2017年06月15日

我々の恋愛/いとうせいこう

 いとうせいこうの新作が出ていたことを知らなかった(文庫と違ってなにしろあまり単行本には注意を払わない人間なもので)。 しかもタイトルは『我々の恋愛』。 えっ、いとうさん、そんな直球のタイトルで?
 読み始めて・・・あ、これはシュールコントの流れか、とニヤニヤする。 学会で真面目に報告が行われているんだもの。
 恋愛とは個人的なものだと思っていた。 なのに、『我々の恋愛』。 その<我々>とは個人のエピソードの集合体ではなく、ひとつの恋愛をみなで見つめるものだということは学会の存在からはじめからわかっている。 それがそもそもおかしいでしょ、なのです。
 なのに、あたしはうっかり70ページ目で泣いてしまったのだった。
 傍から見ている人にとってはどれほど奇妙なことであっても、当事者にとってはごく自然なこと・当たり前のことと感じる“ずれ”は恋愛における純粋さなのでしょうか、それとも“恋は盲目”だからなのでしょうか。

 2001年5月、『二十世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議』が山梨で開催され、世界中の恋愛学者が集う。 そこで「二十世紀最高の恋愛」と学者たちに選出されたのは、日本の若い二人の、ありふれていながらも世にも不器用で奇妙な恋だった。 <BLIND>と題された研究報告と、その会議に出席した学者による手記<ヤマナシ・レポート>、恋愛の当事者によるコメントと、<ヤマシナ・レポート>著者であるトルコの詩人の私的な書簡などが入り混じり、「二人の恋愛」について語り合うはずの記録がいつしか様々な時代と恋愛の記録となる、という話。
 すごく面白かった! ハードカバーなのに通勤カバンに入れて持ち運んでしまった。
 虚構と縫い合わされた事実の羅列の前に、戸惑う人もいるかもしれない。 意外に大作ですし。 でも、そこを乗り越えたらぐんぐん面白くなるので最初は読み流しつつでいいので、とりあえず進んでください。 そうすれば、多分戻りたくなる。
 これはその時点における現在から過去と未来を想う(そして読者にとってはその未来すら過去なのだが)、ノスタルジックな『20世紀物語』なのだ。

  いとうせいこう我々の恋愛.jpg この頼りない表紙絵が、実は本質をあらわしていたのだと気づくのは途中から。

 報告<BLIND>が“恋は盲目”の意味ではないとわかってからは、SFの様相を呈するのだけれどそれがまったく違和感がない。 むしろ、「もともとSFだったのかな?」ぐらいの気持ち。
 ここで語られる恋人たちの時代には携帯電話はない。 出会いのきっかけはそもそも間違い電話からで、片方が電話番号を知らない事態がしばらく続く。 今から思えばこんなもどかしいことはないが、確かにそういう時代はあったのである。 だからこそ、仕事仲間や友人の恋愛の悩みに、わがことのように親身になって相談に乗ったりしていた(ときにそれがどれほど見当違いなことであっても、当人たちはいたって真剣である)。 そんな当事者意識のある“我々”、そんな不便な時代があったとは知る由もない“我々”と、読者もまた二分されている。
 そんなメタフィクションを織り込んだ、いとうせいこうお得意の手ですか、と、ところどころ笑って(ツッコミを入れつつも)読みながら思っていたのだが・・・会議が行われたのが2001年であることの意味に気づいたときには戦慄した。
 ・・・そうか、これはもうひとつの『想像ラジオ』だったのか。
 過去から未来への、未来から過去への、全世界規模の鎮魂。 それは現在進行形でもある。
 ただ、それは作者はあまり大きく取り上げてほしくないことかもしれない。
 多分、彼が目指したものは壮大なシュールコントだから。

ラベル:国内文学
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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