2019年06月06日

12か月の未来図/LES GRANDS ESPRITS

 フランスの学校・教育ものは興味深い、移民社会になってからは特に。 『パリ20区、僕たちのクラス』で気づかされてから、あたしも意識して観るようになった。 日本の学園ものはコメディとファンタジーと安っぽい感動が入り乱れているが、フランスはドキュメンタリータッチなのだ。

  12か月の未来図P.jpg そのとき、人生に光が差し込んだ。僕たちの一期一会。

 ベテラン教師のフランソワ・フーコー(ドゥニ・ポダリデス)はパリの名門・アンリ4世高校で国語を教えているが、最近の生徒たちの学力低下・やる気のなさを嘆いている。 彼の父親は国民的な作家で、コンプレックスは持っているものの、インテリブルジョアとして育ったことを当たり前だと感じているフランソワは、勉強ができないのはやる気がないだけで本人の責任だと思っている。 ある集まりで、パリとパリ郊外の学校の学力格差は教師の能力の差であるという話をしたら、熱心に聞いてくれる美女がいて、後日彼女にランチに誘われて有頂天になるフランソワ。 しかしそれはデートのお誘いではなく、国民教育省でのビジネスミーティングだった。 ベテラン教師として一年間、郊外の学校(実は教育困難校)で教えてくれませんかという申し出に、メンツから断り切れなくなったフランソワだが・・・という話。

  12か月の未来図4.jpg パリでは見るからに「いやな教師」そのもの。
 テストを返すときに点数を読み上げ、「いつになったらまともな点が取れるのかね」などクラス全員にイヤミなコメント全開にする感じ、フランソワはほんとにイヤなヤローである。 だから美女に目がくらんで窮地に陥るさまは「ざまーみろ」的な感じになるのだが、こんなのが郊外の学校に行ったらそこの生徒たちは大丈夫なの?、と心配にもなる。
 勿論、結構いい年なのに父親に自分は認めてもらえてない的な屈折した思いを抱いているのも伝わり、ただのイヤなヤツではないこともわかるのだが・・・この人の加減、絶妙だなぁ、と思う。 「主に舞台で活躍するベテラン俳優兼演出家」だそうで、納得!

  12か月の未来図1.jpg 新しい学校のレベルの低さに愕然とする。
 時間通りに来ない生徒たち、おしゃべりがやまず、前もって机の上に教科書やノートも準備しない。 初めての書き取りテストではそもそも点が取れない。
 それでやっと、「今までいたのはエリート校だった、自分は楽をしていた」ことに気づくという。 名門校に進学するような子供たちはいわゆる昔ながらのフランス人家系が多かったのであろう、アフリカ系とおぼしき名前が読めない・一回で発音できないことに焦って、価値観が崩壊する。 「教師のレベルが低い」と思っていたけど、問題はもっと根深いことを知るのだ(つまり自分は教師としてレベルが上だと思っていた、ということだが)。
 まだ若い教師たち、数学担当のガスパール(アレクシス・モンコルジェ)や歴史担当のクロエ(ポリーヌ・ユリュゲン)の話も聞いて、自分なりの授業の進め方を模索していくところは面白い。 教育指導要領みたいなものがあるところではそういう工夫は難しいかもしれないかもだが。
 生徒たちはそれぞれに事情を抱えているが、クラスのいちばんの問題児はセドゥ(アブドゥライエ・ディアロ)だ。 同じクラスの女の子が好きでちょっかいを出し、それでは嫌われるだけだと気づかない子供っぽさもあるのに、大麻入りのブラウニーを学校に持ってきたり、やたら反抗的な態度を繰り返したりして、「他に悪い影響を与えるから退学させたほうがいいのでは」と思われているという。

  12か月の未来図2.jpg しかし退学にしたとも彼の受け皿はギャングみたいなものしかない、とフランソワは反対、なんとか彼を学校に来させたいと考える。
 そのへんのフランソワの気持ちの移動がすごく自然で、「なんてイヤなヤツ」と思っていたことを忘れて応援したくなってしまうのである。 それは初めて知る自分の中にある父性、みたいな。
 他の子にも問題はあるのにセドゥにばかり肩入れしすぎでは、と思っちゃうのは日本人的感覚なのかなぁ(それはえこひいきにならないのか?、とか)。 他の子たちにも「セドゥは大変だから」という認識があるからいいのだろうか。 それに、日本よりも子供に対する学校の管理責任みたいなものは問われていない感じがする。
 しかも子供たちは子役というより、ロケ地に選んだその学校に通っている普通の子供たち、という感じがする。 だからよりドキュメンタリーっぽく見えるのかも。
 向こうの学校には<指導評議会>というものがある。 特別に指導が必要と判断されたとき、生徒本人と親が呼び出され、校長以下教師が揃って話し合う会議で、場合によってはそこで退学が告げられる。 担任はその場にいられても、最終的な評議には参加できないという過剰すぎる公平さにびっくりする。 やはり学校の捉え方が違うとしか言いようがない。

  12か月の未来図3.jpg 女性で失敗(?)してるのに・・・こりない人、ダメじゃん、フランソワ。
 結局、考えるのは「教育とは何か」である。 フランソワは従来の学校教育に適応できたからそれ以外の価値や考え方を認める必要がなかったけど、すべての人間がそうじゃない。 学校を出てからも成長できるような手掛かりを与えたり、自分で調べたりできるような力が身につくようにするのが学校なんだよなぁ。 あたしは本と映画で大概のことは学べるような気がするが、それが合わない人もいるだろうし。
 問題が多すぎて正解がない。 だから、ある一例を提示するしかないのかも。
 そっけなさすぎる終わりも、フランス映画っぽい。
 エンドロールでメリー・ホプキンの“悲しき天使”が流れた。 ひどくレトロな曲なのに、懐かしい以上の感情がわき、頭の中をぐるぐると回る。 学校で苦しんだり、ひどい目に遭う人が一人でも少なくなればいい。 全然学校とは関係ない生活をしているのにそんなことを考えてしまうのは、“学校”という存在に今でも何か期待をしているのかもしれない。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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