2017年02月25日

テロ/フェルディナント・フォン・シーラッハ

 これも図書館の新刊コーナーで見つけ・・・「いいんですか?!」と驚愕。
 なんか、シーラッハは予約して待たないと借りられないようなイメージだったので。
 ぱらっとめくれば「えっ、戯曲?」という構成に一瞬絶句。
 まぁ、そういうこともあるのかなぁ、と深く考えずに借り出した。
 しかし・・・戯曲の形をとってはいるが、まるで思考実験というか、もしくはプラトンの著作のような「ソクラテスとの問答集」みたいな、そんな内容でした。

  テロ シーラッハ帯なし.jpg なんて単刀直入な表紙。
 2013年7月26日、ドイツ上空で普通旅客機がハイジャックされた。 テロリストの目的は大きな試合が行われているサッカースタジアムにその旅客機を墜落させ、7万人もの観客を殺害するというもの。 しかし指令を受けて緊急発進した空軍少佐は最終的な命令を待たずに独断で旅客機を撃墜。 乗員・乗客164名はそれにより死亡したが、スタジアムの観客たち7万人は助かった。
 果たして、空軍少佐は英雄なのか、犯罪者なのか。
 結論は一般人が審議に参加する参審裁判所に委ねられる。 検察官の論告、弁護士の最終弁論ののちに、判決が下される・・・という話。

 これが何故<思考実験>なのかといえば、有罪と無罪、結果が二種類それぞれのヴァージョンが書かれているから。
 つまりどちらの判決を支持するか、読んだ「自分」の決断がそこで試されるというわけで。
 裁判員制度が導入された日本としても実は他人事ではなくて、「自分だったらどうするか」のリアルさ加減は実験以上の重さがある。
 で、あたしはどうなのかといえば・・・迷いますよねぇ。
 できたら両方救えるのがベストですけど、ハリウッド映画のようにご都合主義的に物事は解決しないわけで。
 人一人の命は地球よりも重い、という考えもある一方で、大きなものを生かすためには小さい犠牲はいたしかたないという意見もあるわけで、そしてこのテロの時代においては後者の意見に世界は大きく傾きつつあって。
 いちばんいいのはテロリズムを物事の解決法にしないこと(実際には解決にはなっていないのだが)。 だがそこへ至る道のりはあまりに遠すぎる。
 武器を持つ前に対話、というのは簡単だけれど、価値観のまったく違う相手にその場に出てきてもらうことがまず難しいのよね・・・。
 だからあたしたちは考え続けないといけない、というわけ。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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