前作で「これで『SAW』シリーズ卒業します!」と宣言したあたしですが・・・これで終わりっていうからさぁ(去年の段階では「あと3部作ある」って恐ろしいこと聞いたから)。
SAWを3Dで見る意味もわからんのだが・・・とはいえこれで落とし前(?)がつくと思って、行っちゃいました。
なんと『スタートレック』以来の「英語を喋る観客」多し。
あたしのうしろの列の方々は上映前の待ち時間に5・6人そろってi-Podから漏れ聴こえるレディガガ&ビヨンセの『テレフォン』を声合わせて歌ってたからね・・・上映中もにぎやかになるのは覚悟せねばなるまい(実際にぎやかでした)。
例によって本編前には『SAW集編』が流れるわけだが・・・なんか6作目までのネタバレを避けようとしてかえってファイナルのネタバレになってないか・・・。 それに、日本語ナレーションのみなので外国人のお客にはより不親切かも。
本編始まっていやな予感、的中。 最初のカットでもうネタばれしてますよ!
というか、全部想定の範囲内なんですよね・・・意外性のカケラもない。
すでにシリーズ7作目、1作目の果実をもうすでにさんざんジューサーで絞ったあとの残りかすしかないような状態でそれでも一本の映画をつくっちゃったのだからそれはそれですごいことなのか?
しかしこれまでにさんざんジグソウとホフマンとの仕掛け舞台裏を見せられているので、予告CMで流れている冒頭の衆人環視のゲームにも「わー、こんな仕掛けいちいち準備するの大変だったろうなぁ」とその手間のめんどさのほうに気持ちが行ってしまい、参加者3名の死のゲームが全然怖くないという・・・ただ痛いだけの話になっちゃってるのよね。 6にあった社会派テイストはどうした!
そして今回ひどい目に遭うのはショーン・パトリック・フラナリー。
『処刑人』のイケメン兄弟の兄かつ、古くは『インディ・ジョーンズ若き日の大冒険』のインディ(そしてちょっと前ではTV版『デッド・ゾーン』のグレッグ・スティルソン)。 スター街道をひた走るものと思われながら微妙にくすぶってしまっている彼、これでまたB級作品が増える・・・と心配になったよあたしは。
あ、より心配なのはジグソウ役のトビン・ベルさんですけどね。
それにしても、あたしにはこのシリーズの時間軸がわからない・・・。
1から2の間はそれなりに時間がたっていそうだけど、それ以降は同時進行だったりかなり短期間に起こってるんじゃないのかなぁ? だったらあんなに準備できるのかなぁ? とにかく疑問だ・・・。
特になんらかの期待はしてなかったけど、ジルがあまりに普通でびっくり。6で見せた得体の知れなさはなんだったんだ! そして3D効果はない、と思う・・・(先端恐怖症の人には拷問のようなシーンあり)。
いつも以上に登場人物がどんどん死んでいくのは完結編だからということだけではなく、ホフマンという人物の欠陥故だということはわかっていますが気分のいいものではないのです。 あの人登場でオチがついたのかと思っても、なんであの人がその道を選んだのかの理由は不明だし、その横の二人は誰?!、って謎がまだ残ってるじゃないか! まさか、まだ、やるのか???
上映後、映画館のお手洗いで女子二人が、
「あんなことしてたらジグソウ怒るの当たり前やん?」
「あれはあかんなぁ」
「あかんよー、理由ないやん」と語り合っており・・・おいおい、理由あったらいいのかいなと心の中でつっこんでいた。
どうやら観客にはジグソウ哲学、伝わってるみたいですよ。