2015年01月22日

進化の保全が多様性ならば多神教のほうが未来がある?

 『シティボーイズノテツガク』で、斉木さんがこんなようなことを言っていた。
 「最大の罪とは、他者を受け入れないことだよ」
 あぁ、一神教原理主義の方々に、それ、わかってもらいたい!
 自分が信じる何かのために自分が殉じることはある種の美しさを伴う、とは思うけど、それを考えの違う人たちに押しつけるのはまた別の話。 たとえば、レベルの低い例で申し訳がないのであるが、あたしが好きな映画や本などをけなされたらあたし自身はとてもへこむが、その人がどう感じるかは自由だから仕方がないと受け入れる。 好みのツボが違うんだな、と思うし、そういう考え方もあるのか、と逆に新鮮に感じたりする(あぁ、あの面白さがわからないとは!、と思って溜飲を下げるときもあるけど)。
 宗教において<寛容>とか<赦し>っていうのは結構大事なテーマではないのですか?
 テロにまで追い込まれる状況を考えると場合によっては同情を禁じ得ない部分も無きにしも非ずなんだけれど、だからってやりすぎは全世界的にイメージダウン。 注目を集めたあとは、世界を味方につけるようにうまく動いた方があとあと有利だと思うんだけどな・・・そういう問題じゃないのかな。
 イスラム教のイメージがどんどん悪くなる。 彼らが言うところの十字軍の蛮行を、この21世紀に彼ら自身がしているのと同じことなのに。
 そしておかげで今の日本ではまたしても<自己責任>という言葉が荒れ狂っている。
 危険だとわかっている場所に自分の意志で行くことを決め、実行したなら確かにそれは自己責任。 でも、国家や政府が国民のために運営されていると標榜する国ならば、どんな状況であっても自国民を救出する義務はある。 でもそれは脅迫の言いなりになれ、ということではなくて、「テロには屈しない」というのであれば要求を受け入れる以外の形を模索し、最大限の努力はしなければならない。 だって、雪山登山も自己責任だけど、遭難したとなったらレスキュー隊は救助に向かわなくてはならないもの。 今回の件も、「自己責任だから」と国が何もしなかったら(まぁ、裏で何かしてるんだろうけど)、レスキュー隊の方々の仕事を否定することになる。
 個人の権利は保障されているけれど、公共の福祉のほうが優先されるのはいたしかたないこと。 まぁ、心情的な面も含めてだから世論は荒れるんですけどね・・・。
 しかし、生活習慣も考え方も価値観も違う人たちと、話し合いなど成立するのだろうか。
 イスラム教を否定する気はないけど、教義を改めて見直そうよ、という呼びかけは必要かな・・・でも外国人が言っても内政干渉になるし、内側から変わってほしいけど・・・マララさんのように支援することで標的になるということもあるわけで。
 思考停止はしたくないのでいろいろ考えてはいるんですけど・・・「八百万も神さまがいる日本って、お気楽でいられて幸運だなぁ」ということをしみじみ噛みしめてしまう・・・。
 まぁ、ニュース続報を待つ、ぐらいしかできることはないんですけども。

posted by かしこん at 04:06| Comment(0) | TrackBack(0) | シティーボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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