2019年03月24日

王とサーカス/米澤穂信

 読みたかったのだが、「読み終わるのがもったいない」と隠し持っていた。 『真実の10メートル手前』のときとは違って「次にこれがある!」という状況ではないから。 でも『さよなら妖精』を再読し・・・あたしは太刀洗さんにそうあるよう期待してしまっているところがあったなぁ、と反省した。 太刀洗さんなら何でも知っているだろう、常に適切な判断ができるだろう・・・太刀洗さんはそういう人であってほしい。 過剰な期待は、ご本人にすれば迷惑なこともまたわかっているのに。
 だから、やっと読む気になった。 ありのままの彼女を、至らない面もある、戸惑い、悩み、自らのふがいなさに歯ぎしりするような、そんな太刀洗さんに会うために。

  王とサーカス 文庫版.jpg それは2001年、ネパールでの出来事。
 日本の月刊誌の依頼で、旅行に関する記事を書くつもりでネパールにやってきたフリーランスの記者太刀洗万智。 トーキョーロッジという小さな宿に落ち着き、現地の土産物売りの子供にも声をかけられた。 何事もない、ありふれた取材になるはずだったのだが・・・王宮で起こった銃乱射により国王他王族があわせて8名死亡という大惨事が起こる。 記者として太刀洗は、この出来事とどう向き合い、どういう記事を書くのか。

 ネパールについてすべてを知っているわけではない旅行者が、何を書けるのか、どこまで書いていいのか。
 町に流れている噂はいくらでもあるけれど、裏は取れない。 つてを頼って取材を申し込んだ相手には何も答えてもらえず、むしろ取材者としての根本を問われ、口ごもる。 マスメディアのできることはどこまでか、その報道はそもそも現地に意味のあるフィードバックをもたらすのか、など、フリー記者として思い悩む太刀洗さんのことがガツンと出てくる事件。 それはそもそも<マスメディアとは>という答えのない疑問のようなもの。
 そこに思いもかけない殺人事件が起き、自分の身の危険を感じる経験も。 “マスコミ”に向けられる悪意も真っ向からぶつけられ、それでもこの世界で生きていく覚悟と、生きていける自分の中の冷たさを知る。
 それは多かれ少なかれ、社会で働くことになった若者が否応なく身に着けていかなければならないもの(自覚があろうとなかろうと)。
 太刀洗さんは、その痛みを覚えておける人だ。 だから、『真実の10メートル手前』へと続いている。
 いろんな意味で、この本は米澤穂信の集大成という意味合いで語られるだろうし、まさにそういう存在になるだろうな、と感じる。
 人は多分、自分ではなく誰かのために祈るように。

ラベル:国内ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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