2013年09月01日

風立ちぬ

 結局、見に行ってしまった・・・。
 念のため、あたしはジブリブランドにはあまり重きを置いていないスタンスですが、『風の谷のナウシカ』を映画館で観たというのはあたしの年齢にしてはめずらしい方だという経験はあります。
 それで先日、仕事場のセレブ奥様とコピー機のところで会話になりまして。
 「そうそう、あれ見に行ったのよ、『風立ちぬ』
 「あ、私も行きましたよ! ・・・どうでした?」
 「うーん・・・なんか、このへんがもやもやしてるのよね〜」
 と、セレブ奥様は胸のあたりに右手をかざしてぐるぐるまわして見せた。
 「それ、なんかわかります・・・」
 お互い、会話に「・・・」が多い。 つまりはそういう映画だった、ということです。

  風立ちぬP2.jpg 生きねば。
   (でもそれをほぼラストシーンでカプロ―二さんに言わせてしまうのはいかがなものか・・・)

 映画は少年時代の二郎(青年時代以降:庵野秀明)の見ている夢から始まる。
 夢の中で彼は家の屋根から自分がイメージした飛行機を操縦している。 その姿があたしにはパズー(『天空の城ラピュタ』のね)とかぶってしまい、そうなると二郎さんはいくら成長しようともパズーにしか見えないのであった。
 <堀越二郎と堀辰雄に敬意をこめて>という文面がポスターにも書かれてますし、映画のテロップにも出ます。 しかしこの映画の二郎さんは堀越二郎でも堀辰雄でもない、その二人の姿をごちゃまぜにしてみたけど本質は宮崎駿そのもの。 そう、これは幾重にもオブラートをかぶった私小説的映画なのです(だったらはじめから架空の人物でいいじゃないか、なんでわざわざ実在の人物をモデルに使うなんてハードルの高いことするんだろ。 人間が描けていない、と非難されることはわかっていただろうに)。
 浮世離れしたパズー少年はいいところの生まれということもあり、生活の苦労をほとんど知らない。 それ故なのか本人に葛藤があるのかどうなのかもわからない(多用される夢のシーンで、飛行機は繰り返し墜落する。 それが彼の心の中の葛藤を現わしているのかもしれないが、ならば現実世界と夢の中との演じ分けができる人に声を当ててもらいたかったというのは贅沢な望みなのか)。 そもそも演技というものを否定している監督にしてみれば、自分を投影している人物を俳優にやってもらいたくはなかったのであろうし、素人起用は既定路線だったはず。 でもそれに観客が付き合わなきゃいけない義理はないのよ。
 しかし、なにしろ映画館は込んでいたため、外に出るまでに時間がかかり、上映後のみなさんの感想が耳にいやでも入ってくる。 「天才肌の人っぽくて、まぁ合ってるんじゃない?」から、「むしろ下手な人の方がいいんじゃない? 声の演技がうまいとか意味がわからないのよね」というあたしからしたら暴論まで飛び込んできて、「芝居って、演技って、なに?」とあれ以来ずっと考えさせられている(むしろ映画の内容よりも、そっちの方があたしには重いテーマだ)。
 アニメーションですが、正統派の日本映画だな、と感じたのは時間の省略法。
 次のシーンでもう5年たっているのは当たり前。 登場人物が多少老けたりすればいいものを、そんなこともない。 二郎の視点からすれば、夢も現実も境目はないのだから自分の年齢にも興味などないのだろう。 だから婚約者が山の病院を飛び出してきても、「大丈夫だよ」と言えてしまうのだろう。 あたしはここで「何が大丈夫なんだ!」と心の中で叫んでしまった・・・婚約者の病が治ることを信じていない・希望すらも持っていないんだな、と感じたので・・・受け入れるのが早すぎる。 そういう意味での葛藤も感じない。 宮崎駿本人はもう葛藤というものを飛び越えているか、思い悩む姿を人には絶対見せない、という人なんだろうけれど、なにそろ二郎がそこまで老成しているのか内面的に苦労しているのかがわからないので(台詞の棒読みも相まって)、「こんな人を好きになっちゃったらすごくつらいしめんどくさいな・・・」と菜穂子さんに同情申し上げた。
 「なんでもかんでも思いを台詞にして伝えることはない」という考えには賛成ですが、だからこそ台詞にならない部分を声や呼吸ににじみ出してほしい。 それが演技だし、“役に命を吹き込む”ということではないのか? たとえば本庄役の西島秀俊さんはそれができていたと思いますよ(だから「西島さん、声だけでもかっこいいね〜」という歓声がいたるところでわいたのだと思う)。 そしてキーパーソンであるカプロ―二さんには野村萬斎を起用しているわけで、横に上手い人がいればいるほど二郎さんの棒読みっぷりが目立つんですけど・・・泣きたい。
 「ラブシーンが多すぎてちょっとキモかったね」という声も聞こえました。 二人の過ごす時間の短さと濃密さをあらわすためには必要だったのかもしれませんが、棒読みだからキモいんですよ・・・それこそ台詞なしにするとか、暗喩であらわすとかにすればいいのに。
 煙草のシーンはさほど気になりませんでした。 だってそういう時代だったんだし、むしろみなさんニコチン中毒だったからこそあれだけ働けてたんじゃないかって気がするし。
 あの当時の日本はまことに生きづらい時代であった、と4分間の特別映像にテロップ出ていましたが、確かに一般庶民には生きづらい時代だったでしょうが二郎さんからはそんな感じは一切ない。 ただ、「美しい飛行機をつくりたい」そのためだけの人生で、現実世界は彼にとってはどうでもいいこと。
 モノを作ることに入れ込む男性を描いた映画、でしかないのです。
 だから女性は、「そんなこと言われてもね・・・」ともやもやするしかないというか。
 特にこれといった起伏ある物語があるわけでもないし、それでも2時間以上の映画を最後まで見させる力はさすがだと思うんだけど、やはり堀越二郎と堀辰雄を巻き込む必要はなかった、という気持ちは拭えない。
 音楽と、『ひこうき雲』に、かなり助けられました。
 やはりあたしには、<4分間の特別映像>で十分だった・・・。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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