2016年07月15日

二重生活

 うわっ、なんか、哲学やる人って変なやつだと思われる!
 全体を通しての印象は、まずそれであった。 なんか、かなしい。

  二重生活P.jpg 理由なき尾行、はじめました。

 ある大学院(哲学専攻・修士課程)に通う珠(門脇麦)、実存(「なぜ人間は存在するのか、何のために生きるのか」)をテーマに修士論文を仕上げなければならないのだが、自ら「これまでなんとなく生きてきたので・・・」と言ってしまうようなタイプである彼女は、論文のとっかかりが決まらずに悩んでいた。
 そんなとき、指導教官の篠原(リリー・フランキー)から修士論文の調査手法として、「知らない人を尾行してみたらどうですか。 勿論、尾行する相手と接触してはいけません。 それであなたが何を感じるのか、楽しみにしています」と言われ・・・その場で了承することはできなかった珠だが、大きな書店で『探偵術のコツ』みたいな本を立ち読み、尾行の際の注意点などを学習してみる。 ちょうどそこではある作家のサイン会が行われるときで、その場にいた出版社の人間らしき男は、珠が住むマンションの向かいの邸宅の主・石坂(長谷川博己)だった。 美しい妻と可愛い娘がいて、いかにも幸せを絵にかいたような家を密かに珠はうらやましく思っていたようで、とっさに彼を尾行することに。 それが修士論文のための研究という名のまったく新しい人生への一歩だった・・・という話。

  二重生活1.jpg そうして始まった「理由なき尾行生活」。

 「理由なき尾行、はじめました。」というコピーにつられて、さぞ意外なサスペンスにしてくれるんではないかと思ったのですが・・・ヒロインのキャラが不可解すぎてちょっとのめり込めず(別に共感したかったわけではなく、共感できないならできないでいいのである)。
 なんというか、大学院修士課程に進んでおいてまだそこで悩んでるのか!、とあたしが思ってしまい・・・彼女の<哲学をやる覚悟の無さ>にげんなりしてしまった、というのが正直なところか(あたし自身の「ほんとは哲学を専攻したかったのにできなかった・別の選択はそれはそれで面白かったので後悔しているわけではない」んだけど、自分が手に入れられなかったものを手にしているのに何もしない彼女に対する嫉妬、でしょうか)。 彼女が学部生ならまだわかるのですが。
 なので若干時代遅れ感が否めないというか、ただ、旧態依然とした問いの繰り返しを飲み会で年をくった男性院生たちが繰り広げているのを、若い女性院生がすごく醒めた目で見て「ばかみたい」的な発言をするのはちょっと笑ってしまった(新しめの視点としてはそれくらいか)。
 旬の女優・門脇麦を使いたくて仕方ありませんでした!、というのがいちばんの制作動機だったのではないのかな、と勘ぐりたくなるというか・・・哲学をエンターテイメントに引き込もうとする姿勢はいいんだけど、その試みはいまいちうまくいっていなかったかもな、という気がしないでもない。 ミステリというか、映像におけるホラー的仕掛けのほうが地味に効果を挙げてしまい(とはいっても核心をついているわけではない)、焦点がぼんやりとしてしまった印象。 おかげで、カップめんのふたを全部はがしていない状態で食べ始めているのに、次のカットではふたは全部はがされテーブルの上、しかしまたその次のカットではふたは元に戻っている!、というどうでもいい<つなぎのミス>が目立ってしまって困る、という結果に。

  二重生活2.jpg 普通に同棲してます、とマンション管理人(烏丸せつこ)も把握。 実は管理人さんの鬱屈は点描されるだけだが相当深そう。

 そもそも「見た目が地味めな女の子、でもやることはやってます」という発想自体が古いおっさんの価値観、という感じがしてしまい・・・観ていてなんだか麦ちゃんがかわいそうになってきてしまいましたよ(ほんとに地味な子は地味だから! 本人はそれで普通と思っているから。 この映画の彼女は“あえて狙わされた地味感”をまとわされているようで、つらかった)。
 珠の世間知らず度は繰り返し描かれる。 尾行初日、SUICAのチャージがたらずに改札でもたついたのに、後日タクシーに乗った石坂を追い自分もタクシーを止めたはいいけどがお金が足りるかと財布を確認したり。 一回失敗してるんだからそこは準備ちゃんとしておこうよ!、である。
 他にも、同棲中のゲームデザイナーの彼(菅田将暉)に嫌われたくないから基本媚びの入った上目遣い、どこまで言っていいのか言葉を探す数秒の間、など、すごくイライラする。

  二重生活3.jpg なんだかんだでやっていることは素人なので結局尾行はばれる・・・長谷川博己も絶対プライベートになにか秘密を抱えてそうなイメージの役だし。

 子供の頃のトラウマから他人に心を開けない・あるがままの自分を認めてもらうのが怖いから、相手が期待するであろう姿を演じる、という生き方の痛々しさは伝わってくるのですが、なにしろ底が浅すぎる・・・。 そりゃ同棲している彼もあきれてきちゃうよな、と納得。
 むしろ、自分で答えを出せない・人に答えを出してもらいたがってしまうような彼女が何故哲学を選んだのか、という理由のほうが重要なような気がするのだけれど・・・(そんな自分を克服したい!、という強い気持ちも見られない)、原作読むしかないのかなぁ。
 またおいしい役を持っていくずるいリリー・フランキーは、人生を哲学に捧げたものの、自分には何も残っていないと絶望をまとう教授を覇気なくローテンションで好演。 でも個人的なことに事実を矮小化し、幸福や不幸を考えてしまうのは哲学研究者として失格だと思うのだけど。
 壊れた人たちが紡ぎ出す、壊れた物語。
 壊れていない人は早々に撤退するのがいちばんですから(壊れた人たちに近づいてはいけません、巻き込まれますよ)、という話だったのかもしれない。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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