2017年09月23日

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン/A QUIET PASSION

 詩人エミリ・ディキンスンについてはなんとなく知ってはいたが、「えっ、こんな時代だったの?!」と驚いた。
 アメリカの文化には、厳密なるキリスト教主義が阻んだものが結構あるんじゃないだろうか・・・そんな気がした。 無名のうちに亡くなった彼女もまた、そんな犠牲者の一人ではないのか。 けれど、たとえ死後でも作品は発表されたのだからそれをよしとしなければならないのだろうか。 その後多くの人々が彼女の影響を受けたのにもかかわらず。 今では<アメリカ最高の女流詩人>と呼ばれているのに。
 なんだかいろいろ切なくなってしまった。

  静かなる情熱P.jpg これは世界にあてた私の手紙です 私に一度も手紙をくれたことのない世界への――

 19世紀のアメリカ、マサチューセッツ。 全寮制の女子学校に通っていた若きエミリ・ディキンスンは貞淑な妻になるか尼僧になるかの二択しかないその学校の教育方針に反発と苛立ちを募らせていた。 彼女の理路整然たる反抗ぶりに学校側は手を焼き、ついにはエミリの家族が迎えにやってきて、彼女は自宅に戻ることに。
 父親のエドワード(キース・キャラダイン)、病弱な母親、優しい兄オースティン、心安らぐいちばんの理解者である妹ラヴィニア(ジェニファー・イーリー)との暮らしはエミリの心を慰めた。 だが、そんな理解ある家族ではあったが、アマストという小さな町には清教徒主義の強く影響を受ける上流階級が多く、父でさえも女性が仕事を持つことに「恥さらし」と言ってしまうような環境。 牧師の影響力もとても強く、「自分の魂は自分のもの」と考え、すべてを神にゆだねることに懐疑的なエミリの態度はあまり理解されない。
 そんな彼女のよりどころは、妹と近所に住む自由な発想を持つ友人、そして詩を書くことだった・・・という話。

  静かなる情熱3.jpg その日傘、意味あるか?、というサイズだが・・・顔を隠す意図のほうが大きいんだろうなぁ。
 新聞に詩を投稿するコーナーがあり、エミリの詩は10篇採用されている。 でもその新聞の編集長自ら「女性には名作を書く力はない」という記事を書いちゃう。 おい、世界最古の長編小説を書いたのは紫式部ですけど! もう、この時代感にイライラしてしまったあたしは現代人です。 でも、エミリの「気持ちの通じ合う家族・同性の友人がいればもう十分」みたいな考え方、ちょっとわかる。 社会に立ち向かう、なんてスタートラインにすら立たせてもらえないのに“生きづらさ”だけ背負わされるとはどういうこと!
 多分、エミリの詩が今も残るのは、時代を超越した“生きづらさを抱える気持ち”と“永遠や絶対というような、手に入らないものへの憧憬”が根底にあるからだろう。
 ただ映画としては・・・ちょっと長いかな。 当時の生活を忠実に映し出したい、という意欲は感じるのだが、観る側のあたしはもうその時代のテンポでは生きていないので。 ところどころで「あぁ、ゆっくり過ぎる!」と感じてしまった(これはあたし側の問題ですが・・・)。 牧師さん以外の男の人たちの風貌がほとんどリンカーンなのにもちょっとげんなりだし(いや、そういう時代だから仕方ないんだけど)。
 だけどシンシア・ニクソンは素晴らしい! 彼女自身エミリ・ディキンスンのファンでこの役を熱望していたそうだけど、確かにそうなんだろうなと頷ける熱演。 意志の強さと、それが過ぎるが故に辛辣になってしまうかたくなさと、些細な美しさに気づける繊細さと、本質的な優しさ。 怒るととてもヒステリックな口調になってしまうこともあるけれど、詩を詠む彼女の声はとても静かで澄んでいて美しい。 『SATC』のミランダと同じ人とはとても思えないが、そういえば劇場版でハロウィーンの魔女の帽子をかぶったのがすごく似合ってた。 もともとこういう時代の服装が似合う人なのかもしれないなぁ。

  静かなる情熱4.jpg 新しく町にやってきた牧師・ワズワースの説教はエミリにとってとても新鮮で、教会と男性を見る目が少し変わる。 しかしワズワースはすでに妻帯者。 エミリは思いを告げられず、詩について語ることしかできない。
 でも弁護士となった兄が結婚し、その相手がすごくいい人でエミリの友人になったことは慰めだった。 もう、義姉とエミリと妹の三人一緒のシーンは、観ていてとても気持ちが穏やかになる暖かな場面が多かった。
 それでも口さがない人はどの時代にでもどこにでもいるもので・・・静かな生活を送りたいだけのエミリを苦しめる。
 更に、人生の苦難は容赦なく彼女を襲う。 相次ぐ両親の死、自身に降りかかる突然の病。 まるで、信仰が足りないから天罰が下った、と周囲の人の噂の種になるような。 だから原理主義っていやなんだよ!

  静かなる情熱1.jpg 彼女に残され、与えられたのは<書くこと>。
 バイオグラフィーだけ見たら、彼女は孤独な人だと思われるかもしれない。 でも孤独と正面から向き合ったからこそ、その勇気があったからこそ、彼女は詩を紡ぐことができたのだ。
 あたしにとって、エミリ・ディキンスンという名前にはいつも“不滅”や“永遠”というキーワードが浮かんでいた。
 詩は難しいので(特に翻訳してしまうとなにか伝わらなくなってしまいそうで)、あまりいい読者ではないが、でもこのイメージは意外と本質に近かったのではないか。 そんな気がしたのはうれしかった。
 死後とはいえ、机にしまわれていた約1800篇の作品群を妹さんが見つけ、発表したこと。 それが後世に残り「アメリカ文学史上の奇跡」と呼ばれるまでになったこと。 彼女はよろこんでいるだろうか。

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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