2018年01月28日

否定と肯定/DENIAL

 なかなか止まらない咳がたたって、今年初めて観に行った映画はこれでした。
 神戸市で上映がないと思って原作を買ったのに、そのあと急遽シネ・リーブル神戸で上映決定。 あまりに急に決まったのでチラシもない有様。 なので、原作を読むより先に映画に行くことにした。 先に読んじゃうと、イメージがね。 それにレイチェル・ワイズ、好きだし。

  否定と肯定P.jpg ホロコースト、信念の法廷が今始まった。

 1994年、ユダヤ人をルーツに持つアメリカ人歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)は、イギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)による“ホロコーストはなかった論”を自らの著作『ホロコーストの真実』で学術的に完全に否定した。 が、その結果アーヴィングから名誉毀損により、出版元のペンギンブックスとともにデボラはイギリスで提訴されることに。 アメリカの法廷と違って、イギリスでは立証責任は被告側にあり、この裁判に負けると世間に「ホロコーストはなかった」というメッセージをイギリスが出してしまうことになると懸念したイギリス人弁護士たちにより、デボラをサポートするチームが立ち上がる。 そして、裁判が始まり・・・という話。 実話です。
 そういえば日本でも昔「ホロコーストはなかった」みたいな記事を出して廃刊に追い込まれた雑誌があったなぁ、ちょうどこの裁判の時期かその少し前(アーヴィングの主張が世界を席巻していた頃)だったのだろうか。 なんで今頃そんな話題が、と思っていたものですが、90年代でも欧米でそういう話があったのか・・・と考えると驚きが。
 正確には裁判の目的は名誉棄損。 つまりデボラ側はアーヴィングが言っていることが嘘であり、自分の主張が正しいのだから名誉棄損には当たらない、ということを証明しなければならない。

  否定と肯定2.jpg 弁護団のみなさん。
 リーダー格のアンソニー(アンドリュー・スコット)は裏方の参謀役、実際に法廷に立つのはリチャード・ランプトン(トム・ウィルキンソン)。
 あたしの性格が地味&強力に自己主張しないタイプだからでしょうか、「私が、私が」と常に前に出たがる(学者なのに論理性より感情優先)のデボラが最初からどうも苦手でした。 そもそも裁判になったのはアーヴィングに対して(というかホロコースト否定派全体に対して)、「私はあることを証明したのだから、なかった派の人たちは間違いで同じ土俵で話し合う必要はない」とガン無視したから。 確かに話し合うことで自分の主張を同列に見られたくないという気持ちはわかるのだが、すべての人が彼女の本を読んで理解するとは限らない。 直接討論しなくても、相手の主張をひとつひとつ潰していくこともできたはず。 アーヴィングを相手にしないところに、彼女の恐るべきプライドの高さが見えるようだった。 なんでこんな人の役を、レイチェル・ワイズは引き受けたんだろう?
 だからデボラは最初全然信用していないイギリス人弁護士さんたち(アンドリュー・スコットがすごく落ち着いた大人のキャラになっており、『Sherlock』のモリアーティ役のときからの成長ぶりがよくわかる。 トム・ウィルキンソンは言うまでもない)の言うことのほうがあたしには説得力があるように感じられ、それに納得しないデボラに更にイライラ。

  否定と肯定1.jpg 「私はアメリカ人だからイギリスの流儀に従う必要はないわ!」とか、「ユダヤ人の気持ちがわかるの?!」とか・・・そもそもあなたはアメリカ人なんですか、ユダヤ人なんですか、と聞きたくなる。 でもこういう考え方って島国の人間の発想かな。 でも、「○○人である前にユダヤ人」みたいな考え方をする人がいるから、ユダヤ人を嫌う人も出てくるのでは・・・という気もした。
 弁護団は「あくまでアーヴィングの主張は誤りであるということを追及するので、デボラが同じ土俵に立ったら泥沼になる。 法廷では一言も喋らないこと」と言明するのだけれど、アメリカ式裁判が身についているデボラは納得がいかず「自分にも喋らせろ」と言ったりする。 おいおい、最初に相手にしなかったのはあなたでしょ。 アンソニーはデボラをなだめつつ、膨大な調査を必要とするスタッフを統括し、その結果をランプトンが法廷で発言するというチームプレイながらもミスは許されない重圧に耐えながら仕事をする弁護団のみなさんに感服するあたし。

  否定と肯定3.jpg またアーヴィングがマジむかつく差別主義者で。
 ティモシー・スポールはこんな憎々しいキャラをやるような人ではない感じなのだが・・・ほんとにこれでもかとイヤなやつを好演。 うまい人はこれだから困るよ。
 裁判が進んでも、アーヴィング側がまったくぶれないのはある種あっぱれである。 だからデボラが彼を自分でぎゃふんと言わせたいという気持ちはよくわかるんだけど・・・それ、法廷の場ですべきことじゃないから。 この場合、判決を下すのは12人の陪審員じゃない、ひとりの裁判長だから。
 『否定と肯定』、原題は<DENIAL:否定>の意味だけだけど、対義語を並べたことでテーマはより引き立ったような気がする(でもあたしは「あれ、『肯定と否定』だっけ?」とごっちゃになったけど)。 IT技術の発達により証拠は捏造しやすくなり、ネットニュースの見出しだけ見て脊髄反射のように攻撃的なコメントを書き込む人が多くいる現状、フェイクニュースはなくならず、世論も意図的に誘導しやすくなっている。 「第一次資料に当たれ」という基本は「ウラをとれ」と同義語。 この裁判で争われるのは<ホロコーストの有無>だけれど、言っていることは現代にも(そして多分この先にも)通じる。 そして否定したり肯定したりするのは、自分の考えと違うもの・同じもの。 一方の意見を述べるだけでは対立はやまない。 冷静に反証を出し、相手に誤りを認めさせ、自分に誤りがあればそれを認めて受け入れ、より事実に近いものを探し出す。 自分が正しい!、ということよりも大切なのは「正しい事実はなんなのか」ということだ。

  否定と肯定4.jpg やっと、デボラにも彼らの気持ちが通じるときが。
 だからそのことにやっとデボラが気づいたときはほっとしました。 それ以降彼女はイギリスの法廷に敬意を払うし、他者を受け入れることの大切さを知る。 もしかしてこっちのほうがこの映画の描きたい本質だった?
 けれど不意を突かれたのは裁判長の問いかけ、「虚偽を本心から信じている者のことを嘘つきと呼んでもいいのか?、彼にとってはそれが真実だと思い込んでいるのなら、それを否定されたら名誉棄損に当たるのではないか」。 あぁ、これが感情論ではない法的解釈で、かつ常識にとらわれない論理的発想か!
 20年以上前の裁判を描きつつ、扱われているのはそれよりも古い1940年代のこと、なのにそのまま2010年代後半にも通じる。 これが温故知新ということか!
 アウシュビッツ=ビルケナウの跡地の案内人(裁判にも証人として出廷)の歴史学者として、『Sherlock』のマイクロフト役の人も出ていて、そりゃメイン2人だけでなく他の役者さんやスタッフ一同それぞれいそがしくなっちゃってるんだから、次のシーズンの目途が立たないのも仕方ないよなぁ、と納得するのでした。
 やはりイギリスメインの映画は地味だけど、好き。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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