2019年09月10日

永遠に僕のもの/EL ANGEL

 アルゼンチンに実在する殺人者の話で、製作はペドロ・アルモドバル。 もうそれだけで「観るべき感じ!」がしてしまう。 実際に事件の知識はないのだが・・・。

  永遠に僕のものP.jpg 堕ちる
  1971年、天使の顔をした殺人犯に世界は発情した。

 1971年のブエノスアイレス。 17歳のカルリートス(ロレンソ・フェロ)は「もっと自由に生きたらいいのに」と周囲を見渡して思いながら、心の赴くままにあいた窓から他人の留守宅に入り込み、レコードをかけて踊りながら、そこで気に入った品を盗んで出ていく。 そこには全く罪悪感などない。 善良で優しい両親に愛されて育っている彼には家庭に問題もないが、うすうすカルリートスの行状に気づいている母親から転校を言い渡される。 新しい学校で出会ったラモン(チノ・ダリン)は粗雑で乱暴だが、カルリートスは彼を一目で気に入る。 ラモンもカルリートスの美しさと当たり前に罪を犯すギャップに魅せられ、二人はコンビを組んで(時にはラモンの父親も絡んで)様々な犯罪に手を染めていく・・・という話。

  永遠に僕のもの3.jpg 高校で出会った二人。
 ラモンはわかりやすい男性系ハンサムで、単純バカなところが気に入ったんだろうか? お互いにまったく違うから。 しかしラモンはどんどんおバカ寄りになっていき(泥棒しているところを目撃されたりしているのに、テレビのオーディション番組に出るとか! 松本清張の『顔』の恐怖はないんだな!)、その当時の“男らしさ”みたいなものの窮屈さを感じる。

  永遠に僕のもの2.jpg 一方、カルリートスは。
 お母さん(セシリア・ロス)が彼を呼ぶときは「カルロス」と聞こえる(字幕では「カルリートス」)。 お母さんはドイツ系だということがわかり、なんとも微妙な気持ちに(おかあさんが『オール・アバウト・マイ・マザー』の主人公だとあとから知り、衝撃だった)。 カルリートス、ときどき瀬戸康史にすごく似て見えるときがあって、「似た系統の顔立ちなのか?」と思ってしまう。 化粧すると女性っぽい、角度によっては天使にも妖艶にも見える美形、なのに服を脱ぐと幼児体形というギャップ。 なるほど、ロレンソ・フェロという逸材を見つけたが故のこの映画!、ですね。

  永遠に僕のもの1.jpg 金髪のくるくる巻き毛、というのが絵になる。
 70年代のアルゼンチンってそんな感じだったのですか?、というのは興味深かった。
 ただ事件の実録ものというよりは、実際の出来事をベースにした幻想という感じ。 人を殺すのもその場の勢いだったりで計画性はない。 むしろ重視される犯罪は窃盗のほうで、「あれ、あたしが期待してたものとなんか違う」と肩透かし気味。 殺人に対してもっと覚悟を持った人を描いてほしかったのだろうか、あたしは。 彼は道徳や常識などに縛られる気は最初からなく、自分が何をしているのか気に留めていないのが(わかっていない、ではなく)ずっともどかしかった。
 そんな挑発的なところがいかにもペドロ・アルモドバル的。 でももう彼には撮れないだろう勢いと粗削り感が、アルゼンチン映画界の若手がどんどん出てきている証拠ですかね。
 BL的要素はそんなになく、ただカルリートスがラモンに恋してたというだけなので・・・片思いが行動原理の引き金だったというのは、それはそれで悲しいけど。
 「でも、ほんとにきれいな顔だよね!」と上映終了後に大学生ぐらいの女子たちがキャーキャー言っていて、「なるほど、やっぱりそうなんですね」と妙に納得。 ティモシー・シャラメも美少年なんだろうな、とは思うのですが、そのことだけであたしは盛り上がれないことに改めて気づく。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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