2017年03月24日

彼らが本気で編むときは、

 荻上直子監督の新作だというだけでとりあえず「観たい!」ですが、扱う題材がこうときたら・・・更に観たいじゃないですか。
 これまでとテイスト変えてきましたね。 もう、「『かもめ食堂』の・・・」という冠はいらないかも?

  彼らが本気で編むときは、P.jpg彼らが本気で編むときは、P2.jpg カタチなんて、あとから合わせればいい

 母親が何度目かの家出をした。 11歳のトモ(柿原りんか)は「またか」と、比較的近くの大型書店で働くおじのマキオ(桐谷健太)の職場を訪ねる。 「また?」 「また」 そんな会話で、それがよくあることなのだとわかる。 マキオは自分の家にトモを連れていくが、途中で「今、一緒に暮らしている人がいるんだ」と告白する。 マキオおじさんに恋人が!、と期待を胸に家を訪ねると、そこにはリンコ(生田斗真)がいて・・・という話。
 冒頭の数カットでトモが放置子であるとわかってしまうので、もうただひたすら切ない。 時折戻ってくる母親も酔っ払っててすぐ寝ちゃう−トモのことを見ないので観客も彼女が誰だかわからない(それを演じているのがミムラだというのがわかるのはほんとに最後のほうである)。 それがまた、母親不在をよりいっそう強調づける感じで、学校で普通にしているトモの姿が痛々しくて仕方ない。
 あぁ、そうだ、小学校ってこんな残酷な場所だったんだ、ということを思い出し・・・あたしはひたすらトモ目線でこの物語を観ていたように思う。
 同級生で先輩の男の子に恋愛感情のようなものを抱いてしまって困惑している少年に「キモっ」と言ってしまっているトモはリンコに対してもどうふるまっていいかわからない(多分キモイと思っているのだろう)。 けれど世間のそんな“偏見”は放置子であるトモにも向けられるもので、「誰かを攻撃することで自分が弱いと気づかれたくない」思いのあらわれなんだろうけど、それはよくないぞ!、とトモに説教したい気持ちになった。
 だって、リンコさんはトモにはじめておいしい手料理をふるまってくれ、キャラ弁までつくってくれて、トモの知らない<家庭>というものを教えてくれた人なのだから。

  彼らが本気で編むときは、4.jpg トモの悩みを聞くマキオ
 突然置いていかれても、トモにとっては母親には違いなく。 マキオにとっては姉なのだが、「昔から母親と姉がうまくいっていなくて、それがつらくて自分は早く家を出てしまった」とトモに告げる。 自分の意志で家を出られるのならばいい、でもトモはまだその年齢には達していない。 だからマキオにできることは、トモが楽しく暮らせるようにすること。 そしてトモの存在はトランスジェンダーであるリンコさんの母性に火をつけてしまい、トモを心から思う気持ちは徐々にかたくなだったトモの心を溶かしていく・・・という王道ながら劇的にではなくじわじわと描かれる展開。 それが穏やかな時間であればある程、観ている側もまた幸せな気分になるんだけど、それがこの先もずっと続いていくのかという不安も生まれてしまう。 ファンタジーでもいい、ずっとこのまま続いていて!、と願わずにはいられなくて。
 「リンコさんみたいな人を好きになっちゃったら、男とか女とか、そんなことどうでもいいんだよ」
 決して言葉は多くないけれど、聞かれたことにはごまかさずにしっかり答えるマキオの存在が、若干頼りなさげなんだけどぶれない強さを持っているとわかることはとてもうれしいことで。 だからリンコさんも彼を選んだのかなぁ、と思ってみたり。 桐谷健太は『オカンの嫁入り』でもそうだったけど、ちょっとぼんやりくん?、みたいな役のほうが本領を発揮するような気がする。
 そう、リンコさんは生田斗真なんだけど、生田斗真ではなくて、女性としてちゃんとそこにいたのがすごくよかった。
 どうしてもしぐさなどが過剰に女性らしくなってしまうんだけれど、それは<女性であること>をずっと考えてきた人だからこそそうなるんだろうなぁ、とわかるし(むしろあたしのように、「女であることは呪いだ」と思ってしまっているようなやつは<女性らしさ>から遠ざかるけど、だからといって男になりたいわけではないのでニュートラルなところに落ち着く。 自分が女であることに疑問もよろこびも感じない人ほど、結構動作ががさつになってしまいがちなのでは?)。
 人って年齢を重ねるほど、どう考えてきたのかが言動に出るよね。

  彼らが本気で編むときは、3.jpg 子供にはごはんはやはり大切です!

 なんというか・・・物語的には若干詰め込み過ぎな感もなきにしもあらずなんだけど(トモのことだけではなく、リンコさんの今に至る生い立ちや理解ある母親とのことや、トモの母親のことも責めるようには描かず、その母親(なんと、りりぃだった!)との間に問題ありと描写しつつそれでも血と時間のつながりはトモにもまたつながっていることを暗示させたり、トモの同級生のゲイ要素のことなど)、でもどれもエピソードとしては必要なのよね。 127分という比較的長めの上映時間も、その必要さ故だったのだろうし。
 同級生くんの母親役だった小池栄子、「自分が正義で間違いない」と思いこんじゃっている人をやらせたらはまるよなぁ、と感嘆。 出番は少ないですが超怖かったです。 母親がこんなだったら彼も苦労するというか、生きているのが苦しくなってしまうのが明白。 逆に、リンコの母親(田中美佐子)のリンコへの愛情が深すぎてそれもそれでちょっと怖い。 11歳のトモに、「リンコを傷つけたら承知しないわよ」と食事の席でマジ脅迫なんだもの!
 勿論、それぞれが“愛”なのだ。 正しい形も、決まった形もないが故に、ときには歪んでしまうけど、出発点は愛。
 ただ、それを理解し受け止められるのかどうか、その結果で愛は束縛にも呪いにも放置にもなる。
 「血の繋がりなんか、関係ないんだよ」と心から言えたらどんなに楽だろう。 一回そこから解放されて、もう一度自分で選択できたならそれは自分の意志になるけれど、子供たちは無条件に母親を求めてしまうものだから、その事実に気づけるのはいい大人になってから。

  彼らが本気で編むときは、1.jpg 本気で編んだ、煩悩の数々。

 この映画づくりの出発点になったのが実在の親子のエピソードだからか(リンコさんとその母親にあたる)、必要なエピソードも多いからこれまでの荻上直子作品に比べてかなりわかりやすい流れになっているのが特徴。 それだけLGBT関連はある程度説明を入れなきゃいけないのが日本の現実か・・・と思ってちょっと悲しくなる。
 もう、小学生に課題図書として萩尾望都を読ませるべきでは!、とつい考えてしまう(それくらい小学校という場所は弱肉強食の世界である。 あたしの頃と根本的には変わっていない−もしくはもっとひどくなっているかも、と感じさせられたのがほんとに恐ろしい)。 きっと、小学生生活に何の疑問もなく適応できた人はなにも感じないだろうけど、いじめのターゲットになったことがある者などはいろいろ思い出してしまうと思う。 この映画ではストレートにそのおそろしさは描かれてはいないんだけど(あくまで最小限に触れるのみである)、あたしは記憶を呼び起されましたよ。
 だからこそ、トモの自立を応援するしかなくて。
 それまでのくだりが親切だったので、ラストへの急展開は説明不足と感じる人もいるだろうけれど、そのラストシーンをどう受け止めるかは観客に委ねられる。 というか、こう思ってくれるだろう、という監督からの観客への信頼というか。
 それでも、差別だと気づかないまま無神経な発言をする人はいるだろうし、そもそもかたくなな人はこの映画自体観ないかもしれない。 でもあんまりはっきりそういうことについて考えたことのない人たちが、この映画をきっかけにしていい方向に考えてくれれば。
 多分それが監督の願いだろうし、キャストのみなさんもその気持ちに応えた熱演だったと思う。
 特にトモ役の柿原りんかちゃん・・・また天才子役という名の若き女優が出てきてしまいました。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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