2014年01月26日

『仁義なき戦い』を書いた男 脚本家・笠原和夫 創作と記録

 『仁義なき戦い 完結篇』を見ましたが・・・どうも納得がいかなくて。
 確かに小林旭の言うように、組は<天政会>と名前を変えて政治結社となっておりました。菅原文太が獄中にいるので、出所してくるまでかなり後半まで姿を現さないという事情もあるけど、なんか違う。
 そこで、WOWOWのノンフィクション枠(ノンフィクションW)で放送された<『仁義なき戦い』を書いた男 脚本家・笠原和夫 創作と記録>を見てみることに。

  笠原和夫創作の記録.jpg 順番的には『その後の仁義なき戦い』のあとに録画されていたのだけれど、そこまで待っちゃいられねぇ。

 それによれば、笠原和夫氏は子供の頃から脚本家になりたかったがきっかけがなく職を転々とし、やっと東映に入社できたと思ったら宣伝部で、社内公募脚本が選ばれてやっと脚本家になった、という苦労人。 若い頃は海軍の予科練にいて、出撃を命じられる前に終戦を迎えた。 『仁義なき戦い 広島死闘篇』で北大路欣也が殺し屋として人を撃ったあとに口笛を吹くシーンがあるが、それは予科練の歌なのだそうである!
 ちなみに『仁義なき戦い』の執筆を依頼される前に東映のヤクザ映画の脚本も相当数書いていたようである(それこそ鶴田浩二・高倉健作品など)。 しかし『仁義なき戦い』はこれまでのヤクザ映画とはまったく違う路線だし、原作はあってもその当時週刊誌に連載中だから終わりがわからない。 ならば自分で取材するしかないではないか!、という結果が『仁義なき戦い』シリーズを生んだようだ(それでもあえて映画の中に原作を掲げ続けたのは、暴力団反対勢力からの抗議をかわすためだったらしい)。
 そんな彼は、4作目『頂上作戦』で、「もう広島やくざ戦争は描き切った、これ以上書くことはない」と映画のヒット続出のあまり5作目も書け〜、と言ってきた上層部と激しく対立、結局書かないことを選んだのだそうだ(5作目は東映のヤクザ映画を書いていた他の脚本家が書くことに)。
 あぁ、だから『代理戦争』『頂上作戦』と、まとまりが見事なわけだ。 納得。
 でもその構図って、割りのいいしのぎを見つけた組の上の方と、暴走する若手に手を焼きながら「もう無理ですって」と思っている下のクラスの組長の立場みたいじゃない? それこそ、中間管理職の悲哀のような。 ま、映画業界も含めて“興行”がかかわる分野はかつてからヤクザ社会と縁が深いと聞きますからね。
 また、笠原和夫氏は『二百三高地』の脚本家でもあるらしい。 おぉ、あのディテールの積み重ねとか、なんかわかる感じがする。
 昔の映画も見ないといけないなぁ、知らないことが多すぎるぜ、と思った(いつも思うけど、更に)今日此頃。

posted by かしこん at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | WOWOW・CATV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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