2019年02月05日

サスペリア/SUSPIRIA

 ダリオ・アルジェントが好きである。 とはいえ実際に映画館で観たことはほぼない・・・子供の頃TVでよく観ていて、そのすごさが刻まれた感じでイメージは鮮烈なのだが、それ以後レンタルビデオやケーブルテレビやWOWOWばかり。 そんな折、あの『サスペリア』がリメイクとな! 『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ監督は自ら「『サスペリア』を観て人生が変わった」と公言するほどの人物、いったいどんな感じなのか! 予告編を観て、音楽:トム・ヨークにおののき、前衛過ぎるダンスシーンにあっけにとられ、でも観てみたい!
 上映する神戸国際松竹では『天才作家の妻』のほうを推している気配、賛否両論らしい気配・・・レイトショーだったのですが、意外とお客さんの数が多くてびっくりする(上映館が少ないからか、神戸はバレエ・ダンス系の映画のお客が一定数いるから?)。
 20:55スタートで、上映終了が23:35なことにも驚いた・・・152分なの、マジか。

  サスペリアP.jpg その踊りは、死を招く。

 1977年、ベルリンにあるマルコス舞踊団を目指してアメリカからやってきたスージー・バニヨン(ダコタ・ジョンソン)は正式な経歴も紹介もなかったが、情熱だけでなんとか単独オーディションの機会を勝ち取ったのだ。 舞踊団を代表する振付師であるマダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)はスージーを認め、その日からスージーは団員たちと寮に住むようになる。
 だが、このダンスカンパニーではダンサーである女性たちが次々と失踪していた。 その中の一人パトリシア(クロエ・グレース・モレッツ)のセラピーを担当していたクレンペラー博士(ルッツ・エバースドルフ:実は特殊メイクのティルダ・スウィントン)は、パトリシアが残していった言葉から、そのカギがマルコス舞踊団そのものにあるのではないかと考えるが・・・という話。
 6幕+エピローグという構成だったので、思いのほか長さは感じなかった。

  サスペリア2.jpg クロエ、よく見ないとわからない。
 「この歌がずっと頭を回って離れない!」と言ってましたが、もしかしてその歌はゾンビーズですか?(終盤、呆然としてしまったのでエンドロールでチェックし損ねた)
 よくこの仕事を受けましたね、というほど出番が少なかった・・・パトリシアの名前はいっぱい出てくるけど。
 クレンペラー博士の老けっぷりがあまりに不自然で、「あぁ、特殊メイクか! そういえばティルダ・スウィントンが三役やってるとかいってたなぁ」と思い出すものの、同じ役者がやっていることに意味があるのかと考えすぎ、クレンペラー博士の言動のウラをいちいち読んでしまう・・・この情報、知らないほうがよかった。 博士のことを好意的に見られない。

  サスペリア4.jpg そのおかげでマダム・ブランの年齢不詳な美しさが引き立つのだけれど。
 前半は、オリジナルの『サスペリア』を思い起こさせる描写が多いのですが・・・ホラー的演出を一切していないのでまったく怖くない。 ただあまりに唐突だったり、意味がわからなかったり、不可解で不気味だったり、痛さすら共感を分断されているようで、「あえて怖くないようにしているのか?」と思ってしまうほど。 そして過去の記憶や妄想も含めたような深層心理的カットの積み重ねが繰り返されるのに及んで、「これはストーリーを追いかけようとしたら訳がわからないで終わってしまう、理屈は考えるな、もうありのままを感情で受け止めよう!」と気づく。
 Don’t Think, Feel. ですよ。
 トム・ヨークの音楽もまた全編美しくてびっくりする。 ドロドロした感じがあるかと思ったのに(もしかしたらあったのかもしれないが、全く気づかなかった)。

  サスペリア1.jpg 途中から主役が交代するし。
 パトリシア → スージーの流れかと思いきや、スージーの寮と同室のサラ(ミア・ゴス)視点に(スージーが来る前はパトリシアと同室だったから)。 1977年当時の社会不安(バーダー/マインホフやハイジャック事件、ドイツ赤軍など)もがんがんからんできて・・・オリジナルとは別物感が強くなるのですが、設定的にはアルジェントの<魔女三部作>全体を持ってきているっぽいので・・・あぁ、考えたらわからなくなる〜。
 閉ざされた環境に限られた人数でいる場合、たとえ集まるきっかけはそれぞれ違っても、追い込まれた結果は似たようなものになるということなのか。 行き過ぎた何かは粛清がないと終われない(変われない)のか・・・カルト扱いされちゃう魔女・・・別の意味でせつないんですけど。

  サスペリア3.jpg 最後は博士にバトンタッチ。
 気がついたら出てくる人たちはほぼ女性、クレンペラー博士には世の男性の愚かしさを一身に背負ってもらった感があるのかも。 妻アンケ(ジェシカ・ハーパー)とのことがナチスの存在までつなげる意味はあれど、一気に社会派になるのも映画のバランスとしてどうなのか。 愚かさをそれで許せ、とはなれない・・・いや、むしろ許さないのか。
 あぁ、そうか、世界を支配するのは女性である、ということですか。 いや、そんな単純な話じゃないんだけど・・・“女性であること”に負い目を感じる必要もない、持っているものを活用して生きていってまったく問題はない、というか、「女性が被害者の側に押し込まれている枠から逃れていい」とか?
 もしかしてすごいフェミニズムな話だった?
 血まみれシーンも全然怖くない・・・ある人たちの死が癒しとして描かれるのは抑圧や虐待(歴史的にはホロコースト等)などへの反発かな、と深読みをしようと思えばいくらでもできるのだが、怖くないどころか失笑しそうになるのはどう受け止めたらいいのやら。 夢オチ展開ならまだ納得いくのだが、と思ったら全部事実か! そこでいきなり時間の経過を描かれても! 愚かな人間にも一部いいところはあると魔女も認めた的な?
 いかんいかん、つい意味のある物語を見い出そうと思いがちになるのだけれど、いささか呆然自失のままエンドロールに突入。
 途中で忘却の魔法をかけられた!
 あたしが思っていることは全部後づけか?! 記憶と知識と思い込みの区別がつかない!
 とりあえず、なんかすごいものを観てしまった感。 観ていたときよりもあとからいろいろ来る・・・こういうのがカルト映画と呼ばれるものなら、なるほどオリジナルの『サスペリア』とゴールは近い、のか。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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