2011年07月21日

名前のない少年、脚のない少女/OS FAMOSOS E OS DUENDES DUENDES DA MORTE

 あ、原題切れちゃった。 『OS FAMOSOS E OS DUENDES DA MORTE』です。
 なんとなく、ブラジルでこういうファンタジック系の映画、珍しくない?、ということで。
 でもあたしの思う“ファンタジック”とはちょっと違った・・・。

  名前のないポスター.jpg 近くに感じる。 でも、僕の思いは届かない。

 主人公(『名前のない少年』としてエンドロールでも「.....」とあらわされているが、便宜上“僕”とする)は16歳。 “ミスター・タンブリングマン”というハンドルネームでネット上で詩を書いている。
 家庭にも学校にも自分の居場所はないと感じている“僕”は、同じくネット上の動画の中に現れる“脚のない少女”だけが自分の心のよりどころと思い、彼女のいる仮想空間に思いをはせ、彼の目にはいつしか現実と仮想空間との区別がつかなくなっていく。

  名前のない1.jpg 映像は、どこか粗かったりするけど。

 「きみの詩、いいね!」とメッセージを送ってくるネット上の知人とキーボードで会話をし、「三日後のボブ・ディランのコンサートに行こうよ」と誘われる(それが現実にあるのかどうかもちょっと曖昧だったりする)。 現実の友人とは夜中に会ってマリファナを吸ってみたり(それが余計に“僕”の現実感を喪失させている要因か?)、何気ない会話で現実の隙間を埋めてみたりするけれど、完璧ではない。 でもこの二人はどこか共通するものを持っているようで、友人として仲がいい感じはするのだが。
 そんな日々の現実を生きながらも、“僕”の思いはいつも彼女のところにある。

  名前のない3.jpg “僕”の目にはいつしか彼女が実体化する。

 そして彼女とともにネット上の映像に映っていた男が村に戻ってきて、静かな波紋が広がる。 いったい彼女は誰なのか? あの男との関係は?
 映画にはほとんど説明がないので、あらすじをまとめようとするとネタばれになってしまうので困る。 物語が(というほど起伏があるわけでもないが)進むにつれて、人物関係や出来事、登場人物たちの背負った心の傷が見えてくるのです。
 「あぁ、そうなんだ!」とわかる瞬間は、わかるよろこびよりも哀しみのほうが先に胸を打つ。
 この映画もまた、『喪失と、そこからの再生の物語』なのでした。

  名前のない5.jpg すべてはこの橋の上から。

 息子に対してどう接していいのかわからない母親の姿は、母親に対してどう接していいかわからない息子=“僕”同様、喪失という同じ心の傷を抱えているから。 友人とわかりあえるのもまた(わかりあえない部分もあるのと同様)、喪失という意味を知っているから。 空の星の光と、光を蓄積して電気を消した部屋の中でぼんやりと光る切り抜かれた星形のものは違うけど似ているように、本質的な部分ではまったく違っても思いを重ね合わせることはできる。
 救いは突然降ってくるものではないけれど、かすかな希望は近くにあって、それをどう思うのかどうか。 言ってしまえばありきたりなテーマかもしれませんが、一歩間違えば観客を眠りに引き込んでしまいそうなゆったりとした進行、あえて説明せずに現実と幻覚とネット上の映像を混在させる手法も含めて実験的要素もてんこもりですが、3・11後の日本人の心にかなり響く秀作だと思います。
 上映館も少ないし、公開も結構すぐ終わっちゃったりしてますが、DVDが出た際には多くの人に見てほしいですね。 ブラジルに対するイメージも、変わります。


※ 中規模公開の洋画が神戸市内に入ってこなくなりました・・・。
  三宮シネフェニックスがなくなったせいもありますが、西宮のTOHOシネマズがそこで止めちゃってる気配濃厚(一応OSシネマズミント神戸と一部提携してるはずなのに・・・)。 おかげで『わたしを離さないで』も『デビル』も『モールス』も神戸市内に来ない・・・これで西宮まで見に行ったらすごく「負け」の気分なので絶対行くもんか!、と涙をのむ。 こういうところ含めて、東宝が嫌いだ。 勝手に鑑賞料金変えるとか言ってみたり、ミニシアター潰しか! 金と力にあかせて市場を独占するつもりなのか?!(TOHOシネマズにあらずはシネコンではない、か?) ・・・あぁ、なんかやな感じ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 03:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック