2018年04月25日

ラブレス LOVELESS/NELYUBOV

 アンドレイ・ズビャギンツェフ監督新作。 <『裁かれるは善人のみ』を超える最高傑作!>と予告で謳われれば、『裁かれるは善人のみ』にえらいこと打ちのめされたあたしとしては絶対観ないわけにはいかないでしょ!、なのである。
 この人の絵力はすさまじい。 この映画でも、冒頭から川沿いに立ち並ぶ様々な形をした樹々の存在に圧倒される。 多分、樹は雪の重さに耐えかねて曲がってしまったり、ときには折れてしまったりしたものだろう。 そこをうっすら白く染める雪、静かだが着実な川の流れ。 これは晩秋なのか冬の終わりなのか判断ができないけれど、映っているのは北の国だった。 冒頭のそんなシークエンスで、あたしの心はぐっとわしづかまれ。

  ラブレスP.jpg 幸せを渇望し、愛を見失う。

 現代のロシア。 大企業で働くボリス(アレクセイ・ロズィン)と美容サロンの経営にかかわるジェニーニャ(マリヤーナ・スピヴァク)はいまどきのロシアの富裕層。 しかし夫婦としては破綻しており(すでにお互いに別のパートナーがいる)、12歳の息子アレクセイをどちらが引き取るかでもめており、離婚協議中。 ボリスの相手は妊娠しており、「こういう場合は母親が引き取るものだろ」と言い、ジェニーニャは「これまでは私が犠牲になってきたんだから、もう自由にさせてもらうわ」と断固拒否。 そんな不毛な言い争いが続けば、それがアレクセイの耳に入らないわけがなく。
 学校に行くために家を出たはずのアレクセイが帰ってきていないことにジャニーニャは二日後に気づく。 警察に行方不明届を出すが、他の事件でいそがしいし家出かもしれないからそんなに人員はさけないと告げられ、民間ボランティアの存在を教えられる。 そちらに頼んだほうがいいですよ、と。 警察の態度に怒りながらもボリスとジャニーニャはボランティアに連絡を取ると、捜索隊が組織され見事な手際でアレクセイを探し始める。 しかしなかなかアレクセイは見つからない・・・という話。

  ラブレス4.jpg 寒々しい朝の食卓。 アレクセイじゃなくても泣いて逃げ出したくなる。
 結構いいマンション暮らしっぽいですが、まず同じ食卓にすらつかない(ジャニーニャはスマホ片手にアレクセイが食べ終わるのを待ち構えていて、息子の様子など目もくれない)。 涙をこらえているから「もう食べられない」というアレクセイに、「(せっかく準備してやったってのに、残りは)捨てろってわけ?」と返すジャニーニャ。
 もう、コワい!
 仮に自分の子供が相手でなくても、誰に対してそんな言葉がいえるというのか!
 “愛”じゃなくても“情”とか“気遣い”みたいなものって一緒に暮らしてたらそれなりに生まれたりするものじゃないの?!
 「子供は親を選べない」ってレベルをはるかに超えている。 <愛なき世界>の存在に、観客はもういたたまれない。

  ラブレス5.jpg 恋人と一緒にいるときのジャニーニャの態度はまるで別人。
 それが彼女にとってのしあわせなのかもしれないけれど・・・「自分さえよければそれでいい」というのがもろ見えで、今の彼氏に嫌われたらどうしようとか考えないのかな、とお節介にも思ってしまった。 自分の正当性を疑わない・悪いのは全部他の人、という思考回路が「自分を愛しすぎる私たち」ってことなんでしょうね。
 特にジャニーニャには顕著だけれど、ブルジョア社会の女性たちはみなさんスマホ依存症。 特にメッセージをやり取りしてるわけでもなさそうで、セルフィ―とりまくっているからインスタやフェイスブックをチェックしまくりなのか。 彼女たちにはそちらがリアルな現実で、現実はネット上に上げるための題材を提供する環境のよう。
 ラジオで「マヤ歴による世界滅亡は・・・」とか流れていたから、この時点では2012年近辺と思われる。

  ラブレス3.jpg そしてボリスはボリスで新しい生活のための準備が。
 今いる息子にも何もしてやれてないのに、愛人を妊娠させるとはどういうこと? まぁ愛人とはいえ結婚が前提なのでそこまでヒステリックな態度はとっていないけれど、アレクセイに対する無関心的なものを見て自分のおなかの子はどうなんだろうとか不安に思わないのかな、この人。 それとも前の相手が悪かったからで、自分は特別と思ってしまうからだろうか。 あたしだったらこんな男絶対イヤだけど。
 ボランティア捜索隊が交代で探索を続けている間、ボリスもジャニーニャもそれぞれの恋人のところにいるのである! それもどうよ!、であるが、二人にとってはアレクセイはいらない子・自分たちの新しい未来に邪魔な存在だから、ってことなんだろうなぁ。 身も蓋もない(だったらなんで通報したんだろう・・・と疑惑がわいたが、黙っていたらあらぬ疑いをかけられては困るという自己保身のためか)。
 捜索隊の隊長イワンは頼りになり、めちゃめちゃかっこいい。 ボランティアのはずなのにみなさんとてもプロフェッショナル。 イワンは過去の経験も豊富そうなので、今回の依頼主が壊れた夫婦だということは見抜いているはずなのに一言も触れず、やる気のない二人にかわりあらゆる手を尽くして探していくシークエンスがなにより興味深かった。 システム化された捜索手順が素晴らしいと思う反面、それくらい行方不明になる人たちが多いのかなぁって・・・。
 自宅周辺の捜索を終えたら学校を訪れクラスメイトにインタビューし、アレクセイの立ち寄る場所をしらみつぶしに探り出す、彼らは絶対あきらめない。 名もなき彼らが<ロシアの良心>であるかのように。 愛なき世界において唯一の救いであるかのように。

  ラブレス2.jpg そこへ届く、「同じくらいの年頃の身元不明遺体発見」の知らせ。
 ボロボロの遺体安置所(?)の様子が富裕層ではないロシアの現実を突きつけてくる。 あえて年代をはっきりさせて、ウクライナ問題のニュースを何度も差し込んでくるのは<ロシア=ボリスとジャニーニャ>・<ウクライナ=アレクセイ>で、ウクライナに対して何もしないロシアは子に無関心な親と一緒、という比喩でしょうか。
 はっきりした答えは提示されないまま終わるので観客にはもやもやが残されるけれど、いくつか「こうではないか」と仮説を立てることは可能だ。 どの説をとるかもまた観客次第、という親切なんだか親切じゃないんだか。
 アレクセイが行方不明になったのは多分秋頃で、捜索の過程で次第に雪が降ってきて・・・と雪の量や夜の暗さで時間の経過をあらわしていくところなど、やはり絵力がすごい。 富裕層が暮らす郊外とはいえ、少し外れれば深い森や廃墟が存在するろいうロシアの広大さも思い知らされました。 こういうところは小説で読むより映像で示される説得力のほうが増すこともある。
 あ、そうか、チカチーロ事件があったから、民間ボランティアが発達したのかもなー。 それはそれで悲しいが・・・。

  ラブレス6.jpg 冒頭に映った川沿いは、まっすぐ家に帰らないアレクセイの寄り道場所だった。
 『裁かれるは善人のみ』に比べて登場人物が少ない分、打ちのめされるどうしようもなさは少し弱いかも(感情移入しづらい登場人物が多いから、ということもあるが)。 こいつらどうしようもないな!、と切り捨てることは可能だが、そんなどうしようもない二人を許容する人たちもいて・・・また日常は続いていく。
 ウクライナ紛争のニュースにまったく関心を持つことなく、自分の生活のほうが大事、とすれば、<愛なき世界>は現実に世界中に広がっている・・・ということか。
 もっと痛い目に遭うかと思っていたけど意外に肩透かし、とそのときは感じたけど、翌日からじわじわボディーブロウのように何かがきいてくる。 アンドレイ・ズビャギンツェフ監督、やはりおそるべし。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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