2017年10月26日

サーミの血/SAMEBLOD

 すっかりぼんやりなあたしは、ポスターのイメージから<サーミ>とはこの少女の名前だと思い込んでいた・・・。
 『サーミの血』とはサーミ人であることを指すのですね(別名ラップ人。 ラップランドが起源の民族とされた名称で、その呼び名なら知っていたけど・・・もしかしたら差別用語かなんかで<サーミ>に統一される動きになっていたのかしら。 → 調べてみたら“ラップランド”という言葉自体が辺境の地の蔑称だそうで・・・なんだか悲しくなってしまった)。
 あぁ、やっぱり知らないことはいっぱいあるわ・・・。 

  サーミの血P.jpg 家族、故郷を捨ててでも
   少女が願ったのは自由に生きること

 舞台は現代と、1930年代のスウェーデン北部の二つの時代にまたがる。
 少数民族のサーミ人であるエレ・マリャ(レーネ=セシリア・スパルロク)は、民族の暮らし―トナカイを遊牧しながら季節ごとに移動する生活で家族を助けながら、成績優秀な彼女はスウェーデンの国立学校(ただしサーミ人専用)に通っている。 ただし学校では制服のように民族衣装を着なければならず、それ故一目でサーミ人だとわかるため、周囲のスウェーデン人たちから好奇の目で見られ、ことあるごとに嫌がらせを受ける。
 ある夏の日、干してあった洗濯物から普通のワンピースを見つけ、それを着て村の夏祭りに出かけたエレ・マリャは初めて自由を実感し、陽気で優しい青年ニクラス(ユリウス・フレイシャンデル)と出会って恋のときめきを覚え・・・サーミ人ではない自分になりたいと感じて・・・という話。
 いかにも北欧系という見た目のスウェーデン人と比べたら、サーミ人は背が低くて年齢の割に幼く見える(ちょっと幼児体形というか)。 モンゴロイド系とも共通点があるようで、日本人から見て違和感があまりないからか感情移入がしやすかった(アイヌ民族とも交流があるようである)。
 だから、もっと上の学校に行きたいと希望するエレ・マリャに対し、学校の教師(担任?)は難色を示す。 そこで初めてここの学校で教えられていることはほんの一部で、一般的な入学試験を受けられるほどの内容ではないと知らされる。
 そしてその教師は言うのだ。
 「研究結果が出てるの。 あなたたちの脳は文明に適応できない」
 なによそれーっ!! どんな研究だよ! もはや人種差別というレベルじゃない、当時のスウェーデン社会においてサーミ人は他の人種よりもはるかに劣っていると見なされていた。 もしかしたら、ヒトだと思われていなかったのかもしれない。 身体測定も、ほとんど動物実験のようだったし。

  サーミの血2.jpg きれいな民族衣装ではあるが・・・この場においてはユダヤ人につけられた黄色い星と同じようなもの。
 トナカイの放牧をするサーミ人社会にいる分にはいじめられることはないけれど、エレ・マリャのように「外の世界を知りたい」と言えば「もうここにお前の居場所はない」と言われ、外の世界に出れば「ラップ人だ」と差別される。
 どうしたらいいんですか?!
 なんかもう、劇映画というよりもドキュメンタリーを観ているような気持ちになってきて、ひどくやり切れない。
 それでも、へこたれないエレ・マリャの強さには圧倒された。 ときに大胆なほどの図々しさ(?)で、スウェーデン社会で自分の居場所をつくろうとする。

  サーミの血1.jpg ときにやぼったい小娘の顔、ときに憂いを含んだ美人の顔。 エレ・マリャ役の女の子は実際にサーミ人で、トナカイの放牧生活をしている人だそうである。 映画出演はもちろん、演技自体はじめて。 なのにこの迫力、すごい!
 事実は事実でどうしようもなく重いものだが、エレ・マリャの希望を捨てない強さがこの映画を救ってくれた、と思う。
 2016年の東京国際映画祭で審査委員特別賞と最優秀女優賞をダブル受賞したというこの作品、だから日本公開できたのかもしれないし、東京国際映画祭の世界の映画に対する貢献度ってあるの?、と思っていなくもなかったので・・・ちゃんとやることはやっているじゃないか!、とこの映画のおかげで東京国際映画祭の株も上がりましたよ。
 監督のアマンダ・シェーネルもサーミ人の血を引いているそうで、自らのルーツを感情的になりすぎず冷静に語れる力がすごい。 やはりある程度自分の中で消化・吸収したからこそできる技なのかも。

  サーミの血4.jpg 現在、彼女はエレ・マリャの名を捨て、クリスチーヌと名乗っている。
 彼女は多分、かつて夢見た人生を歩んできたらしい。 けれど詳細は語られない。 時間の経過とともに差別意識は薄らいできたのかもしれないし、なによりも彼女の努力もあっただろう。 けれど再びこの地に戻ってくるにはそれだけの年月と、実妹の死というきっかけがなければ無理だったということに、彼女の苦悩を見る。
 サーミ人にはヨイクと呼ばれる独特の音楽がある。 基本は無伴奏による即興歌。 歌い手によっていろんなタイプがあるみたいだけど、エレ・マリャの謡うヨイクはだんだん切なく聞こえてくる。 多分、彼らは自然信仰・精霊信仰ではないかと思う。 その多神教なベースとか、日本人とも共通する感性を持っていそうなんだけど(モンゴルの放牧生活している人たちならもっとかな)・・・だからこんなにも胸に迫るのかしら。
 きっかけはあたしのうっかりだったけど、この映画を観てよかった。

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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