2018年12月31日

ボヘミアン・ラプソディ/BOHEMIAN RHAPSODY 3回目

 というわけで行ってきました、3度目の『ボヘミアン・ラプソディ』。
 もう泣かないで全編心の中でノリノリで観よう!、と決意。
 でもオープニングの“Somebody To Love”の途中で目が潤んじゃった・・・(結局、また泣いてしまった)。
 同じ列の人と席が結構あいていたので、途中、“We Will Rock You”のリズムのステップ踏んじゃった!

  ボヘミアン・ラプソディP.jpg 8週の間に3回観ることになるとはね・・・。

 円・丸のモチーフが繰り返し使われている、と改めて感じた。 それはゴールドディスクでありバンドという仲間、そして家族のつながりでもあり。 つくづく、血縁ではない人たちが<家族>になるという話、あたし大好きなんだわ・・・と思い知る。
 じわじわと、観るたびにジョンの地味なキュートさにやられています。
 でも場面ごとのキーになる台詞はジョンが発しているのよね。 台詞が少ないように感じても、印象が弱くならないのはそのせいか。
 ロジャーはやっぱり喋る声が高いよ! 『メアリーの総て』のポリドリとの違いに改めて愕然。

 <ライヴ・エイド>のシーン、一回目のときは「観客のほうを映しすぎ」だと思いましたが・・・世間的にクイーンはもう終わったとされていたあの当時、“Bohemian Rhapsody”のピアノのイントロで観客大喝采・“Radio Ga Ga”でのみんな揃った手の動き・“Ay-Oh”で頂点に達するコール&レスポンスを示すためには観客描写(バーでテレビを見ている人たち含む)は必要だったのではないかと。 あの一体感を引き起こすステージアクトだから伝説なのだとわかるし、あの体験はクイーン自身を救ったのかも。
 じゃあそれ以降は客席映さずとももういいんじゃないかと・・・でも、盛り上がる観客を映し続けるからこそ“We Are The Champions”の<WE>が<世界中のわたしたち誰もが>という意味として伝わるのではないか。 それこそがアフリカ救済を目的とした<ライヴ・エイド>のステージ最後の曲としてふさわしいと彼らが考えた意味ではないか。
 あぁ、「<ライヴ・エイド>に参加したつもりにさせてほしい」というのはあたしのエゴでした。 ほんとすみません。
 フレディ亡き後、ゲストヴォーカルを招いてツアーを続ける、という決断をしたブライアンとロジャーはそうすることでフレディを忘れまいとし、フレディのいないクイーンにいることはできないとジョンは引退したのかもしれない。 どちらが正しいカタチとかではなく、フレディを思うが故のそれぞれの決断だったのかもしれない、ということもこの<ライヴ・エイド>の場面で実感。 つまりこの映画には1985年までのクイーンだけでなく、2018年現在のことも含まれていたのだわ〜。
 はぁ、観るたびにいろんなことを考えちゃうな〜。 クイーンの音楽の力はすごいなぁ。
 エンドロールの“Don't Stop Me Now”・“The Show Must Go On”に対訳をつけてもいいのにつけていないのは、タイトル部分の英語なら観客意味がわかるからなのか、フルコーラス流れていないからなのか、そこは観た人たちが自分たちで探すことでこの映画だけで体験を終わらせないためなのか、どうなんだろうなぁ。

 「3回も観に行くなんて、よほどいい映画なんでしょうね」と言われました・・・。
 いい映画、と言われるとちょっと違うかも・・・映画としては展開はベタだから。 特にまったく新しい何かがあるわけでもないし・・・でも編集が見事で、音楽の使い方が素晴らしく、役者のみなさんが熱演!
 <映画史に残るような名作>ではないかもしれないけど、とにかくあたしが好きな映画です!
 そう、映画というより体験に近いんだよなぁ、ライヴを観に行っているみたい。 だからこそ自宅ではなく会場で、という気持ちになるのでしょう。
 行った人がリピーターになり、リピーターが行ってない人を巻き込む。 この現象はそうやって続いている。
 これがあたしの今年最後の映画となりました。 これでよかった!
 でも1月になってもこの勢いは弱まらないだろうから・・・また行ってしまうかもしれん(汗)。

posted by かしこん at 16:22| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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