2013年12月31日

ハンナ・アーレント/HANNAH ARENDT

 哲学は比較的好きだが、あたしの専門(?)は主にギリシア哲学。 デカルトやニーチェぐらいまでは面白いし理解もできるのだが、カントあたりからあやしくなってくる。 いわんや現代思想をや、である。 そんなわけでハンナ・アーレントに対するあたしの知識は少なく『全体主義の起源』の著者であること、師であるハイデガーと17歳のときからしばし不倫関係に陥っていたこと、ぐらいであろうか(しかもこれはハイデガー絡みの記憶だし、本によってはハンナ・アレントと書かれている)。
 現代社会を語るのに彼女の著作からの引用が普通に行われている現状から、彼女の思想が今も物議をかもしているなんて知る由もなく、全世界から非難を一身に浴びていた時期があったとは知りませんでした。 そのためか、本編始まる前に状況を説明する簡単なテロップが出ます。

  ハンナアーレントP.jpg 彼女は世界に真実を伝えた――

 1960年、ナチス親衛隊(SS)幹部でユダヤ人の強制収容所移送の責任者であったアドルフ・アイヒマンがイスラエル諜報部に逮捕されたというニュースは、ドイツ系ユダヤ人ながら現在はアメリカに亡命し、ニューヨークで暮らす著名な哲学者ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)のもとにも届く。 ハンナは<ニューヨーカー紙>に、是非彼の裁判を傍聴してレポートを書きたいと自ら売り込む。 新聞社側も「あの、ハンナ・アーレントが書きたいというのなら」と快諾。 ハンナはイスラエルに向かい、彼女が見たアイヒマンの姿・裁判の様子から思索を深めて手記を発表する。 だがそれはアイヒマンを希代の怪物として断罪したい大多数の人々の期待を裏切る、彼はただの官僚で小物にすぎないと断定したものだった。 そこから、世間の非難は一気にハンナへ向かう。
 時期の問題もあっただろう(ハンナ自身も強制収容所に送られていた時期があるのだが)、ナチスの戦争犯罪に加担した一部のユダヤ人がいたことを指摘したのも、その当時に蔓延していたであろう「ユダヤ人を非難するのはNG」という世間の空気を逆撫でしている。
 実際彼女はハイデガーの弟子時代からの研究仲間からこんな言葉を投げかけられる。
 「イスラエルへの愛は? 同胞に愛は無いのか?」
 それにハンナはこう答える。 「一つの民族を愛したことはないわ。 ユダヤ人を愛せと? 私が愛すのは友人、それが唯一の愛情よ」
 これが全体主義と個人主義の端的な違いを表しているような気がした。

  ハンナアーレント2.jpg ハンナはヘビースモーカーだが、その姿がこんなにも似合う女性はそうはいるまい、と思わせるほど。
 ハンナは基本英語で、けれど古くからの仲間とはドイツ語で、そして夫と二人きりのときはフランス語で会話する。 亡命という手段とはいえ、様々な国で暮らしてきたことも彼女の思索のベースになっているのであろう。 仮に同胞に排除されたとしても、彼女を認めてくれる友人たちはいるから(アメリカ人の作家メアリー・マッカーシーを演じるジャネット・マクティアの力強さというか頼りになり具合ときたら! 心意気に惚れるわ)。
 で、あたしにはハンナ・アーレントの主張は至極もっともに聞こえて。
 ごく普通の人が、むしろ人間的には“いい人”の部類の入りそうな人が、特殊状況下に置かれて判断停止に陥り、命令されるままにどれほど残酷なことも良心の痛みを感じることなくやってしまう・・・というのは日本のオウム真理教事件を例に出すまでもなく今や自明の理である。 だからナチ党員だからといってすべてが生まれながらの悪ではないとした“悪の凡庸さ”という言葉でアイヒマンを説明する。 そしてその要素は私たち誰の心の中にもあり、それに対抗するためには思索を続けることしかない、と結ぶ。
 まことにごもっともでございます。
 けれど、彼女は傍聴しての感想を発表しただけなのにこんなに責められることに納得がいかない。 裁判官がそのような判決を下したのなら「被害者の立場になれ!」という叫びが出るのはわかる。 哲学者が裁判を題材に哲学的思索を深めて何が悪いのか?
 ――あー、これって現代におけるネットでの度重なる炎上とか、個人的な鬱憤晴らしのために伝言板に書きなぐられる形だけの民族主義の利用とも繋がっているのね・・・考えることをやめるな、判断停止になるな、というメッセージなわけですね。
 ハンナの主張は胸に迫るし、大学での学生たちを前にしての8分間のスピーチは確かに素晴らしい。 けれど、ハンナ・アーレントという一人の人生を描くものと考えると少し物足りない面もなきにしもあらず。

  ハンナアーレント3.jpg ハイデガーが死の床に近づいている、と聞いて駆けつける。 お洒落しているのが女心。
 ハイデガーは確かに哲学界の巨人・現代思想の祖とも言える人物だが、ナチに入党していた過去があり、映画で描かれたこの時代、ハイデガーをよく思っている者は直接の弟子でも少ない。 ハイデガー自身もナチ党員という過去を明確に定義づけたり謝罪したりなどしていない気配。 戦後、まさに師は判断停止してしまったのだ。 そのことに彼女はどう折り合いをつけたのかがあたしにはよくわからなかったよ・・・(ハイデガーのこと嫌いになったわけでもないし、彼の名誉回復のために奔走したようだし)。
 まだまだ人生の修行が足りない感じ。
 ドイツ・ルクセンブルグ・フランスの合作映画ということで・・・なんとなく見たことある方が結構いらっしゃるんだが名前がわからない。 ハンナの秘書は多分『白バラの祈り』のゾフィー・ショルだと思うんだけど。 結局英語圏の名前にいちばん聞き慣れ感があるあたしは外国語を知る上でまだまだだな、と実感。
 映画としてはスタンダードなつくり。 だから役者のみなさんの力量が光ります。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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