2013年04月26日

ザ・マスター/THE MASTER



 PTA(ポール・トーマス・アンダーソン)新作、ということで期待の一本。 カンヌでも



評判よかったみたいですし。



 が、南の島ですか?な冒頭から、砂浜から立ち上がるホアキン・フェニックスを見た



瞬間、「あ、また静かに狂っている人だ!」とすぐわかる。 まるで『ゼア・ウィル・ビー・



ブラッド』のように、強烈な自我のぶつかり合いが描かれる映画なんだろうか、と不意に



重苦しい気持ちになる。 もうPTAは“小粋な人と人とのつながり”、みたいな映画を



つくってはくれないんだろうか。 そっちの興味はなくなってしまったのか。 静かに狂って



いる人たちに魅せられてしまったのか。



 でも、この映画も“人と人との<濃密な>つながり”を描いた映画ではあったのです。



   男はただ、信じようとした。



 第二次世界大戦(太平洋戦争?)の帰還兵であるフレディ(ホアキン・フェニックス)は 



従軍中からアルコール依存症で、海軍兵士ながら船底や甲板の上でよれよれな態度を



続けていた(でも戦争が終わったので誰も咎める者などいない、それぞれが自分のことで



精いっぱいではあるから)。 アメリカに帰ってきたはいいものの、就職をしてみても酒は



止められず、従軍中に手に入るものでつくっていた無茶苦茶な酒を新たに工夫しつつ飲み



続ける。 職場を飛び出し、放浪の果て、彼はある船に乗り込んで眠りこんでしまう。



 目覚めると、船は出港しており、そこでは<ザ・コーズ>という宗教団体の教祖ドッド



(フィリップ・シーモア・ホフマン)の娘の結婚式だった。 追い出されるかと思ったが、



ドッドはフレディを興味深い客と受け入れてくれ、フレディの質問になんでも答えてくれた。



フレディはやがてドッドに心を開くようになり、二人の心の距離は急速に縮まり・・・という話。



   と、あらすじを書いてもこの映画の

      本質には近づけない・・・とにかく登場人物の“表情”がストーリー以上に重要。



 すでに第二次大戦後のアメリカが帰還兵の心のケアについて意識していた、というのは



驚きだったけど(勿論、意識していたことと実際行動に移せているかはまた別の話。 うまく



いってたらベトナム帰還兵のみなさんはもっと楽になっていただろうに)、フレディの言動は



幼少時の生活環境から形成された性格に加えて戦争に行ったことによるPTSDの影響が



明白。 ドッドを「マスター」と呼ぶことで(教団内では普通に誰もがドッドを「マスター」と



呼ぶのですが)、彼はもう一度人生をやり直しているつもりだったんだろうか。 もしくは、



一種のセラピー効果?



   が、フレディの“マスターへの忠誠心”は

        ドッド自身をも動かす・・・実は似た者同士なのか?



 <マスター>と祭り上げられる人間、トップに立つ者は基本的に孤独である。 まぁ、



その孤独に耐えられなければ上に立つ資格などないのだが、ドッドはその孤独を埋めて



くれるものとしてフレディを必要としてしまった(フレディのつくるあやしげなカクテルを



「ひどい味だが、クセになる」みたいなことを言っておかわりを要求したり)。 そんな信頼が



フレディにも伝わって二人の関係は良好だったが、<ザ・コーズ>を批判する者を許さな



かったり、信者の中でも疑念を抱く者に暴力をふるったり、と、フレディの言動もしくはその



存在が教団の、ひいてはマスターの邪魔になるとドッドの妻・ペギー(エイミー・アダムス)は



危機感を募らせる。



   あえてくっきりさせているのであろう

     目元のしわが怖い。 マクベス夫人的なキャラだと思っていたが、迫力は

     『ミスティック・リバー』におけるローラ・リニーのほうが上だった・・・。



 というか、男二人が濃すぎなんです!



 反発にあい、疎外されたと感じ出したフレディが取る行動は・・・という展開になっていき



ますが、これまたストーリー的に大きな流れがあるわけでもなく。



 でも目が離せないのは、フレディとドッドの会話がほとんどまったく噛み合っていない



から。 お互いが言いたいことを言い、尋ねたいことを尋ね、それに答えているようであり



ながら会話が成立しているわけではない。 特に“プロセシング”という教団内の儀式?



めいたもの、一種の自己啓発的なものなんだけど、それをする二人の場面は圧巻。



 カメラはフレディとドットを別に撮り、話しているときは二人が同じ場面に入ることはない。



だから余計に、会話の噛み合わなさが強調される。 お互いを理解しているような気が



するのもお互いの美しい誤解なんじゃないの?、と見ていてハラハラする。

   

 <ザ・コーズ>のモデルはサイエントロジーらしいですが(だからマスターのモデルも



創始者である人物なんでしょう)、特定の宗教を糾弾するとか告発するといった内容では



まったくない。 描かれるのは人間関係のあやうさと難しさ、しかし時に奇跡のように訪れる



ひとときの親密さの輝き。 もしやそれが、一瞬の永遠ってやつ?



 普通の人々の人間関係も、フレディとドッドほど極端でなくとも突き詰めれば似たような



ものなのかもしれない。 支配と服従、一方的な依存、心酔、などなど、そんなものから



まったく自由になって生きていくことなどできるのだろうか。 あたしも沢山の人から影響を



受けていて(さいわいにも絶対的な一人ではない)、影響を受けていたことにも気づかずに



いることもあるくらいだ。



 マスター(メンターでもいいかも)なしに、人は生きていけるのか。



 この映画はそんな問いかけをしているような気がする。


posted by かしこん at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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