2014年12月31日

毛皮のヴィーナス/LA VENUS A LA FOURRURE



 オープニング、嵐の中を揺れる街路樹が不安を、しかし音楽がどこかユーモラスさを



漂わせる。 この感じ、『おとなのけんか』と雰囲気が似ているなぁと思えば、監督が



同じ人だしどちらも戯曲の映画化である。 様式美にしたいとか?



 が、とりあえずあたしの目的はダメ男全開っぽいマチュー・アマルリックなのである。



 ちなみに、しばらく前からあたしは「マチュー・アマルリックと三上博史は、演技的な



アプローチとかいろいろ、似てる気がする」と言い続けているのだが、この映画の



予告編ナレーションは三上博史だった! 最初見たときは驚きつつも、ものすごく盛り



上がりましたが(日本語吹替版つくるなら是非彼にやってもらいたい)、この二人は似て



いる説は結構定着してるのか!? あたしの発見ではなかったのか!? そんな複雑な



思いが交錯していたりなんかして。



   その悦びを、あなたはまだ知らない。



 そこは演劇『毛皮のヴィーナス』のオーディション会場である小さな劇場。 脚本家で



演出家でもあるトマ(マチュー・アマルリック)は、若いが頭が空っぽの女優しか来ない、



ヒロインにふさわしい教養あふれる女優をよこしてくれ!、と電話に向かってグチっている。



そこへ、「オーディション、もう終わっちゃった?」とびしょぬれ姿でガムを噛みつつ現れた



無名の女優ワンダ(エマニュエル・セニエ)。 くしくも舞台のヒロインと同じ名前だが、



見るからに粗野な態度のワンダにトマはげんなり、「オーディションはもう終わった」と



追い返そうとするが、少しだけでもやってよ、脅したりすかしたり泣いたりするワンダに



押し切られ、しぶしぶオーディションをすることに・・・という話。



   こんな感じで来られたら、ちょっとひくかな。



 トマがどれだけ実績のある演出家なのかわからないのだが、とりあえずプライドは高くて



なかなか不遜な態度。 ワンダもまたそれに負けない図々しさで、フランス人の個人主義が



垣間見られて面白い。 が、粗暴で教養のない女と見ていたワンダが台本をぼろぼろに



なるまで読みこみ、主人公ワンダをもしかして自分以上に理解しているかも、と感じた瞬間



トマの態度は一変。 あー、見た目は無教養そうなのに実は賢い、というタイプの女性が



フランスではとてももてると聞いたことがあるような。



 演出家よりもヒロインを深く知るワンダに、相手役として芝居を続けていくうちに現実と



虚構の境目が曖昧となっていく・・・というのは新鮮さのない展開だけれども、なにしろ



それをやっているのがマチュー・アマルリックなので、トマの倒錯した性的志向があらわに



なっていく過程にとにかくニヤリなのだ(となれば、台詞の中で語られる定義でいえば、



あたしはSということになる)。



   この微妙な変態感(?)、似合ってます。



 緩急自由自在に言葉を繰り出すワンダにどんどん翻弄されていき、自分の弱さ・ダメさを



受け入れていくトマを演じるマチューの演技が自然だから、会話ゲームになりがちの台詞



劇に奇妙な説得力が生まれ、「結局、男ってこんなもんよね」という一般化すらしてしまい



そうになる。 しかしそれも、ワンダを演じるエマニュエル・セニエのくるくると変わる表情・



佇まいなどのせい。 売れてないのに態度の悪い、大した美人でもない女優と思わせて



おきながら、衣装に着替えて台詞を言うと突然貴婦人然となり、あるシーンでははっとする



ほどの美人に、そうかと思えばかたくなな態度で平然とトマを見下す。 『潜水服は蝶の



夢を見る』
で共演している二人ですが、全然違うよ〜、と改めて驚く。



   トマ、あっさり、下僕。



 しかもあとからチラシの裏をよく見たら、エマニュエル・セニエってロマン・ポランスキーの



実際の妻だというではないか!



 え、ポランスキーって80歳ぐらいじゃないの? エマニュエル・セニエはどうみても50歳に



なってないよ!



 そうか・・・これは美しく教養にあふれる妻に捧げる監督のラブレターなわけだ。 となれば



トマは監督の分身というわけで・・・ここまで赤裸々に自分を卑下することで女性を賛美する



映画を堂々とつくってしまえるのもまた、80歳という年齢のなせる技?



 「何故なら、ワンダは女神だからだよ」、という言葉が監督から返ってきそうだ。



 そもそも、ワンダの名前はオーディションリストには載ってなかったし、限られた関係者に



しか渡っていないはずの台本を持っていたし、トマの婚約者やプライベートのことをよく



知っていたし(婚約者の友人だ、みたいな台詞もあったけど、事実かどうか証拠はない)。



 <神、彼に罪を下して一人の女の手に与え給う>というマゾッホの小説の冒頭部分、



ユディト書から引用されたこの言葉が、この映画のすべて。



 自分の屈折した欲望のためだけに芝居をつくろうとしたトマを、美の女神ヴィーナスが



罰しに現れた、ということかもしれない。 なにしろこの女神は筋金入りのフェミニストで、



ときには悪魔に変貌するからね。



   もはや片足だけで相手を支配。



 でもこれ、トマ役がマチューじゃなかったら、あたしはついていけたかな?



 彼の演技力とあたしが彼のこと好きだから集中して見られたし、だからリアルに感じられた



けど、ワンダの謎を追及するよりはトマの変貌の方に映画的にはより重心を置いた方が



いいはずで、そのへんの描写はもっとあってもよかったかも。 でもそれを見越しての



マチューの起用なら、ポランスキー、さすがです(一説には若き日のポランスキーの容貌と



今のマチューの雰囲気が似ている、とも言われているようだが)。



 エンディングロールでは、ヴィーナスを描いた古典的名画が次々と映し出される。 男は



罰せられ、まったく理解できないけれど女性を賛美せずにはいられない存在なのだ、



みたいな意味合い?



 ヨーロッパ人のそういう感覚を理解するには、あたしはまだまだ修行が足りない・・・。



 ちなみにエンディングロールではプラダ・グッチ・エルメスなどヨーロッパのハイブランドの



名前がずらり。 ワンダの毛皮に見立てた毛糸のマフラーも、最初に持ってたずたぼろっ



ぽく見えたバッグも、SMっぽさを演出するためのレザーの服も、全部ブランド品(多分



オーダー?)なんだろうな・・・そのあたりも、フランス映画って感じで贅沢です(正確には



フランス・ポーランド合作だけど)。


posted by かしこん at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック