2019年09月16日

引っ越し大名!

 脚本が『超高速!参勤交代』と同じ人だということで、楽しみにしていた。 それに、ミッチーがお殿様とか最高じゃない?

  引っ越し大名P.jpg 引っ越しは戦でござる!

 ある日、姫路藩主の松平直矩(及川光博)は幕府から豊後・日田への国替えを命じられた。 これまでも度重なる国替えで藩の財政は圧迫されていたが、日田は姫路よりも減封となるので収入も激減する。 今度の国替えに今までのように費用はかけられない・・・と、書庫番の片桐春之介(星野源)に引っ越し奉行の名が下る。 いつも本ばかり読んでいるのだからいろいろなことをよく知っているであろう、という強引な理由であった。 「かたつむり」とあだ名されるくらい春之介は書庫にこもりがちで人との会話が苦手なのに、幼馴染の鷹村源右衛門(高橋一生)や前任の引っ越し担当の娘である於蘭(高畑充希)などに助けられ、なんとか引っ越し準備を始めることに・・・という話。

  引っ越し大名6.jpg 春之介くんの気持ちはわかる。
 しかしなんというか・・・冒頭から違和感。
 コメディだというのはわかっています、でも「はい、面白いでしょ? 笑えるでしょ?」と言わんがばかりの進め具合になんだかいら立ってしまい・・・ありえないシチュエーションにおたおたする真剣な人々の姿で十分面白いわけですよ、あえて狙う必要ある?
 あれ、『超高速!参勤交代』のときはこんな風に感じなかったのに。

  引っ越し大名1.jpg 濱田岳に助けられました。
 そんな感じで話に入り込めず、「なんで春之介と源右衛門だけ月代がないんだよ!」ということまで気になってしまい(特に春之介が引っ越し奉行に決まるくだりも、藩の上の人たちの態度がひどい)、「あぁ、なんかもうダメだ、この映画を選んだ自分が失敗だった」と思ったりしましたが、助っ人として登場した濱田岳(勘定方の人)の存在にかなり助けられました。 彼がいなかったらどうなっていたことか・・・。

  引っ越し大名5.jpg 藩ごと引っ越し、いかに費用を減らすか、の工夫は面白いのだが・・・。
 えっ、なんでそこでミュージカル? なんでそこで下ネタ?、となんかつっこみたくなるのは何故なのか。 「画面のその引き、なんか意味ある?!」とまで思ってしまった・・・エンディングで気づいたが、監督は犬童一心だった・・・『のぼうの城』もなんか合わなかったから、この監督とは相性がよくないのかもしれない(『ジョゼ虎』とか現代劇はそんなでもないのに)。

  引っ越し大名4.jpg 高橋一生は珍しく脳筋な役どころだけど面白かった。
 芸達者な役者をこれでもかと集めているのに、これか・・・という気がしなくもなく。 斬り合いのシーンも全然血が飛び散らず、そういう演出なのかと思っていたらある場面では血が流れ、「えっ、そこだけ?!」とびっくりする。 そこを強調したいのかもしれないが、流れが不自然というか強引というか・・・。
 ほんとに『超高速!参勤交代』と同じ脚本家なのか?、と疑いかけたが、春之介が「借金をするとはどういうことか」を考え始めてから、現在にそのまま当てはまる問題に光が当たり、「あぁ、この感じ!」と思い当たる。 そこからは感動路線なのですが、狙った笑いとかみ合ってないような気が・・・終盤に向けてのお殿様はすごくいいのに、それまでが情けなくて(だからミッチーなのかなぁと納得するけど)。

  引っ越し大名2.jpg 一応、ロマンスもあり。
 星野源はすごく普通で、その普通さがこの映画では重要ではあれども、春之介の変化をもうちょっと大事に描いてもよかったのでは。 だって、引きこもりから一応リーダーっぽい役目に転身ってそんなに簡単じゃないよ、いくらまわりがサポートしてくれても。
 手を広げすぎてうまくまとまらなかったのか・・・全体に取っ散らかってしまった感。 やっぱり編集って大事だな、と最近覚えた観点を考えてしまった。 とはいえ、「書物を愛する者同士の友情」が描かれたところは個人的に一番のツボでした。
 あと・・・出番は少ないが重要な役でピエール瀧が出ていて・・・「あ、撮り直せなかったんだな」と思ってしまったのは、やはり現実に戻ってしまう弊害だな、と実感。

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2019年09月13日

劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD

 あぁ、ネタバレが世の中にあふれている・・・早く、早く観ておかなければ・・・。

  劇場版おっさんずラブP.jpg おっさんたちの愛の頂上決戦、ついに完結。

 あれから一年がたち、春田創一(田中圭)は上海・香港での勤務を終えて帰国、黒澤武蔵(吉田鋼太郎)らが待つ天空不動産第二営業所に帰ってきた。 新入社員の山田正義(志尊淳)など新しいメンバーもいた。 しかし本社の特別プロジェクトチーム<Genius7>のリーダー狸穴迅(沢村一樹)が営業所に戦力外通知。 状況が理解できない春田たちの前に現れたのは、狸穴の右腕という立場の牧凌太(林遣都)だった・・・という話?

  劇場版おっさんずラブ3.jpg 主要メンバー勢ぞろい。
 ドラマの映画化って、やはり難しいと思うのです。 同じ感じでやるならスペシャルドラマでよくない?、となるし、「どうせ映画にするなら」とスケールを大きくしちゃって(しなきゃいけなくて)世界観が壊れたり。 個人的には『相棒』もクラシカルなミステリっぽい事件のときがいちばん“らしい”と思うのですよ。 そんな中でたまに大きな事件や社会派なのがあるから引き立つわけで、最初から『相棒』は社会派じゃなかった・・・映画化と高視聴率に引っ張られてシリーズそのものの方向性も変わってしまった気がする(勿論、長く続くシリーズはマイナーチェンジを余儀なくされるものではありますが)。
 『おっさんずラブ』にはそうなってほしくなかった・・・でもそうなっちゃったのね。

  劇場版おっさんずラブ5.jpg ジャスくん、かわいい!
 『Heaven?』の川合くんと同一人物とは思えない山田ジャスティスに、志尊淳の実力を感じます。 そう、『おっさんずラブ』の面白さとは、役者たちの全力投球と化学反応。 ドラマ版が完璧だったというわけではない、脚本や演出には未熟なところがあった。 でも役者さんたちの熱量でカバーできてしまっていたからあんなにも盛り上がり、今観たって面白いといえる。
 しかし残念ながら、映画では粗が出すぎた。 みなさんの熱演をもってしても覆い隠せないスタッフ側の力量不足と経験不足がはっきり見えてしまった。 不意に与えられたチャンスをものにできなくてどうするのだ。

  劇場版おっさんずラブ4.jpg 勿論、役者さんたちは期待に応えてくれています。
 吉田鋼太郎さん、サイコー! なんてキュートなの!
 何回も見たい場面はだいたいアドリブ展開なんじゃないのかな。 そういう、舞台のような“リアルタイム感”にワクワクしてしまうということなのかも。 沢村一樹もこの世界観にはまろうとしていたのは感じたし、うまい人たちの情熱は眩しい。

  劇場版おっさんずラブ1.jpg このすがりつきかた、ステキ。
 でも、一度はケリをつけたはずの気持ちにまた向き合わされる部長が不憫・・・。 というか武川さん、どうしたの?、とか居酒屋わんだほうの移転改装とか、蝶子さんとマロとか、「この一年の間、何があったんでしょう」のほうがむしろ知りたいというかね。
 そんな中、前半の牧くんの「これが“ツンデレ”というやつですか!」な言動にドギマギ、そりゃ春田くんよそ見なんてできませんよね・・・と傍から見ると二人がお互いを思っていることはわかるのに、本人たちはそれをわかってないというのがせつないのですよ。

  劇場版おっさんずラブ2.jpg 死にそうな目に遭ってやっと素直になるのかい!
 それが若者のラブストーリーなのかもしれないけど。 ドラマで割と丁寧に追いかけてきた心の動きが、映画ではかなりすっ飛ばされた感。 ハイスピードカメラ撮影も多すぎて悪目立ち・・・前半はそうではないのだが、後半は省略が多くて! その間のことは想像してくださいということなのか・・・ほんとに大事なことも言っているのだが、その結論に至る葛藤がこれまで全然見えなかったので「え、いきなりそれ? それで大丈夫なの?」って思っちゃう。 違う意味でハラハラする。
 そう、ハラハラしてしまったのだ。 これで終わりになるのか! それでいいのか!、と。

 個人的には、<特茶>×はるたんのCMってそういうことなのか〜、とわかり、直接描かれていなくても彼らの生活は続いている、と思えるのはうれしいことだった。 映画の不完全燃焼感を、特茶のCMがフォローしてくれた形に。
 しかし! 『おっさんずラブ』のドラマの続編が10月から始まるというではないか! これで終わりじゃないのかよ!

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2019年09月10日

永遠に僕のもの/EL ANGEL

 アルゼンチンに実在する殺人者の話で、製作はペドロ・アルモドバル。 もうそれだけで「観るべき感じ!」がしてしまう。 実際に事件の知識はないのだが・・・。

  永遠に僕のものP.jpg 堕ちる
  1971年、天使の顔をした殺人犯に世界は発情した。

 1971年のブエノスアイレス。 17歳のカルリートス(ロレンソ・フェロ)は「もっと自由に生きたらいいのに」と周囲を見渡して思いながら、心の赴くままにあいた窓から他人の留守宅に入り込み、レコードをかけて踊りながら、そこで気に入った品を盗んで出ていく。 そこには全く罪悪感などない。 善良で優しい両親に愛されて育っている彼には家庭に問題もないが、うすうすカルリートスの行状に気づいている母親から転校を言い渡される。 新しい学校で出会ったラモン(チノ・ダリン)は粗雑で乱暴だが、カルリートスは彼を一目で気に入る。 ラモンもカルリートスの美しさと当たり前に罪を犯すギャップに魅せられ、二人はコンビを組んで(時にはラモンの父親も絡んで)様々な犯罪に手を染めていく・・・という話。

  永遠に僕のもの3.jpg 高校で出会った二人。
 ラモンはわかりやすい男性系ハンサムで、単純バカなところが気に入ったんだろうか? お互いにまったく違うから。 しかしラモンはどんどんおバカ寄りになっていき(泥棒しているところを目撃されたりしているのに、テレビのオーディション番組に出るとか! 松本清張の『顔』の恐怖はないんだな!)、その当時の“男らしさ”みたいなものの窮屈さを感じる。

  永遠に僕のもの2.jpg 一方、カルリートスは。
 お母さん(セシリア・ロス)が彼を呼ぶときは「カルロス」と聞こえる(字幕では「カルリートス」)。 お母さんはドイツ系だということがわかり、なんとも微妙な気持ちに(おかあさんが『オール・アバウト・マイ・マザー』の主人公だとあとから知り、衝撃だった)。 カルリートス、ときどき瀬戸康史にすごく似て見えるときがあって、「似た系統の顔立ちなのか?」と思ってしまう。 化粧すると女性っぽい、角度によっては天使にも妖艶にも見える美形、なのに服を脱ぐと幼児体形というギャップ。 なるほど、ロレンソ・フェロという逸材を見つけたが故のこの映画!、ですね。

  永遠に僕のもの1.jpg 金髪のくるくる巻き毛、というのが絵になる。
 70年代のアルゼンチンってそんな感じだったのですか?、というのは興味深かった。
 ただ事件の実録ものというよりは、実際の出来事をベースにした幻想という感じ。 人を殺すのもその場の勢いだったりで計画性はない。 むしろ重視される犯罪は窃盗のほうで、「あれ、あたしが期待してたものとなんか違う」と肩透かし気味。 殺人に対してもっと覚悟を持った人を描いてほしかったのだろうか、あたしは。 彼は道徳や常識などに縛られる気は最初からなく、自分が何をしているのか気に留めていないのが(わかっていない、ではなく)ずっともどかしかった。
 そんな挑発的なところがいかにもペドロ・アルモドバル的。 でももう彼には撮れないだろう勢いと粗削り感が、アルゼンチン映画界の若手がどんどん出てきている証拠ですかね。
 BL的要素はそんなになく、ただカルリートスがラモンに恋してたというだけなので・・・片思いが行動原理の引き金だったというのは、それはそれで悲しいけど。
 「でも、ほんとにきれいな顔だよね!」と上映終了後に大学生ぐらいの女子たちがキャーキャー言っていて、「なるほど、やっぱりそうなんですね」と妙に納得。 ティモシー・シャラメも美少年なんだろうな、とは思うのですが、そのことだけであたしは盛り上がれないことに改めて気づく。

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2019年09月06日

ロケットマン/ROCKETMAN

 比較してはいけないとわかっているが・・・本作の監督デクスター・フレッチャーはブライアン・シンガーがクビになったあと残り二週間の撮影を仕切り、『ボヘミアン・ラプソディー』を完成させた人だということなのでついほんのちょっと思ってしまう。 あれほどでなくても、近い感動があるのではないか・・・とつい・・・どうなんだろう、なんかもやもやするので、早々に自分の目で確かめることにする。

  ロケットマンP.jpg そのメロディは、世界中を魔法にかける。

 ロンドンの下町に住む人見知りの少年レジナルド・ドワイトは、音楽の神に祝福されていたが両親の不仲で愛を感じられずにいた。 だが音楽を通じて王立音楽院に進み仲間もでき、エルトン・ジョン(タロン・エガートン、エジャトン?)という新たな名前で前に進むことができた。 詞を書くバーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と運命的に出会って作詞作曲のコンビを組んでからは世界的にヒットを飛ばすようになる。
 だが、大スターの階段を登っていくにつれ、エルトンの孤独は深まっていき・・・という話。
 いきなりのミュージカル展開にびっくりする。
 えっ、音楽映画じゃなくてこれそのまま舞台のミュージカルにできちゃうタイプ? まだミュージカルを完全に受け入れていない身としては厳しいんですけど!、と誰かに訴えたいような気持ちになる。
 ここで思い出したのがデクスター・フレッチャー監督の『サンシャイン/歌声が響く街』。 これも音楽を使った映画かと思ってたらミュージカルだったんだよね・・・なんかこの唐突感、通じるものがあるわ〜。

  ロケットマン4.jpg 町のみなさんを巻き込んでの歌い踊り。
 もうちょっとうまいことシーンを繋げなかったのか、それともこのままブロードウェイミュージカルにするつもりなのか。 ものすごい“舞台感”が全体から漂っている。 いや、そもそもこれはミュージカル舞台の映画化なのか?、ぐらいの。 それであたしはちょっと気持ちが引いてしまった。

  ロケットマン5.jpg そんな中、バーニーの存在が唯一のよりどころ。
 うおぉ、ジェイミー・ベルったらすっかりいい役者になった!、と近所のおばちゃんみたいな気持ちになったけど、この映画の中でまともな感覚を持っているのがバーニーしかいないので・・・ほんとに彼がカッコいいと思うわけです。
 ミュージカルでエルトン・ジョン役を演じているので、歌は全部タロンくんが歌っている。 それはすごくうまいのですが・・・原曲を聴くつもりでいるとちょっと微妙? 映画用にかなりミュージカル調にアレンジもされてるし・・・その点も原曲にほぼ忠実、アレンジはアップデートのみだった『ボヘミアン・ラプソディ』と徹底的に違うところ。

  ロケットマン2.jpg でも“Your Song”ができる過程には感動!
 個人的にはここがピークでした。
 ヒット曲が沢山ある人は仕方がないんだけど、エルトン・ジョンのヒット曲ってこれだけじゃないよねぇ!、“グッバイ・イエロー・ブリック・ロード”もスルーされるのかと思ったし!(後半の重要な場面で使われます)、と「あの曲がないんですけど」問題は発生します。
 映画のサントラよりも、エルトン・ジョンのベスト盤が欲しくなる。

  ロケットマン1.jpg 左の人がのちにマネージャーとしてすべてを仕切るジョン・リード(リチャード・マッデン)。
 ジョン・リードは『ボヘミアン・ラプソディ』にも出てくるから・・・やっぱり比べちゃいますよね。 まだ若い頃だし演じる役者さんも違うのですが、エルトンから見たらジョン・リードは<悪役>なんでしょう、全然キャラに深みがない・・・。
 そう、エルトンのセラピーに観客が付き合わされている、みたいな感じというか。
 親に愛されない、という恨みはここまで人を蝕むのか・・・と自らも省みて戦慄する。 母親役のブライス・ダラス・ハワードがまた強烈だということもあるけど。
 酒やドラッグにおぼれ、同性愛者という苦悩も抱えて孤独にさいなまれる描写は痛々しくもあれど、あまりに類型的で、「これ、別にエルトン・ジョンじゃなくてもよくない?」、と。 親に愛されない悲しみはわかったよ、でもあなたは音楽の神様に愛されてるじゃないか、音楽を通じて多くの人に愛されてるじゃないか、でも本人はそのことに気づいていないもしくは大事なことだと思っていないのかと感じてしまい、ひどく悲しくなる。

  ロケットマン6.jpg おばあちゃんだってずっと理解者だったじゃないか。
 この映画の中には音楽を聴く、エルトンのステージを見に来る観客視点が不在なのだ。 そりゃ曲は作った人のものだけど、発表されたら聴いた人のものになるのでは(それこそ『僕の歌は君の歌』、“君”がすべての人になって、曲は永遠の輝きを手にするのでは)。 なのにここにはエルトンの周囲の人間しか出てこないし現れないのがもどかしい。 だからあたしも置き去りにされたような感じで、バーニーに救われるだけ。
 むしろこの映画で描かれなかった後の時代のほうが重要なんじゃないのかな(エンディングテロップでさらっと流されるけど)。
 エンドロールでタロンくんの姿と実際のエルトンの写真とを対比させてるけど、それも「ここまで再現したんですよ、すごいでしょ?」と自慢しているみたいでなんかダサい・・・。 ベルの音で場面転換、というのはデクスター・フレッチャーのアイディアだったのかな? それでも、クビにはなってもブライアン・シンガーのほうが監督としてのレベルは上なのかなぁと感じさせられたり。
 あぁ、やっぱり『ボヘミアン・ラプソディ』は奇跡的な作品だったのだなぁ、あの編集はほんとに素晴らしいよ、としみじみ(結局比較してるじゃん)。
 でも、『ボヘミアン・ラプソディ』を悪しざまに罵っていた人たちは『ロケットマン』をほめていたりする。 そこは好みなんですねぇ、決して相いれないものが世の中にはあることを実感して、また悲しくなる。

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2019年09月02日

存在のない子供たち/CAPHARNAUM

 予告を観たときに・・・「この映画はヤバい」と思った。 観なければヤバい!、と。
 『灼熱の炎』以降ひどくレバノンが気になっているが、最近レバノンから続々社会派映画が出てきている。 世界中を自分の目で見て回らないあたしは、その土地の“今”を撮ろうという強い意欲を持つ人たちの心意気を見届けたい。
 それと、子供が主役なのも惹かれてしまう原因かと。

  存在のない子供たちP.jpg 両親を告訴する。こんな世の中に僕を産んだから。
  少年ゼインは自分の誕生日を知らない――。
  過酷な現実を懸命に生きる姿を描いた奇跡の物語。

 スラム街に両親と多くの弟妹と共に暮らし、主たる家計を担っているゼイン(ゼイン・アル・ラフィーア)は12歳。 近所には学校に行っている子供もいるが、それを横目に見ながら毎日店の手伝いをしたり、通りに出てジュースを売ったりと少しでもお金を稼ぐ。 が、両親がカネのために一歳下の妹を嫁に出すと知り、妹と二人で家を出ようとするのだが・・・という話。
 イスラム教がかかわっているので11歳でも結婚できる(させられる)とか、成人男性の権力が強すぎる(女性に権利がない)とか感覚的に理解しがたいことはあれども、この貧しさはかつての日本でもあったことなので・・・冒頭からかなり入り込んでしまった。

  存在のない子供たち1.jpg このゼインのまなざしに!
 12歳、子供ですよ! なのにすべてを引き受ける強さと、この状況に対する怒り、そしてあきらめ。
 なんかもう、「どうにからなんのか!」と観ていてじたばたしてしまう。 大人って!、というか、なんなんだこの社会情勢は!、と怒りがわいて止まらないのだが、解決するために何から手を付けていいのかわからない無力感に押しつぶされそうになりながら、放浪(?)するゼインを見つめることしかできない。

  存在のない子供たち3.jpg この赤ちゃんも演技してる!、という。
 数々の困難にもゼインは立ち向かう。 驚くほどたくましく、それ故に痛々しい。 次第にゼインには手に負えない状況になっていくのが(いや、そもそものはじめから彼は重荷を負いすぎているのだが)、ほんとに苦しくて。 でもホッとできる場面もあって・・・ドキュメンタリーのようなのだが、ドキュメンタリーではないことに観客が救われる。
 ゼインがこの子との関係を聞かれて「兄弟だ」といったことに「肌の色が違うじゃないか」と返されて、「母親がコーヒーを飲みすぎたんだ」と答える・・・あんなにも賢いゼインが人種を知らないってある? いや、知らないからこそ違いを意識しない、差別などが生まれないのでは?、などと考える・・・。

  存在のない子供たち2.jpg 弁護士役はナディーン・ラバキー監督自身。
 『存在のない子供たち』とは、出生届が出されていない、統計にも反映されない子供のこと。 監督はゼインのような子供が存在することへの強い怒りをこの映画をつくる原動力にしたのだな・・・とわかるだけに、移民問題を否応なく考えざるを得ない。 日本にも無戸籍の人問題があるので「法律があればいいというわけではない、必ず想定からこぼれることはある」と想像できちゃうよね・・・。

  存在のない子供たち4.jpg ゼインの両親、彼らの気持ちもわかるけどさ・・・自分たちも証明書がなくて苦労してるんだから、それを子供に引き継がせるのもどうなのかと。
 個人としてできることはそれに尽きるが、個人にはできないことはどうすればいいのか。
 この映画は『万引き家族』が最高賞のときのカンヌ国際映画祭で審査員賞、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネート、貧困が題材など『万引き家族』と共通項も多いのだが・・・あたしはこっちのほうに心を持っていかれた。 とにかくゼインに、子供たちにフォーカスしているから。 大人の状況も切り捨ててはいないけど、あくまで子供の視点を揺るがさないから。
 ゼイン役の子は、実際のシリア難民としてレバノンに来たのだという。 他の出演者もみな(監督以外)素人、撮影中に不法移民として国外退去にされた人もいるという(監督が保証人となって子供と再会できた)。 この映画に出演したことがきっかけで、ゼインの家族も正規のルートで北欧に移住することができたらしい。 オフィシャルホームページにある撮影風景とその後を見ると、また泣けてくる。
 児童虐待問題を解決できない日本に、移民問題を解決できるのだろうか。
 泣くだけでは終わらない問いかけに、考え込む。

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2019年08月25日

ピータールー マンチェスターの悲劇/PETERLOO

 ピータールー? ウォータールーはあるけど他にそんな地名があるの?、というのがポスターを見たときの第一印象。 しかもその地名からはモネの橋の絵しか出てこないあたし。 実は<ワーテルローの戦い>のワーテルローがウォータールーのフランス語読みだと知る・・・カタカナって許容範囲が広すぎるわ〜。
 マイク・リー新作ということで・・・大作の予感。

  ピータールーP.jpg イギリスの巨匠マイク・リーが挑む、英国史上、最も残忍かつ悪名高い事件。200年の時を経て、その全貌が明かされる――!

 1819年、イギリス・マンチェスター。 ヨーロッパ全土を巻き込んだナポレオン戦争が1815年のウォータールーの戦いで終結したものの、経済は回復せずに労働者階級の人々は苦しんでいた。 が、彼らには選挙権もなく、代表権もないので議会に人を送ることもできない。 成人男子一人一票と議会への代表権を求めて抗議活動が起こってきた。 彼らは有名な活動家ヘンリー・ハント(ロリー・キニア)を招聘し、演説の場を持つことに。
 しかしマンチェスターの治安判事たちはそんな労働者たちの動きを苦々しく思っており、ハントとその仲間を逮捕しようと考えるが・・・。

  ピータールー1.jpg この映画に主人公はいない。
 あの時代を生きる人々の群像劇・・・なのだけれど、一時間を過ぎても何か事件が起こるわけではない・・・特に説明もないし、誰かにフォーカスされるわけでもないので基礎知識のない身にはどう観ていいのかいまいちわからない。 「えーっと、この人って誰だっけ?」と考えちゃうと止まるし。 観客席の空気が重くなってくるのも感じた。 よくわからないが、マンチェスターの労働者側・治安判事側・ロンドンの体制側など、ざっくりと判断できればいいのか、と割り切ってからは気持ちが楽になった。
 よく考えれば人物紹介もなく、字幕もなく、ナレーションもなく、登場人物の会話だけで状況を浮かび上がらせるのだからすごい。

  ピータールー3.jpg ヘンリー・ハントが登場するのは後半になってから。
 どこかで見たことがあるような気がするんだけど思い出せない役者さんたちが多く出演する中、ヘンリー・ハントは演説の名手として登場するだけあってすごく声がいい! でも誰か一人がヒーローになるという話でもないので・・・。
 200年前がどんな感じかよくわからないのですが、みんなの服装がすごくリアルで、着倒しているボロボロ感がよく出ているのにはびっくり。 しかも服のスタイルとか重ね着のセンス、結構好みです!
 あと、前半は多くのカットの構図が明度の高いネーデルラント絵画(特にレンブラント、じゃあバロック絵画になるのか)などを思わせるのですよ。 そこを見ていたら意味のわからなさも乗り越えられた気がする。

  ピータールー2.jpg みんなで演説会場に向かう。
 労働者側も一枚板というわけではなくて。 武器を持って国王を倒そうと叫ぶ過激派もいれば、資本家に逆らうなんて後が怖いからと活動に参加しない人も。 男性一人に一票と盛り上がる婦人会のみなさまには、「えっ、女性にも参政権を!、はないのか!」と驚愕しつつ、まだそういう時代ではないのかと悲しくなり・・・。
 あくまで非武装で、平和的な集まりでなくてはならないと主張するハントに最後まで対立し続けた地元の活動家が、集会当日に会場に向かう人々に「武器は何も持つな!」と棍棒やらなんやらを捨てさせる場面には、うっかり涙ぐむ・・・。
 よくわからないなりに、登場人物たちに思い入れができていたようです。

  ピータールー4.jpg 治安判事たち。
 こいつらは大体にくたらしいのであるが(見ていて額に五寸釘を打ちつけたくなる感じ)・・・中には労働者側の主張をくみ取る人もいる。 でも感情的に反応している(労働者のくせに逆らうのはけしからん、的な)やつのほうが声も態度も大きいから、そっちが主流になってしまうのよね。 まぁ摂政王太子側も腹立たしいけどさ。

  ピータールー5.jpg ただ、話を聞くために集まっただけだったのに。
 この終盤のためにこれまでの点描はあったんだなぁと感じるけれど・・・理不尽さに胸がつぶれそうだ。
 しかもすっきりした終わり方でもないし・・・もやっとする、すごくもやもやする。 でもそれがこの映画の目的なんだろうなぁとも思う。 この映画を観てわかった気になってはいけない、この先に思いをはせ、考えろってことで(この事件の後で民主化の声が高まったのだろうなと想像できるし)。 でも今に続くための犠牲だったと思うのもつらい。
 それにしても、こういう何かの映画祭で賞は獲りそうだが、世界的に興行収入が期待できそうにない映画に資金を出すのはアマゾンスタジオかネットフリックスなのだな、というのもなんだかせつないわ・・・。

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2019年08月17日

風をつかまえた少年/THE BOY WHO HARNESSED THE WIND

 この予告を最初に観たとき・・・「あれ、これって中学校の英語の教科書に載ってるやつじゃない?」と不意に気づいた。 そんな有名な話を今更映画に?、といぶかしく思ったけれど、日本中どこでもニュークラウンが使われているわけではないし、まして載っているのはここ十数年くらいだし、映画にできる実話を探しまくっている世界が放っておくわけないのである。
 というか、兵庫県は今ニュークラウンを採用しているのだから、中学校に宣伝かけていないのかしら・・・あたしが観た回は若い人いなかったよ〜。

  風をつかまえた少年P.jpg 僕がどうやって風力発電で未来を手に入れたのか。

 2001年、ひどい干ばつが襲うマラウイ。
 14歳のウィリアム(マクスウェル・シンバ)はよろこび勇んで学校に通い始めるが、父(キウェテル・イジョフォー)は農業に行き詰まり、学費を完済できずついにウィリアムは退学になる。 しかし父を、家族を助けたいと考えるウィリアムは図書館で見つけた風力発電の本を手掛かりに、風車をつくって畑に水をひこうとする。 そんなウィリアムをただ遊んでいるとしか見ない周囲から理解を得られないのだが・・・という話。
 キウェテル・イジョフォーが脚本と監督も務めているこの映画、彼の情熱が完成させたのだろうと感じる。 アフリカの文化が鮮やかに映っている。 女性の身につけている布の色鮮やかさが素敵! もしかして、彼のルーツとかなのかなぁ。

  風をつかまえた少年2.jpg ウィリアムが着ているのは学校の制服。
 マラウイの気候に合ってないのでは、と思ったけど制服だからなのね。 朝目覚めたら制服があることに気づいて躍り上がってよろこぶ姿に、なんだか胸が痛くなる。 お父さん自身は学校に行ってないけれど、息子のためを考えて学校に行かせることを選んでいるあたり頭の固くない人なのだと思うが・・・全部が全部ではない。 むしろ奥さん(ウィリアムの母)のほうが先進的な考えの持ち主で。 この父にしてこの母、というのがウィリアムに大きく影響を与えていて、いいほうに進んだ感じ。 親友は族長の直系男子だし。

  風をつかまえた少年3.jpg 運命の出会い。
 「これが役に立つかも!」と気づけるかどうかも知識・教養の有無の問題。 教育はほんとに大事なのだが、中途半端な教育は伝統を破壊する傾向が。 勿論、悪しき伝統もあるし時代とともに変わっていくこともあるのだが、たとえば「お盆時期には水に入ってはならない」のような教訓が論理的に言語化されていないからと無視されるようになっても有用さは残ることもあるわけで・・・この時期、水の温度が下がったり潮の流れが変わりやすい時期だからとあとあと理由がわかったりしたけど、昨今の天候異常を考えると基準はお盆時期ではないのかもしれないし。 先人の知識を大事にしつつ、新しい知識を応用できるようになるのが教育の役割かと。
 しかしウィリアムが風車づくりのために集めるのは廃品置き場(ゴミ捨て場?)の泥に半ば埋もれている車のバッテリーやらなんやら。 廃物利用といえばそれまでだけど、あるものを加工しているだけでゼロからのものづくりではないというのがちょっと切ない・・・このバッテリーがダメになったらどうするの?、またゴミ捨て場をあさるの? いや、そもそもこのゴミ放置は環境汚染なんだよね・・・はっきり描かれてないけど、必要なものを集める過程でウィリアムが大怪我する可能性もあったんだよ。 あぁ、いろいろ根深い。

  風をつかまえた少年1.jpg この笑顔!
 それはよかったね!、なのですが・・・水力発電で地下水をくみ上げ、天候にかかわらず畑に水を与えられるのはいいけど、そのせいで地盤沈下とか環境変化とか起こってないのかな。 ウィリアムの家の畑だけ水があるってことで周囲とごたごたしなかったの?、その後村この自体がどう影響受けたんですか?、などなど描かれていないことが気になって、感動的な話なのに全然感動できていない自分がいた(字幕にちょっと無理があったせいもあるかも)。
 アフリカの状況を描きたいがためか、焦点が絞り切れていないところがあったかも・・・ウィリアムのことより別の人のその後のほうが気になるんですけど、というのもあり。 干ばつと飢えの描写が結構あっさり、むしろ乾いた大地が美しく見えてしまったりするので危機感がそこまで迫ってないような。
 とはいえ、「いざとなれば学校に行かなくていい(いじめにあったり自殺を選びたくなるくらいなら)」と言えてしまう日本は、学校に行きたいのに行くことができない子供たちよりずっと恵まれているはずなのに、この違いはいったい何なんだ、と考え込んでしまう。
 原作を読んでみようかな。

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2019年08月11日

チャイルド・プレイ/CHILD'S PLAY

 オリジナルの『チャイルド・プレイ』は昔観ました(シリーズ続いたよね・・・)。
 今回のリメイクで大きく基本設定が変わると聞き・・・「それは『チャイルド・プレイ』ではないのでは」と思ってスルーしていたのだが、同じラース・クレヴバーグ監督の『ポラロイド』が意外に面白かったのと、新しい『チャイルド・プレイ』がこれまた意外に評判がよいようなので(『ポラロイド』はもう一日1回上映だが、こっちはまだ一日4回やっている)、レイトショーに行ってみた。 高校生・大学生らしきにぎやかな男子グループが結構いて、「夏休みだな・・・」ということをまたまた実感。

  チャイルド・プレイP.jpg ボクたち、死ぬまで親友だよね?

 親の都合で違う町に引っ越してきたばかりのアンディ(ガブリエル・ベイトマン)には、まだ友だちといえる親しい間柄の同世代がいない。 近所をうろついている子たちに話しかけようとはするが、アンディは補聴器をつけているため引っ込み思案である。 それを知る母親(オーブリー・プラザ)は職場に不良品として戻ってきた“バディ人形”を「返品したら廃棄されるんだからもらっていいでしょ」と強引に店長から奪い取り、アンディの誕生日プレゼントにすることに。 “バディ”は最先端テクノロジー企業・カスラン社が社運をかけて送り出した人形で、AIを搭載し音声認識やセンサー付きカメラなども標準装備、「永遠の親友」というキャッチフレーズで発売されたものだった。
 スイッチが入れられたその人形は、アンディに自分は「チャッキー」だと名乗り、「死ぬまで親友だよ」というテーマソングを歌いながら、アンディやアンディをめぐる状況から様々なことを学んでいく・・・という話。
 AI設定のおかげでSF要素が強くなったのだが・・・冒頭の雷とかオリジナルで印象的だったところはほぼ引き継いでいる。 逆にそこ、必要か?、というところまで・・・リメイクだからオリジナルへの敬意を、ということなのかもしれないけれど。 だったらなんでこのAIがチャッキーという名前を選んだのかの理由を教えてほしい。

  チャイルド・プレイ2.jpg 包み紙の中には“バディ”が。
 まずはバディ人形全部、そしてチャッキーのかわいくなさときたら・・・日本が「カワイイ文化」と言われるのがわかるな、と納得の気味の悪さなのだ。 それがリアルに近いのか? またチャッキーの声がマーク・ハミルで、声がおっさんなんですけど・・・(無機質っぽい喋り方をしているので、余計落ち着かない感じがする)。
 が、アンディの置かれている状況が・・・新しいアパートにはママの恋人シェーン(デヴィッド・ルイス)が勝手に出入りするし、ママもそれを止めてないしという、友達ができるかどうか以前の問題だろうという。 こういうわかりやすいダメ母造形に腹が立つ。

  チャイルド・プレイ1.jpg 二人が心通わせるシーン、もっと欲しかった。
 だからアンディにとってチャッキーがよりどころになっていく・・・という過程が大事なわけですよ。 そこがあるから終盤のアンディの苦悩がより引き立つし、観る側もその気持ちを共有してせつなくなる。 だけど思っていたよりそういうシーンが少なくて・・・早々からチャッキーのヤバさが際立っているので、アンディがほんとに心を許しているのかわかりにくい部分も。
 あとAIの初期の無垢さというものをみんなもっと考えなければいけないな、と思わされ。 チャッキーがアンディたちの見ているホラー映画を見て殺人手法を覚えていく・スプラッターシーンでみんなが盛り上がっているからやってみる(そうすればよろこばれると考えたから)、は、「ホラー映画は教育に悪い」と騒ぐ人たちへの皮肉だけど、AIがどれほど優れていようとも使うのは所詮人間ですよ、というSF的警告でもあり。

  チャイルド・プレイ3.jpg 同じアパートに母親が住むマイク・ノリス刑事(ブライアン・タイリー・ヘンリー)、すごくいいやつ。
 『ポラロイド』がちょっと抑えめだったから油断してたけど、さすがR+15、ちょっとびっくりするほどスプラッターだった・・・。 その手前で止めても大丈夫ですよ、と思った次まで描写する・・・『SAW』シリーズ後半のことを思い出すほど。 久し振りの「痛い系」で、この流れ収まったと思ったのに。
 なんだろう、もうどこまでも振り切ってやろう、と考えたのだろうか。 「その人を殺しちゃダメでしょう」という人まで殺しちゃうのが・・・容赦がないのもホラーとして大事な要素だけど、それだと「チャッキーがかわいそう」という観客の気分を阻害する。
 そう、この映画はわたなべまさこの『聖ロザリンド』のレベルに行ける要素を揃えていたのだ。 でも残念ながらそこまで行けていなかった・・・あぁ、なんかもったいない。
 子供の頃に見た2時間ドラマで、シェパードを拾った男の子が犬とすごく仲良くなり、犬も少年を愛し、でもあまりに仲良くなりすぎだからちょっと離れなさい、と大人に言われて犬が怒って大人に本気で噛みつき・・・みたいなのがあったけど、あれにあたしはボロ泣きした記憶が。 あのドラマのようなものを自分が期待していたことに気づいた。

  チャイルド・プレイ4.jpg アンディ役の子がすごくかわいい!
 ともかく、いろんなしがらみを乗り越えて自分で判断して自分で行動する、これはそんなアンディの成長物語でもあるのだが・・・あぁ、道具立ては違っても『ワイルドライフ』とほぼ同じ話ではないか! でも二枚のポスターを並べてみても、それが「ほぼ同じ話」だとは感じられない。 映画って奥深いな。
 後半の見せ場では「ここ、明らかに『キャリー』ですよね」など往年のホラーの名作にオマージュを捧げていたりと、ラース・クレヴバーグ監督はホラーへの愛情は強いと思うのだが・・・ちょっとあたしの思う方向とは違ったかな、という気も。
 とはいえ、チャッキーが歌うバディのテーマソング(エンディングでも流れる)はしばらく頭を離れそうもない。

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2019年08月07日

ワイルドライフ/WILDLIFE

 なんとあのポール・ダノの初監督作品だそうである。 子役から見てきた彼が映画を撮るようになったのだね・・・としみじみする。 ジェイク・ギレンホールが気になって仕方がないあたしとしても、このコンビは願ったりかなったりである。
 同じくジェイク・ギレンホールが出ているにしても『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』はそこまで観たい感が強くないのは新しいスパイダーマンを観ていないせいであろうか(トビー・マグアイア版でいいと思ってるから?)。 シリーズ物の中途参入はやはり難しいわ・・・。

  ワイルドライフP.jpg 僕は二人から、人生のすべてを学んだ。

 アメリカ・モンタナ州の田舎町、1960年代。 14歳のジョー(エド・オクセンボールド)は最近ここに引っ越してきたが、父ジェリー(ジェイク・ギレンホール)と母ジャネット(キャリー・マリガン)が穏やかに会話するのを見て、この生活はしばらく続くだろう、と安心した気持ちになる。 だが翌日、父の言動からほころびを感じ、母の態度にも危険な何かが見えた。
 ある日、ジェリーは仕事をクビになる。 後日、「あれは間違いだったので戻ってきてほしい」という仕事場からの申し出を、自分のプライドのために拒絶する。 しかし仕事はすぐに決まらないので、ジャネットが働きに出ることにする。 静かに入っていく日常生活のヒビは、ジェリーが「山火事消火隊に入る」と言い出したことで決定的になる。
 ジャネットはジェリーが家を出たことで寂しさからか精神のバランスを崩していき、その負担はジョーの肩にのしかかっていく・・・という話。

  ワイルドライフ2.jpg この頃は幸せな日々が続くと思っていたのに。
 最初のシークエンスではこの三人家族が仲良しであることを十分に示唆するのだけれども・・・ある場面から急に、「え、この家族、というか両親、ヤバい?」と感じ・・・そのあとはすぐにガラガラと崩れていくばかりに。
 ジェイク・ギレンホールが、息子にアメフトを勧めるなどいかにもアメリカンな価値観の父親をやっていて・・・「あぁ、かつては文科系の王子様だったのに」とまたどうしようもないことを考える(ということは実はあたしはその時期の彼が好きだったのか?)。 そんな父親だから生活を守りたい母親との間の溝がどんどん深まっていくのが悲しい・・・お金持ちでなくていいけど、常に金策に困るような生活は気持ちにゆとりがなくてやはりつらいよな、と感じるけど・・・だからって母の変貌ぶりはあまりに急すぎて(息子目線で描かれているから突然の変わりように映るのだろうか)、「それは息子がかわいそうすぎるだろ!」とドキドキする。

  ワイルドライフ3.jpg 激変する父と母の関係。
 ジョーは14歳にしては声が父親より低い。 それが最初からこの三人の関係性を示していたのかもしれない。 ジェリーとジャネットはどういうどういう交際を経て結婚し、ジョーが生まれるまではどういう暮らしをしていたのか詳細はわからないのだが、ジャネットは誰かに依存していないと自分を保てないタイプ(期待される姿に自分を合わせていくタイプ)なことをジェリーは気づいていなかったのではないか。 その人に自分が見える以外の姿があるとは想像しにくいよね、近い存在であれば尚更。
 台詞やナレーションで多く説明せず、映像や間、役者の表情などで様々なことを掬い取っていくポール・ダノは、すでにインディペンデント映画のお手本を自分のものにしてしまっている。

  ワイルドライフ5.jpg お母さん、マジヤバい。
 ジャネットはすごく損な役だと思うけど・・・それを堂々とやってしまったキャリー・マリガン、すごい。 最初は美しく理解のある母親だけど、すぐに人生の疲れが表情に出る。 深々とした口元のしわとか、毒々しさを感じさせる厚化粧とか、痛々しさと不快さとのぎりぎりのところにいながら息子を追い詰める。 時代が違うから「精神的に自立できていない女」と責められないけど、あまりにも・・・でした。 毒親、と呼ぶのは簡単だけれども、そこに至る過程があるわけで。 でもそれを全部息子がフォローするのは間違いだよ。
 ジョー役の人、どこかで観たことがあると思っていたら・・・『ヴィジット』のラッパーを目指していた弟くんだった! 絶対14歳じゃないじゃん(撮影時、16歳だったらしい)。

  ワイルドライフ4.jpg 父は父なりに息子を愛しているのだが。
 伝わってはいるからジョーは父を思うし気遣うんだろうけど・・・でもどうして大人って子供の視点を忘れてしまうんだろう、って悲しくなる。 子供を介して会話をするのはやめてください、自分たちで直接話し合えばいいじゃないか。 いや、結局それは彼らが大人ではないからだ。 人は決して大人にはなれないのだと、子供が感じてしまうことが悲しい。 だからジョーは子供でいることをやめ、<親>への絶対的な期待を持つことをやめる。
 それが成長だということなんでしょうね・・・あぁ、せつない。

  ワイルドライフ1.jpg そういうラストシーンになるだろうことは想像できたが。
 実際、その場面になったら・・・自分でも驚くぐらい涙が込み上げた。
 家族の中の不幸、というのはどの家もそれなりにあるのだろうし、ジョーの不幸も<よくある話>に含まれるのかもしれない。 でもジョーが感じたものは、彼の中ではなによりも強くてどうしようもない体験だったのだ。 それでも彼は、きっと乗り越える。
 ごく普通の家庭でごく普通に育った、という人は実は少数派なのだろうか。 そりゃ社会の閉塞感は強くなるよなぁ。 自分がつらい目に遭ったから他の人にはそうしてほしくない、と全員が思うわけではないというのが・・・。
 年齢的にはジェリーとジャネットのほうに感情移入できておかしくないのだが(彼らの気持ちもわかりましたが)、結局ジョー目線で見てしまった・・・あたしはまだ子供なのだろうか、それとも「大人になり切れない大人」に対してあきらめることを選ぶ道をとったのだろうか。 とりあえずあまり他の人に迷惑をかけない存在でありたいと考えている。

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2019年08月04日

ポラロイド/POLAROID

 この映画のポスターを最初に見たときに、「あぁ、古いものが逆に新しいのね!」とすごく気持ちが盛り上がった。
 呪いの動画よりもポラロイドカメラで撮られた一枚しかない写真が怖いほうがリアリティがある。 それは『リング』(いちばん最初のやつね)の一本のビデオテープと感覚が似ているというか、複製はたやすく作れない(作っても劣化している)ことのほうが感情に迫るものになっている気がする。 それってアナログ感覚かしら。 それともJホラー的なのかしら。

  ポラロイドP.jpg このカメラで撮れば、最高の瞬間が最悪の1枚になる。

 バード(キャスリン・プレスコット)はカメラや写真に興味がある高校生だが、学校ではちょっと変わり者とみなされていた。 ある日、バードがアルバイトをしているアンティークショップが希少なポラロイドカメラを仕入れてきて、彼女にプレゼントしてくれた。 早速写真を撮ってみるが、被写体となった人物が次々と死んでしまった。 原因はこのカメラにあるのではと考えたバードがポラロイドで撮った写真を調べていると、写真の中に黒い影がうつりこみ、移動していると気づく・・・という話。

  ポラロイド2.jpg 来歴のはっきりしないものをいきなり使ってはいかん、ということか。
 もともとはショートフィルムとして作られたものを、同じ監督が長編化したものだそうで・・・確かにワンアイディアで突っ走る系ではありますがそれが潔い! しかもミステリ要素も入れてきてるのが好き!
 化け物的な存在を早めにはっきり視覚化したことは賛否のわかれる部分かもしれないが・・・あたしはありだと思います。
 『リング』や『回路』など昔のJホラー映画を連想させる演出も好きですが、リアルに映し出してしまう部分との兼ね合いがむずかしい。 いや、そもそも他のホラー映画を連想されるところがダメだと言われるとそれまでですが・・・新しくないけど、王道を行きつつのちょっと変化球的な。

  ポラロイド1.jpg バードの気になる相手、コナー(タイラー・ヤング)が見かけ通りの好青年だったり、青春ドラマ路線も王道。
 ティーンの身勝手さやとっさに友情を思う人間性など、感情移入するほどではないけど観ていられないほどではない匙加減。 誰が死んでも生き残っても特に感慨がないという・・・観ていて心の負担にならないところもホラーの王道?
 バードの幼少期のトラウマ克服という裏テーマもありますが、がっちり作りこみすぎてて他人が口出しできないレベル。 共感の得られる不幸(?)ならばありきたりになってしまうということなのか。

  ポラロイド3.jpg この人、どこかで見たことが・・・と思ったら、保安官(ミッチ・ピレッジ)は『Xファイル』のスキナー副長官だよ!
 と、懐かしい人を見かけるのもホラーのいいところ。
 ラストシーン、もうちょっと余韻が欲しかった! でもあのあっさり加減が逆に怖いのか?
 ホラーって演じる側も作る側も若い者のジャンルだな、ということをしみじみ。
 実は新しい『チャイルド・プレイ』と同じ監督だという(この映画で評価され、抜擢されたとか)。 なんか気になってきた・・・それが日本では同日公開だというのもなんだかです。

posted by かしこん at 19:01| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする