2015年02月25日

リスボンへの夜行列車/パスカル・メルシエ

 映画を見た余韻が冷めやらぬうちに原作も読もうかなぁと思ったところ、図書館には意外にも長い予約待機者リストが。 ハードカバーでしか出てないし、同じように映画を見て原作を読みたい、という人がそれだけ多かったのかもしれず。 まぁ仕方がない、と予約を入れて待っていたところ、忘れた頃にお呼び出しが。
 一読して、びっくり。 基本初期設定は同じだが、なんだか全然違う話に見えるよ!

  リスボンへの夜行列車.jpeg アマデウの本と、ライムントのメガネ?

 主人公はスイスの高校で古典文献学を教えるライムント・グレゴリウス、というのは同じ。
 雨の中、橋から飛び込もうとした女性に出くわすシーンも確かにある。 けれど徹底的に違うのは、映画では彼を「ライムント」と呼ぶのに対し、この本では地の文で彼は常に「グレゴリウス」と表記されている。 この他人行儀っぽさ、気になりました。
 しかもジャンルとしては<哲学小説>となるようで、アマデウの本やそれにまつわる人々の出会いに触発された彼の思索の流れが中心。 これを、あんなにドラマチックな物語に映画として“翻訳”するとは・・・すごいなぁ、としみじみする。
 かといって面白くないわけではない。 映画ではチョイ役だった人が、こっちではものすごく重要な人物になっていたりするし、それこそ“言語”というものの本質に迫る言及は、日本語しか話せないあたしから見ると大変興味深い。
 でも、あたしはやはり彼のことを「ライムント」と呼びたいかなぁ。
 その人自身は同じ人なのに、呼び方によって印象が変わるという当たり前のことが実は当たり前じゃない(何故そうなるのか考える余地が生まれる)、などということがいろいろあり、そのへんが<哲学小説>と呼ばれる所以でもあるのかしら。
 考えることをやめたら、人間終わりだわ。
 そんなあたしの座右の銘のひとつを、思い出させてもらいました。

ラベル:海外文学
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック