2014年12月28日

フューリー/Fury



 オープニングから、『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』をなんらかの



形で越えてやろう、という意気込みをひしひしと感じた。 なんだろう、この感じ。



 デヴィッド・エアーって・・・『サボタージュ』の監督の? 一体、何が違うの? 脚本?、



予算?、撮影監督? 共通するのは徹底した残酷描写ありというところであろうか。



   1945年4月――

        たった5人で、300人のドイツ軍に挑んだ男たち。



 第二次世界大戦末期のドイツ。 総攻撃を仕掛ける連合軍と、あくまで戦いを続ける



ドイツ軍。 アメリカ軍には“フューリー”と名付けられた「出撃しても必ず帰ってくる」という



伝説的シャーマンM4戦車があり、ウォーダディー(ブラッド・ピット)が率いていた。



とはいえ乗員も常に無傷ではいられず、一人が死んだところに二週間の訓練を受けた



だけの新兵のノーマン(ローガン・ラーマン)が加わることになる・・・という話。



 1945年4月と言われて「あぁ、もう末期だね」と思えるのは後世の人間だから。 その



当時を生きる人々にとっては戦争がいつ終わるかなんてわからない、永遠に続くのかも



しれない、とさえ思えただろう。 いくらやっつけても次々出てくるなんて、まさに絶望の光景。



あぁ、やっぱり戦争ってダメだよね・・・としみじみ思ってしまうのである。



 でもこの映画のいいところは、あからさまに連合軍−アメリカ軍の肩を持っていないところ。



アメリカ兵だってドイツの民間人にひどいことしてるし、ドイツ兵にも(指揮をとっているのは



ナチスだが)「祖国を守れ!」という心の叫びがある。



   戦車同士のバトルシーンって、初めて見たかも。



 ドイツのティーガー戦車って当時では世界最高の技術でつくられた最強の戦車と言われて



いるようですね(プラモ界で有名なタイガー戦車と同じもの?)。 この戦車たちのレトロ感、



すごいなー、と感心していたら、現存する本物の戦車を博物館から借りてきて撮影に使って



いたらしい! ディティールへの愛を感じます。



   しかし戦争への愛はない。

        非常時のさなかに見え隠れする“人間らしさ”への愛はあるけど。



 男どもの集まりは、粗野で下品でやかましい。 戦場という状況から仕方ないのかも



しれないが、軍人たちはみなどこかイカレている(イカレ度合いが個々に違うだけである)。



 戦場では、人はあっけなく命を落とす。



 そこに感情の入る隙間などない。



 映画館では後方から叫び声・泣き声などいろいろ聞こえてきたのだが、そういう人たちの



リアクションにむしろあたしはびっくりした。



 戦争はむなしい。 特に人海戦術中心の場合は尚更(最終的にどんな戦いもそうなって



しまうのだろうけれど)。 人とゴミの違いはそこにはないから。 ただ、むなしさだけが残る。



 あぁ、あたしはそういう境地に辿り着いてしまったのか、誰かに感情移入することもなく。



 ブラッド・ピットは今回の演技でかなり称賛を浴びているようですが、あたしにはなんとなく



いつものブラッド・ピットにしか見えなかった・・・むしろローガン・ラーマンはいつも繊細と



いうスタートラインから、目つきで無垢か邪悪かのどちらかに踏み出すパターンが多かったの



だけれど、今回はそのどちらでもなく(繊細さは神経質さに振り分けられていたけれど)、



両方が混ざった<頭でっかちで、自己保身に満ちた普通の若者>になっていて、成長を



感じてしまいました。 マイケル・ペーニャさんは相変わらずの安定感で(そういえば『エンド



・オブ・ウォッチ』
にもメインで出ていた。 監督のお気に入りか?)、シャイア・ラブーフは



ハリウッドから干されかけたのがこたえたのか、ブラッド・ピットには勝てないと思ったのか、



サブの役割をしっかりとこなして好印象。



 アカデミー賞最有力かどうかはわかりませんが、タンク・ムービーとして映画史上に



残してやろうという意気込みは、買った。


posted by かしこん at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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