2018年06月27日

万引き家族/SHOPLIFTERS

 この映画のチラシをいちばんはじめに見かけた頃(勿論、その頃はカンヌに行くなんて知りもしない)、あたしが思ったのは「この直球すぎるタイトル、なんとかならなかったのか」ということと、「阿部寛も福山雅治もいない、主演リリー・フランキーって・・・ガチ『誰も知らない』路線か」ということだった。
 てことは重たいじゃないか・・・観たいかなぁ、観たい気分になるかなぁ、とちょっと悩んだ。
 カンヌ旋風のおかげで、「観なきゃいけないか」という映画ファンとしての義務感に変わった。 そうでなければ観たかどうかわからない。 家族もの、だんだん重く感じるようになってきちゃったから、個人的に。

  万引き家族P.jpg 盗んだのは、絆でした。

 ある日、治(リリー・フランキー)と祥太(城桧吏)はいつも通りスーパーで万引きをしてリュックは戦利品でいっぱい。 商店街のお肉屋さんでコロッケを買い、食べながらの帰り道、あるアパートの前でひとりっきりの子供ゆり(佐々木みゆ)にコロッケをわけてあげるが、この寒空に放ってくことができず一緒に家に連れて帰ることに。 「これって誘拐になるんじゃないの?」と困惑する信代(安藤サクラ)は、ごはん食べたら家に送り届けるよう提案。 しかしゆりのアパートに行けば、室内では両親らしき二人の怒鳴り声と「子供なんか生むんじゃなかった」という叫びが聞こえ、信代はゆりを家に連れて帰る。 その家は登録上は初枝(樹木希林)が一人暮らしをしていることになっているが、この3人のほかに亜紀(松岡茉優)もいて、それぞれの収入を分け合って寄せ合って暮らしていた。 子供がもう一人増えるくらいどうってことないって、と亜紀も賛成し、ゆりもこの家で暮らすことになる・・・という話。

  万引き家族3.jpg 万引きはチームプレイ。
 やはりセンセーショナルな(というかあまりに直接的な)タイトル故、映画を観ていないだろう人たちから非難が起こりましたが・・・内容として決して万引きや犯罪を容認しているわけではない。 むしろ、ゲーム攻略のように万引きをミッションとしてクリアしてきた翔太が、次第に「これはいけないことなのか」と自分で考えるようになる過程を追う物語でもあり、「子供の罪は大人の教育のせい」という論調に一石投じる内容になっている、と思う。 どう育てられようとも、子供は親からだけ学び取るわけではない、学び取る内容を自分で選んでいる、というように。
 逆に、大人のほうが新しく学ぶことができない、過去の成功体験(?)に縛られがちである、という話でもある。

  万引き家族5.jpg しあわせとはなにか?、という話でもあるが・・・。
 機能不全家族、貧困、融通の利かない行政etc.と素材はケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』(これもカンヌでパルムドールを獲っている)とほぼ同じなのに、映画の内容もテイストもこんなに違うか・・・と思うと別の意味で泣けてくる。 日本ってこんなにダメな国なのか、と改めて思わされるから。
 着る服を選ぶことに負担を覚えない、思いついたことを自由にしゃべれる、大人の顔色を窺わなくていい。 多分、多くの子供にとって当たり前のことを5歳にして初めてゆりは知る。 でもそれを教えてくれた家族もまた普通ではないのだが、“普通”ってなんだろうね。
 ぞんざいな口調の奥にある母性をごく自然ににじませる安藤サクラ、やっぱりうまい人でした。 朝ドラ、楽しみだな〜。
 いつものことだが、リリー・フランキーはずるい。

  万引き家族4.jpg 血の繋がらない“兄”と“妹”。
 翔太役の彼は雰囲気が『誰も知らない』のときの柳楽優弥に少し似ていて、「あぁ、監督の好みなんだろうな」としみじみする。 ゆり(ほんとはじゅりなのだが、彼女が正しく発音できなかった)もばれないように別の名前をもらうが、彼女もまた能面のような表情から屈託のない笑顔を見せるようになる過程がとても自然で、子供描かせたらやっぱりうまいな、と思う。
 とはいえ、あたしが泣きそうになってしまったのは、描かれ方が他の登場人物に比べ中途半端だった亜紀がらみで、ワンシーン登場の池松くんの場面だった。 このシーンのために亜紀のバイト先をそこにしたのか!、ぐらいの。 前後に関係ない短いシーンでしたが、そこに見える背景にこそ日本社会の抱えるどうにか解決しなければならない問題が潜んでいる。
 多分、最も重要なのは大きく描かれていない中にあるのではないか、という気がした。

  万引き家族2.jpg 亜紀はおばあちゃんが大好きだが・・・彼女にもまた秘密が。
 長く生きていればいるほど、過去は積み重なって、あえて人に言わない・言わなくてもいいと考えることがもしかしたら<秘密>になっていくのかも。 本人には当たり前のことでも、近くにいる人間にとって知らなかったことはすべて謎であり秘密。 となれば、そばにいるからといってその人のことを何でも知っていると思うこと自体が危険なことで、でもそれを理解したうえで相手を信用するかどうかというのが人間関係の上で重要なのかもしれない。 知らないことも含めて全て受け止め、許し合うことが「俺たちは家族だ」という言葉の意味なのかも。
 とはいえ、もやっとした終わり方には・・・内容が内容なだけにつらさ倍増である。 『三度目の殺人』とはまた種類の違うもやっと感は、現在の日本の法律がそうだから仕方ないんだけど、というエクスキューズはつくものの、この映画がきっかけで法律が変わるくらいの力があるかといえば、現実の児童虐待死事件のほうがインパクト強すぎる。 だから、映画の中ぐらいでは子供には幸せになってほしいと思うじゃない? 公開のタイミングは注目を集める意味でタイムリーでもあったけど、「フィクションでは現実を救えない」という側面が強調されてしまったような気がする。 本来は「フィクションは現実を救う」割合のほうが大きいのに。
 おかげで鑑賞後の気分は盛り下がり、結果的に『羊と鋼の森』の評価が上がったじゃないか・・・。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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