『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』/角幡唯介
古代文明や遺跡は好きだけど、『秘境』にはほとんど興味がわかないあたし。
だって、地球上には人間が入ってはいけない場所というものがあると思っているからだ!(エボラやマールブルグウィルスなども、もともと人がいない奥地に生息していたのだし) それに、アフリカの大地溝帯や酸性雨のせいで生物が存在できなくなったドイツの湖の光景を見る限り、“生命がいないが故の美しさ”というものが確実にあると感じるからです。
だからツアンポー峡谷などという存在はまったく知りませんでした。 そして地図に載っていない、誰も確認していない“未開の地”を自分の目で見たい、踏破したいという人の気持ちもさっぱりわかりません(あぁ、これがあたしが研究者に向かないいちばんの理由か・・・今頃わかったよ)。 けれど、「自分がやるんだ!」と固く心に誓った人がいたんですね。 しかも日本人で、比較的近い年代の方で。
絶対あたしには理解できないが、そういう人がやはりいるのだ、とはっきりわかるくだりがあった。
「その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている」
・・・そこまでしないと“生きてる実感”、湧かないものなの?
もしくはそこまでしてまで“生きてる実感”って掴まないといけないもの?
あたしは別に生きてる実感とかなくても、日々を送っていられますけど。
まぁ、こういう人間同士の間には深くて長い川が流れていそうなのでそのあたりのことはコメント避けますが、筆者のしたことは世界冒険史(というものがあるのなら)に載ってもおかしくない偉業らしい。
しかし残念ながら文章にはそれほど読み手にビジュアル面を刺激する要素が少なく、現地の写真も申し訳程度にしかついていない。 これ一冊で『世界最後の秘境』を想像するのは無理がある(もしくはあたしの想像力が足りないのだろうか)。
そして、チベットに対する漢族のなんとも言えない蹂躙ぶりが深く考えのないまま書かれているようで(そんなことはないのだろうが)余計にあたしの胸を刺すのであった。 なんか、修行僧さんたち以外の普通のチベット文化を保った村ってもうないんじゃないか・・・いろいろと、せつなくなる。
冒険に身を置きたい人は、帰ってきてからどうするのだろう。 また、次の冒険を考えるのだろうか。 あるとき不意に、「もうやるべきことはやった」と気づいて憑き物が落ちたようにやめるのだろうか。
ダニに刺されて全身の皮膚がぼこぼこになり平らな部分がなくなった、という経験を一度目でしながらも二度目に行く気になるとは・・・あたしには理解不能である。 でも、理解できないからといって排除するのはおかしい。 それはそれ、これはこれ。
理解できないことを説明してもらうのもまた面白さだったり。
そこから人類はまた新たな一歩を踏み出すのかもしれないのだしね。
『暗い鏡の中に』/ヘレン・マクロイ
なんとこの作品、原著は1950年発行です。 60年前・・・これを「古い」と思うか「たいして昔ではない」ととらえるか・・・微妙なところですが、読んでいる分には古さはまったく感じませんでした。
ブレアトン女子学院に勤め始めて5週間にしかならない美術教師フォスティーナ・クレイルは突然校長から解雇を言い渡される。 しかし納得のいく説明をもらえないフォスティーナは、唯一といっていい信頼できる同僚のドイツ語教師ギゼラに相談。
義憤に駆られたギゼラは恋人で精神科医のウィリングに相談するが、調査の過程で悲劇的な出来事が起こって・・・という話。
『幽霊の2/3』で夫婦だった二人がここではまだ清く正しき恋人同士、というところがなんだか微笑ましくて(日本の名探偵の方々は恋愛もままならない人が多いですが、ウィリング博士は普通人なんですよね)。
まずは前半、何がフォスティーナを脅かしているのかについて描かれるのだけれど、これがまたはっきり説明されないところが“時代感”であり“奥ゆかしさ”でもあり、女性特有の陰湿なところかもしれないと思ったり(しかし、大っぴらに会話することを禁止されていたというか、そのようなことははしたないと育てられた女子たちが影でこそこそ動くしかないのは当然といえば当然なわけで)。 そしてフォスティーナの性格も自己主張のはっきりしないタイプなので混乱に輪がかかる。
なんとなく・・・サラ・ウォーターズの『半身』をちょこっと連想。
どこと言われても困りますが・・・ドッペルゲンガーと霊媒、そしてやはり“時代感”ですかねぇ(同じ時代ではないのですが、「現在よりは明らかに昔の価値観が横行している」という点において)。
これ、推理小説としての解決は無理なんじゃない?、と思えるほどのリアルな超常現象連発描写には「これは幻想小説なのかな?」という疑いが浮かぶほど。
だが、きちんと解決はつく!
しかし、やはり疑問は残る・・・「科学ですべては説明できない」という不安が。
たとえ信じていなくても、人間はやはり“未知なるもの”には怖いのだ。
それを300ページにも満たない作品で鮮やかに描き出すのだから・・・すごいなぁ、ヘレン・マクロイ。