2016年07月01日

或る終焉/CHRONIC

 きっかけは、正統派ヨーロッパ映画的なポスタービジュアルと邦題から。
 でも主演はティム・ロス(だから台詞は全編英語)、監督・脚本のミシェル・フランコはメキシコの人! 予想を裏切る展開だが、第68回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しているらしいとなればあたしの感じた雰囲気はあながち間違いではないかもしれない。

  或る終焉P.jpg 孤独な魂が寄り添う――親密なる最期のとき

 デヴィッド(ティム・ロス)は終末期の患者のケアを専門とする看護師で、主に訪問看護が主体。 ときには24時間体制で勤務にあたることも(通常は交代制)。 多くを語らず、また患者になにも求めない彼は次第に、確実に患者との信頼関係を築いていく。 だが、その時間は濃厚であるが故に短く、デヴィッドはただひたすらに患者につくす。 ときに、それが常軌を逸しているかに見えるほどに。
 びっくりするほど説明がない。 それは不親切というわけではないのだが、BGMも特別な効果音もなく、あたかも固定カメラでの定点観測のよう。 ティム・ロス演じる人物の名前を把握するのにもしばらくかかった気がするし、序盤では固有名詞の重要度が低いように思われる。 彼がフェイスブックである女性の写真をスライド的に見ていくシーンがあるが、その女性が誰だかよくわからなかったので、あたしは彼が今介護している女性患者のかつての姿−成長過程、元気だった頃の様子を見て彼女への理解を深めているのかと思っていた(のちのち、それが彼の娘のものだとわかるのだが)。

  或る終焉2.jpg サラは自力で動くことも身体を支えることもできないので移動はいつもこんなふう。 そして彼は彼女に負担がかからないよう、大小様々なクッションを置く。 

 デヴィッドはとても献身的だ。あまりに献身的過ぎて、ときには患者の家族にあやしまれてしまうほど。 メイド文化があって「他人が家の中に入る」ことにそれほど抵抗がないように見える西洋でも、<家族の介護をしてもらう>というのは少し違うのだろうか。 自分たちがしないで他人にしてもらう、ということにひそかな罪悪感があるのか、だからそれが時として彼への敵意になってしまうのかもしれない(あとはテリトリー問題もあるかも)。 感謝している患者家族もいるしね。
 となると、何故そこまで彼は献身的過ぎるほどに献身的なのか、ということ。

  或る終焉3.jpg あるバーで、たまたま隣あったカップルが結婚したてで盛り上がっているので話しかけられる。 彼は今は亡き患者との思い出を自分の妻のものとして話し出す。 その患者の家族から「話を聞かせて」と頼まれても逃げ帰ったのに。

 じわじわと、映画が進んでいくごとに彼の孤独が染み渡ってくる。
 娘はいるが妻とは別れたので会ってはいない。 必要最低限プラスアルファの患者との会話以外、彼はだいたい一人だ。 勤務時間が過ぎるとジムのランニングマシンに向かって黙々とただ走る。 彼が眠っている姿は走っている場面よりもずっと少ない。
 彼もまた病んでいるのだろう、と感じてしまうのは、過剰なまでの患者への思い入れだけでなく、走ることで自分のペースを作ろうとしているのが見えることだ(一種の行動療法というかランナーズハイの状況にまで自分を追い込むことで一種の開放感を得、ストレスを解消しているというか、一旦自分を白紙に戻しているというか)。
 彼の献身が、彼自身の持つ心の傷の深さを現しているようで、なかなかつらい。 しかし彼はそんなつらさすら拒否しているような、忘れようとしてほんとに忘れてしまっているような。 彼の心の中が見えない。 だから患者の家族とトラブルを起こしてしまうんだろう。
 誰しも、そんな人は苦手なはずだから。
 しかし患者とのトラブルはない。 お互いの間に“孤独”を見ているから、二人の違いはただ病を得ているか否かだけで、多分誰よりもわかりあえた共犯だったのだろう(だからこそ、家族は許せないのかもしれないな)。

  或る終焉1.jpg 介護が必要な場面以外は、常に患者とはほどよい距離間(精神的にも物理的にも)を保っているように見えるし。

 自分だったらどうするだろう、といろんな人の立場に身を置いて考えることができるのもまた、高齢化社会が常識の日本では今日的な内容であり、リアルすぎて怖い部分もある。
 彼のように献身的に介護できる人間がどれだけいるだろうか。 介護を受けることに素直に感謝できる人間はどれだけいるだろうか。 そしてプロではなくあくまで家族が介護すべきだという発想から抜け出せない人たちはどれだけいるだろうか、などと(まぁ、それは日本の問題であってこの映画とは直接関係はない)。
 『或る終焉』、久し振りに秀逸な邦題だ。
 ラストシーンに訪れるのは、ほんとうに“或る終焉”だから。
 誰の身にもいつかは訪れる、でもいつ来るかはそう簡単にはわからない。
 でもその終わりはあくまでありふれている。
 人生って、恐ろしい。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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