2018年03月14日

15時17分、パリ行き/THE 15:17 TO PARIS

 映画の公開日が来てしまったので、原作はあとまわしに。
 「テロを未然に防いだ物語」として期待すると肩透かしにあう危険があるので、注意が必要かと。 これは「三人の友情と成長がたまたまテロ事件とリンクしてしまった、<運命>を描いた物語」なのである。

  15時17分、パリ行きP.jpg その時、3人の若者が乗ったのは運命の列車だった。

 スペンサー・ストーンとアレク・スカラトス、アンソニー・サドラーは幼馴染み。 それぞれに違う道を進んでいたがずっと連絡は取り合っていて、2015年の夏は一緒にヨーロッパに旅行に出ようと約束する。 子供の頃の彼らはなんとなく“負け組”で、うまく学校社会になじめなかったが「いつか人の役に立ちたい」と願ってはいた。 スペンサーは夢見がちだが飽きっぽく、将来の夢がころころ変わるが、ついに空軍の空挺部隊に入ることを決めるものの、他の二人に「またかよ」と言われ真剣に一念発起。 それを見たアレクは州兵として戦地に向かう。 アンソニーは大学生になっていた。
 ヨーロッパへはまずイタリアへ。 そして8月21日のアムステルダム発パリ行きの電車に乗り合わせることに・・・という話。 

  15時17分、パリ行き1.jpg 男三人の旅行はにぎやか。
 実際に体験した本人で撮影するという<再現ドラマ>は、実際のニュース映像に映る本人たちと違わない(確かに少し若いけど)ので、その違和感を防ぐ効果はある。 が、あたかも全編ドキュメンタリーであるという錯覚は起こさせないようにできているのが、イーストウッド的映画の効果というべきか。
 とはいえ回想の子供時代は子役が演じているので、そのへんで話に引き込まれれば大人になってからの転換にうまいことのっていける感じがある。三人、特にスペンサーが妙に芝居がうまいので、普通に無名の役者さんがやってるのかな、と事前知識がなければ思うのではないだろうか(最後のほうの実録映像見て、本人たちだと知ってびっくり、みたいな)。
 学校時代は規則を守らないからとよく校長室に呼ばれ、「ああいうこと付き合っちゃいけません」と言われてしまうが故に三人は孤立し(というか三人で団結しちゃうから本当の孤立ではないんだろうけど)、家の裏の森でサバイバルゲームにいそしんでしまう日々を送っている。 ここだけ切り取ると、「学校で銃乱射事件を起こしてしまう犯人」の子供時代とも読めてしまいそうなんだけど、彼らの言動から「根はいい奴らなのね」ということがわかる。 だから旅の過程でちょっとおとぼけをしようとも、「あぁ、若いねぇ」という目で見てしまう。

  15時17分、パリ行き2.jpg お母さんたちは誰よりも素晴らしい理解者で。
 お母さんたちもシングルマザーであるため、カトリック系の学校からは差別的もしくは偏見の目で見られてしまっていた。 だから学校の先生の言うことよりも自分の息子たちのことを信じた(明確に医学的診断がおりていないのに、「ADHDの薬を飲ませろ」という先生はなかなかに強引である)。 学校でうまくやれなくても、他に才能を発揮できる場所がある可能性に賭けたのである。
 だから、特にスペンサーが軍隊に入り、訓練で問答無用にしごかれつつも食らいついていく様は、「ある種の人たちにとって<軍隊>というのは、初めて得られる自分の居場所なのかも」と思わされたりして。 勿論、戦争をしないことが前提ですが、<軍隊という組織>の利点についてはもっと考えられていいかもしれない(軍事機密だから、とか閉鎖的になったり秘密主義になったりすると困りますが)。

  15時17分、パリ行き3.jpg 飲んだくれおじさんにアムステルダム行きを進められる。
 すごく楽しくていい場所だぞ、といわれ、クラブでどんちゃん騒ぎ・・・翌朝はコーヒーも飲めないくらいの二日酔いで水ばかり飲んでいる。 一体どんだけ飲んだんだよ・・・。
 そんなアムステルダムの朝のカフェの場面では、カットが変わるごとにグラスの水の量が変わっていたので・・・ナチュラルなドキュメンタリータッチで撮っているように見せているけど、結構回数繰り返し撮っているのだな、と驚く。
 途中、パリに行かない、という選択肢もあった。 バーでおじさんに会わなかったらアムステルダムにも行っていなかったかもしれない。 自撮り棒を持った気の置けない男三人ぶらぶら旅は、結果的に運命の列車に辿り着いてしまう。
 テロ犯はイスラム過激派らしいが、この映画ではその程度の情報しか得られない。 犯人の内面に踏み込むことも一切しない。
 三人以外の乗り合わせた乗客たちについても、列車での会話などでわかる以上の描写はなく(それでも、実際に列車に乗り合わせた人なども撮影に参加しているらしい。 ロケ地や列車も実際と同じものだとか)、“袖振り合うも他生の縁”を描いているかのようだ。
 未遂に終わったテロ事件、ということは「長期化しなかった」ということでもある。 テロ犯にあらがった乗客は他にもいたが、息の合った幼馴染み三人によるコンビネーションプレイが勝利の決定打になったのは間違いない。 この説得力のために、三人のこれまでの人生を見せてきたんだな、と感じるほど。
 多分、事件だけを描こうと思ったら映画にならないし、犯人側の背景を描いちゃったら憎しみの連鎖は終わらないし、<アメリカの正義>ばっかり描くのもあれだし、三人の青春ロードムービーにしちゃおう、と思ったのだろうか。 結果的に彼らは子供の頃から押し付けられた<負け犬>のレッテルを返上し、ヒーローとして故郷に凱旋する。
 まだ20代の彼らの人生はこれからだけど、多分忘れることのできない事件の記憶を<再現ドラマ>として追体験したことは事件関係者のみなさんにとってはもしかしたらこの上ないセラピーになったのではないだろうか。 ふと、そんな気がした。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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