2011年11月24日

豆つぶほどの小さないぬ/佐藤さとる



 『だれも知らない小さな国』を読んでしまったら、次はこれを読まずにはいられない。



 続編でありながら一作目から確かに時間は経過していて、活躍するメンバーたちは



世代交代。 けれどまったくいなくなったわけではないので、親しみはそのままで



子供心にも成長の意味を受け入れさせている。 なんか改めてそのことに気づいたけど、



実はすごいことなのでは?



   伝説の存在、マメイヌ探しがテーマ。



 コロボックルの物語で描かれる世界は実に緻密で合理的。 あたしがハリー・ポッター



シリーズの前半で挫折してしまった意味がわかったような気がした。 ホグワーツに



行って現実のロンドンからせっかく離れたのに、長期休みが来るたびに(それはつまり



毎回の物語の冒頭でということだが)、ロンドンに戻ってイヤないとこの一家にいじめ



られている、という状況の変化のなさがまったく合理的ではないと感じられたからだ。



 そう、あたしはロマンやファンタジーを愛するけれども同時に合理主義者でもある。



そこには矛盾など感じなかったのだが、コロボックルシリーズから身につけていたのね・・・。



 で、読み返して見て気づいたことは、伝説のマメイヌを探す冒険譚だったような記憶



だったけれどそれは前半の流れで、実はいかにしてコロボックルたちが新聞を発行する



ようになったのかという具体的な話(彼らが使えるカメラをつくったり、新聞社の建物と



なる古い郵便受けをどう部屋割りするかとか、いちばん下の階を印刷所にしようと決めて



どうやって印刷機を運びいれようとか。 勿論印刷機も彼らがつくったもの)が中心だった



のです。 またしてもリアリズム! 結局マメイヌそのものは登場しないままに終わってた、



ということに愕然とする(のちのシリーズで、マメイヌたちは活躍することになります)。



 自分の記憶はあてにならないというか、強い印象が実体とは離れたイメージをつくっ



ちゃったらそれが記憶になってしまうものなのね・・・と改めて実感。



 時を隔てた再読って驚きかつ新鮮を連れてきますなぁ(もっとも、それに耐えうる



テクストだけになりたつ話)。 引き続き、このシリーズを読んでしまいそうである。







 ブータン国王ご夫妻への大変失礼な仕打ちに対し、どんどん恥の上塗りがされている。



 すっごーく、恥ずかしい。 当人には“恥”という自覚がないようだから余計にあとから



知らされる側はめちゃめちゃ恥ずかしい。



 しでかしたことはさすが民主党員、という感じだが、それを国王にお詫びするとか・・・



それ自体が失礼だからな(こちらの意志で声をかけられる相手ではないのに)。



 ブータンの大使館にお詫びに行って「気にしないでいい」と言われてお土産貰って



帰ってきた、とにこやかに言える神経がわからない(いくら言われても、ここはせめて



お土産は辞退すべきだろうに)。 その上、国王に手紙書くとか(それも迷惑で失礼だ)、



なのにブータン国王のお名前もわかってないとか・・・恥ずかしすぎる。



 国会議員としての公人である以前に、人としてどーよって感じ。



 こんな人に国民の代表って顔をされたくない(おまけにこの人の不手際はこれが



初めてではない)。 支持者に石投げられて来い!





 談志師匠がお亡くなりに・・・まぁ、いつかはとはわかっていたが、やはりその日が



来るのはいきなりだ。 今頃、圓楽さんたちと一緒に地上のことを笑い飛ばしているの



だろうか。 立川流はどうなるのかなぁ。


posted by かしこん at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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