2019年10月21日

JOKER ジョーカー/JOKER

 やっと、比較的すいている回にて。 それでも通常のレイトショーよりは人が多い。 ブームというかヒットしているのは本当なのね、と実感する。 実は予告の段階ではあまり率先して観たいほうではなかったのだが(内容がなんだか鬱になりそうだったから、あとジョーカーが特に好きというわけではないので)、最初の頃のこのポスターを見て気が変わる。

  ジョーカーP2.jpg 笑いの仮面をかぶれ

 1980年代のゴッサム・シティ。 ピエロメイクの大道芸でかせぎ、母ペニー・フレック(フランシス・コンロイ)の世話をするアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を支えにコメディアンを目指している。 しかし彼は精神疾患で入院したことがあり、現在も薬をのんで福祉のカウンセリングに通っている。 ギリギリの生活で余裕を失いそうになる中、アーサーのなぐさめはエレベーターで一緒になった同じアパートに住むソフィーとその小さな娘。
 だが、街を支配する大富豪のトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)は結果として格差をさらに広げる計画を立てていて・・・という話。

  ジョーカー1.jpg 顔色の悪さに衝撃を受ける。
 ホアキン、“激ヤセ”と言われているけれど役づくりでこれくらいはありだろう・・・と思っていたけど、服を脱いだときの背中の骨の動きに驚愕した。 もうここにジョーカーがいるんじゃないか、ぐらいの“別な生き物”感。 そして妄想でアーサーは自分を慰めているとわかる最初の場面でうっかり涙ぐんでしまう。 そうしないとやっていられない彼の状況に胸が痛んだ。 病気だとはいえ母親の無神経度もひどいし(『シックス・フィート・アンダー』のあのお母さん役の人だよ・・・こういう役、うますぎるんだよなぁと思っていたら、想像以上の役でした)。
 アーサーの笑い声はまるで泣き声だ。 そして泣き声は笑い声、それがアーサーの悲劇。

  ジョーカー3.jpg スタンダップコメディアンとしてステージにも。
 ピエロをひどい目に遭わせる不良少年たちの質の悪さに気分が悪くなるが、よく考えればこの街はゴッサム・シティなのだ(特にテロップは出ない)、ひどい奴らがいっぱいいておかしくない。 だが特に<悪徳の街>であるという描かれ方もしていなくて、どの場所でも起こりうる可能性を示唆しているが、決してアーサーを、ジョーカーを擁護するような描き方はしていない。 アメリカでの厳重警戒は過剰反応ではないかと思うが、何がきっかけで暴発するかわからないから対処するしかないのであろうか。

  ジョーカー2.jpg この階段、歩きたくなる。
 そんなわけでホアキン・フェニックス、ほぼ出ずっぱり、場合によってはずっと一人芝居を続けているようにも見える。 なるほど、「主演男優賞に!」と言われちゃうのわかる、まさに魂を削った演技ってやつで、観ていて胸が痛くなるよ。 映画でずっと鳴っている効果音や音楽は、アーサーの頭の中で常に聞こえているもので、観客もアーサーの視点で世界を見ていると気づかされるときは、もう引き返せないところまで来ている。 彼をかわいそうだとは思わない、同情もしない、でもただやるせない。

  ジョーカー4.jpg デ・ニーロ・・・あなたも場合によってはジョーカーを演じる側の人ですよね。
 マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)はアーサーが敬愛するコメディアン。 多分、アーサーは彼に父親的なものを見ているだろうし、彼の終盤のふるまいも道徳的な父性の象徴のよう。 だから・・・ジョーカーとして生きることを決めてすべてを振り切ったはずの彼が心に秘めていた行動、「それすらも、うまくいかない」と思い知ったときの笑い声が悲しすぎる(しかしあたしの中では、このときの一瞬の表情がホアキンのベストアクトだ)。

  ジョーカー5.jpg put on a happy face:笑いの仮面をかぶれ
 『バットマン』シリーズへの言及は最小限だが、ブルース・ウェインのことは知っているほうがより楽しめることは間違いない。 バットマン=ブルースから見た世界ではすごくいい人なトーマス・ウェインや執事のアルフレッドが、こちら側ではとんでもなくイヤな奴に見えるのが・・・ゴッサム・シティを悪が栄える街にしていったのはジョーカーではなくトーマス・ウェインなのでは?、と思えたりもする。
 更に、「誰もがアーサー=ジョーカーになりうる」という話なのかと思ったら・・・「誰もが、ジョーカーを祭り上げる側になりうる」ほうがぐさりと刺さる内容だった。 極端な少数意見が広まることで大多数のように見えてしまうことがある、まさに現代のネット社会でより起こりやすいこと。 匿名の無責任な言動が大きな流れをつくってしまう。 名もなき一市民はすべて被害者じゃない、社会に参加していることで責任は生じているのだ、社会に参加している自覚がないとしても(だからこそ<持たざる者>たちは余計に不満を抱えるのか)。
 そうか、ジョーカーに触発されるのではなくて、ジョーカーの本質に触れることなく現象に熱狂する人々のほうが危険なのか。 現実が危惧するのはそういう存在なのか。
 ただ、哀しい。 ひたすらに、かなしい。

  ジョーカーP1.jpg 本当の悪は笑顔の中にある
 すっかりポスターはこっちのほうになった。
 <本当の悪>ってなんだろう。 自覚のない、無知さだろうか。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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