2014年10月30日

アルゲリッチ 私こそ、音楽!/BLOODY DAUGHTER

 自分の家族を題材にドキュメンタリーにする、というやつ、少し前から目立っているような気がするのですが、それはあたしの単なる勘違いで結構昔からある流れなのでしょうか。
 それはともかく、これもまた<娘から見た母親>を描く、あたかも娘自身のためのセラピーのような映画だった。

  アルゲリッチP.jpg 音楽との関係は、葛藤の連続。 それは、愛と同じ。

 16歳で“生ける伝説”とまで呼ばれ、今も現役の天才ピアニスト、マルタ・アルゲリッチ。 彼女の三番目の娘であるステファニーがこの映画の監督で、家族だからこその距離感でマルタの姿を収めることに成功しているけど、それこそが家族の特権か。 たとえあまりに一般的ではなさすぎる家族であっても。
 マルタ・アルゲリッチの演奏を映像で、これだけ間近に見たのは初めて。 流れるようで、はじけるような指の動きに、『グランドピアノ 狙われた黒鍵』で天才ピアニストを演じたイライジャ・ウッドに「あぁ、指の動き、結構がんばったね」と思ってしまったことを大反省。 まったく別物でした。 そして気難しそうで気まぐれそうなイメージを一見纏っていながら、フルオーケストラをバックに見事に弾き終えたときの少女のような笑顔とのギャップ。

  アルゲリッチ1.jpg そりゃ、ファンはたまりませんね。

 しかしやはり芸術家にありがちな、娘が3人いるけど全員父親が違うとか、長女は母親と一緒に暮らしたことがないとか、「ピアノ弾きたいな」という幼い娘に「お母さんには絶対かなわないからやめなさい」と父親に本気で反対されたとか、「妊娠中はどうだった?」と大きくなった娘に尋ねられ、「(ピアノの音が)妊婦みたいな音だったわ」とあっさり答える母親とか・・・日本人(というか“あたし”が、か)にはなかなかすんなりスルーできないエピソードの数々。 絶対何かこじらせているのではないかと思う娘たちだが、それなりに母親とうまくやっていて、それぞれ子供を産んだりしている。 勿論、娘たちも大人になったから母親の気持ちも理解できるようになって・・・ということなんだろうけれど、でも納得のいかない部分もあるからこそこの映画ができたんでしょうね。
 「幼い頃、コンサートとは母親を奪われることだった」と監督である三女がナレーションをしていたのが印象的。 子供にとって、親の職業は関係なくて、ただ自分を愛してもらいたいという欲求が勝ってしまうということなのだろう。 そう思えば、子供とはとても貪欲な存在なんだな・・・(でもそれがのちの成長には必要なわけで)。
 あぁ、家族って難しくて恐ろしい。
 “家族”という存在を、すんなりヨロコビや楽しさみたいな肯定的にのみとらえられる人って、すごい。

  アルゲリッチ3.jpg マルタ・アルゲリッチは実は演奏旅行で毎年のように日本に来ているらしい。

 特に彼女はショパンにこだわりがあるようだった。
 ショパン、あたしは有名な曲しか知らないけれど、彼女が弾くピアノ協奏曲をフルで聴いてみたい、と思った。 ショパンだけでなく、マルタ・アルゲリッチが映画の中で奏でる楽曲はどれも素敵だったけど。
 素人は、アーティストには生涯アーティストであることを期待する。 だからアーティストが“一般的な幸せ”を求めてアーティストであることを辞めてしまうのなら、つい非難してしまうだろう。 でもアーティストであり続けるがためにスキャンダラスな私生活を送られたら、それはそれで微妙と思ってしまうところもあり・・・なんて勝手なんでしょう。
 親を選べない子供は、結局のところ適応していくしかない。
 優美なピアノの調べをバックに、そんなことを考えてしまった。

posted by かしこん at 04:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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