2016年10月27日

ある天文学者の恋文/LA CORRISPONDENZA

 <ジュゼッペ・トルナトーレ監督が放つ、ミステリードラマ>ということで、『鑑定士と顔のない依頼人』の男女逆バージョンみたいなものを連想(というか期待)していってしまったあたし、なんだかちょっと肩すかし。
 だっていい人しか出てこない純愛映画だったのだもの! 全然ミステリーじゃないし!

  ある天文学者の恋文P.jpg 天文学者が、恋人の行く先々に遺した手紙。
     そこには壮大な物語へと導く謎が秘められていた。 その<謎>を解き明かしたとき、極上のミステリーは切ない愛の物語に生まれ変わる。

 高名な天文学者のエド(ジェレミー・アイアンズ)には妻子がいるが、教え子であるエイミー(オルガ・キュリレンコ)とは密かに愛し合う関係だった。 限られた逢瀬を最大限に楽しむ二人。 だがある日、大学でエイミーはエドが亡くなったことを知らされる。 病を患っていたとのことだが、エイミーにはまったく心当たりがない。 衝撃と混乱の中、席を立ってフラフラ歩き出したエイミーのスマホに、エドからメッセージが届く。 死んだなんて間違いだわ!、希望を抱くエイミーだが、葬儀は取り行われ、なのにその後もメール・手紙・プレゼントが次々とジャストタイミングで届き続ける。 自分の愛を忘れてほしくないと、けれどそれが重荷になったら終わりにできる合図も添えて。

  ある天文学者の恋文2.jpg いつまでも優しい言葉を囁き続けるエド。

 女の立場から見れば、エドはあまりにも完璧すぎる恋人である。 付き合っているときもエイミーを全肯定。 相手にのめり込むあまりに公共マナー無視の行為にも目をつぶる(劇場の客席にいるのにスマホでチャットしていることを咎めないのは大人としてもいかがなものか)。 そもそもまずエイミーには覚悟がない、それが問題だ。 若いけど、超若いというわけでもないのだから(学生ではあるが食いぶちを稼ぐためにスタントマンをしているのだ)、エドに甘えているばかりに見えるのが非常に残念(それが、“恋愛”に酔う女性の姿を表現しているのだと言われればその通りなのだが)。 それに、スタントマンをしているならば命の危険や大怪我の危機などと常に隣り合わせのはず。 けれど彼女は“死”について現実的に考えている気配はない。
 一応立場としては不倫のはずなんだけど、エドの妻が現れないので二人の関係はあくまで<純愛>として描かれており、他の登場人物たちもそのように受け止める。 誰ひとりとしてエイミーを責めない。 だったらエドに妻子がある設定はいらなかったのでは?
 そんな甘やかされた恋人・エイミーは次第に一方通行のエドからの連絡にぶちぎれ(彼が死んでいるのに何故連絡が来るのかと不思議がっているが、そんなの死ぬ前にそのようなプログラムを組んでいれば可能だということに思い至らないのもおかしい)、ついに終了のキーワードを入力。 それ自体も彼女の甘え故の行動なのであるが、当然、ぱたっと連絡はこなくなる。 そうなると一気に喪失感にさいなまれ、後悔。 再びエドからの連絡を望んで自分が知らない彼の過去を追いかけることに。 気づくの遅いんじゃ!

  ある天文学者の恋文1.jpg アクションもこなす女優オルガ・キュリレンコにスタントマン役をやらせるのは面白い。 同時にエイミーは天文学で博士号を狙っているのだが、あまり賢そうに見えないのは何故・・・恋愛において、賢さは邪魔になるのか。

 恋愛が謎にたとえられるのは、当事者にとっては冷静ではいられないから、他の人から見れば明らからことも本人はまったく気付かない、というところから来るのであろうか。
 エイミーは恋愛に、エドに溺れすぎていてあまりに愚かで痛々しい。 多分それもわかっていて、そんな愚かささえも愛しているエドにとっては彼女には成長してほしいが同時にしてほしくない、というエゴがあり、しかし自分の死を目前にしたことでやっとそのエゴを手放す気になれたのかな、と感じる。 一歩間違えば愛という名の束縛でしかないのであるが、それから解放する術まで用意してあるのがさすが年の功だし、その意味に気づくのが遅いエイミーはやはり未熟だったということか。 なんだか同じ女性として非常に残念だった。
 ただ、エディンバラや、二人の思い出の地であるサン・ジュリオ島などの風光明美さは楽しめる。
 地球からは輝いて見える星も、その光が届くまで長い年月がかかっている。 今光って見える星も、現在は存在しないかもしれない。 エドの想いはそれと同じ、だから一瞬は同時に永遠でもある。 それを言いたいがための<天文学者>という設定だったのだろう。
 そのへんはトルナトーレ的ではあるのですが・・・身を切るような残酷さが足りない、と思ってしまうあたしはひどい人?
 それにしても、自分の娘より年下の恋人を持って、星雲の美しさと愛を同時に語る男として今、ジェレミー・アイアンズ以上の役者がいるだろうか。 知性とほどよい色気の同居。 二十数年前ぐらいから同じ立ち位置をキープできてる人、他にいなくない?

  ある天文学者の恋文4.jpg あたしの中では『ダメージ』以来そんなイメージです。 立ち姿の美しさは変わらない。

 そういう意味でも、男性目線からの究極の恋愛像という感じがして・・・非常にずるいのである。 かっこつけすぎというか、文句が言えないほどかっこいい。 大概はモニター越しの粗い映像であったり、声だけだったり、ときには後姿だけだったりするのに、感情は十分に伝わる。 もう、ジェレミー・アイアンズファンは必見! もはや彼のための映画ではないか、と思ってしまう。
 ラストシークエンスで、多分しばらくのちのエイミーが現れる。
 髪型を変え、少し落ち着いた雰囲気に。 エドを失った悲しみは消えてはいないけれど、その姿は彼女の成長に見え、観客としてのあたしはほっと胸をなでおろすことができた。

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック