先日の『ボヘミアン・ラプソディ』2回目のとき、満席の会場にて“SHALLOW”押しの特別編集予告編が流れて・・・「おぉ、じゃあ次は『アリー』観なきゃ!、って思わせる流れか!」と感じ・・・今回、ネットで前日に座席予約して映画館に到着。 ロビーが人であふれていたので「やっぱり『アリー』混んでるのか!」と焦ったけれど・・・その人たちはほとんど『ボヘミアン・ラプソディ』のお客だった・・・えっ、『アリー』、こんなに閑散としてんの! 公開最初の3日間じゃないから?
『ボヘミアン・ラプソディ』も公開一週目はかなり余裕あったんだよね、それでも通常のレイトショーに比べればお客は多かったのだけれども。 どうしたんだ、『アリー』、『ボヘミアン・ラプソディ』に食われているぞ!
世界的人気シンガーのジャクソン(ブラッドリー・クーパー)はスタジアムライブ終了後、酒を求めてドライバーにバーを探させる。 その店で歌うアリー(レディー・ガガ)と出会い、彼女の歌声と彼女がつくる歌に魅了され、そこに自分の癒しや安らぎを見る。 だがアリーは過去に何度も売り込みをしたが「曲はよくても君の顔がね」的なことを言われ続け、メジャーなショウビジネスの道に複雑な思いを抱いており、ウェイトレスとして働いてはいるがそれでも音楽はやめられない自分に困惑している。 そんなアリーにジャクソンはスターへの階段を用意するが・・・という話。
正直、「・・・あれ???」という感じ。
なんか、期待していたのと違った・・・のかな。 「どうしよう、全然入り込めない」と最初の方から焦ってしまった。
別に感情移入できなくても面白いものは面白いのだが、なんでだろう、なにが合わなかったのか? じっと考えることになってしまった。
『スタア誕生』、4度目のリメイクであることは承知しているので物語が型通りなのはわかっている。 ブラッドリー・クーパー初監督作品として、映画監督としてのクリント・イーストウッドのフォロワーだと示すリアルタッチ・直接表現は避ける手法でがんばっていたのもわかる。 音楽も悪くないですよ、最もよいのは“Shallow”(でも思ったより音楽が本編に占める割合が少なかった)。
が、ブラッドリー・クーパー演じるジャクソンを見ていてあたしの脳裏に浮かぶのは『クレイジー・ハート』のジェフ・ブリッジス。 思いのほかブラッドリー・クーパーが歌がうまくてびっくりしたが、カントリーシンガーだと感じたので余計か(本編ではジャクソンの音楽ジャンルには触れていない、ロックなのかと思わせる部分はあれど)。 酒や薬に依存しがちなところも一緒だし。
なんだろう、アリーのくすぶっている部分の描写がもっとあったほうがよかったのかな(お金で苦労してるんだろうけどあまりよくわからなかった)。 そのほうが、スター街道を進む彼女がより輝くし。
いや、違うな。 あたしには二人の恋愛に美しさを感じられなかった。 原因はそこか!
いや、違うな。 あたしには二人の恋愛に美しさを感じられなかった。 原因はそこか!
アーティスト故の感受性のせいかもしれないけれど、アリーもジャクソンもお互いに本音は言わない。 相手の言葉(それも勿論直球ではない)に自分のいいたい言葉を飲み込んで別の言葉や話題を選ぶから、二人の会話が退屈に聞こえてしまう。 お互いの相手への愛情のピークがかみ合っていないような感じはリアルなんだろうけど、<愛し合う二人>が前提の物語ではブレが大きく見え、「え、結局、いちばん大事なのは自分自身ってことでは?」って思えてしまう。 相手を愛しているけれども自分を愛している、という“普通のこと”になっちゃってる。
虚構の中だからこそ、自分よりも相手を愛しているという幻想を見たいのですよ、あたしは!
ジャクソンは兄(サム・エリオット)との微妙な確執を抱えていて、アリーは父親(アンドリュー・ダイス・クレイ)から自分の果たせなかった夢を託されていたり・・・と、家族の呪縛にとらわれている、というのが現代的なんだろうな、とは思うんだけど。 ここを乗り越えたり整理したりしないと自分の家族を持つのは難しい、ということなのかなぁ。
いろいろとすっきりしないことはあるのだが、アリーとジャクソン二人だけのシーンよりは他の誰かが出てくれるとホッとする。 退屈というか、閉塞感から逃れられるから。 特にサム・エリオット、よかったなぁ。
だけどジャクソンは何故かたくなに補聴器をつけることを拒むのか。 ステージ上ならば「自分の声しか聞こえなくなる」という理由でわかるのだけれど、日常生活なら別によくない? それとも普段から補聴器に頼ってしまったらステージで外したときにより落差を大きく感じるから?、と予測はできても、はっきりした理由がないのでただ自分の世界を変えたくないワガママ男に映ってしまうんですが・・・。
<衝撃のラスト>と言われている(?)シーンは、確かに<スター誕生>を表現したところではあるが。
アリーもジャクソンを愛している、というよりも、「ダメ男を支える自分」に酔っていたのではないか。 そこを乗り越えて次の段階へ進んだ(と自分も思い込んでいる)からシンガーとして別の次元へ覚醒した、みたいに思えて・・・ごめん、全然泣くどころじゃない!
あ、これは今年の音楽映画に対するあたしの思い込み?
『グレイテスト・ショーマン』も『ボヘミアン・ラプソディ』も、登場人物たちの物語でありながら<理不尽に迫害される少数派>への思いやりや共感にあふれている。 勿論音楽自体もよかったし、だから余計に胸に迫った。 そういうものを期待していた?
でも、『アリー/スター誕生』はアリーとジャクソンの物語であって、それ以上でもそれ以下でもない。
多分、普通ならそれでいい。 実際、大絶賛している人たちもいるし、「アカデミー賞最有力」とか言われているし。 でも個人的に<音楽映画>として期待して見てしまうとそれでは物足りないのだ。 バーで出会う、という同じようなシチュエーションなら『はじまりのうた』のほうがぐっときたし!
・・・うーん、これが今年最後の映画になるのは納得いかないな!
もう一回『ボヘミアン・ラプソディ』、行くか!
いつも丁寧でわかりやすいレビュー
有難うございます。
この映画、私もすんごい気になってたんです。
でもどーしようか躊躇していたんですが…。
おかげで気持ちがすっきりしました!ありがとう!
かしこんさん、今年もお世話になりました。
また来年も映画や小説の紹介を楽しみにしています。
どうぞ宜しくお願いしまーす\(^o^)/
こんにちは。コメントありがとうございます。
いえ、独断と偏見なので申し訳ないです。
ほんとに大絶賛している人もいるので、観る人によって感想が変わる映画なのだと思います。『ボヘミアン・ラプソディ』も自分には刺さらないという人もいますから・・・。
こちらこそ、ありがとうございます。
引き続きまた来年もよろしくお願いいたします。