2019年11月18日

永遠の門 ゴッホの見た未来/AT ETERNITY'S GATE

 ウィレム・デフォーがアカデミー賞主演男優賞のノミネートされたゴッホの映画、やっと日本公開。 いやあ、ウィレム・デフォー、いいよねぇ。

  永遠の門P.jpg ゴッホの瞳を通して描く、新たな真実の物語。

 弟のテオ(ルパート・フレンド)に支えられながら絵を描き続けるフィンセント・ファン・ゴッホ(ウィレム・デフォー)。 しかし彼の絵は売れず、周囲の人間ともうまくいかず、テオ以外に信頼できる人間がいず、常に孤独の中にいた。 絵の才能を互いに認め合った唯一の相手、ゴーギャン(オスカー・アイザック)と共同生活を送ることになるも、それは長くは続かなかった。 精神的に更に病んでいくゴッホだが、絵は描き続けた・・・という話。
 ジュリアン・シュナーベル監督作品だけあって、わかりやすい伝記映画ではなかった。 むしろフィンセント側にかなり寄った視点で、内省的っぽくもあり、主観のようで客観ぽくもあり・・・ストーリーよりも映像で語るやつだった。

  永遠の門5.jpg ゴーギャンとの初対面
 フランス語で話していたのが英語に変わる・・・フランス語と英語が入り混じっているのがちょっと不思議な感覚だった。 アルルなど現地の人はフランス語しか話さないけど、画家や医者など知識階級は英語も話すのかなぁ、的な。
 テオ役のルパート・フレンドがすごくよかったのだが、この映画はウィレム・デフォーありきなので・・・彼ものちのち評価されてほしいなぁと思う。 すっかり甘えるフィンセントとそれを受け入れるテオの姿は、きらきらと輝く宗教画のようだった。

  永遠の門7.jpg 自然のパノラマ。
 ゴッホが絵を描く筆の動きが丹念に追われる。 そういえば、この仕事が決まったときにまず身につけたのは絵の描き方だった、とインタビューでウィレム・デフォーは言ってなかったか。 絵を描くシーン、吹き替えなしか! 筆の運びの迷いのなさ、すごい! あたしは絵が描けない人間なので、「あぁ、そうすればそう描けるのか・・・」とかなり勉強になりました(できるできないは別として)。
 ゴッホの個展ではあの梅の絵が目立つところに飾ってあり、「日本に行きたい」とも言っている。 あぁ、もし日本にゴッホが来ていたら・・・とつい夢を見てしまいそうになる。

  永遠の門2.jpg ゴッホの絵がそのまま映像に。
 テオの妻の姿も「あの絵!」と叫びたくなるほど、ところどころゴッホのいろんな絵が構図と色彩で再現されるので盛り上がる。 しかしフィンセントの状況や精神状態はどんどん追い込まれ・・・観ていてかなりつらくなってくる。 『ジョーカー』より個人的にはきつかった。
 もしテオがそばにいたらよかっただろうけど、テオは仕事をしなければならない。 絵に没頭するフィンセントの日常は誰かとともにできるものではないし、だからゴーギャンとの時間は、彼にとって初めて得た“友と過ごす最上の時間”だったんだよね・・・と泣きたくなるくらい。
 自分には才能があると信じつつも、「絵が売れない」という事実を前にどう考えるのか、についてはちょっと喋りすぎかな・・・という気がしないでもないけど、そう思っていたと信じたい、ということですかね。
 マッツ・ミケルセンの登場に度肝ぬかれました。
 そしたらマチュー・アマルリックも出てくるんだもの。 御贔屓役者が続々出てきて、あたしはうれしかった・・・(そういえばマチューは『潜水服は蝶の夢を見る』がシュナーベル監督だった)。

  永遠の門4.jpg フィンセントにも幸せな時間。
 医者が絵画の理解者で、モデルにもなってくれて、絵について穏やかに語り合うことができる。 まとめてしまえばささやかなことなのに、フィンセントはやっと幸せな時間を手に入れる。 その相手がマチューで、ほんとにあたしも幸せな気持ちになりましたよ・・・。
 でも、かなしいかな、その時間も長く続かなくて。
 フィンセント自殺説をとらないエンディングには安堵しつつも、運命のいたずらには打ちのめされずにはいられない・・・。
 フィンセントの視界が観る世界などがかなりスクリーンに展開されたが、ちょっと酔いそうになってしまった。 でもこれがずっと彼の見えるものなら、精神を病むだろうなと納得。 画家としての視点というのもあるだろうけど。
 いろいろ気持ちのすれ違い・かけ違いがあって・・・過去の出来事だからこそ、せつなかった。
 しかし彼の絵は残っている、今もこれからも。

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2019年11月10日

IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。/IT:CHAPTER TWO

 あの一作目から二年・・・ついに後編が公開される!
 続きは二年後か、と思っていたけど、振り返ると一年ぐらいしかたっていない気がする(それは11月公開だと覚えていたからで、それがなければもっと短く感じたかも)。

  イットジエンドP.jpg また、会えたね。
   すべての謎が明らかになる――『IT』完結!

 メイン州のデリーという田舎町で、かつて謎のクラウンピエロ“ペニーワイズ”(ビル・スカルスガルド)を<ルーザーズ・クラブ>がやっつけてから27年がたった。 町に一人残ったマイク(イザイア・ムスタファ)はデリーで不可解な事件が連続して発生し、奇妙なメッセージを受け取ったことでペニーワイズが帰ってきたと確信、メンバー全員に連絡を取る。 デリーに帰ってきたビル(ジェームズ・マカヴォイ)、リッチー(ビル・ヘイダー)、エディ(ジェームズ・ランソン)、ベヴァリー(ジェシカ・チャステイン)、ベン(ジェイ・ライアン)たちは再会をよろこぶが・・・。
 少年時代のイメージを壊さない大人配役(ほぼ子役たちの希望通り)が素晴らしい。 また現在と27年前とを自然にミックスさせる手法で、前作では多少物足りなかった彼らの友情やキャラの個性をより深く描けていて、青春映画としての純度が上がった気がする! 勿論、前作を観ている人前提のつくりなので、これだけ観ても片手落ちです。 原作愛だけでなく、昔の前後編テレビドラマ版へのオマージュにもあふれている。

  イットジエンド4.jpg 再会のとき。
 ビルにしてはジェームズ・マカヴォイは胸筋が厚すぎる気がするが・・・まぁそれは仕方がない、他の部分はぴったりだもの。 27年前と現在を描くけどその間のことは一切描かない、成長過程については役者の存在感で全部出すという潔さが、長い原作をどうまとめるか、ばっさり切るところは切るという覚悟を感じさせる。
 それに、再会した瞬間から彼らの気持ちは27年前に戻っている。 見た目は大人になっていても心の傷はそのままという、子供時代を克服するのはほんとうに難しいことを考えさせられる・・・。

  イットジエンド1.jpg ペニーワイズ、現る。
 27年前の過ちを繰り返すまいとしているペニーワイズはより残忍により余裕がなくなっている。 前作のようなチャーミングさ(?)はなくなっているが、その必死さは奇妙なまでに人間的。 特に声はより印象的になってる。 メロンのエピソードや川を埋め尽くさんほどの赤い風船など、前後編テレビドラマでは省かれた場面があるとハッとする。 あぁ、そうだ、原作にはありましたよ、と。
 そして忘れてはいけないヘンリー・バワーズも勿論、早い段階から登場します。

  イットジエンド2.jpg 地下への道をまた辿る。
 27年前と同じような道をいくのが繰り返しのようになり、若干中だるみを感じさせるものの、思いのほか子供時代パートが多くて入り込んでしまう。 えっ、リッチー、そうなの!、という新事実に胸を打たれたり、スタンの気遣いに心が温まったり、秘密基地のシーンは前作に入れてほしかったよ。

  イットジエンド5.jpg ベヴァリーの苦悩はより深い。
 ただ一人の女子だからなのか、環境の差が大きかったのか、ベヴァリーの苦しみは他のメンバーたちとは一味違う。 彼女が立ち直れてない事実は同性としてひたすらつらい・・・。 だからベンのひたむきな思いに泣けてしまいました。 前作でも男前だったけど、ベンすごくいいよな! 原作を読んだときはどうしてもビルよりでしたが、今のあたしはベン派です!
 しかし全員でペニーワイズに立ち向かう場面が、大勢で一人をやっつけているみたいに見えてしまう部分があり・・・複雑な気持ちになる。

  イットジエンド3.jpg みんな一緒だった最後の夏。
 出番が少ない大人のスタン(アンディ・ビーン)の見せ場には、更に涙腺が・・・。
 なんだかいろんな意味で胸がいっぱいに。 個人的な思い入れが強い物語なので客観的に判断できなくなっていますが、よくこんなにきれいな形にまとめたな、と。 まるでハッピーエンドのようなラストには、胸が締め付けられるよう。
 昔のことだから、過ぎたことだからではすまない心に残るわだかまりをいかに溶かし、咀嚼し、その頃の自分を受け入れるか。 人生を生きるとはそういうことではないのか、と半分以上を過ぎたであろう自分の年齢と来し方を思うのです・・・。
 約三時間、あっという間だった。

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2019年11月04日

イエスタデイ/YESTERDAY

 音楽映画、次はビートルズ!
 ダニー・ボイル&リチャード・カーティスの組み合わせなら素敵なコメディに違いないじゃない。

  イエスタデイP.jpg 昨日まで、世界中の誰もが知っていたビートルズ。
   今日、僕以外の誰も知らない――。

 小さな海辺の町で、ホームセンターでアルバイトをしながらシンガー・ソングライターとして活動しているジャック(ヒメーシュ・パテル)は、幼なじみで学校教師のエリー(リリー・ジェームズ)がマネージャーをしてくれているがまったく目が出ず、そろそろ夢はあきらめて堅実に生きるべきではないかと考えていた。 そんなある日、全世界で12秒間停電が起き、その間バスと接触事故を起こしたジャックは意識不明となる。 昏睡状態から目覚めたら、世界には<ザ・ビートルズ>が存在していないことに気づき・・・という話。
 伝記映画ではなく、あくまでビートルズの音楽は映画の素材。 でもそれがよかったと思う。

  イエスタデイ2.jpg 退院祝いにギターをもらう。
 それで爪弾いた“イエスタデイ”で思わず涙腺が緩む。 ジャックの歌がうまいとかではなく(いや、下手ではないけど)、彼のこれまでの葛藤が歌詞に反映されているからなのです。 心情に沿った歌詞の曲を持ってくるというズルいけど刺さる手口がいかにもリチャード・カーティスです(なんでビートルズがいないのかの説明もしないまま、なのも)。 “ヘルプ!”もぐっときた。
 「“Fix You”なんて“イエスタデイ”の足元にも及ばない!」とさりげなくコールドプレイをディスったり、ビートルズの存在しない世界にはオアシスもいなかったり、『ホワイトアルバム』の提案に対して「コンプライアンス的にそれは・・・」と却下されたりするイギリス的なギャグの数々には大笑いはしないけど、ついクスリとしてしまうものがある。

  イエスタデイ1.jpg エド・シーラン・・・。
 ビートルズに影響を受けていない若者世代の代表としてか、よく出演してくれましたねのエド・シーラン、ジャックの歌う“ザ・ロング・アンド・ワイディング・ロード”を聴いて敗北したといじける姿はとてもキュートだった。
 「誰が歌ってもビートルズの歌の素晴らしさは伝わるのね」と思ったけど・・・ふと気づく。 時が流れても歌は生き残るのではないか、たとえ作者の名が残らなかったとしても。 『きよしこの夜』はスコットランド民謡というだけで誰が作ったのか今ではわからないように、何百年何千年単位で考えたら作者は誰かなんて気にしなくなるかもしれない(クラシックの音楽家の名が残っているのは曲にタイトルがないから、「〇〇の何番」という言い方をしているせいでは)。 あとメロディと歌詞の合わせ技ね!
 エヴァーグリーン、永遠の輝きという言葉が頭に浮かぶ。

  イエスタデイ4.jpg リリー・ジェイムズかわいすぎ!
 エリーはすごくかわいいんだけど・・・よく考えたら<ちょっとイヤな女>なのよね! かわいいのでうっかりしてしまいそうですが。 ジャックの普通っぽさも微笑ましく、そのへんのゆるさがいかにもイギリスのラブコメディ、更にワーキングタイトル配給作品という感じ。
 いろいろ腑に落ちないことはあっても精いっぱい人生を生きよう的な前向きさですよ。
 もっとビートルズの曲が聴きたい!、と思ってしまうつくりはまさに「ビートルズへのラヴレター」。 リアルタイムのファンの方々はどう感じるのかわかりませんが、あたしはビートルズの偉大さを示す映画だったと思う。
 停電のシーンで東京タワーが出てきたけど、日本のテレビ局はなんか日本ではなかった・・・いつになったら日本はそれなりに正しく描かれるのだろうか、ちょっと気になった。

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2019年11月03日

ボーダー 二つの世界/Gräns

 原作にあたる短編だけを先に読んだ。 「なんか予告編と印象が違うが、どうなるのか」とドキドキしながら観に行く。
 『ぼくのエリ』とは全然違った。 自分の中にある“固定観念”を強烈なレーザー光線で焼き出された・・・。 原作者のヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト自身が脚本を担当しているので、長編映画にすることで原作を違うアプローチで語り直したんだろうなあとわかるけど、その思い切りのよさがすごいよ。

  ボーダー二つの世界P.jpg わたしは心を嗅ぎ分ける

 港で税関職員として働くティーナ(エヴァ・メランデル)は、人の負の感情を匂いとして嗅ぎ分けることができる能力を持ち、それを仕事に活かして密輸の摘発などを行っている。 とても有能だと周囲に認められているが、ティーナは自分が醜いことを恥じ、自分の居場所はどこにもないと感じている。
 ある日、ヴォーレ(エーロ・ミロノフ)という名の奇妙な人物に出会う。 彼に何かを感じて検査をするも、あやしいものは何も出てこなかった。 ヴォーレはティーナに「また会おう」と言って去るのだが・・・という話。

  ボーダー二つの世界1.jpg 運命の出会い。
 小説を読んでいるときには感じなかったのだが・・・映像としてはっきり現わされてしまうと・・・なんというか、ティーナの「獣性の強さ」にちょっと怯んでしまう。 メイクアップは米ドラマ『グリム』のベッセンと通じるものがあるし、匂いをかぐ仕草もあまりにも人間離れ。 最初は醜い感じでもだんだんとかわいく見えてくる、というのがこの手の映画の定石だが、ティーナが美しく見えることはない(むしろ、話が進むにつれ獣感は強くなる)。 観客の受動的な共感を拒否し、能動的に前のめりにならないとこの物語の本質はつかめないようになっている。
 これは最初から観客を選ぶ映画。  その醜さは人間も持っているものなのに・・・「気持ち悪い、悪趣味」で止まってしまう人はそれまで、とばっさり斬り捨てられる。 「わかる人だけわかればよい」ではなくて、「わからない人はもう一つの世界を知りえない」という圧倒的な宣告。

  ボーダー二つの世界2.jpg もう一つの主役は北欧の夏の光。
 暗い夜のシーンがかなり少ない。 夏なので、時間的には夜でも空は明るいのだ。 けれど太陽の光がさんさんと降り注ぐわけではなく、どこかひんやりしてそうな静かな光。 ティーナの私服がデニムシャツ → 薄手のダウンジャケットと変わることで夏から秋に近づいているのがわかるようになっているのよ。
 「衝撃の展開!」は原作を知っていたので驚かなかったけど、「どこまで描くのか、そこまで描いてしまうのか!」という驚きはあった。 全部が描きすぎというわけではないのだけれど・・・「手前で止めてる場面があるから全体的にそういう節度」みたいな予想は当たらないというか、だからこそのR+18指定なのだけれど。
 『ぼくのエリ』に熱狂したのは美しいから、青春物語だからだったのだろうか。 それとも、種をつなぐことやルーツ探しにあたし自身があまり興味を持てないからか。 いや・・・そういうことではない、きっと美しいか美しくないかを感じる基準。 境界を隔てることを概念的には理解できていると思っていたし、理性では多分わかっている。 でも、こんなにも「自分が思う見た目の美しさ」の範囲が狭いとは・・・ひどく落ち込むじゃないか。

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2019年10月28日

クロール −凶暴領域−/CRAWL

 今年はサメ映画が来ないな・・・と思っていたら・・・やってきたのはワニ映画。 サム・ライミがプロデュースだしなぁ、とうっすら期待。

  クロール凶暴領域P.jpg 思い出の我が家はヤツらのテリトリー

 フロリダにカテゴリー5のハリケーンが迫っている。 大学の競泳選手であるヘイリー(カヤ・スコデラーリオ)は、実家の父親(バリー・ペッパー)と連絡が取れないことが姉に告げられ、心配で、嵐が迫る中強引に家に戻る。 どうにか地下で倒れている父を発見して救出しようとするものの、その場には巨大なワニがおり、ハリケーンも迫ってきていた・・・という話。
 台風19号の被害を髣髴とさせる光景は全然笑えない・・・タイミングによっては上映中止の声が出ても不思議のないレベルで、もの悲しくなる。 娯楽映画に集中できないもどかしさがありました。

  クロール凶暴領域2.jpg とにかく水がきれいなのよ。
 バリー・ペッパー、すっかりおじさんになっちゃったなぁとしみじみ。 『グリーンマイル』はいったい何年前なんだ・・・と回想に浸りそうになる(『メルキアス・エストラーダの三度目の埋葬』のあたりからヒゲのワイルド系に寄ってはいたけど)。
 物語はそんな父親にビシビシ水泳を鍛えられた娘(でも娘はあるとき試合で結果を出せず父の期待にこたえられなかったと思い、父は娘に入れ込みすぎて母ともう一人の娘との関係性に失敗、そのこともまた末の娘を追い込む)との長年の複雑な関係を軸に、このトラブルを共に乗り越えようとすることで関係を修復できるかも、というアメリカの家族関係にしては珍しい、どちらかといえば日本にありがちな父と娘っぽいところが親近感あふれるが、近しい故に「おい、それはない!」とつっこみたいところもあり・・・。
 いや、こういう映画にリアリティを求めるのはお門違いであるとわかっているが。

  クロール凶暴領域1.jpg ワニのサイズがわからない。
 ワニ、初登場のシーンはやたら巨大に見えた。 人間の脚を片方丸ごと口にくわえこめるアリゲーターのサイズって何m? でも場合によっては小さく見えることもあり・・・陸上を闊歩するアリゲーターはある種の恐竜、水の中ではほぼサメと、水陸両用の襲撃者として大活躍!
 そしてなんというか・・・はっきり説明できないのだが、そこはかとなく漂う悪趣味感に見覚えが・・・『ピラニア3D』のアレクサンドル・アジャ監督だった! すごく納得した!

  クロール凶暴領域3.jpg こんなでも水がきれい。
 こんな極限状況にならないと腹を割って話し合えない父娘ってなんなの!、ではあるが、それを言ったら話が成立しないよね・・・。 心配はするけど特に何か行動を起こさないお姉ちゃんのほうにあたしは共感してしまったが、父とともに目指した一体感を知ってしまったら、すべてを忘れることはできないのね・・・(二人の行動のおバカさ加減の理由がここに)。
 とりあえず、ワニ描写は迫力。
 そしてこんな悪天候でも助けに来ようとするレスキューのみなさんに、「あぁ、なんて大変な仕事なの!」と胸が熱くなる。

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2019年10月26日

ジョン・ウィック パラベラム/JOHN WICK:CHAPTER 3-PARABELLUM

 そろそろジョン・ウィックの物語も終わってあげてもいいんじゃないですか。 彼に平穏な生活を、と望むのであるが、そうはいかないようで・・・でもシリーズ進むにつれて日本での上映館が減っているんですけど! なんだかつらい・・・。

  ジョン・ウィック:パラベラムP.jpg 世界はお前を許さない
   伝説の殺し屋は、復讐の果てに逃亡者となる

 ニューヨークコンチネンタルホテルにて、裏社会の掟を破ってしまったためにお尋ね者となってしまった元殺し屋のジョン・ウィック(キアヌ・リーヴス)。 巨額の賞金目当ての刺客たちの追撃をかわしながら、指令を止めてもらうためジョンは昔なじみの人びとを尋ねるが・・・という話。
 『チャプター2』のラストのすぐ続きから始まる本作、一作目から時間的にはずっと続いているわけで・・・ジョン・ウィックの体力と精神力ってどうなってるの?、なのだが、そういうことを言うのは野暮である。 これはそういう映画なのだ!

  ジョン・ウィック:パラベラム1.jpg 馬に乗ってバイクを振り払う!
 いきなり厩舎で銃をぶっ放すとか、追手のみなさんも無茶なことをするわけだが・・・馬がおびえて暴れるし、そもそも馬に当たったらどうするの!、という観客の心の叫びを別の形で解放してくれる爽快さ。 そう、『ジョーカー』よりもはるかにかなり残酷にバンバン人が死ぬというのに、爽快なのである。
 もうこの映画は、対人アクションにおけるバリエーションをどれだけ増やせるかに力点を置いているかのようだ(実際、アクションの連打だが飽きない)。 「わぁ、無茶するなぁ」と感嘆するのみである。
 そして何故かアンジェリカ・ヒューストンやハリー・ベリーといった豪華なゲストが出ているんですが、これってキアヌの人徳? それとも<ジョン・ウィック>シリーズはビッグヒット作品なのか?
 毎回、ジョンの好敵手となる相手が出てくるけど、今回は普段は寿司バーのカウンターに立つが忍者の奥義を身につけて殺し屋集団のトップに立つ男ゼロ(マーク・ダカスコス)。 興奮すると日本語が出るのだが、それがすごくあやしい・・・てことはこのシリーズに出てくる外国要素はすべてあやしいのかもしれない、と思う。

  ジョン・ウィック:パラベラム2.jpg あ、そうだった!
 ニューヨークコンチネンタルのコンシェルジュ、シャロンとして現れるランス・レディックは、他のどの作品とも違って“いい人オーラ”が出てるのよねぇ、不思議。 犬の世話をしてくれるから? 実はジョンを気遣っているから?
 多分、裏社会に生きる者たちにとってジョンは憧れの存在なのだ。 超一流の殺し屋と呼ばれながら愛する人のために引退した男(この世界から足を洗うことがものすごく難しいことがこれまでの流れからもわかる)。 そんな伝説の存在を自分の手で殺りたいという気持ち、なんでこの世界に帰ってきちゃったんだという憤りが混ざり合ったみたいな、愛憎の対象。

  ジョン・ウィック:パラベラム3.jpg 二頭会談。
 ニューヨークコンチネンタルホテルの支配人ウィンストン(イアン・マクシェーン)と地下の犯罪組織の王バワリー・キング(ローレンス・フィッシュバーン)の関係も複雑。 おじさん好きだからこの二人のシーンはニヤニヤしちゃうけど、ローレンス・フィッシュバーンは『マトリックス』のモーフィアスなんだよね・・・もはや忘れそうになってしまっているけど。 これ見てるとキアヌのネオとともに、どちらも思い出せない。
 というか、今回裏社会のヒエラルキーとかかなり大風呂敷広げて説明しちゃいましたよね、終わる気あるのか、終わらせる気はあるのか!

  ジョン・ウィック:パラベラム4.jpg 前作は鏡張りの部屋だったが、今回はガラス張り。
 『四季』の『冬』第二楽章のいちばんいいところをバックに銃に装填するところ、すごくカッコいい!
 ジョン・ウィックの不死身っぷりにはもう笑うしかなくて。 いや、かなりよろよろなんだけど、ジョンも相当やられながら相手の力を利用して戦う省エネなところもあるし、とはいえそれでも立ち上がるのねという驚き。
 彼はどこまで行くのだろう、いや、行かされてしまうのだろう? まだ続くんだね! こうなったら最後まで見届けたいよ!
 エンドロールにさりげなく、「ミカエル・ニクヴィストの思い出に」と挟み込まれてあって(日本語字幕もついてなかった)、ぐっと胸が熱くなった(彼は一作目でロシアンマフィアのボスの役であった)。 思い出させてくれて、ありがとう。

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2019年10月21日

JOKER ジョーカー/JOKER

 やっと、比較的すいている回にて。 それでも通常のレイトショーよりは人が多い。 ブームというかヒットしているのは本当なのね、と実感する。 実は予告の段階ではあまり率先して観たいほうではなかったのだが(内容がなんだか鬱になりそうだったから、あとジョーカーが特に好きというわけではないので)、最初の頃のこのポスターを見て気が変わる。

  ジョーカーP2.jpg 笑いの仮面をかぶれ

 1980年代のゴッサム・シティ。 ピエロメイクの大道芸でかせぎ、母ペニー・フレック(フランシス・コンロイ)の世話をするアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を支えにコメディアンを目指している。 しかし彼は精神疾患で入院したことがあり、現在も薬をのんで福祉のカウンセリングに通っている。 ギリギリの生活で余裕を失いそうになる中、アーサーのなぐさめはエレベーターで一緒になった同じアパートに住むソフィーとその小さな娘。
 だが、街を支配する大富豪のトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)は結果として格差をさらに広げる計画を立てていて・・・という話。

  ジョーカー1.jpg 顔色の悪さに衝撃を受ける。
 ホアキン、“激ヤセ”と言われているけれど役づくりでこれくらいはありだろう・・・と思っていたけど、服を脱いだときの背中の骨の動きに驚愕した。 もうここにジョーカーがいるんじゃないか、ぐらいの“別な生き物”感。 そして妄想でアーサーは自分を慰めているとわかる最初の場面でうっかり涙ぐんでしまう。 そうしないとやっていられない彼の状況に胸が痛んだ。 病気だとはいえ母親の無神経度もひどいし(『シックス・フィート・アンダー』のあのお母さん役の人だよ・・・こういう役、うますぎるんだよなぁと思っていたら、想像以上の役でした)。
 アーサーの笑い声はまるで泣き声だ。 そして泣き声は笑い声、それがアーサーの悲劇。

  ジョーカー3.jpg スタンダップコメディアンとしてステージにも。
 ピエロをひどい目に遭わせる不良少年たちの質の悪さに気分が悪くなるが、よく考えればこの街はゴッサム・シティなのだ(特にテロップは出ない)、ひどい奴らがいっぱいいておかしくない。 だが特に<悪徳の街>であるという描かれ方もしていなくて、どの場所でも起こりうる可能性を示唆しているが、決してアーサーを、ジョーカーを擁護するような描き方はしていない。 アメリカでの厳重警戒は過剰反応ではないかと思うが、何がきっかけで暴発するかわからないから対処するしかないのであろうか。

  ジョーカー2.jpg この階段、歩きたくなる。
 そんなわけでホアキン・フェニックス、ほぼ出ずっぱり、場合によってはずっと一人芝居を続けているようにも見える。 なるほど、「主演男優賞に!」と言われちゃうのわかる、まさに魂を削った演技ってやつで、観ていて胸が痛くなるよ。 映画でずっと鳴っている効果音や音楽は、アーサーの頭の中で常に聞こえているもので、観客もアーサーの視点で世界を見ていると気づかされるときは、もう引き返せないところまで来ている。 彼をかわいそうだとは思わない、同情もしない、でもただやるせない。

  ジョーカー4.jpg デ・ニーロ・・・あなたも場合によってはジョーカーを演じる側の人ですよね。
 マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)はアーサーが敬愛するコメディアン。 多分、アーサーは彼に父親的なものを見ているだろうし、彼の終盤のふるまいも道徳的な父性の象徴のよう。 だから・・・ジョーカーとして生きることを決めてすべてを振り切ったはずの彼が心に秘めていた行動、「それすらも、うまくいかない」と思い知ったときの笑い声が悲しすぎる(しかしあたしの中では、このときの一瞬の表情がホアキンのベストアクトだ)。

  ジョーカー5.jpg put on a happy face:笑いの仮面をかぶれ
 『バットマン』シリーズへの言及は最小限だが、ブルース・ウェインのことは知っているほうがより楽しめることは間違いない。 バットマン=ブルースから見た世界ではすごくいい人なトーマス・ウェインや執事のアルフレッドが、こちら側ではとんでもなくイヤな奴に見えるのが・・・ゴッサム・シティを悪が栄える街にしていったのはジョーカーではなくトーマス・ウェインなのでは?、と思えたりもする。
 更に、「誰もがアーサー=ジョーカーになりうる」という話なのかと思ったら・・・「誰もが、ジョーカーを祭り上げる側になりうる」ほうがぐさりと刺さる内容だった。 極端な少数意見が広まることで大多数のように見えてしまうことがある、まさに現代のネット社会でより起こりやすいこと。 匿名の無責任な言動が大きな流れをつくってしまう。 名もなき一市民はすべて被害者じゃない、社会に参加していることで責任は生じているのだ、社会に参加している自覚がないとしても(だからこそ<持たざる者>たちは余計に不満を抱えるのか)。
 そうか、ジョーカーに触発されるのではなくて、ジョーカーの本質に触れることなく現象に熱狂する人々のほうが危険なのか。 現実が危惧するのはそういう存在なのか。
 ただ、哀しい。 ひたすらに、かなしい。

  ジョーカーP1.jpg 本当の悪は笑顔の中にある
 すっかりポスターはこっちのほうになった。
 <本当の悪>ってなんだろう。 自覚のない、無知さだろうか。

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2019年10月19日

蜜蜂と遠雷

 『ジョーカー』がめっちゃ込んでいたので、こちらを先に観ることに。

  蜜蜂と遠雷 映画P.jpg 私はまだ、音楽の神様に愛されているだろうか?

 近年世界的に注目を浴びる芳ヶ江国際ピアノコンクールに今回出場するのは、かつて天才少女として騒がれながら姿を消していた栄伝亜夜(松岡茉優)、サラリーマンとして働いているが年齢制限ギリギリで最後のチャンスにかける高島明石(松坂桃李)、ジュリアード在学中の期待の“王子”マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、まったくのダークホース風間塵(鈴鹿央士)たち。 コンクールを誰が勝ち上がっていけるのか。

  蜜蜂と遠雷 映画3.jpg マサル、想像より大人!
 原作通りにはならないこと、かなりスリムコンパクト化されているだろうことは想像していたが・・・かなり刈り込んだなぁ! 登場人物も人間関係もかなり絞った、という印象。 だから2時間強とはいえ一本の映画に収まったわけだが・・・原作を読んでいない人にはどう映ったのだろう、とつい考えてしまう。

  蜜蜂と遠雷 映画1.jpg 新曲『春と修羅』の作曲者(光石研)は日本語で、シルヴァーバーグ先生は英語で会話する感じがシュールで面白かった。 予算のなさも感じられたが、前半は日本映画にしては字幕が多いからちょっとでも減らそうという工夫か。
 原作では当然ながら全部日本語だが、本来審査員のみなさんは英語で会話してるんだよな・・・と妙に納得。 斉藤由貴の英語にも違和感なしで、むしろ日本語のほうがツンケン度が出ていて彼女もまた“元天才少女”であることを感じさせられます。

  蜜蜂と遠雷 映画4.jpg 二人の連弾はこんなふうか・・・。
 光と影の使い方、特に影になった部分の陰影にも何種類かあって、暗くても表情とかちゃんと見えるんだよなぁ! そこが石川慶作品の真骨頂というか、映画館のスクリーンでものすごく映えるところ(『愚行録』も素晴らしかったが、WOWOWドラマ『イノセント・デイズ』ではそこまで実感できなかった)。
 ただやっぱりピアノのシーンはプロの方が吹き替えているので、撮影の角度がある程度決まってしまっているのが悲しい。 長袖シャツの男性はともかく、女性のドレスは腕が出ているから違う人だとわかってしまう(そのあたり敏感ではないあたしが気づくぐらいなので、気になる人はかなり気になると思う)。

  蜜蜂と遠雷 映画2.jpg 海にはこの4人で行きます。
 この4人が主役ではあるが・・・栄伝亜夜さんによりフォーカスされがちなのはまとめるために仕方がないのか。 というか、栄伝さんの心理描写部分はほぼホラーで・・・本人にはその自覚がないだけにこちらがぞわっとする。 才能と狂気は紙一重なのかみたいな。 石川監督にはいつかしっかりモダンホラーを撮っていただきたいものだ。
 主要人物それぞれが若干原作のイメージとは違っているが、まぁこれはこれでよいかと。
 明石くんは「生活者の音楽」について言い過ぎかな。 4人の中でいちばん練習している感があるのが風間塵だという不思議。 彼の“厄災”らしさはあえてしっかり表現しなかったのかな(それをしたら話がまとまらない)。

  蜜蜂と遠雷 映画5.jpg 世界的指揮者(鹿賀丈史)の行動が謎すぎるが・・・彼もまたホフマン先生の意向を受けてのことなのかなということで(そうじゃないのなら単に意地悪というか、あまりに性格悪い)。
 もしくはマサルの見せ場のために。
 あとはやはりピアノ曲。 もっと聴きたかった!
 コンクールで課題曲が一曲だけっておかしいよねと思いつつ、『春と修羅』の解釈の違いでそれぞれの個性の違いを表現と最小の時間で最大限の効果を出す工夫は認めるしかなく。 プロコフィエフまでがすごく短かった!
 そして個人的なクラシックにまつわる記憶が自分の中から湧き上がってきた。 匂いが記憶につながっているとよく聞くが、あたしはそれがよくわからなくて・・・でも音や音楽があたしにはその引き金なのかもしれないと思わされた。
 音楽を奏でる高揚感、それは確かにここにある。

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2019年10月17日

シンクロ・ダンディーズ!/SWIMMING WITH MEN

 スウェーデンの実話をもとにした映画2本、フランス版は先日観た『シンク・オア・スイム』だったが、満を持してイギリス版登場!

  シンクロ・ダンディーズP.jpg はだか一貫、花咲かす!
  さえない日々に二度目の青春を輝かす、抱腹絶倒のスポ根ブリティッシュ・コメディ!

 すっかり妻との折り合いが悪くなり、息子とも意思疎通ができなくなった(はっきり言えばバカにされている)会計士のエリック(ロブ・ブライドン)は、ひたすら泳ぐことで現実逃避をしていた。 妻は図書館廃止反対の代表に選ばれ、充実した日々を送っていて(しかもその仲間には彼女に色目を使う男性がいるような)、自分が役立たずだと感じているためだ。 すっかりなじみとなった公営プールで、中年男性ばかりで構成されたアーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスウィミング)チームと顔みしりになったエリックは「数字に強い」という特性を生かしメンバーの練習の仕方にアドバイス。 それがもっともだと身をもって知ったルーク(ルパート・グレイブス)らメンバーたちは、エリックに加わってもらうように説得する。 断り切れないエリックは、次第に練習に楽しさを見出していく。
 そしていつしか、イギリス代表チームの一員として世界選手権に出場することになって・・・という話。

  シンクロ・ダンディーズ1.jpg 『シンク・オア・スイム』より練習過程は多め。
 だからエリックがアーティスティックスウィミングにはまっていく過程は丹念に追っていたような気がする。
 しかしこのチームには<鉄の掟>があって・・・個人的な悩みや弱音ははかないとか、プライバシーに踏み込まないとか、プールの中の出来事はプールだけの秘密、とか。 出会ったその日から個人的な悩みを吐露しまくった『シンク・オア・スイム』と全然違う! これって国民性なのか?
 また元祖ご本家(モデルとなったスウェーデンチームの今のキャプテン−本人)が出演したり、彼らへの「負けてたまるか」の気持ちでメンバーが一致団結するとか、フランス版とは違う展開多し。  群像劇としては少し弱め、エリックがほぼ主役で、他の人たちのバックボーンはあまり語られないのがちょっと物足りない。

  シンクロ・ダンディーズ2.jpg その分、プールのシーンが多めになっております。
 チーム最高齢のテッド(ジム・カーター)は『ダウントン・アビー』のカーソンさんで、ルーク(ルパート・グレイブス)はBBCの『シャーロック』でのレストレード警部、なによりエリックは『イタリアが呼んでいる』のロブなのでその3人の親しみ具合というか、安定感は抜群なれども、それ以外の人たちが掘り下げられてない・・・まぁ、水の中に入っちゃえば誰が誰かよくわからなくなっちゃうけどさ。

  シンクロ・ダンディーズ4.jpg ルパート・グレイブス、ちょっとかっこいい役!
 レストレード警部ではカッコ悪めではあるが、本作では意外と“いい男”パート担当。 家を出て来たエリック(被害妄想から本人は追い出されたと思っている)を自分のところに泊めたりとか、なし崩しになっていく<鉄の掟>に対しても「いいじゃないか」的すべてを受け入れる・更に新しいチャレンジを恐れない人物で。 彼のキュートさがこの作品の収穫かな!(とはいえルークは離婚歴があり、子供たちに会えないという孤独を抱えた本質的にはダメ男なのだが)

  シンクロ・ダンディーズ3.jpg 非公式世界選手権にて。
 音楽の盛り上がりが個人的にいまいち・・・時代設定を現在に持ってきたから? みんなが知ってる!、という曲を使っていないため盛り上がり切れませんでしたが、水中での技など大胆に表現・描写! そこはダイナミック!
 同じ題材でもこんなに変わるのか・・・国民性というか、その国での今のトレンドが見えるようで面白い!
 イギリスでは奥様によろこんでもらうことがいちばん大事なのね、と実感するも、フランス版の個人主義故のお互いを尊重する関係のほうが今のあたしは好きだなぁ。 ということで個人的には『シンク・オア・スイム』に軍配!

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2019年10月13日

ホテル・ムンバイ/HOTEL MUMBAI

 これもまた以前、『ハリウッド・エクスプレス』で紹介されて知ったのだが、「あれ、この映画の予告、前に見たことがあるような・・・でもキャストが違うなぁ」と思っていた。 で、それはシネマ神戸のレイトショーでやってた『ジェノサイド・ホテル』だったのである(期間が短かったので観に行くことはできず)。
 これはそのハリウッドリメイクなのか、たまたま同じ事件を題材に描いたものなのか不明だが、デヴ・パテルくんが出るなら観たいよね、となんとか駆けつける。

  ホテル・ムンバイP.jpg 彼らは<信念>だけで、銃に立ち向かった。
  2008年、五つ星ホテルで起きたテロからの、奇跡の救出劇

 インドのムンバイにある五つ星ホテルのタージマハル・ホテルで、敬虔なシーク教徒のアルジュン(デヴ・パテル)は給仕として働いている。 オベロイ料理長(アヌパム・カー)はとても厳しい人だが、公正なのでみな尊敬している。 「お客様は神様です」の心情のもと、タージマハル・ホテルの従業員たちはハイレベルのサービスを行うことが誇りだった。
 しかし2008年11月26日、ムンバイで起こった同時多発テロの舞台のひとつとしてこのホテルが選ばれた。 その日、ホテルには富豪の娘ザーラ(ナザニン・ボニアディ)が夫であるアメリカ人の建築家デヴィッド(アーミー・ハマー)、ベビーシッターのサリー(ティルダ・コバン=ハーヴィー)と乳児の娘、盛大なパーティーを主催するロシア人の実業家のワシリー(ジェイソン・アイザックス)など世界各地からの宿泊客が多くいて・・・という話。

  ホテル・ムンバイ1.jpg デヴ・パテルくん大人になったなぁ。
 と思ってしまうのは、やはり『スラムドッグ・ミリオネア』の印象が強くその後も定期的に観ているからでしょうか。 今回もイメージそのままの役(実直で、誠実で頑張り屋)なので安心して観ていられる・・・のだけれど、テロ実行犯たちが動き出してからは誰がどうなるかわからない緊迫感に満ち、最後までずっと続くのだった。

  ホテル・ムンバイ3.jpg アメリカ人が安易にヒーローにならないところもリアル。
 アーミー・ハマーの役柄が、見ているこっちの顔色が変わりそうなほど無神経なアメリカ人で・・・妻と子供は愛しているけど妻の生まれた国の文化に敬意を払っていないというか。 妻のザーラ側にも先進的な考えがあって不合理な因習を批判しているんだろうけど、外国人である夫がそのへんに無関心なのはどうなの?、と。 そのあたりにもインドが抱えている問題が見える。

  ホテル・ムンバイ4.jpg 実行犯たちは「あんな子供が」と言われてましたが、あたしには年齢がよくわからず。
 子供っぽい一面も描かれてますが、ためらいもなくその場にいる人を撃ち殺せる冷酷さというか異教徒は人と思ってない感じがビシビシ伝わり、その場に居合わせたら誰もが殺されておかしくない恐怖が。 相手が少人数でもカラシニコフ撃ちまくってこられたら誰も対応できない無力感がただごとでない。 しかし実行犯たちも何者かの指示で動いているだけに過ぎず、神の名のもとに利用されているだけ。
 教育って大事だなぁ、何か一面だけではなく幅広い視野を持つための、ということしか思えない・・・。

  ホテル・ムンバイ2.jpg 料理長、かっこいい。
 そんな中、誰も責めない、オベロイ料理長がこの映画の良心だった。
 同時多発テロが大ニュースなのはわかるが、実況生中継をすることでテロリスト側に情報を提供してしまうことをマスコミはどう考えるのか。 大きな事件が起こるたびに問題になるが、その答えは出されてないように思う(そもそもどう考えているのかがまったく見えない)。
 実行犯テロリスト側を理解不能な化け物として描かない、被害者側も一方的に描かない、とかなりバランスがとられているというか配慮が感じられるけど(だからホテルマン視点なのかも)、R15+なだけあって流血すさまじい。
 ムンバイ同時多発テロってこんなに大規模だったのか!、とまたしてもちゃんと知らない自分が情けない。
 日本でこういうことが起きないのは銃規制がなされているからだけなのでは、と考えてしまう。 広く公開されてないけど、もっと多くの人が観るべき、知るべき内容じゃないだろうか。

posted by かしこん at 18:57| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする