2019年09月06日

ロケットマン/ROCKETMAN

 比較してはいけないとわかっているが・・・本作の監督デクスター・フレッチャーはブライアン・シンガーがクビになったあと残り二週間の撮影を仕切り、『ボヘミアン・ラプソディー』を完成させた人だということなのでついほんのちょっと思ってしまう。 あれほどでなくても、近い感動があるのではないか・・・とつい・・・どうなんだろう、なんかもやもやするので、早々に自分の目で確かめることにする。

  ロケットマンP.jpg そのメロディは、世界中を魔法にかける。

 ロンドンの下町に住む人見知りの少年レジナルド・ドワイトは、音楽の神に祝福されていたが両親の不仲で愛を感じられずにいた。 だが音楽を通じて王立音楽院に進み仲間もでき、エルトン・ジョン(タロン・エガートン、エジャトン?)という新たな名前で前に進むことができた。 詞を書くバーニー・トーピン(ジェイミー・ベル)と運命的に出会って作詞作曲のコンビを組んでからは世界的にヒットを飛ばすようになる。
 だが、大スターの階段を登っていくにつれ、エルトンの孤独は深まっていき・・・という話。
 いきなりのミュージカル展開にびっくりする。
 えっ、音楽映画じゃなくてこれそのまま舞台のミュージカルにできちゃうタイプ? まだミュージカルを完全に受け入れていない身としては厳しいんですけど!、と誰かに訴えたいような気持ちになる。
 ここで思い出したのがデクスター・フレッチャー監督の『サンシャイン/歌声が響く街』。 これも音楽を使った映画かと思ってたらミュージカルだったんだよね・・・なんかこの唐突感、通じるものがあるわ〜。

  ロケットマン4.jpg 町のみなさんを巻き込んでの歌い踊り。
 もうちょっとうまいことシーンを繋げなかったのか、それともこのままブロードウェイミュージカルにするつもりなのか。 ものすごい“舞台感”が全体から漂っている。 いや、そもそもこれはミュージカル舞台の映画化なのか?、ぐらいの。 それであたしはちょっと気持ちが引いてしまった。

  ロケットマン5.jpg そんな中、バーニーの存在が唯一のよりどころ。
 うおぉ、ジェイミー・ベルったらすっかりいい役者になった!、と近所のおばちゃんみたいな気持ちになったけど、この映画の中でまともな感覚を持っているのがバーニーしかいないので・・・ほんとに彼がカッコいいと思うわけです。
 ミュージカルでエルトン・ジョン役を演じているので、歌は全部タロンくんが歌っている。 それはすごくうまいのですが・・・原曲を聴くつもりでいるとちょっと微妙? 映画用にかなりミュージカル調にアレンジもされてるし・・・その点も原曲にほぼ忠実、アレンジはアップデートのみだった『ボヘミアン・ラプソディ』と徹底的に違うところ。

  ロケットマン2.jpg でも“Your Song”ができる過程には感動!
 個人的にはここがピークでした。
 ヒット曲が沢山ある人は仕方がないんだけど、エルトン・ジョンのヒット曲ってこれだけじゃないよねぇ!、“グッバイ・イエロー・ブリック・ロード”もスルーされるのかと思ったし!(後半の重要な場面で使われます)、と「あの曲がないんですけど」問題は発生します。
 映画のサントラよりも、エルトン・ジョンのベスト盤が欲しくなる。

  ロケットマン1.jpg 左の人がのちにマネージャーとしてすべてを仕切るジョン・リード(リチャード・マッデン)。
 ジョン・リードは『ボヘミアン・ラプソディ』にも出てくるから・・・やっぱり比べちゃいますよね。 まだ若い頃だし演じる役者さんも違うのですが、エルトンから見たらジョン・リードは<悪役>なんでしょう、全然キャラに深みがない・・・。
 そう、エルトンのセラピーに観客が付き合わされている、みたいな感じというか。
 親に愛されない、という恨みはここまで人を蝕むのか・・・と自らも省みて戦慄する。 母親役のブライス・ダラス・ハワードがまた強烈だということもあるけど。
 酒やドラッグにおぼれ、同性愛者という苦悩も抱えて孤独にさいなまれる描写は痛々しくもあれど、あまりに類型的で、「これ、別にエルトン・ジョンじゃなくてもよくない?」、と。 親に愛されない悲しみはわかったよ、でもあなたは音楽の神様に愛されてるじゃないか、音楽を通じて多くの人に愛されてるじゃないか、でも本人はそのことに気づいていないもしくは大事なことだと思っていないのかと感じてしまい、ひどく悲しくなる。

  ロケットマン6.jpg おばあちゃんだってずっと理解者だったじゃないか。
 この映画の中には音楽を聴く、エルトンのステージを見に来る観客視点が不在なのだ。 そりゃ曲は作った人のものだけど、発表されたら聴いた人のものになるのでは(それこそ『僕の歌は君の歌』、“君”がすべての人になって、曲は永遠の輝きを手にするのでは)。 なのにここにはエルトンの周囲の人間しか出てこないし現れないのがもどかしい。 だからあたしも置き去りにされたような感じで、バーニーに救われるだけ。
 むしろこの映画で描かれなかった後の時代のほうが重要なんじゃないのかな(エンディングテロップでさらっと流されるけど)。
 エンドロールでタロンくんの姿と実際のエルトンの写真とを対比させてるけど、それも「ここまで再現したんですよ、すごいでしょ?」と自慢しているみたいでなんかダサい・・・。 ベルの音で場面転換、というのはデクスター・フレッチャーのアイディアだったのかな? それでも、クビにはなってもブライアン・シンガーのほうが監督としてのレベルは上なのかなぁと感じさせられたり。
 あぁ、やっぱり『ボヘミアン・ラプソディ』は奇跡的な作品だったのだなぁ、あの編集はほんとに素晴らしいよ、としみじみ(結局比較してるじゃん)。
 でも、『ボヘミアン・ラプソディ』を悪しざまに罵っていた人たちは『ロケットマン』をほめていたりする。 そこは好みなんですねぇ、決して相いれないものが世の中にはあることを実感して、また悲しくなる。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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