2019年05月24日

ラ・ヨローナ 〜泣く女〜/THE CURSE OF LA LLORONA

 ううむ、これはどうしようかな〜、と悩みましたが・・・ジェームズ・ワンの名前があるとちょっと素通りできないかなぁ。
 それに、「ホラー映画を金曜の夜に観る」ってものすごく正しい週末の始め方という気がする!

  ラ・ヨローナP.jpg 生き延びたければ、決して、水に近づいてはいけない。

 1673年のメキシコのある悲劇が描かれる。
 時は移り変わって1974年のロサンゼルス。 シングルマザーながらソーシャルワーカーとして働くアンナ(リンダ・カーデリーニ)は、自分が担当しているシングルマザーのパトリシア(パトリシア・ヴェラスケス)に児童虐待の疑いが出たことに困惑する。 二人の息子はクローゼットに閉じ込められていた。 パトリシアは「子供を守るためにはこれしか方法がない」と泣きわめくが、アンナは子供たちを施設に収容する。 が、その夜、兄弟は近くの川で溺死体で発見される。 「外に出したせいで子供たちは死んだ」とパトリシアは嘆き悲しみ、アンナはただ困惑する。 その後、アンナの子供エイプリル(マデリーン・マックグロウ)とクリス(ローマン・クリストウ)は白い服を着た髪の長い女性の幻影を見るようになり・・・という話。
 <ラ・ヨローナ>は中南米に昔から伝わる怪談らしい。 日本でいう四谷怪談や番町皿屋敷的な?
 スリーアミーゴズだけじゃなくて、メキシコの文化がアメリカで広まっている・受け入れられる土壌ができてるってことでもあるんですかね。

  ラ・ヨローナ4.jpg また、あなたですか。
 『グリーンブック』・『ハンターキラー』に引き続き登場のリンダ・カーデリーニさん。 今回は「シングルマザーで、かつ人助けの傾向のある仕事についついのめり込みすぎる」という『ER−緊急救命室』のときと同じような役柄で、「またですか!」と思っちゃう。 あのときもちょっとやな人の印象だったせいもあるのか、今回もイヤな人な感じがしてしまい・・・同情できないんだよなぁ。
 なのでその分、子供たちのほうに同情。
 仕事のために夜遅くに突然外出せねばならず、子供たちを家に置いていけないからといって車に乗せてきて、でも結局「ちょっと待っててね」と車に置き去りってのもどうなの・・・それがありなのも、女性の肩に仕事と育児の責任がのしかかって苦悩するのも成立させるための70年代設定なのかしら、と思っちゃった。 のちのち、『死霊館』ワールドとリンクするシーンが出てくるので、そのための70年代だったわけですが。

  ラ・ヨローナ3.jpg 兄と妹。
 特にお兄ちゃんがけなげで・・・怖い目に遭ったのに、「母を心配させてはいけない」と話さない。 アンナも何があったのかつっこんで聞かないしね! 事実を全員が把握しないためにどんどん事態は悪化してしまうのだが、親に気を遣うが故に子供は喋らないという空気を親が作ってしまうことに問題ありだな、と感じてしまいましたよ・・・そのほうが親としては日常は楽なんだろうけど。
 ホラーとしてのショッキング描写は、『死霊館のシスター』と似ていて音で驚かす系ではあるものの、ピントの合っていないところに音もなくいるなどという“J−ホラー的”な要素は完全に換骨奪胎されてしまった感じ・・・。 『貞子』はどうなんでしょうか、J−ホラーは復活もしくは新しく生まれ変われるんでしょうか、気になります。

  ラ・ヨローナ2.jpg あ、『ER』の人!
 ウォーレン夫妻に頼むには大教区の許可が必要で、それには時間もかかりすぎるため、元神父の呪術医ラファエル(レイモンド・クルス)を紹介される、という流れ。 このラファエルさんも『ER』に出ていた人なので・・・話の筋と関係なく、なんだか個人的にほっこりしてしまった(彼は全然違う役柄でした)。
 で、アンナが自分勝手というかなんというか・・・助けを求めている側だというのに呪術医をインチキ呼ばわりですよ。 無神論者であることと超常現象を信じないことは別だと思うんですが・・・キリスト教圏では違うの? ともかく、そんなこんなでアンナは自分しか信じていない人(自分の都合のいいことしか信じない人)に見えてしまい、この災厄も彼女の自業自得のように見えてしまう。

  ラ・ヨローナ1.jpg <ラ・ヨローナ>にも事情はあるが・・・。
 結局のところ、アンナと子供たちがきちんと話し合えば状況は解決できるはず、なのにそれをしてくれないというもどかしさ。 そこが原因だとわかっているのか、ラファエルも仲介者として説得を試みない(見る人によっては、彼は頼りにならないと思われそうである)。 なので余計にイライラするという・・・<ラ・ヨローナ>に怖がっていられないのである。 むしろ、「母親である前に自分自身」である二人の共通項に戦慄する。 霊というか・・・いちばんコワいのもヤバいのも人間だよね。
 『インシディアス』から続くロジカルなトリックもちょこっとあって、ニヤリでした。

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2019年05月22日

ザ・プレイス 運命の交差点/THE PLACE

 イタリア映画も最近公開されるの増えてきたよね〜。 ラテン系好きとしてはうれしい、かつてイタリア語会話をEテレで学んでいた身としても耳を鍛えるいい機会である(とはいえ勉強はすっかりやめてしまっているのだが)。 というわけでイタリア映画、できるだけ観に行きたいのだがうまいこと日程が合わず、やっとこれに。 しかもジャンルとしてはサスペンス、アメリカのテレビドラマのリメイクだという。

  ザ・プレイスP.jpg 欲望の代償は、他人の運命。
  ローマにあるカフェ「ザ・プレイス」に居座る謎の男。彼と契約を結べば、どんな願いも叶えられるという。たとえそれが、見ず知らずの人の命と引き換えになったとしても――。

 コピーがほぼあらすじだという・・・物語はカフェ・バール<ザ・プレイス>のみで展開される。
 奥の席に一日中座り、分厚いノートに何かを書いている男(ヴァレリオ・マスタンドレア)。 彼に自分の願いをかなえてもらいたい男女が、店に入れ代わり立ち代わり現れては彼に悩みを打ち明け、状況を報告する。 たとえば、「以前のように神を感じられなくなった。 また神を感じたい」とやってきた若きシスターには、「妊娠しろ」と言い、「シスターだからそんなことはできない」と返せば「では神を感じられなくてもいいのだな」と・・・数日悩んでまたやってきた彼女と会話し、彼女は「ではどういう相手がいいか」と考え始める。
 たやすい悩みならこんなところまで来ないため、それぞれの願いは切実でありながら実現が難しいものばかり。 だから男もまたそう簡単にはできない条件を出すのであろうか。

  ザ・プレイス1.jpg 舞台となるカフェ・バール<ザ・プレイス>。
 バールがそもそも「昼はカフェ、夜はバー、簡単な食事もとれます」というお店。 一時期定着しかけたのだが、日本では最近<バル>の勢力が強くなってきて(スペイン語、バルとバールはほぼ同じもの)、バルは西洋風居酒屋っぽく使われることが多いような。 <ザ・プレイス>はイタリアにはよくあるバールっぽく、広くもなく狭くもない。 カウンターの奥のガラスケースにはフォカッチャ的なパンや乾燥パスタなどが並んでいて・・・わぁ、おいしそう、と思う。
 しかし物語には食べ物はほとんど出てこない。

  ザ・プレイス4.jpg 男はいつも店にいる。
 帰ることはないのか。 店のオーナーの知り合いなのか、むしろオーナーなのか。 合間に彼が飲んだり食べたりするシーンはあるが、すぐに客がやってくるので食べ物がクロースアップされることはない。 「食べること」はこの映画ではまったく重視されていない。
 そのかわり(?)、この映画はほぼ会話劇。 何が起きたか・どう考えたか客が話すことを男は詳細に聞きたがり、記入する。 話の内容が再現フィルムになることもないが、なんとなくその映像はこちらがイメージできるものになっている。 これも、ワンシチュエーションドラマになるのかな?

  ザ・プレイス3.jpg テーブルの上にあるもの、店の外側の明るさなどで時間の経過を表現。
 依頼に訪れるのは9人の男女。 説明はほぼなく、会話を重ねることでどういうことかわかっていく・・・のでずっと観ていないといけないのだが、無茶な願いに無茶な提案の繰り返しなので「次はどうなる!」とぐんぐん引き込まれる。 顔で区別できればいいから名前も気にしなくていいし(それが主要登場人物が少ない映画のいいところ)。
 依頼人の希望に対し、男はノートを見て「ならばこうすればいい」と提案する。 「なんでそんなことを!」と依頼人たちは驚き、「それ以外のことならなんでもいい・別の方法にしてくれ」と懇願する。 それ以外では無理だ、と男は答え、イヤならやめていいと言う。 最終的に納得し、依頼人と男は握手を交わす。 これって、<契約>ですか?
 実際、完了報告に来た依頼人とは「願いはかなう、これで終わりだ」とまた握手を交わす。
 男は誰かの代理人のような立場なのだろうか。 無茶なことをしなくてはいけない依頼人はプレッシャーに耐え兼ね、男を悪魔呼ばわりする。 でもそもそも決めたのは自分なのに・・・感情をぶつけられる相手がいれば、そこに責任を押し付けたがるのもまた人間ということか。

  ザ・プレイス5.jpg 店員アンジェラ(サブリーナ・フェリッリ)の存在が清涼剤のような、危険の始まりのような・・・。
 いかにもなイタリア美女!、の登場にわかりやすくドキドキする。 しかもアンジェラって天使って意味じゃない?
 依頼人たちの運命が交錯するのは想定内だったが、もっと厳密なジグソーパズル風になるかと思っていたらそうじゃなかった(結構大雑把なざっくり系)。 それと同時に男の存在について迫る部分の多さに驚く(そこはスルーか放置かと思っていた)。 男の苦悩がじわじわと浮かび上がってくる感じ、表情のうまさだなぁ。 めちゃめちゃハンサムというわけでもなく普通によくいそうな感じの人で、でもその目で普通の人ではないとわかる、みたいな。
 神・悪魔・運命・人間・・・と大きなものについて否応なく考えさせられる内容で、勿論「答えは見る人の心次第」ではあるものの、エンディングでは不思議と妙な爽快感があるという。
 名前はわからないけどなんとなく見たことがあるような人もいて、イタリア映画界の実力派アンサンブルキャストなのではないかと推測。 うまい人が集まるとそれだけで見ごたえあり! ただ日本語字幕がちょっと残念というか、文字数制限のせいかかなり訳が足りていないところを感じ・・・だからちょっとわかりにくいところがあるように感じた。 特に話が観念的になるところは。 あぁ、もったいない。 豪華声優キャストでの日本語吹替版を観たいなぁ、としみじみ思う。

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2019年05月16日

魂のゆくえ/FIRST REFORMED

 今年のアカデミー賞で脚本賞にノミネートされてたもの。 他の候補にはあがっていなかったので、脚本がよほどよいのであろうか、と気になっていた。 『タクシー・ドライバー』のポール・シュレイダーが監督・脚本だと知り、しかも「キリスト教をわかってないと難しい」という噂も耳にし、怯むけど結局観に行くことに。 神戸では上映期間ギリギリだったが、なんとか時間に間に合った。
 なんだか、イーサン・ホークはいつも苦悩しているようなイメージがあるんだけど。

  魂のゆくえP.jpg 巨匠ポール・シュレイダーが構想50年の末に完成させた“いま”を射抜く渾身作!

 牧師のトラー(イーサン・ホーク)はニューヨーク州北部の教会<ファースト・リフォームド>に所属している。 ある日、信徒のメアリー(アマンダ・セイフライド)から「夫が心配だ」と相談を受ける。 メアリーの夫マイケルは環境活動家で、地球の未来を悲観し、そんな世界に自分たちの子供を送り出していいのかと悩み、妊娠中のメアリーに子供を産むのはやめようと言っているのだ。 トラーはそんなマイケルにメアリーの出産を、子供が生まれることを受け入れるよう説得するのだが・・・という話。
 まるで左右対称の構図を引き立てるかのような4:3の画面(いやもっと横狭いかも、正方形に限りなく近い)。 じわじわとカメラが動くのは最初だけ、あとはほぼ固定で、まるで舞台を見ているかのような気持ちになる。
 原題の<ファースト・リフォームド>は“カルヴァン主義を採用する改革派教会”のことだった・・・「最初に形作られたもの」と自分で勝手に訳してしまったじゃないか。 牧師だからプロテスタントなんだろうけど、細かな流派の違いはわからないぜ。

  魂のゆくえ2.jpg 左右対称に近い構図が多かった。
 マイケルを説得する過程で、トラーが元軍人で子供を失っていて・・・とバックグラウンドがわかってくるのだが、逆に、「あなた、自分の信仰に疑問を感じてますよね?」と訊きたくなること多々。 だからマイケルへの説得がうまくいかないし、言葉も響かない。
 日記に書く、という形でトラーのナレーションが入るのだが、ナレーション部分と他の人との会話部分とが全然トーンが違う。 むしろ、ナレーションのほうがトラーの本質のような。
 地球環境問題とカネは昔から絡み合っているものだが、宗教のほうがヒトとカネにもっと昔から絡んでいるものだったよ・・・と思い出させてくれるものの、癒着や利権の構図を個人でどうできるかはまた別問題。 そんな話が延々と会話で繰り広げられます。 これやばい、疲れているときには寝てしまうパターンだよ、コーヒー飲んでてよかった。

  魂のゆくえ4.jpg 妊婦が自転車乗っちゃダメ・・・。
 トラー視点で描かれるので、メアリーは「神を信じる、迷える弱き信徒」のお手本のように見えるのだが・・・それはトラーが見たい姿であって実際は違うのでは?、と感じることしばし。 アマンダさん、大変かわいいですが。
 全体的に静かな映画なれど、ところどころでショッキング展開があり、マジカル・ミステリーツアーで不意を突いてもくる。 でもこの映画はほぼナレーションと会話が重要なんだろうな。
 教会と牧師を取り上げたのは、思索することに必然がある職業だからかな。 宗教がなければ成立しない話ではないし、カルヴァン主義を知らないとまったく理解できないということもない。 教会のような巨大なものも、資本主義社会なら置き換え可能だろう。
 <教会>が信徒の意図せざる形に大きくなっていく、というのはロシア映画『裁かれるのは善人のみ』でも描かれていたけれど・・・。

  魂のゆくえ1.jpg やっぱり苦悩してます。
 ラストシーンで「えっ!」となるが・・・これって多分、現実じゃないよね、幻覚か妄想だよね。
 というか、彼女はもはや救いの天使ではなくコナーを堕落させに来た悪魔じゃないかという気がしている。 キリスト教でも、最近は「自分の中に神がいる」(神の名は同じだが、あなたの中にいる神と私の中にいる神は違う)ことを普通に公言するようになってきて、絶対唯一神ってよくわからない多神教派の人間にも理解しやすくなってきたように思う(昔からそうで、ただあたしがわかっていなかっただけかもしれないが)。
 世界の変容は、救いを提示する絶対唯一神の存在を肯定できないところに来ているのでは。 いや、そもそも救いというのは人間が期待してしまうものとは違うのでは。
 もやっとしたままエンディングだけど・・・いろいろ考えさせられる。 思うことがぐるぐると頭を回っている。 しばらく続くんだろうな、これ。 そういう種類の映画でした。

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2019年05月07日

ビューティフル・ボーイ/BEAUTIFUL BOY

 ティモシー・シャラメ新作!、ということで一部の視線が熱いですが、あたしは父親役のスティーヴ・カレルが気になるのだ。 もともとコメディの人だけれど、それ故に彼のシリアス演技がずんずん沁みるんです。

  ビューティフル・ボーイP.jpg すべてをこえて愛してる
  堕ちていく息子を信じ続けた8年間。ジョン・レノンの名曲が彩る、痛ましくも美しい愛と再生の記録。

 デヴィッド(スティーヴ・カレル)は『ローリングストーン』誌にも招かれて記事を書くフリーの音楽ライター。 後妻のカレン(モーラ・ティアニー)との間に幼い娘と息子がいるが、先妻のヴィッキー(エイミー・ライアン)との間に生まれた息子のニック(ティモシー・シャラメ)は特別な存在。 賢くて成績優秀、スポーツも万能、ハンサムかつ気立てもよく育ったニックはデヴィッドにとってまさに<理想の息子>。 ところがあるとき、ニックが家に帰らず二日間消息不明になった。 それが、ニックがドラック依存になっていることを知ったきっかけだった・・・という話。

  ビューティフル・ボーイ1.jpg 自慢の息子、理想的な親子だと思っていた。
 カウンセラーにニックのことを相談する現在、家に帰ってこなかったのは一年前のこと、まだ小さい頃のニック、など回想シーンが何の説明もなく挿入されるので、最初はちょっと戸惑う。 どういう流れになっているの? でも時間軸的な正しさよりもむしろ、父の思い乱れる気持ちがそのまま映像になっている、ということなのかもと感じるようになる。 飛ぶ思索、不意によみがえる過去の記憶、そんな感じか?
 父が息子を愛しているのがよくわかるのだが(二人の合言葉の“Everything”は重いよ)、その気持ちがストレートに息子に伝わっているのかは微妙・・・期待が重すぎる? 再婚した父の新しい家庭における自分の身の置き所に気を遣う? そんなお年頃だから? きっかけはいろいろあろうが(本人に明確な理由があればやめることもできたのかもしれないけれど、はっきりわかっていないからこそズルズルいってしまったのかも)、彼がクリスタル・メス(いわゆるシャブ、手を出したら絶対やばいやつ)にはまっていくのは事実で、はまったからには自分の意志で抜け出すことは不可能なのだ。 だが、本人は自分の意志でなんとかなると思ってしまっているところが手におえない・・・仕方ないんだけど。
 最初、薬物は目的ではなく手段だったのに、いつしかそれが目的になってしまうという恐ろしい事実。

  ビューティフル・ボーイ2.jpg 腹違いの弟にも慕われていて。
 才能がある、能力もあるから最初は「ちょっと興味本位で」とマリファナやいろんなクスリに手を出しても日常生活は浸食されなかった。 クスリやってる最中はハイになってなんだか楽しいし、ちょっと進んでも人にばれずにそれなりに生活を送れて、破綻してない。 だからどんどん深みにはまる。 ばれても、やめたふりをすれば信じてもらえる。 実際に本人はやめるつもりだったのかもしれないし、という内面の見えないあやうさを表現しているティモシー・シャラメはすさまじい。 魅力的に見えるからこそ、何を考えているのかわからない怖さ。
 義理の弟妹は優しくしてくれる、実際に優しいお兄ちゃんのことが大好きなんだもの(下の子たちが大きくなってきて、お兄ちゃんが来たり来なかったり、約束を破ったりするのは「クスリのせいなの?」と呟くシーンの隠された戦慄といったら!)。
 というか、そんなに簡単に手に入るんだ! どんだけ身近だよ!、とあらためてびっくりするよ。 やめるためにリハビリ施設に入ってるのに、入手ルートを持つ人とさらに知り合いになるチャンスが増えるとか・・・本人のやり直す決意だけではどうにもならない。

  ビューティフル・ボーイ3.jpg だからまたよろよろになる。
 事実に基づく、なので、映画は淡々と進んでいく。
 印象深いシーンは振り返るといくつもあるのだが、全体として劇的な描かれ方をしている場面はない。 だから盛り上がりに欠けると言われればそれまでなのだが・・・いつの間にかそうなってしまう、気づいたときにはどうしたらいいのかわからない状態になっているというリアルを表現しているといえるのかも。 静かであるが故に、恐ろしい。
 特に前半は父親目線で描かれているので、親の人・親になる人は観ておいた方がいいのかも(観たからって答えがあるわけじゃないんだけど、自分だったらどうしようと考えるきっかけになるから)。 あたしは親ではないので子供目線のほうが理解しやすいけど、だからって何故そこに手を出す・・・と考えてしまうくらいには分別を備えた大人なので、どちらにも共感しきれず、傍観者としてとても悲しい気持ちになった。 両親の態度にどう口を出していいのかわからない、自分も心配してるけど自分の子供たちのことだって心配なの!、と正面からは描かれない義理の母親カレンの立場にも同情。 でも印象はデヴィッドとニックの二人芝居(二人で会話するシーンはそんなに多くなく、一人芝居同士がせめぎあっているような)みたい。
 ひとりひとり状況も違うから正解もないのだけれど。 誰もいい思いをしないのに、なんで薬物に依存してしまうのかという答えのない命題がそこにある。 で、その問題は薬物だけではなく、アルコールや暴力などにも置き換えが可能で。 だから「何故薬物に依存するのか」ではなく、「何故薬物に依存しないですんでいるのか」を考えるべきなのかも。

  ビューティフル・ボーイ4.jpg こうしていれば魅力的なのにね。
 だからほんとに立ち直っているのか、ヤクほしさにいい感じに見せようとしているだけなのか、こっちもわからなくなるんですよ! 家族だからとよいものを見たいフィルターがかかっていれば余計にわからないだろうなぁ。 ほんとに恐ろしい、性格を、人格をも変えてしまうものは。
 アメリカでは50歳以下の死亡原因の一位は薬物の過剰摂取であるそうな。 マジか!
 タイトルになっているジョン・レノンの『ビューティフル・ボーイ』よりも、ニール・ヤングの『ハート・オブ・ゴールド』のほうがしみてしまう不思議。 タイトル曲なんだからもっといい感じに使ってほしかったなぁ。 デヴィッドが音楽ライターだということもあり、そういう時代の曲が綺羅星のごとく使われるのは贅沢だけど。
 でもこれだけ音楽を使っておきながら、エンドロールの終盤が朗読で締めくくられるというのも珍しいのではないかしら。 そこに希望があると信じさせるような。

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2019年05月02日

アガサ・クリスティ ねじれた家/CROOKED HOUSE

 何度目かわからないアガサ・クリスティブーム。 でも世界各国で共通なのは、オールスターキャスティングだということ。 どうせやるならそうしたい、とみんな思ってしまうということなのね。

  ねじれた家P.jpg 嘘をついているのは、誰?
   華麗なる一族の大富豪が毒殺された。残されたのは“心のねじれた”家族と巨額の遺産。

 アリステッド・レオニデスが急死した。 ギリシャからイギリスにやってきて、無一文から一代で大富豪になったなった伝説の人物として有名な。 病死とされたが、孫娘ソフィア(ステファニー・マティーニ)はその死を殺人であると感じ、私立探偵チャールズ・ヘイワード(マックス・アイアンズ)に調査を依頼する。 実はチャールズはソフィアの元カレで、しかも振られた側なのでチャールズには未練がつきまとい。
 チャールズの父親がスコットランド・ヤードの要職にいたため、タヴァナー主任警部(テレンス・スタンプ)はレオニデスの死因は毒殺だと教えてもらい、レオニデス邸に向かうことに決めたチャールズ。 レオニデスの先妻の姉イーディス(グレン・クローズ)が一族を束ねている良心的存在、ソフィアの父である長男フィリップ(ジュリアン・サンズ)は売れない女優の妻マグダ(ジリアン・アンダーソン)のために映画をつくろうとしていて、父親の事業を継いだ次男ロジャー(クリスチャン・マッケイ)の会社は倒産寸前の状況。 アリステッドの後妻である若きアメリカ女性のブレンダ(クリスティーナ・ヘンドリックス)は財産目当てと他の一族から白眼視されていて、ソフィアの弟ユースティス(プレストン・ナイマン)は姉を疑っており、末っ子の妹ジョセフィン(オナー・ニフシー)は探偵気分で家中をかぎまわっている。 莫大な遺産を巡って、誰にでも動機があり、誰にでも犯行が可能。 チャールズは地道に聞き込みを開始し、真相をつかんだかと思ったときには第二の殺人が・・・という話。
 原作よりも時代を10年以上あとの設定にしていたけれど、こっちから見たらどっちも昔なので・・・それくらいの変更は気にならなかった(だからチャールズが私立探偵という設定にも無理がないというか)。

  ねじれた家1.jpg 若さ故なのか、探偵としてよりも偉大な父の陰から逃げたいともがく姿のほうが印象的なチャールズ。 そこはマックス・アイアンズ本人とも重なる気がして。
 一応主役っぽい立ち位置なので、『天才作家の妻』のときより出番が多く、「はっ、ジェレミー・アイアンズに似てる!」と思える角度がありました。 二世はチャンスも得られやすいだろうけど、常に比較される宿命も背負っているので・・・でも彼は成功してきているほうなのではないか(グレン・クローズとも共演してますが、撮影はこっちのほうが先のような)。
 ソフィアとチャールズの関係が、若い人の意地っ張りの結果こじれてます、と見える部分は微笑ましいんだけど、殺人が絡んでいるとなるとそうもいかず・・・登場人物が順番に出てきてくれるのでわかりやすいんだけど、その関係は会話から把握しなければいけないので、字幕書く人は大変だっただろうな、と(こちらも限界ギリギリ数の文字を追わねばならず、いそがしい)。
 でも館の調度品やみなさんの服装はすごくゴージャスで、チャールズのスーツの安っぽさが逆に引き立つ(階級の違いがあらわされているのか)。 いろんな意味で、グレン・クローズの格の違いも感じたり。

  ねじれた家5.jpg クレオパトラのようなビジュアルで、すぐに気づけなかったジリアン・アンダーソン。 そのカツラ、合っていたのかしら・・・美人度合いが下がっていた気がしてもったいない。 ソフィア役の人は見たことあるんだけど・・・と悩んでいたが、『モース刑事』シリーズ(モース警部ではなく、若い日のやつ)に出てた人だ!、と気づいてすっきり。 イギリス人キャスティングの堅実な地味さが好きさ。
 チャールズが一人一人と会話を重ねることで、その人物の持ついろんな面がじわじわ現れてはくるのだけれど・・・残念ながらそのあたりは小説にはかなわなかった感じが。 役者の存在感で説明を補おうとするからオールスターキャストになりがちなのかも(日本でも松本清張や横溝正史作品などの映画化・ドラマ化にもその傾向あり)。
 でも原作にできるだけ忠実に!、という製作陣の敬意は感じられたと思う。

  ねじれた家4.jpg そういう役ではあるんだけど、テレンス・スタンプが老けていることにびっくり・・・『私家版』のときのダンディな美しさは何年前だったの?!
 「犯人は〇〇」というのは今では目新しくない設定だけど・・・あの当時にそう書いたアガサ・クリスティはやっぱりすごい、と実感。
 ただ、ポアロのような名探偵が不在なため、チャールズの役立たずっぷりが目立ってしまう・・・彼は探偵ではなく、この一族に迷い込んだ右往左往する第三者という役割なので物語的にはそれでいいんだけど、“私立探偵”を名乗られると期待してしまうよね、という話。
 幕切れがあまりにもばっさりで、愕然としているうちに終わってしまうのはあまりに余韻がないが(犯人に予想がついていても)、犯人の意外性を引き立てるためにはそれがよかったのかな。

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2019年04月23日

ハンターキラー 潜航せよ/HUNTER KILLER

 潜水艦映画にはずれなし、とかつては言われたものだが、その時代に比べて潜水艦が題材の映画はぐんと増えた(それが言われていた頃って『U−ボート』と『レッド・オクトーバーを追え!』、『クリムゾン・タイド』ぐらいしかなかったのでは・・・)。 それでもなんとなく、潜水艦モノというだけで観たい気になる不思議。 それに、ジェラルド・バトラー主演だしね! ← いや、それが第一目的だろ!

  ハンターキラーP.jpg そこは、音だけが≪見える≫戦場

 ロシア近海を航行中のアメリカ海軍の原潜からの消息が途絶えた。 一歩間違うと戦争勃発となってしまうため、海軍は伝説の潜水艦乗りジョー・グラス(ジェラルド・バトラー)を艦長に任命し、攻撃型原子力潜水艦“ハンターキラー”に行方不明となった潜水艦の捜索を命じる。 一方、ロシアの態度に不審なものを感じたNSAのジェーン・ノーキスト(リンダ・カーデリーニ)と海軍少将ジョン・フィクス(コモン)はネイビーシールズから部隊をひそかにロシアに潜入させる。 どうやらロシアの国防相が大統領を拘束し、クーデターを画策しているらしいことがわかる。 それでも チャールズ・ドネガン統合参謀本部議長(ゲイリー・オールドマン)はアメリカの原潜が襲撃されたことに怒り、「先手を取らねば国のメンツが!」と激高するので、戦争回避のためロシア大統領を救出しなければならなくなる・・・という話。
 敵はあくまでロシアの一部であって、ロシアの総意ではない、というところに現在のバランス感覚が見て取れる(仮想敵国と明確にしたくない、的な?)。

  ハンターキラー1.jpg 思っていたより潜水艦内部のシーンは多くはなかった。
 それは『クリムゾン・タイド』などに比べれば、の話。 初めて艦長として乗艦したジョー・グラスが全体を見回るシーンで潜水艦全体を観客も観ることができる。 カメラが動けるように実際の潜水艦よりは少し広いんだろうな、とは思いつつもやっぱり狭いのである。 まだ港にいるうちはいい、これが海に出て、さらに海中深く進んでいくことを考えれば・・・その閉塞感たるや、なんだか息苦しく感じられるほど。
 しかし、こんなときに艦長を任されるジョー・グラスの経歴が結構謎のまま・・・いろいろ教えてはくれるけど、何が決め手なのかみたいなことは不明のままなのは、彼もまた特殊部隊の人たちのように秘密の任務を担っていたからとか?
 最近すっかり肉体派アクションヒーローのジェラルド・バトラーが、有能ではあるだろうけど無敵ヒーローではない軍人の端くれなのがうれしいんだけど(彼はもっと繊細な演技ができるんだよ!、と伝えられるが故に)、でもなんだか貫禄が漂っちゃってるから無茶なところも存在感でカバーしちゃってるよ・・・。
 が、あたしを驚愕させる展開がのちに待っていた。

  ハンターキラー3.jpg ミカちゃん!
 ミカエル・ニクヴィスト! 出てるの知らなかったので、思わず声が出そうになって口を押えた。 出演しているけど未公開の作品、あったんだ!
 沈没し、低体温症で死にそうなところをぎりぎりハンターキラーに救われたロシア原潜のアンドロポフ艦長(ミカエル・ニクヴィスト)だから顔は青白く、よろよろでの登場だったが、多少落ち着いてからも顔に出ているやつれ度合いに胸が痛む。 スウェーデン人なのにアメリカ映画に出るとロシア人の役、多いよね。
 あくまで潜水艦乗りとして(古くは船乗りとしての誇りと絆)、アンドロポフはグラスと信頼と友情を築いていく過程に胸が熱くなる!
 この二人が共演していることであたしの中でこの映画の価値がぐんっと上がったのは間違いない。

  ハンターキラー2.jpg コモン、見た目がどんどん普通の人っぽい感じになっているのが楽しい。 『ジョン・ウィック2』のときにはいかにも殺し屋だったのに、本人はラッパーなのに。
 NSAのジェーンが『グリーンブック』の奥さん役だったリンダ・カーデリーニで、出演映画が短期間で続くと(日本では本国と公開時期がずれるから)「あぁ、こうやって売れていくのね」と思ったり。 もともと『ER』後半以降のレギュラーだった人だから顔は知っていたけど、映画をメインにしていくのかなぁ、とかね。
 この二人に挟まれ、ゲイリー・オールドマンが<ただキレやすいオヤジ>になっちゃっているのが微妙だけれど、内に狂気を持っていることを隠そうともしていない人物である、と説明なしに感じさせる人だから、ゲイリー・オールドマンの無駄遣いというわけでもないのかも。

  ハンターキラー5.jpg 陰の主役たる特殊部隊のみなさん。
 命令が出てから現地に行くまでが早い! その確かな仕事ぶりにも胸熱です。
 そもそも“ハンターキラー”(は暗号名で、実際は原子力潜水艦アーカンソー)が任務に就くため出発したのはイギリスの米軍基地の港からだったし、世界各地にある米軍基地がこれらの活動をサポートしているのがよくわかる。 だから地球規模のエリアをカバーできるわけで、その中に沖縄も組み込まれているのねと実感できてしまうんですよ。 わー、なんか複雑な心境!
 かなりあたし自身が仕事で疲れがたまっていたため、「途中で寝ちゃったらどうしよう」とドキドキしていたのだけれど、ミカちゃんショックもあり、次から次へとハラハラの連続展開(勿論、海の中でソナーをかいくぐる沈黙の中にも息詰まるお約束のシーンもあり)で、眠気を感じる余裕もなかった。 アクション映画としてとても正しい。
 エンドロールで、「ミカエル・ニクヴィストに捧ぐ」とあったので・・・あぁ、公開は亡くなってからだったのか、と知りちょっと泣きそうになる。 ネットニュースを見ただけだったから実感がなかったのだけれど、やっぱり事実だったんだ。 でも彼が出ている映画を観たら、多分その実感をあたしはまた忘れてしまうんだろう。 画面の中ではいつまでも、たとえ死ぬ役であっても(『ジョン・ウィック』とか、『Mi:/ゴースト・プロトコル』とか)、そこにいるから。 特にスウェーデン版『ミレニアム』に彼は必ずいるしね。
 ありがとう、ジェラルド・バトラー! あなたにつられてよかったよ!

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2019年04月19日

ハロウィン/HALLOWEEN

 ジェイミー・リー・カーティスを初めて知ったのは、金曜ロードショウで観た『大逆転』だろう。 「なんてかっこいいんだ!」と思いましたね・・・美人だけどむしろハンサムと呼びたい顔立ち、背が高くて動きがきれい。 おかげでその後、レンタルビデオで『ブルースチール』とか追いかけ、オリジナルの『ハロウィン』も観たのだった。 しかもジョン・カーペンターだったんだよね。
 しかしそれ以来観ていないので(『13日の金曜日』シリーズはテレビで繰り返し放送してたけど、『ハロウィン』の記憶がない)、あまり覚えていないんだけど・・・ま、いいか、と思ってレイトショーに行ってしまう。 映画館がすごく混んでる!、とビビるが、その客の目当ては『名探偵コナン』だった・・・。

  ハロウィンP.jpg 恐怖が、忍び寄る。

 あの恐怖の夜から40年たつイリノイ州ハドンフィールド。 唯一の生存者であるローリー・ストロード(ジェイミー・リー・カーティス)はまた大量殺人鬼“ブギーマン”が戻ってくるのではないかと家を改造し武器を揃え、訓練を怠らなかった。 強すぎるPTSDのせいだろうが、町の人々はローリーを変わり者として扱い、娘のカレン(ジュディ・グリア)は母親とはほぼ絶縁状態。 孫娘のアリソン(アンディ・マティチャック)は母と祖母の関係を修復したいと思っているが・・・。
 “ブギーマン”こと殺人鬼マイケル・マイヤーズは精神科病棟に収容されているが、別の施設に送られることが決まった。 移送されるのはハロウィン前日、当然のようにマイケル・マイヤーズは逃走し・・・という話。
 2018年設定なのだが、70〜80年代の空気が濃厚。 スマホは出てくるけれど、それ以外は80年代といっても通用しそうな雰囲気。

  ハロウィン3.jpg 「あ、こいつ、死ぬな」と感じるキャラは大体死ぬ。
 カット割りが多くてスピーディーな最近のホラーに比べたら、この映画は長回しが多めでちょっとゆったりした流れなので昔の映画の雰囲気っぽいのかな? オープニングクレジットの文字の形とか、音楽なんかもレトロっぽくて(一作目と同様ジョン・カーペンターらが担当)、全体的にノスタルジック。 でも女子高生がタピオカドリンクを飲んでいたり、警官たちの話題でバインミーが出てきたりと食べ物で現代性をアピール。
 そして殺され方はより残酷で、今っぽく(直接描写は少ないのだが、感じさせるものがおそろしい)。

  ハロウィン2.jpg 年をとってもやはりかっこよくて美しいローリー。
 『ハロウィン』にはいろいろ続編があるが、それまでのことはすべてなかったことにして、今作が1作目の純粋な続き、という設定に。 それ故に苦しみ続けているローリーの気持ちがぐさぐさと突き刺さる(誰にも理解してもらえないから余計に)。 やつがまた襲ってきたら次は仕留められるように、という思いがこじれにこじれて、「むしろやつがまた襲ってくれば、この手で殺してやれるのに」となっていっているのがやたらリアルだ。 そうなれば、誰か別の被害者が出ることになるのに、その意味にローリーは気づいていないのか気づかない振りをしているのか。
 が、ブギーマンVS.ローリーは宿命づけられたもの。

  ハロウィン4.jpg ピントブレ気味なところがよりイヤな感じを引き立てる。
 マイケル・マイヤーズの顔は全編を通じてはっきり映らない。 マスクをかぶり、“ブギーマン”となった顔は映る。 そこには個人としてのマイケル・マイヤーズは存在せず、“ブギーマン”の憑代としてのみ生きているかのように。
 何故そうなのか理解したい、とのめり込みすぎる精神科医や、正義感(?)振りかざしてやりすぎるジャーナリストなど類型的な人物も多いのだけれど、まぁそういうことを追求する映画ではないから。 「ともに戦うことで家族のきずなを」というこれまた昔ながらの題材を、女性に体現させたのが21世紀って感じですかね。
 多くを語ることなくラストシーンを締めくくったのが、「それからどうなったの!」という気持ちを起こさせるものの静謐で美しいエンディング。
 まぁ、これで続編を作ろうと思えば作れる・・・ということなのかなぁ。

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2019年04月18日

マックイーン モードの反逆児/MCQUEEN

 モードファッションは好きだが、自分で身につけるものだとは思っていない。 ハイファッションはアートと同じ、だからあたしは見るだけの人間である。 なのでアレクサンダー・マックイーン死去のニュースにファッション界が騒然としていたことは記憶にあっても、悲しみや悼む感情がそこまで湧いてこなかった。 個人としての彼をほとんど知らなかったから。
 それが、ドキュメンタリー映画という形で出てきた。 ならば観ることで、改めて彼を知ることができれば。

  マックイーンP.jpg 恋をするように服を作り
   命まで捧げた、ドラマより劇的な人生

 アレクサンダー・マックイーンは若くしてファッションデザイナーとして頭角を現す。 その大胆で実験的な手法から<モードの反逆児>と呼ばれながら、“The Fashion Awards”で“Designer of the Year”を何度も受賞するようになる。 自身のブランドがまだ上り調子の時期にジバンシィは彼をクリエイティブ・ディレクターに抜擢、世界中のファッション業界に名をとどろかせる。 傍からは順風満帆に見えた彼のキャリアだが、2010年に彼は自ら命を絶つ。 アレクサンダー・マックイーンとはいったいどのような人間だったのか、周囲の人々のインタビュー・過去の映像・彼のコレクションを紐解きながら追いかける。

 イギリスの労働階級の出身でファッションの教育を受けていなく、完全に独学だ、ということは聞いたことがあった。
 でもそもそものはじまりが<サヴィル・ロウ>で職を得たことだったとは・・・スタートは紳士服だったんですね。
 インタビューの積み重ねで輪郭を浮き上がらせようとするのはドキュメンタリーによくある形ながら、この映画はあまり時期というものを(あえて)重視していないようで、それがいつの話なのかはあまり追及されない。 主なコレクションの名前とランウェイ映像はしっかり流れるが、それが何年のものなのかは注釈が出ない。 知ってる人はわかるんだろうけど・・・そのへんがファッション知識薄い者にはちょっと不親切。 でも彼の目指したファッションや美学には時代は関係ない、というメッセージなのかも。 もしくは興味があるなら自分で調べろということか・・・。
 はっきり表示されたのはジバンシィに呼ばれたのが1996年(27歳)、死んだのが2010年(40歳)だということ。
 初めて自分のコレクションを発表したのが23歳、しかも元手が失業保険だったからテレビのインタビューが来ても顔を出せなかったとか、劇映画になりそうなエピソードが沢山。 しかも4年後にはジバンシィに呼ばれるんだから、彼の勢いはすさまじかったんだな、と改めて感じる。
 しかし個人のリー(彼のフルネームはリー・アレキサンダー・マックイーン)は、神経症的なところもあり、芸術家らしく嫉妬深かったり感情をコントロールできない。 母親への強い愛情や執着は、彼がゲイだからというだけではなさそう。 ビジネスの世界で成功できる性格ではない、事務的なことを全部やってくれるパートナーがいたら違ったかもしれないけれど・・・。
 トラウマになっていたであろう過去のある出来事に関しては、関係者がご存命であるがためにか詳細には語られず、いくつかの事実だけが残酷に放り出される。 それが彼に巣くった闇のもとであるならば・・・負の感情が伝染する強さと悲しさを前に、なんと個人は無力なのかと思う。
 彼の死は、近い人たちにとっては寝耳に水ではなかった、「いつかその日が来るかも」とほとんどみんな思っていた・・・というのがせつない。 みんなわかっていたのに、彼は差し伸べられた助けの手をたやすく取るような人間ではなかった。 だからこそ<天上の美>を地上にあらわすことができた、と取れるまとめには、「天才とはそういうもの」というあきらめにも似た空気が漂っている。
 だから悲しい。 芸術とはそういうものなのだろうが・・・彼が一時期でも本心からしあわせを実感できた時があったと思いたい。
 いや、彼が芸術家だったからこうやっていろんなことが残っている。 それぞれの関係に意味があったと納得できている。 そういう職業でなければ、ただ彼のような人にいろんな人が傷つけられて、それだけが残る可能性だってあるのだ。

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2019年04月11日

記者たち ‐ 衝撃と畏怖の真実/SHOCK AND AWE

 最近、ロブ・ライナー社会派だよなぁ、と感じていた。
 でも惹かれたのは予告でウディ・ハレルソンがメインの新聞記者として出ていたから(でもロブ・ライナー本人も重要そうな役で出ている)。
 <字幕監修:池上彰>を大きく宣伝してますが、2017年制作の映画がこの段階で日本公開されるのは、『バイス』の前座的な意味合いではないのか・・・という気がするのはあたしだけ?
 原題“SHOCK AND AWE”はイラク侵攻の作戦名で、“衝撃と畏怖”の意味である。

  記者たちP.jpg 真実は、誰のためにあるのか。
   仕組まれたイラク戦争、その真相を追い続けた記者たちの揺るぎない信念の物語。

 911の衝撃冷めやらぬアメリカ、<テロとの戦い>の舞台はアフガニスタンからイラクに移ろうとしていた。
 2002年、大統領ジョージ・W・ブッシュは「イラクは大量破壊兵器を保持している」として、イラク侵攻に舵を切る寸前。 
 全米で31の地方紙を傘下に持ち、記事を供給する新聞社ナイト・リッダーの記者ジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)はその前に、ホワイトハウスがイラクに戦争を仕掛ける気だと情報を入手する。 イラクにイスラム原理主義テロリストをバックアップする気などないと考えていたワシントン支局長ジョン・ウォルコット(ロブ・ライナー)は二人に更なる取材を命じ、元従軍記者で高名なジャーナリストのジョー・ギャロウェイ(トミー・リー・ジョーンズ)をこの件で雇うことにする。
 取材の結果、イラクに大量破壊兵器がある証拠はなく、むしろ政府主導による捏造と情報操作であると確信したナイト・リッダーは連日報道するが、ワシントン・ポストやNYタイムズなど大手紙は政府見解をほぼそのまま流し、国中に愛国の嵐が吹き荒れる。 次第に孤立するナイト・リッダーだが、記者たちは自分たちが調べた事実を信じ、戦争回避の道を模索する・・・という話。
 悲しいことに、イラク戦争が始まってしまったことも、イラクに大量破壊兵器がなかったことも今のあたしたちは知っている。 すべて政府の嘘だとわかった後も戦争が終わっていないことも。 だからひたすらにせつないのであった。

  記者たち1.jpg ナイト・リッダーの編集部。
 2002年前後ってインターネットは今ほど普及・浸透してなかったのだな、とか、リアルに自分が体験した時代でもあるので「あぁ、こういうニュース映像、見た!」といろいろ思い出す・・・。
 そう、日本にいても(いたから?)、「何故、急にイラク?」と感じたことは覚えている。 そのとまどいをもっと強く感じていたのがナイト・リッダーの記者たちだったのだと考えると、彼らの焦りがすごくよくわかる(大手メディアのほうはほとんど描かれないのでそっちが御用記者と化してしまったのは謎である)。
 そうそう、パウエル国務長官が最後の砦ってみんな思ってたよなぁ、とか。
 ブッシュはもちろん、ラムズフェルドもチェイニーもマジむかつくぜ!、な感じ。 まさに、『バイス』の予習にはもってこいだぜ・・・。

  記者たち3.jpg 政府関係者も良心あるものは、匿名が条件だがナイト・リッダーに実情を語る。
 役名もない数シーンの登場でも、見たことある役者さんがゴロゴロ出てくる。 これってロブ・ライナーの人徳なのだろうか。 多分低予算なのであろうこの作品に出るのは、ギャラとかよりも「こういう映画の手助けをしたい」というみなさんの心意気をとても感じた。 ロブ・ライナーが結果的に大変おいしい役で出演しているのも、経費削減策なのかもしれない(どうやら別の役者がキャスティングされていたようだがスケジュールが合わず、自分がやることにしたという)。
 経費削減でがんばらないとこういう映画はつくれない、というのは日本と一緒ですね・・・。

  記者たち5.jpg WTCビルが崩壊したのを見て、軍を志願した若者たちも多かった。
 新聞記者の姿だけでなく、そういう若者たちやその家族を描くことで広がりが出る。 彼らと記者たちが交差するシーンは、紙の上のことと現実の出来事がクロスする意味合いも持つわけで。
 でも全体的なテイストはほろ苦い。 同じく新聞記者たちを主人公にした『大統領の陰謀』、『スポットライト 世紀のスクープ』や『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』などと違ってカタルシスがないから(彼らの報道が世の中を変えられなかったことを観客は知っているから)。
 それでも、真実を信じて語り続けることをやめてはいけない、という誓い。 そういう人たちを一般人は見抜いて支えないといけない、という想い。

  記者たち4.jpg トミー・リー・ジョーンズ、絵にかいたようないぶし銀。
 <宇宙人ジョーンズ>感が一切ない、ベトナム帰りの従軍記者の言葉と存在の重み!
 政府報道官の誰の言葉より真実味があるのに、やはりテロへの恐怖が全土を支配していたあの空気感では届かないのか。 あとからならばいくらでも言えるけど、その時代特有の空気感は実際に同時代を生きていない者にはわからない・・・あたしがいくら資料をあたっても題材にした映画やドラマを観ても大学紛争や全共闘世代を理解できないのはそのせいなんだろうな、と納得。
 ウディ・ハレルソンはこちらの期待以上にキュートだったし(奥さんがミラ・ジョボヴィッチとか美人過ぎ!)、ジェームズ・マースデンも『X−men』のサイクロプスの頃と比べたらいい役者になりました。 地味テイストの映画って役者がより味わえるから好きさ。

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2019年04月10日

ブラック・クランズマン/BLACKKKLANSMAN

 スパイク・リー、渾身の作品!、なのだろうとアカデミー賞授賞式を見てつくづく感じた。 予告でもいい感じだったし、これは絶対観ないとだよ!
 『マルコムX』は高校生のとき(もしかして中学生)?、レンタルビデオで観ましたよ・・・そのとき主演だったデンゼル・ワシントンの息子が成長して主役をやる年齢になったという・・・時間の流れをしみじみ感じてしまう今日此頃。

  ブラック・クランズマンP.jpg 俺たちが、すべてを暴く。
   前代未聞の実話!黒人刑事がKKKに潜入捜査 痛快リアル・クライム・エンターテイメント!

 1970年代半ば以降のこと、ロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)はコロラド州のコロラドスプリングス警察署で初めての黒人の刑事として採用になる。 刑事という職業への情熱冷めやらないロンは、署内一部の白人からの冷笑・冷遇にさらされながらも耐えていた。 ある日、情報部に転属になったロンはメンバー募集の新聞広告を見てKKK(クー・クラックス・クラン:白人至上主義団体)に電話をかける。 電話では肌の色がわからないので、ロンは相手の気に入るように言葉巧みに取り入り、入会面接の約束を取り付ける。 しかし本人が行くわけにはいかないので、同僚の刑事(白人)のフリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)がロンの振りをして内部に潜入することに。 前代未聞の二人一役の潜入捜査の結果はどうなる?!、という話。
 もう、冒頭のアレック・ボールドウィンのいかれた演説(?)と『風と共に去りぬ』のコラージュで「すごいものが始まる!」感が全開。 シュールなコメディ路線一直線なのだ。

  ブラック・クランズマン1.jpg 「声が違うからバレる」・「喋り方の真似をしろ」
 電話だと声は違って聴こえるものだと思っちゃうんですかね。 「あれ?、なんか声が記憶と違う?」と感じても会うのが初めてだと「気のせいだ」で納得できてしまうのだと。 コロラドスプリングスのKKKのリーダーがライアン・エッゴート(『ブラックリスト』の人)なのが余計におかしくて、他にも「どこかで見たことのある」役者さんたちがたくさん登場。
 特にロンとフリップの関係が大変いい空気感で・・・いたずらに反目し合うこともなく、途中で急速に関係が深まる何かが起こるわけでもなく、一緒に仕事をしていく過程で相手を認める部分が地道に積み重なって信頼感につながっていくという<確実な当たり前感>がすごくいい!
 結局、いわゆる人種問題とは偏見を教え込まれて、“個人”というものを見ないせいで生まれて続いちゃうってことだよね!(・・・でもそれは『グリーンブック』でも描かれてたことではあるんだけど)。

  ブラック・クランズマン3.jpg KKKってダサいよな、と思わせるつくりにニヤリだ。
 しかし当時は、若干活動は沈静化していたとはいえ「白人こそが正義だ!」みたいな論調があったことは確かで、本人たちは大真面目なところが問題。 誰かに対して優越感を抱くことで自尊心を保つ、という理由だけでは説明ができない、暗すぎる衝動が根っこにあるようでどうしても理解ができないな、と改めて感じることとなった。
 しかし結構ヤバいことを描いているのに、全体的に漂うコメディテイストが素晴らしいんですけど・・・。

  ブラック・クランズマン2.jpg 飲んでる人、KKKの大立者デヴィッド・デューク(トファー・グレイス)。
 彼は一応穏健を語っている。 支部の末端には過激な行動に出る者はいるが、いまはKKKは危険な団体ではない、と言い張る。 その存在のうさんくささがものすごく、自然とロンとフリップを応援したくなってしまう。 また二人が着実に成果を上げるので、警察署内でもどんどん仲間(?)が増えていく感じも笑いとともにつながっていて観ていてうれしくなる。
 まさか、Fワード(というか、使うのはあまりよろしくない言葉たち)の羅列による罵倒で、観る側がこんなに清々しいまでの爽快感を得られるなんて!
 ゲラゲラと笑いながら、何故かふと涙がこぼれた。
 因果応報の予定調和でこれもまた「いい話?」と思っていたら・・・スパイク・リーがそんなことで終わるわけがなかったのだ。
 その後に続く展開は・・・まさにスパイク・リーが怒っていることそのままで、「当時の話じゃないぞこれは! 今もまだ続いているんだ!」という表明。 いや、この映画の原作自体がロンの回顧録なので全部ベースは実話なんだけど、その後の展開でこの映画は一気にドキュメンタリーの顔になり、あたしはそのまま違う涙を流すことになる。
 ・・・あぁ、これはすごい。 いつまでも引きずる。
 なるほど、これじゃスパイク・リーは『グリーンブック』に怒るはずだよ、と納得。
 『グリーンブック』自体はいい映画なんで、こういう問題に理解が追いつかない日本人としては、二本をセットで観るのがいいんではないか、と感じた。 どちらもアメリカの、人種対立が存在する国の現在だから。

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