個性派俳優ウィリアム・H・メイシーの初監督作品として注目していたこの映画、思っていたよりも日本公開が早くて驚きました(でも神戸では上映期間はあまり長くなかった・・・)。 とはいえ、あたしにとってウィリアム・H・メイシーといえば『ER』のモーゲンスタン外科部長だったので、『ブギーナイツ』を観たときには一瞬目を疑いましたが、いまや真面目な役柄を観る方が難しい・・・でもきっとご本人は、真面目な人なんだろうな、とこの映画を観て感じた(なにしろ奥さん、フェリシティ・ハフマンだし!)。
やり手の広告マンであるサム(ビリー・クラダップ)は大口の契約をまとめた勢いで大学生の息子ジョシュをいつもの店に強引にランチに誘う。 が、ジョシュは現れず、店のTVで大学で銃乱射事件が起こったことを知る。 2年後、すべてを捨てて日雇いの仕事をしながらボートで生活をしているサムのもとに、元妻(フェリシティ・ハフマン)が「やっと片づけが終わったの」と生前ジョシュが録りためていた楽曲のデモCDやギター、スピーカーなどを渡す。 「あの子の音楽好きはあなたの影響だから」と。
しかし今も事実を受け入れられないサムは一式を捨てようとするが、後ろ髪を引かれるようにCDを一枚聴いてみる。 そこには、サムの知らないジョシュの姿があり、ジョシュの曲を聴くのがやめられなくなり、自分でもギターをつま弾いて歌い出すように。 そしてある日決意を固めて、飛び入り参加デーに場末のライブバーで一曲歌う。 会場のノリはいまひとつだったが、クエンティン(アントン・イェルチェン)と名乗る青年から「今の曲、すごくよかったです」と声をかけられ・・・渋るサムをどうにか説得しつつ、ギターデュオから始まりバンドを結成し、ライブバーでレギュラー出演枠を獲得するまでになる。
地元で人気が出て、「次はツアーに出てデビューを目指そうぜ!」と盛り上がる周囲に対し、サムは頑なに出演を拒む。
『はじまりのうた』に続き、この映画も全編音楽がストーリーを彩り、ときに人物の感情表現を代弁する。 あぁ、これもサントラほしくなっちゃうかも!
しかもこの映画のすごいところは多くを語りすぎずに自然に進めながら、実は中盤に謎解きを潜めているところ! それを境に前半にあったわずかな違和感の積み重ねがすべてつながり、納得(ある意味、正しいミステリ映画だ!)。 それ故に後半はその事実を知ってからサムに対する感情が変わるのかどうか、観客は自分自身の道徳観のようなものを試されるような形に。 だから人によっては腹の立つ映画になるかもしれない。 でもあたしは、当事者になれない他者は目の前にあることでしか判断できないなぁ・・・とネットにあふれる情報の洪水やら断片的な情報でいろいろ決めつけて書き込みする匿名の人々のことを(自分を含めて)、考えずにはいられない(このへんはネタバレになるのであまり言えないが、前情報なしに観たほうがこれは絶対にいい)。
フェリシティ・ハフマンのスタイルのよさに羨望のまなざしを送らざるにはいられないあたしである。
端的に言えば、息子を亡くしたサムが、息子に言えなかったことをクエンティンに言い、彼の夢の後押しをする。 その過程でサムはジョシュを失った事実をようやく受け入れ始める場所に立ったところ、という話なんだけど、やっぱり音楽がいいので盛り上がる(その先が知りたいとか、サムに甘い描写じゃないかなどと観客から批判を受けることを承知で、その手前で映画を終える勇気を逆にあたしは買いたい)。
バーのマスターの役でウィリアム・H・メイシーがちょこちょこ顔を出しますが・・・さすが、様々な映画監督のもとで仕事をしてきただけのことはあり、初監督作とは思えない安定の出来。 地元の楽器店オーナーとしてローレンス・フィッシュバーン(彼もいい味出した好演!)が出たりと低予算映画っぽい割にキャストが豪華なのは監督の人徳(もしくは個人的なコネ)なのであろう。 でもキャストみなさん好演でした。
今後も監督業は続けていきたい、とウィリアム・H・メイシーは語っているようなので、どうせならクリント・イーストウッドみたいになってほしいなぁ、とウィリアム・H・メイシーの一ファンとしては思うのであります。