はシーズン3の方じゃないのかね、というのがあたしの気持ち。

  映画バイプレイヤーズ2.jpg 重要なところだけ役所さんが出てくるのもお約束。
 光石さんの衣装が『渋井直人の休日』の渋井直人にちょっと寄せられている感じがしてニヤニヤする。 そう、役者のみなさんはやりたい放題にやっているように見えるんだけど、どこからが台本でどこからがアドリブなのかわからない。 全部アドリブだと言われても納得する。 バイプレイヤーと呼ばれる人たちは、台詞も自分の言葉として喋ってる。 自ら、どこまでが実でどこまでが虚か自分でも明確にしていないように見える。 そのあいまいさを楽しむものだとわかっているのですが・・・。

  映画バイプレイヤーズ3.jpg 自主映画を撮りたいメンバー。
 このあたりが主役っぽいポジションなんだけど・・・彼らの言動が無茶というか、共感できないというか。 濱田岳、えらくポンコツに描かれているし。 で、その補足説明をナレーションにさせてしまう暴挙。 そんなこと言われたって意味がわからないよ! 実際の彼らがそんなにおバカだと思えないし、トラブルを作るために行動しちゃってるみたいで・・・役者のみなさんが達者なので、脚本・構成の無理具合が目立ってしまいますね・・・。
 コロナ禍で撮影が全部止まったとき、この映画がいちばん最初に復活してきたからと誰かが言ってた。 だからこれは短期集中の祭。 飛び込んだ人たちがいちばん楽しかったに違いない。 そして映画には映ってないけど、スタッフの方々も楽しかったろうな。 まるで、映画やドラマには俳優しかかかわっていない(スタッフはどこにいるの?、の)ように見えたとしても。
 松重さんがすごくひょろ長く見えて、「松重さん、お痩せになったのでは!」と心配になったが、同じ画角に遠藤憲一さんがいなかったからかなぁ。 スクリーン映えというか、テレビサイスとスクリーンサイズの違いを実感しました。

posted by かしこん at 23:59| 兵庫 ☁| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月11日

きまじめ楽隊のぼんやり戦争

 きたろうさん目当てで。 年に一度のお約束だったシティボーイズライブが休止してもう何年たつだろう。

  きまぼんP.jpg 9時から5時まで、今日もちゃんと戦いましょう!

 川の向こうと戦争している津平町。 兵士の露木(前原滉)は毎朝楽隊が演奏するにあわせて家で目覚め、第一基地に向かい、着替えて、夏目町長(石橋蓮司)の要領を得ない訓示を聞きながら準備運動をし、川べりで銃を構えて横たわり、午前9時から午後5時まできっちり戦争をする(勿論、お昼休みもある)。 そんな毎日を送るある日、露木は楽隊への異動を命じられる。 楽隊の兵舎はどこなのか?
 シュールでオフビート、なれど・・・これってサイコホラーか?!

  きまぼん4.jpg この町長、めっちゃ腹立つ。
 登場人物はみな、平坦な喋り方で・・・その中で個性を出せなければならないから、舞台系の役者の方々が多くなったのかなぁと。 表情をアップにすることはないし、引いた画で。 ある程度以上の実力を持っていないとこの現場にはいられなかったのでは? そんな中で最も感情の起伏の激しさを見せてくれたのは片桐はいり、平坦さを感じさせなかった(棒読みっぽく聞こえなかった)のは石橋蓮司・嶋田久作・きたろうであった。 さ、さすが・・・。

  きまぼん3.jpg ニヤニヤしていられるのも最初だけ。
 シュールだなぁ、などと言っていられなくなるのは、同じシチュエーションの繰り返しかと思いきや違う要素がぶち込まれているからだ。 その積み重ねが、この映画の世界を絵空事にしなくなる。 現在の日本の状況を否応なくつれてくる。 権威に逆らうという発想がなく、与えられたことで自分の中だけでぐるぐるする、みたいな。 あぁ、外国から見たら日本ってこうなんだろうな(確かにそういうところあるけど、それ強まってるな)!、という危機感。 ゾッとする。 ヤバいし怖いよ!

  きまぼん1.jpg きたろうさん、髪の毛のツヤが減ってるよ!
 楽隊の団長・伊達(きたろう)もまたヤバい人である(またこういう役がうまいな、いつものことながら)・・・他にもヤバい人がたくさんいる。 無自覚に無神経な言動を繰り返す人、そうされて自分より下の立場と思う人にそれをやる人、やられて黙り込む人、という構図が繰り返され・・・つらい。 あたしもとっさには黙ってしまうのだが、次の機会にはちゃんと言わなければ、と思い言うようにしているが、まだまだ言えてないタイミングあるよな、と反省する。 黙りつづけていたらこんな社会になってしまうのだから。

  きまぼん6.jpg 美しき青きドナウの美しさよ。
 美しい音楽を「美しい」と感じる人は素晴らしい、みたいなことはないわけで、誰しも複層的な何かを抱えているんだけど、トータルでよい方向に行けるかというか・・・あぁ、「人間はおろか」と言い捨てられたらそれはそれで楽かもしれないんだけど。 なので「そうなるんだろうなぁ」と感じたラストには納得なんだけど、現実はこうなってはならんのだという戒めなのだ。
 『となり町戦争』ってあったなぁ、と思い出したりして。 敵や状況をよく知らないまま戦っているなんてありえないことなんだけど、往々にしてそういうことはよくあるわけで。 何か自分で確かだと感じるものさえあれば、立ち向かえるのだ。

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2021年04月09日

JUNK HEAD ジャンク・ヘッド

 『PUIPUIモルカー』のおかげで、ストップモーションアニメがまた気になる存在に。 そんな折にこれが公開のお知らせ。 「一人の日本人の情熱と狂気に、世界が熱狂!! 伝説のカルトムービー、待望の逆輸入!!」ということで、あやしさを感じつつも観てみたいと。 じわじわと口コミも広がっているようです。 第21回ファンタジア国際映画祭長編アニメーション審査員特別賞受賞作。

  JUNKHEADP.jpg 未来は、《ガラクタ》に託された。

 遺伝子操作によってほぼ永遠の命を手に入れた人類はその代償のように生殖能力を失い、さらに新種のウイルスの蔓延により人口の30%を失った。 人類によって労働力として造り出された生命体マリガンは、いつしか増殖能力と自由意志を持ち、地下の世界で進化した。 マリガンが持っている増殖能力が滅びゆく人類の救い手になるのではないかと考える。 地下調査員の職を得た男(人間)は、謎を探るために地下に降りるが・・・という話。
 ということで、この映画の舞台は様々な種類に広がったマリガンたちの地下世界。 設定はざっくり最初に字幕で出るが、あまり細かく説明されない。

  JUNKHEAD1.jpg こいつが主人公(人間)。
 地下へ降りたはいいが・・・の、典型的な巻き込まれ型。
 マリガンたちも・・・かなりグロい。 明らかにあなたたち、ヴァージェス頁岩にいたやつじゃないの?! もしくは深海の生きもの! 地下は海の深さのメタファー?、とワクワクしつつも、捕食関係の描写がかなりグロいので・・・ちょっと心が折れかける。

  JUNKHEAD3.jpg このタイプ、コワい!
 主人公の顔すれすれまで近づくところ、『エイリアン3』だな・・・など、こちらにも様々な映画のオマージュ、登場。 地下のかなり深いところまでマリガンたちがいて、という世界観は『BLAME!』にも似ているけれど、階層に意味があるわけではないので。
 喋るマリガンもいて、主人公とも会話できるが・・・こういうSF地下世界で、知ったかぶり偉そうとか腰巾着体質とか見せられるとへこむ・・・おまけに他を利用して騙して自分が利益を独り占めしようとするマリガンが関西弁ってのもなんだか・・・(言葉は理解できないが、日本語で字幕が出る)。 女性の描き方もステロタイプだ・・・世界観のつくり込み具合に比べると、人物造詣があまりにも表面的っぽいのが残念。

  JUNKHEAD2.jpg 口の悪い三人組、腹立たしいけど、最後は彼らに泣かされる。
 そしてグロさが前面に出ていたマリガンたち、気がつくとなんかかわいく思えてきたよ。 しかも何もわからず、この先続きます、みたいな展開なんだけど、三部作構想ですか?!
 マリガンたちの造形と思いもかけない動きがやはりストップモーションアニメの神髄。 モルカーのかわいらしく(ちょっと歪んでるけど)優しい世界と比べると対極、残酷で血みどろで容赦ない世界だけど、それ故に生まれる信頼は美しい?
 その動機が貴種流離譚っぽいのも昔ながらの日本人的な価値観だなぁと。 ほぼ一人で作り始めて製作期間7年だそうなので、堀貴秀監督の人生観とか、自分の経験してきた関係性からキャラを作ったのかと思えばその不器用さが悲しい。 これがヒットして心に余裕ができて、感覚を令和時代にアップデートしてほしい(観て帰った日、ツイッターで監督の不用意な言葉が炎上してた・・・)。

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2021年04月03日

ロード・オブ・カオス/LORDS OF CHAOS

 予告を観て気になった。 ロリー・カルキンくん大きくなったのか?!、という驚きもあり(M・ナイト・シャマラン『サイン』の息子役の人)。 前に、「ブラックメタルとゴスの違いって、人を傷つけるかつけないからしい」とか聞いたことを思い出し、「デスメタルとブラックメタルの違いってなんだ?」と改めて感じたりなんかして。 音楽のジャンルとしてメタルをよくわかってないんです。 そんな軽い気持ちで観にいったら、観客にはガチ音楽ジャンルファンっぽい方々がいて(みな全身黒、持ち物含めすべて黒!)、ちょっとビビりました。

  ロード・オブ・カオスP.jpg 真実は狂気をはるかに超えていた――。
   ブラック・メタルの王は、俺だ。

 1987年、ノルウェーのオスロ。 ユーロニモス(ロリー・カルキン)は仲間とメタルバンド・メイヘム(Mayhem)を結成。 世界へ打って出るためにスウェーデンからヴォーカルのデッド(ジャック・キルマー)を招くと活動は過激化、より多くのファンを集めて世界のメタルシーンに躍り出る。 のちに参加したヴァーグ(エモリー・コーエン)が過激な思想を強めて教会を放火したことを告げると、「誰が最も邪悪か、邪悪な者が最もすごい」の競争心があおられ、いつしか歯止めがきかなくなっていた・・・。

 はじめの頃のメイヘムは、若者がちょっと暴走している程度の普通のバンドだ。 妹と軽口を叩き合うユーロニモスはそこらへんのおにーちゃんだし、バンドのメンバーも同様。 それがなんでこうなっちゃうのか・・・「真実と虚構の物語」といっているが、ベースは実話!

  ロード・オブ・カオス2.jpg メンバー公式。
 メタルはあたしのベースにないのですが、あたしの知ってるのは聖飢魔Uしかいないのでそれとの比較・・・ヨーロッパの人は生活にクリスチャン意識があるから、反抗することに“悪魔”が出てくるのは当たり前なのかしら。 真のブラック・メタルとはなにかを追求するために十字架を燃やしたり、豚の頭をステージ上から観客に投げたり、デッドはナイフで自分の身体を切り刻んで血を観客に浴びせたり(観客も浴びて喜んでたり)・・・、と観ていて青ざめる理解不能の展開になって大変つらい。
 でもそれもデッド個人の精神的な病のせいなのでは・・・。

  ロード・オブ・カオス3.jpg デッド役のジャック・キルマーはヴァル・キルマーの息子だそうですが、遠目のショットでは美少女にも見えるという。
 バンド仲間として、友達として何が正解だったかはわからないけど、デッドになにか救いの手が差し伸べられていたら・・・顛末は変わっていたのだろう。 ほんと、前半は観ていてつらかった。 心象風景をホラー的に描いているけれど、それでも掬い取れない闇。 いったいどういう気持ちで演技をしたのか、役者のみなさんの精神的ケアは大丈夫かと気になってしまうほど。 ロリー・カルキンくん、目力も素晴らしい。

  ロード・オブ・カオス1.jpg 全編を彩るユーロニモスのナレーションがよい。
 映画もユーロニモス主観なので、世界においてブラック・メタルとは、とか、メイヘムが客観的にどのように売れていったのかみたいな事実は全くわからない。 中にいる人の視点なのは『ボヘミアン・ラプソディ』もそうである、何回も見るといろいろ見えてくることがありそうだ(この映画も画面の情報量が多い)。 メタルファンの方々でも賛否がかなりわかれているらしいけど・・・。

  ロード・オブ・カオス4.jpg 教会が燃やされる絵面がすごく凶悪。
 でもね、気がついたら、彼らのあるがままを受け入れている自分がいるのです。 意味わかんないし、理解できないけど、「でも、そうなんだね」となっているというか。
 うわっ、青春映画の王道じゃん。
 控えめに言って、傑作。

 監督のジョナス・アカーランド(ヨーナス・オーケルンド)は『ホースメン』の人だということで・・・湿度のない冷えた映像に納得。 もともとメタルのバンドのドラマーで、多くの有名アーティストのMVを手掛けている人だそうで(マドンナの『Ray of Light』とか)、当時のことをよく知っているのだろうなと。
 予告編を貼っておきます。 シガー・ロスの音楽もよかったな。

  

 なんとも胸苦しいのですが・・・、観てよかった。 観にいってよかった。
 原作の『ブラック・メタルの血塗られた歴史』も読もうかと思います。

posted by かしこん at 20:58| 兵庫 | Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月29日

あのこは貴族

 「シスターフッド映画」として宣伝されているこちら、映画制作には時間がかかるので流行に乗ったわけではなく、このテーマで・この素材で語りたい内容だったんだろうな、と興味あり。 原作の山内マリコはフェミニズムを意識した作品を描いているし、岨手由貴子監督も女性だし、日本映画での女子の描かれ方に新しいものを持ちこみたいんだな。 それ、是非、観たいです!

  あのこは貴族P3.jpg 同じ空の下、私たちは違う階層<セカイ>を生きている――。

 榛原華子(門脇麦)は27歳、東京の松濤の家で生まれ育ち、今も住んでいるお嬢様。 お正月の家族のホテルでの食事会に遅刻してきた彼女は、婚約していた彼と「別れてきました」と言う。 結婚して子供を産むことが女の幸せと育てられてきた華子は、少し焦ってまわりの人たちからお見合い相手を紹介してもらう。
 時岡美紀(水原希子)は富山から慶應義塾大学に進学するために上京したが、実家の都合で学費が払えなくなり、アルバイトで学費を賄おうとするも・・・現在はイベント運営系の仕事をしている。
 決して交わることのない二人が、あることをきっかけに知り合い、話し合う−−。
 住む世界が違う人々の邂逅が何を生むのか、運命という偶然がもたらしたもののこと。

  あのこは貴族2.jpg でもそれも相楽逸子(石橋静河)の存在があればこそ。
 華子さんはびっくりするほど、「自分の意志はないんですか?」と聞きたくなるタイプのお嬢様。 最初の方は大変イラっとしそうになりますが、「あぁ、この人は想像力や好奇心を持たないように育てられたのだ」と気づき、哀しくなる。 逸子ちゃんは小学校から一緒の幼馴染だが、ヴァイオリニストで一人で海外留学・演奏旅行などしてるので考え方が非常にリベラルで合理的。 お嬢様がたで集まれば集まるほど、逸子ちゃんは周囲になじまないのだが、本人は割り切っていて、華子だけが飾らずに話ができる相手という感じ(華子は他の子と違って逸子の陰口など言わないから)。
 一方、美紀の実家の風景にはあたしも見おぼえがあり(田んぼを突っ切るように建つ高架のバイパスとか、シャッター商店街とか、車社会とか)、東日本北側の光景に、なんだか泣きそうになった。 あたしは美紀の側なので、「あぁ、なんで慶應に行っちゃったのだ、ちょっとレベルを下げても国立大学に行けばよかったのに(教科の負担は増えるけど、こんな明確なヒエラルキーのあるところに行かなくても)」とほんとに美紀に言いたかったよ! それに国立大学ならば授業料免除制度があるから、あとはバイトで十分カバーできるのに・・・と、いろいろ身につまされる。 ただ華子の生活のほうが「あぁ、お嬢様って大変なのね・・・」と思うことは多かった。
 華子のすぐ上の姉に離婚歴があり、「華子のやりたいようにしなさい」と言ってくれるけど具体的なアドバイスはない(自分が遊びたいの優先)。 そんな姉が篠原ゆき子さん(『相棒』の元白バイ隊の出雲麗音さんです)だとすぐ気づかなくて、この人はほんとにいつも違う感じだわと感嘆。 いちばん上の姉の夫が山中崇さんで、程よいマスオさん感が素敵(だから華子は甘えたり、相談したりするんだろう)。

  あのこは貴族1.jpg 逸子ちゃんの仲立ちで、二人は会う。
 その会話の最初のかみ合わなさというか、浮世離れ感にドギマギしますが、同世代の女子ということで話がないわけではなく。 お互いにないものというか、違う世界にいるひとと話すことで見えてくるものがある。 逸子ちゃんが違う階層を意識せずに動けるのは、芸術を軸に生きているからか(芸術とスポーツは階層を流動させる装置)。 華子は美紀から得るものが多かったと思うが、それに匹敵するものを美紀に返せているかは疑問。 しかも華子が想像力を発揮したのが「もし自分に子供が生まれて、その子供をどこでどう育てるのか」きっかけだったし、社会構造を見る必要が彼女にはないんだろうな・・・せつない。

  あのこは貴族3.jpg 美紀の親友は、高校が同じで一緒に慶應にも行った平田里英(山下リオ)。
 こっちの二人は、「あたしたちって東京の養分だよね」と搾取されている現状をわかったうえで笑い飛ばし、その中で自分のできること・したいことをしようと前を向いて進み始めてる。 自転車の二人乗りって青春だなぁ、きゅんとしちゃうよ。 水原希子・山下リオのふたりはすごくよかった! 「自分は人に世話をかけてしまう、だからせめて迷惑を最小限に」という考え方は小市民的かもしれないが、彼女たちにできるせいいっぱいのリスクヘッジ。 華子たちの階層の人は、多分「自分が人に迷惑をかけることがある」という発想自体がないんだろうな・・・大切に育てられたから。 けれどそれは「〇〇家の子」であるからで、個人としての評価ではないんだよね。
 行き違う見知らぬ人ともふと手を振り合ってみたり、あ、地元にいたときそういうことよくあったなぁ、と個人的な記憶が出てきました。 神戸に暮らすようになってからそういうことはない。 あたしが都市に心を開いていないのだろうか。
 シスターフッド、女性の自立など、ほっこり要素が静かな中にも描かれ、同時に女子への抑圧もしっかり描かれているんだけど、やっぱり描写は静か目。 それ故に、登場人物たちの表情が多く語る。 自分で自分の人生を選択していくという、当たり前なんだけど難しいことが軽やかに進んでいくおだやかさ。
 でも、ラストシーンは結局お嬢様とお坊ちゃまの出逢い直しの話のようにも見えて・・・“お貴族様”が多くのものを得たような気がする。 下層のものとしては、そういう人たちにかかわらずに生きていく、というのが平和なのかな〜。

posted by かしこん at 04:19| 兵庫 | Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月25日

アウトポスト/THE OUTPOST

 『ある人質』の衝撃がさめやらず、同日公開の『ビバリウム』と悩んでこっちを取ってしまった。 激しい戦闘に身を置く人々のことを考えたいと思ったから。 とはいえ、「アフガニスタンですか?」くらいの前情報しかなかったけど。

  アウトポストP2.jpg 生き抜くこと それだけが正義――。
  その日、米国陸軍史上最大の悪夢となる激戦が幕を開けた

 アフガニスタン北部のある前哨基地(アウトポスト)に2006年にある部隊が到着したところから始まる。 まわりを360°斜面に囲まれた底にあるこの基地は、補給経路の要の位置であるため重要だが、つねにどこから狙われてもおかしくない環境で、いつ来るかしれないタリバンの襲撃に対して兵士たちは神経をすり減らしている。 小さな折衝を繰り返し、事故もあり・・・司令官も交代し・・・そして2009年10月3日の<カムデシュの戦い>が始まってしまう――。
 兵士の日常がリアルで、それ故に悲しい。

  アウトポスト3.jpg 彼らはヘリで夜に到着、次の朝、官舎から出てきて・・・ぐるりとまわりの斜面が映るシーンで、ゾッとする。 これ、山から攻められたら逃げる場所がないよ!
 そういう心理的なプレッシャーに、シャワーを浴びてるときでも銃弾をぶち込まれる、バカ話しながら周囲の巡回に出たら地雷がある、とか、常に緊張してたら身が持たないけど気を抜いたからって常に危険とは限らず、しかし時に誰か死ぬ。 いったいどういう状態でこの場所にいればいいのか、神経を病む人続出なのがよくわかる。

  アウトポスト1.jpg 頼みの綱は武器だが。
 自分たちのほうが相手よりいい武器を持っている、物量的にも勝っているという思いが彼らの心の余裕なのだが、相手が思いもかけない武器を持っていると知ったときの絶望感。 終盤の展開はVRの戦闘ゲームってこんな感じなのかなと思わせる視界でずっと続き、臨場感が半端ない。 アメリカ兵側は数十人、タリバン側は数百人という人数差も恐ろしい。 銃弾の補給をひたすら追う描写がリアルで、被弾するかしないかの境目なんかない(一発で死ぬとも限らないし)のディテールにざわざわする。
 「あぁ、戦争ってなにもいいことない。 やっちゃダメなんだ」としか感じない。

  アウトポスト2.jpg クリント・イーストウッド、メル・ギブソンの息子らが出演していますが二世的な華やかさはゼロ。
 エンドロールで、登場人物はみな実在の人物である旨が説明され、生き残った人々の証言が流れる。 亡くなった人々を英雄と呼ぶのでアメリカの国威高揚映画なのかもしれないけれど・・・若い兵隊は二十歳そこそこ、役つきで呼ばれるベテラン風指揮官も27歳ぐらいなんですよ。 こんな若い人たちが死ぬ必要はない。 そもそも戦争は若い人を殺すものだから、やっぱりやってはいけないのだ。
 兵士のお喋りの下品具合がかなりましだったのはポリコレ調節がかかったのか、若者の質が上がっているからか。 しかし「軍隊しか行き場がない」という人たちを救える社会は、とか考えることが止まらない。

posted by かしこん at 15:49| 兵庫 ☀| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月20日

ある人質 生還までの398日/SER DU MANEN, DANIEL

 うわあ、こういうタイプ、観ると気持ちがしんどいなぁ、というのがポスター見ての第一印象。 でもデンマーク制作、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』と同じ監督と知り、観たい感強まる。 なんだろうなぁ、この北欧の魅力。

  ある人質P.jpg 生きていて!
   ISから息子を救出した家族の奇跡の実話

 体操選手として活動してきたダニエル・リュー(エスベン・スメド)だが、2012年に実演中に怪我をしてしまい将来が断たれる。 約一年の療養と自分探しの結果、趣味のカメラで身を立てようと考える。 ある助手として訪れたシリアで、困難のさなかでも日常を送る人々の姿を写真に収めるのが自分の仕事と感じ、デンマークに戻ってから準備を整えまたシリアを訪れるが、過激派組織に人質にされてしまう。 デンマーク政府は「テロリストとは交渉しない」と一蹴するが、ダニエルの家族はどうにかできないかと人質救出専門家のアートゥア(アナス・W・ベアテルセン)に依頼、救出を諦めない。

  ある人質3.jpg 普段のダニエルは眼鏡姿のシャイな若者。
 ダニエルが体操選手であることにすごく意味があるので、実話ならではというか説得力あるディテール。 逃走するためには筋力が必要ですよね(俳優さんも体操のキャリアのある人かと思ってしまった、しっかり身体をつくったらしい)。 日本だと自己責任論が巻き起こりそうだけど、ダニエルの身に起こったことは誰の身にも起こりうることだとひしひし感じられる。 わけのわからないままに巻き込まれ、こんな恐ろしい目に。 批判なんぞしてる暇はない、こんなことはあってはならん。 

  ある人質1.jpg 人権なんてものは欠片もない。
 ダニエルは戦闘地域に入ってないし、現地の護衛も頼んでいたが、複数の武装勢力が縄張り争いをしていることまでわからなかった。 捕まって移送される先がアレッポやラッカで、あたしの中で『バハールの涙』や『プライベート・ウォー』などの映像がフラッシュバック。 あぁ、あれとつながるのか! ダバダバと情報があふれだす。 忘れてるわけじゃないんだけど、意識の表面にはおいてなかった。
 武装勢力(あとあとイスラム国であるとわかる)のやり口がめちゃくちゃなのだが、そっち側にイギリス人やフランス人がいるのがね・・・対イスラム教原理主義ってだけじゃない根の深さに眩暈。 砂漠地帯を描きながらも映像は北欧ミステリ。

  ある人質2.jpg 約束の便で帰ってこないダニエルを心配する両親と姉。
 おかあさん、ちょっと怖かった。 身代金がクローネ・ドル・ユーロで表現されるので、いくらなのか全くわからず(お金、用意できるのかと思いきや単位が違うから全然足りないとすぐわからなかった・・・)。 テロ活動資金になるから金は払えないという主張はわかるが、だからといって見殺しにするのはおかしいだろうという話。 日本でも当時あったが(日本政府もデンマークと同じ立場)、裏で動いている人がいた記憶がよみがえる。 エンタテインメントとして描きながら「自分だったら」も深く考えさせられます。

  ある人質6.jpg アートゥアのパートはタイムリミットサスペンス調。
 中東と欧州を股にかけるプロフェッショナル具合がカッコいい。 振りかざされがちな正義だの主義だのを一顧だにせず、依頼された人質を救出することが最優先で個人的な感情は見えないんだけど。 アートゥア役のアナス・W・ベアテルセンは共同監督でもあるとエンディングで知ってびっくり。 この抑制の取れてる感がそのまま出来事に対する制作側の気持ちのようで。

  ある人質4.jpg 人質同士の友情。
 アメリカ人記者ジェームズ・フォーリー(トビー・ケベル)の登場は人質を扱う武装勢力側の感情をヒートアップさせるが、ダニエルにとっては「自分は虐げられるただの人質ではない」と自分を認識させてくれる相手。 彼が来て初めてダニエルは笑うんだよね・・・笑っていられる自分を保つことの尊さですよ。
 劇的な部分とリアルさ加減が絶妙、ドキュメンタリーではないし武装勢力側も完全な悪ではない。 副題でネタバレしててもハラハラするし、ラストで涙しても「よかった」だけでは全然終わらない。 イスラム国はその後壊滅したことになっているけれど、今もシリアの混乱は続いているのだから。

posted by かしこん at 18:36| 兵庫 ☁| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月13日

私は確信する/UNE INTIME CONVICTION

 予告を観て、「実話ベースの法廷もの?!、それは楽しみ。 しかもあの弁護士さん、『息子のまなざし』のあの人だよね!」と感じ、絶対観に来なければ、と思っていたが、神戸での公開すぐには行けず・・・3週目になってしまいました。 それも上映時間のタイミングなのよ。 祝・レイトショー再開!

  私は確信するP.jpg 冤罪か、有罪か――。真実は二重の歪みにひそむ。

 フランス南西部のトゥールーズ地方で2000年2月に、38歳の女性スザンヌ・ヴィギエが三人の子供を残して行方不明に。 大学教授である夫のジャック(ローラン・リュカ)が殺人容疑で疑われるが、明確な動機も決め手となる証拠もない。 マスコミが大々的に報道し、多くの人が「ジャックがあやしい」と感じる機運の中、第一審でジャックは無罪。 しかし検察は即座に控訴、翌年に開かれた第二審で、再び殺人罪を問う裁判が行われることに。 この映画はその第二審を中心に描く。
 ジャックを無実だと信じる料理人でシングルマザーのノラ(マリナ・フォイス)は、敏腕弁護士デュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)に弁護を引き受けるよう進言する、自らがまとめた事件のレポートを持参して。 一度は断ったモレッティだが、その後ジャックとその家族からの依頼で引き受けることになり、ノラに手伝いを乞う。 検察から提出された250時間にもわたる電話の通話記録を調べて紙に起こしてほしいという。 息子との休暇の予定が、とはじめは気乗りしなかったノラだが、複数の人による膨大な会話を聞いているうちに「真実を知る」ことにのめり込んでいく・・・という話。
 映画のはじめに<ヴィギエ事件とは>の日本語オリジナルのテロップが出る。 あ、これは事前知識があったほうがいいやつか!、と焦るが(フランス本国では有名な事件なので)、最初の説明のおかげでなんとかなった。 説明は足りないので最初はよくわからないが、観ているうちに状況が見えてくる。

  私は確信する1.jpg ジャックはほぼ喋らない。 法廷で、発言を求められたときだけ話す。 落ち着かなげな、おどおどした不安げな表情に、観客は「この人、いったい何者?」と感じる。
 予断を持ってはいけない、特にあたしは状況をよくわかっていないのだから、という姿勢を意識する。 だから映画がどう見せたいのかもそのまま受け取らず、いったん保留に。 でもそれは、陪審員の立場にも似た気持ち。 あ、この映画は陪審員の疑似体験をさせてくれる映画なのか?

  私は確信する3.jpg ノラ役の人、どこかで見たことがある気がするんだけど・・・とずっと考えていたが、次第に思い詰めていく表情に・・・『パリ警視庁:未成年保護特別部隊』の人か!、と気づく。
 ノラののめり込み具合もまたコワかった。 そもそもなんで彼女がこの事件な裁判にかかわることになったのかよくわからない(中盤でわかるのだが・・・わかるまでに彼女はかなり飛ばしている)。 とにかく「知りたい」に取り憑かれる気持ち、多分あたしもそうなる要素がありそうだからわかるんだけど・・・やりすぎです。 自戒を込めて、そう言いたい。

  私は確信する2.jpg ベビーシッターの証言は、第二審の白眉。
 陪審員だったらここでかなり考えが変わるよね!、とまさに手に汗握る流れ。 デュポン=モレッティ(モデルであるご本人)は2020年7月の新内閣発足で法務大臣に任命されたそうです。 フランスの法の良心、みたいな描き方。
 それにしてもフランスの検察・・・「死体なき殺人事件」を大した証拠もなく起訴に踏み切るか(そもそも死体がないから殺人かどうかも不明)。 そのくせ通話記録はまったく精査せずに証拠開示要求に応じて弁護士側に丸投げとか、無茶苦茶だな(解析に時間をとらせて邪魔をしようとしているのか)。 まぁ日本もやっちゃってるので「よその国のこと」とは言えないんだけどさ(汗)。
 そもそもこの裁判は、ジャックの濡れ衣を晴らすことが目的。 ノラが真犯人を追究しようとするのはこの裁判とは関係ない。 けれどそういう<法の範囲>と、個人的に正義を求める気持ちは全くかみ合わないのが、法の世界に生きる人と市民感覚がそぐわない根本なんだな・・・むずかしい。 ある事件で冤罪であることが証明されて、釈放された人を支援者が囲んで「よかったね」という図は見たことあるし、勿論それはいいことなんだけど(不当な捜査・不当な裁判・不当な扱いなどとり返さないといけない部分はあれど)、「じゃあ、真犯人は?」という問いを消すことはできない。 だからって根拠のない推測を広めたり、誹謗中傷はもってのほかだが。
 ほぼ、この映画は事実に即して作られているらしいが・・・ノラのキャラクターは完全に架空だという。 あぁ、だからノラをそこまで自由に動かせたのか、納得。

posted by かしこん at 23:59| 兵庫 ☀| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする