2011年02月26日

白いリボン/DAS WEISSE BAND - EINE DEUTSCHE KINDERGESCHICHTE

 あたしの鬼門、ミヒャエル・ハネケ。 だがもう逃げないと決めたので、トラウマに対峙するかのように足を運んだ。 この作品が昨年のカンヌ映画祭パルムドールとかあまり関係ない、もはやハネケに勝つか負けるかの真剣勝負なのだ。
 『ファニーゲームUSA』では勝ったと思う。
 でも、なんか今回は負けた気がする・・・。
 サブタイトル切れました、“EINE DEUTSCHE KINDERGESCHICHTE”です。

  白いリボンチラシ.JPG 美しい村、静かな暮らし、聞こえてくる魔物の足音。

 1913年。 ドイツ北部のある村で、奇妙な事件が次々と起こる。 はじまりは、医師の帰宅途中の道にピアノ線が張られていて、足を引っ掛けた馬から落ちて彼が重傷を負うことから。 また別の日、体調のすぐれなかった小作人の妻は農作業を免除され、納屋での仕事をすることになったが突然床の底が抜けて階下の機械に激突して死亡する。 目覚めない者の姿に、幼き子供は初めて死というものを意識し、恐れる。
 村を覆う“死”の空気、親が子供に振るう権力と暴力はそのまま男爵である地主と小作人の関係にも通じ、一触即発にも似た緊張感が常に。 モノクロ映像ですが、場面によってグレーが強いときとセピアが強いときがある。 セピアだから優しい雰囲気になるといったことはまったくない。

  白いリボン1.jpg 純真であることと“絶対服従”は違う、はずだ。
 白いリボンは子供たちの左腕に巻かれる“自己規律”、つまりは強制される純真無垢さ。 だが、大人には子供にそれを要求する資格があるのか? そしてそれを求められる子供たちは純粋無垢だと言えるだろうか?
 ある意味、『恐るべき子供たち』ですか?
 はっきりそう言ってはいないものの、“子供は無垢である”を真っ向から否定してくる恐ろしさ。 一応、よそから来た学校の教師という視点から物語は語られるのだが、「お前の目は節穴か!」とつっこみたいこと多々でした。
 何故気づかない! 何故あの件をそのままにする! 何故一歩踏み込まない!

  白いリボン3.jpg むしろ大事なのは自分の恋だし。
 が、それが所詮余所者の限界なのかもしれず。
 しかも“権力を振るう側”の大人の代表としてのキーパーソンである地主と家令と牧師がわかりにくい・・・(一瞬、「あれ、この人どっちだっけ? この子たちはどっちの家族だっけ?、と考えてしまった)。 が、被害者として登場した医者も実は・・・だし、この村にはろくな大人がいないのか!
 家令か牧師かどちらかの役をウルリッヒ・ミューエにやってもらいたかったなぁ、と思ったのはあたしだけだろうか。 彼の急逝は本当に残念です。
 確かに、『ファニーゲーム』や『隠された記憶』のように無神経さというか不愉快さは露骨ではない。 洗練された手法、と言われれば確かにそうです。 だが、しかし。

  白いリボン2.jpg 小作人の息子の怒りはキャベツに向かう。
 たとえば、精神病院に閉じこめられたユトリロがかつて自分で描いた絵を見ながら描いた別の絵のように、繰り返されているようで微妙に違うカット。 段階を踏んで建物から遠ざかっていくカットの積み重ね、など、相変わらず人の神経を逆撫でするというか、ガラスを釘でひっかくようなことを平気でしてきます。
 そしてラストはやっぱりというか、観客を置いてけぼりの放置プレイ。 わざわざナレーションを使ってわかりやすさを演出してきたのかと思えば、何の助けにもなりゃしない。 問題はプロテスタント的厳格さということでいいのですか?

  白いリボン4.jpg 教会・・・美しく、虚無的。
 事件は起こるが犯人が名指しされることはない。 けれど何が起こったのか、誰がやったのかはだいたいわかるようになってます。 でもはっきりしないってすっきりしない! このへんが、「負けた」と思う根拠です。
 サブタイトルは映画上では筆記体で描かれる・・・まるで誰かが羽根ペンで書き込んだように。 しかしなんて書いてあるのか全然読めない(調べてみたら、今のドイツ人でもほとんど読めない種類の字体だそうである)。
 『あるドイツの子供たちの物語』、それが読めない文字の意味。
 子供はいつか大人になる、大人もかつては子供だった、なのに、確かな断絶がそこにはある。
 あぁ、考えれば考えるほど、むなしくておそろしい。

 余談ではあるが・・・この『白いリボン』、ハネケブランドでもありなおかつカンヌ映画祭パルムドールというおまけつきでありながら、日本の配給会社が交渉した額はぎりぎり底値だったという。
 もしドイツ側が受け入れてくれなかったら、日本公開は見送られたのだ。 まぁヨーロッパ映画に興味のない人にはミヒャエル・ハネケなんてどうでもいいでしょうが、これって日本のミニシアター業界がものすごく悲惨な状況であることのあらわれ。 前から衰退は言われてましたけど(東京ですらばたばたミニシアター潰れてるし)、まさかここまでとは・・・。
 しかし、東京はミニシアターとシネコンとはっきり区別され過ぎてる感がある。
 地方のシネコンはスクリーン数に余裕があれば、小さい部屋でミニシアター系の映画を公開したりしてる(公開時期が遅れたり、期間が短かったりはするけど)。 神戸でも『キック・アス』をやってくれたのはシネコンでしたしね。 市町村の映画館がネットワーク化して公開したい映画を割り振るなりすれば、「どこの映画館でもやってる映画が同じ」なんて現象は起きなくなるのに(いや、多分やってるところはもうやってるんだろうけど。 多分神戸市はもうやってるみたいだし)。
 ただ、映画ファンはリタイアした人とか子育て終えた主婦とか日中時間の取れる人ばかりじゃないので、もうちょっと遅い時間にもやってください・・・最終回が18時台前半って、働いてる人には厳しいのですよ(だからレイトショーやってるシネコンに客が流れるというのもあるかも〜)。
 でもレイトショー枠、結構空いてるんだよなー。
 あぁ、日本の映画業界はどうすればもっと盛り上がるのか。 たかが一観客がそんなことを思うのは、日本で公開される作品選びの基準が不可解だからですよ。

ラベル:外国映画 映画館
posted by かしこん at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック