2017年08月29日

Zの悲劇【新訳版】/エラリー・クイーン

 そんなわけで、『Zの悲劇』を読む。
 小学校6年生(もしくは中学校一年生)以来の再読。
 なんと語り手がサム警視の娘ペイシェンス・サムであることに驚愕し(エラリー・クイーン作品において一人称の小説はほとんどないから。 実際にこの作品だけだという)、かつて読んだはずなのに全然覚えていないことに呆然となる。
 でもあの当時・・・エラリーの<国名シリーズ>よりも<ドルリー・レーン四部作>のほうが好きだったのは、もったいぶった若い名探偵エラリー・クイーンよりも年老いたシェイクスピア俳優のドルリー・レーンのほうが個人的に好みだったからからかなぁ(昔からおじさん・おじいさんが好きだった)。 で、ペイシェンス(愛称パティ)もまた若く自分の美貌と才気を鼻にかけたところのある人物で、その割に肝心なところで転んだり気絶したりして、彼女のせいでドルリー・レーンの登場が少ない!、と感じていたのだろうか。 あたしの記憶がおぼろげなのはそのせいかもしれない。
 ファニー・カイザーという人物が登場した途端、「あ、これ読んだ!」と思い出した。
 でも犯人は覚えていなかったのだった・・・。

  Zの悲劇新訳.jpg ZはYの十年後の物語。
 ヨーロッパから帰ってきたペイシェンス・サムは女探偵になることを望み、父に頼んでかの有名なドルリー・レーン氏に会わせてもらうことになる。 サム警視は警察を退職し、いまでは探偵事務所の所長。 ブルーノ地方検事はいまやニューヨーク州知事。 懐かしい再会はすぐに終わり、サム元警視はある依頼によってよくない噂のある州上院議員に会いに行くことになる(勿論、ペイシェンスもついていく)。 ところが、その人物は刺殺体として発見される。 近くにあるアルゴンキン刑務所を出所したばかりの元受刑者が容疑者として逮捕されるが、ペイシェンスは彼が犯人だと思えない。 レーン氏に助けを求めれば、彼もそうだと考えていた。 しかし物的な証拠がないため、警察側を説得できない。 更なる証拠と真犯人を探すべく、ペイシェンスは奮闘するが・・・という話。
 今から思うとそんなに長い話でもないので(400ページ以内である)、結構あっさり読み終えてしまった。 越前氏の新訳のせいもあるだろう。
 ペイシェンスにイライラするのはあたしも女だからか、その時代の女性の感覚が(純潔を清純を保つのを前提に女の武器を当然のように利用する、女だから認められないことに苛立つ、など。 原著は1933年なのでこれはエラリー・クイーンの女性像の問題だと思うのだが)古いせいか。 ここで好き嫌いがわかれるかも。
 ミステリとしては後半はタイムリミットサスペンスと消去法による推理が見事にミックスされた先駆的作品で、被害者や事件の背景があまりに取って付けたもののようであってもドキドキしてしまう。 逆に言えばその部分だけが華麗で鮮やかであるのに対し、それ以外のことは結構どうでもいい感じがしないでもなく、だから記憶に残らなかったのかな、という気がする。
 でも、犯人判明後にわかったある事実が、かつての自分は気が付かなかったけど『レーン最後の事件』の動機的伏線になっている・・・と理解できたのには戦慄した(まるで無邪気な様子でその旨を記すペイシェンスの人でなし加減−それは若さゆえの残酷さのせいなのだろうけど、にもまた)。
 どうしよう、この次に『レーン最後の事件』に行くべきか、それとも『Xの悲劇』に戻るべきか。
 悩むところである。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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