2020年03月18日

彼女は頭が悪いから/姫野カオルコ

 臨時閉館していた市立図書館から、「予約図書が届きました」とメールが。 これは早く読んで早く返さねば!、と図書館に行けば、入口前に平テーブルが設置され、臨時カウンターに。 利用者カードを渡して待つ。 図書館の中には入らせません、というなかなか厳重な体制であった(今はそこまでではないようですが、新聞読んだりの滞在はできないようだ)。
 これはずっと読みたかったんだけれど・・・文庫になるのを待とうと。 けれどやっぱり早く読みたいと図書館に予約したら、その時点で予約者は400人以上いたような・・・それでも文庫化される前に手元に届いたのは、これはすぐ読まざるを得ず、読んでしまったら待っている人にすぐ渡さなければ!、という使命にかられるからな気がする。 そういう衝動が、この本を読むことで生まれてしまうのだ。 そんなわけで、読み終えるまでは他の本に行くことができなかった。

  彼女は頭が悪いから 単行本 姫野カオルコ.jpg なんでしょうね、読んでいて生まれる怒りと無力感。
 巣鴨のマンションの一室で起こった、東京大学男子学生5名による強制わいせつ事件。 被害者は一人の女子大生。 だが、ネットなどで被害者がバッシングされ、彼女は「東大生の将来をダメにした勘違い女」というレッテルを貼られた。 そんな実際の事件に触発され(多分強烈に怒って)、姫野カオルコが描いた「非さわやか100%青春小説」。

 片や被害者となってしまう美咲、片や加害者となってしまうつばさ、二人が別々の場所で生きる中学生ぐらいから物語は始まる。
 やはりあたしは女だからか、美咲の主体性のなさというかぼわっと流される感じにすごくイライラしてしまう。 進学する高校のことぐらいもうちょっと考えて!
 だが家事を率先して手伝い、弟妹の面倒も見て、そのことにまったく不満も覚えない彼女の素直すぎるおおらかさに、だんだん参ってきてしまった。 大学生になってもそれって・・・敵いません、すごいです。 いい子なんだね、こういう人が「いいお母さん」になるんだよね、なってほしいよね!、と話が進むにつれ思うようになってしまいました。 だからこそ彼女の「付き合ってるからって裸の写真を撮らせるな!」とかの“迂闊な”部分にすごく腹が立ち、落ち込む。 好きな人に少しでも嫌われたくない気持ちはわかるのに、「でもそこは断らなきゃダメなんだよ!」と思ってしまう今の自分、そもそも撮るやつがダメなのに先にそう思ってしまうことについてのいらだち。 性犯罪について考えるとき、何故「被害者にも落ち度があるのではないか」という話になるのかいつも腹立たしいのだけれど、それに付随する概念が少なからず自分の中にもあることを見せつけられるから、より苛立つのだろう。
 なので後半以降、ぐっと彼女寄りで読んでしまっていた。
 だってつばさの方はほんとにつまんない人間だから。 何不自由ない家庭環境で、勉強だけしていればいい状況を作ってもらって全部自然に受け入れて、そのくせ他人には興味を持たないってなんだよお前!、という気持ちは拭えない。 勿論、類型的な父母やその親みたいなまわりからの影響もあるだろうけど、「他人のことに踏み込んだり近寄ったりはいろいろ面倒だ」と彼自身が選んでそうなったと思うから、それも彼の選択であり責任だ(対比のために、つばさの兄は途中で“まともな道”へ進んでいる)。
 あくまで「こっちは東大生なんだから、東大に通ってない、まして低い偏差値の女子大学生なんかと対等なわけないでしょう」という気持ち故に、頭の悪いやつらは人間扱いする必要はないという感覚がこの事件を引き起こしたのに、あまりに自然にその感覚が身についてしまっているから何が悪いのか気づかない、言われてもわからないという究極の断絶がそこにあって、絶望する。 描かれるのは性犯罪ではなく、自分より劣っている者はいくら貶めても構わないとする徹底的で無意識な差別意識。
 進化には多様性が必要というのは科学的な事実。 同様に人間の多様性だってあったほうがいいわけで、自分と違う人を尊重する方向に進んできたのが現代なんじゃないの?、といじめなどの非合理性に苛立つあたしなんですけど、仕事ではあいさつしない人とか見ると「おいっ!」って思っちゃう。 その人をいじめたくはならないけど、関りを持つときに「どうも信用できない」って目で見てしまうのはあたしの差別意識なのか。 自分の内面に向かい合わされる・・・。
 美咲の通う大学の先生が彼女に差し伸べてくれた手が、この物語で唯一の救いだった。 こういう大人が増えなければならないよ。

 この本が話題になって、更に「東大で一番売れる本」になったとき、東大に著者を読んでブックトーク会をやったときいて・・・その様子を記事にしている文藝春秋のオンラインで読んだ。 ・・・こじらせてる、なんかこじらせてる!、とコワかった。 これは小説の世界外の出来事だが・・・在学生・卒業生・教員の中にも「東大は特別感」ありますよね、と改めて知る。 論文やビジネス本はたくさん読んでいるかもしれないが、このイベントに集まった東大生は小説の読み方を知らないのでは・・・登場人物が思ったり考えたりしたことのファクト的正しさまで説明はしないのよ(それが登場人物のキャラを表すことになる)。
 他にも色々調べたが、東大新聞オンラインのページがいちばん客観性があるような気がする。 分量も多いし、その後のフォローもしてるし。
 フィクションをきっかけに新しい世界が、思考が開く。 これが小説の、フィクションの役割なのよ。

ラベル:国内文学
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする