2017年03月02日

流動体について/小沢健二

 先週の金曜日、レイトショーで『ラ・ラ・ランド』を観て帰った。
 そして家に着いてから、「Mステにオザケン出てた」ことを知ったのであった。
 ま、まじで?! ・・・がっかり。
 気持ち、天国から地獄ってこういうこと?
 あたしはあまり<渋谷系>を聴いてこなかったのですが、ソロになってからの小沢健二にはがっちりはまりまして(『犬キャラ』『球体』もいいけど『LIFE』はもう奇跡としか言えない名盤!)、その後も細長いCDシングル全部持ってた(今は実家に置いてあるけど)という世代です。 あぁ、カラオケで『ラブリー』・『さよならなんて云えないよ』・『強い気持ち 強い愛』とか歌ってたなぁ。 好きではあったけど大ファンと公言できるほどでもない、まさにリアルタイム青春!
 ・・・というわけで、新曲を注文しまして、届きました。

  オザケン流動体について.jpg あたかもLPレコードのような体裁。
     そういえば、シングルレコードってこんなサイズだったっけ?
     こういうのは楽しいんだけど、あとあと、片付けにくい・・・。
 『球体を奏でる音楽』のジャケットを思い出しちゃうよね、やっぱり。

 ドキドキしながらプレイヤーにセット。 カナル式イヤフォンを装着して、スタートボタン。
 オザケン、声が低くなってるじゃん!
 すみません、まずそう思っちゃいました。
 でも、歌詞やサウンドの指向性は『LIFE』の延長線上。 当時の焼き直しでもなく、明らかに19年の歳月を積み重ねた成熟を押し込んでくることもなく、ちょっと先、そして今。 そんな感じが実にオザケンらしい。
 一曲目、流動体について。 二曲目、神秘的。 そのあとにそれぞれのインストが収録されています。
 『流動体について』のインストを聴いたとき、涙が流れてくるのを止められなかった。
 このきらきらしていてわくわくする、なおかつ美しいサウンド。 これこそがあたしの好きなオザケンそのものじゃないか!
 少し低くなった声、くすんだように感じたヴォーカルに惑わされてしまっていたけれど、全然変わっていないのだ。 そう感じてから聴き直したら(4曲リピート設定にしていた)、ヴォーカルの弱さが気にならなくなった。 19年もたっているんだもん、ちょっとは変わるよね!

 楽曲しか聴いていないのでよくわからないんだけれど、シングル『愛し愛されて生きるのさ』を出すとき、彼はあえて「ポップスターになろう」という覚悟を持ってメインストリームに出たのではないかと思っている。 そうでなければあれだけテレビに出たりCMソングも引き受けなかっただろうし、ライヴも精力的に行わなかっただろう(日本の音楽界がいちばん売れている時期にかぶっていたとはいえ)。
 彼が言い出したわけではないのに「ナルシスト」だとか「王子様」とか脇から言われてもまったく気にしてない風に見えたのは、それがポップスターの宿命だとわかっていたから(むしろナルシス度をキャラとして、その落差も踏まえて売りにしていたのは西川貴教であり、自ら王子と名乗ったのは及川光博である)。 ポップスを体現する者として、その成果が筒美京平とのコラボであったなら、そこがポップスターとしての終着点。 覚悟していたとはいえ、いろいろ言われてつかれただろう、と小娘でしかないあたしから見てもそう思えた。
 だから彼が「降りた」のはある種の必然だった、綺羅星のような短い期間で凡庸なアーティストが一生かけてもできないことを成し遂げたのだから。 あたしは<青春を共にした思い出の曲>だったはずの曲たちが自分の中に驚くほど深く入り込んでいることに気づき、オザケンのすごさを遅ればせながら理解したのだ。 だからこそ残された曲たちを大事にするしかないと思っていた。 ポップスターとしての彼は、もう帰ってこないと思ったから。 世界を旅して、国際結婚して、というのは本来彼が求めていたのかもしれない「コスモポリタン」な生き方で、それもまた実にオザケンらしいと思っていたから。
 でも、こういう形で新曲がリリースされると、彼はまた再びポップスターとしてメインストリームに立ってくれるのかしら、という希望を持たずにはいられない。 ポップスターといってもあの頃とは種類が違うだろうけど。
 しまった、リピートが止められない。

ラベル:邦楽
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | Music! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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