2015年07月31日

ターナー、光に愛を求めて/MR. TURNER

 ターナーという画家の存在をはっきり知ったのは、ヤマタツの“ターナーの機罐車”だと思う。 あの絵は中学校の美術の教科書か資料集に載っていたかもしれないのだけれど、絵と画家の名前が一致していなくって、あの歌を聴いて「あの絵のことか!」と気づいたという。
 以前、神戸市立博物館でターナー展があったけれど、前売券を買っていたのに結局行けなかった・・・という苦い思い出もあり、その代わりにこの映画を。 マイク・リー監督が偉人ものを撮る、というのは少々意外だったし(『ヴェラ・ドレイク』は好きだから時代モノという点には違和感はないのですが)。
 しかし観てよかったんだろうか・・・という気がしないでもなく。
 18世紀末のイギリス。 ロイヤル・アカデミーで早くから評判をとっていた画家のJ・M・W・ターナー(ティモシー・スポール)。 ほとんど人物画を描かない彼はモチーフ探しによく旅に出た。 光をいかに描くかに固執するあまり、画壇や観客に理解されないこともあったが、彼は自分の求めるものを探し続ける・・・という話。

  ターナーP.jpg 旅の途中で、希望をみつけた

 マイク・リー監督って主だった設定だけ決めて、具体的な台詞は役者に任せるってタイプの人ではなかったっけ? 一体どう撮ったのだろう、と不思議な気持ちに。
 あたしは芸術家の個人的なことはあまり知らないようにしているのだけれど(それで絵を観る見方が変わるのはどうかなと思うし、でもすごく好きな画家だったりすると「なんでこんなふうに絵を描いたのか知りたい」と考えるとバックボーンに触れざるを得なくなるので難しい)、ターナーって結構若い頃から画家として生活できていた人なんですね。 そこはマネージャーのような父親の献身があってのことなんだけど(はっきりとは描かれていないけれど、母親不在がこの父子関係の濃さをより強めているのは明白)。

  ターナー、光に愛を求めて3.jpg 絵も売るけど、貴族のお嬢さん方に絵の描き方を公開レクチャーしたり。
 時代的なものもあるとは思うのだけど・・・何故、ターナーはあんなにも野卑というか、下品な話し方(態度)なのか!
 自分の芸術を理解してくれる(つまりは尊敬できる)女性にはいきなり丁寧語になるあたり、普通に話せないわけではない。 そういう“反ブルジョア”的な感じが男同士でも流行りだったのか? 多分母親に対する屈折した感情が“一般的に女性は見下すもの”という彼の性質を生みだしているっぽいのだが、そこは劣等感の裏返し的部分で(自分がハンサムではないという自覚もあるようなので)、とりあえずグフグフ言うような喋り方がとにかく不愉快で、観ていてとてもイライラする。 家のメイド・ハンナ(ドロシー・アトキンソン)を“手近な女”・のちに出会うブース夫人(マリオン・ベイリー)を“女神”のようにして区別する感じが、彼の女性観の乏しさを物語っている。 いくらいい絵を描く人でもこれではね・・・と幻滅(そういうところを描くから、年を経るごとに人間性に近付いていく“感動”のようなものが待ち構えているわけですが)。 まぁ、偉人というのはとかく奇行の持ち主でもあるわけで、でもなんだかなぁ、なのです。 しかし画業への情熱は本物で、身近にお付き合いしたい人ではないけれど、作品を観る分にはやぶさかではないタイプですね。

  ターナー、光に愛を求めて2.jpg モチーフを探す旅の風景はさすがに美しい。 イギリスの地方(とくに北部)はほどよく寒々しくていい感じ。
 というわけでターナー個人に対するイライラを、美しい風景と絵に癒してもらいました。
 あぁ、芸術って、多くの犠牲が隠されているのね。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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