2020年03月11日

Fukushima 50(フクシマフィフティ)

 これは観ないといけないよね、の映画。 勿論、ドキュメンタリーじゃない、劇映画。 エンタテイメントの範疇で、いかにあの事故を描くのか、見届けないといけないのです。 COVID-19のため映画も行きにくい状況ではありますが、あえて初日に行った! チケット買ったとき、あたしは5番目。 しかし上映終了後に立ち上がって振り返ると観客は30人ぐらいいた。 意外に、多い! これは観なければいけない映画だと思う人が多いのだとすればうれしいことだが。

  フクシマフィフティP.jpg 奇跡は起きると、信じたからこそ――
  福島第一原発に残り続けた名もなき人たちを、海外メディアは“Fukushima 50”と呼んだ。

 2011年3月11日、三陸沖の海底を震源としたM9.0、最大震度7という巨大地震が発生。 更に10mをはるかに超える大津波が福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲った。 非常用電源が津波の水をかぶり、イチエフは全電源を喪失。 冷却水が動かせなくなり、原子炉の温度はぐんぐん上昇し制御不能に陥る。 手動でバルブを開く、手作業で車のバッテリーを集めてつなぐなど現場の人間はできる限りのことをし、なんとかメルトダウンを回避し原子炉を制御しようと奔走する。 耐震棟で緊急対策本部長として全体の指揮を執るのは吉田所長(渡辺謙)、1・2号機の中央制御室(中操)のそのときの当直長は伊崎利夫(佐藤浩市)、くしくも二人は同期だった。 この二人を中心に、未曽有の大事故に立ち向かわざるを得なかった人々の姿を描く。

  フクシマフィフティ3.jpg やってくる津波を見た二人。
 東日本大震災ではなく、福島第一原発事故だけに特化したのがやはりよかったと思う。 強引に122分に収めた感はあるけど・・・。
 地震が発生したときの、断層のずれや海底の地割れ、そのエネルギーが津波を生み出す様子が「これ、世界に通用するのでは!」的なCGで、日本映画もやればできるじゃないか・・・と思う。 お金かけてる! でもこの題材でお金かけなくてどうするよ!、というのもある。
 しかし緊急地震速報はあのとき間に合ったんだっけ?、と我に返る自分もいるけど、東北にいなかったあたしにはわからないことだった。

  フクシマフィフティ1.jpg 中操にて。
 あの日を、その後のニュースなどで覚えている人は内容わかると思うけど・・・結構用語とか説明なしに使っているので(観ているうちに何を言っているのかわかってくるが)、予備知識ゼロだと面食らうかも。 でも若い人にこそ知ってほしいことでもあるのだが。
 現場の人たちが地震そのものには驚いても冷静に対処しているあたり、普段から訓練とかちゃんとしてるんだろうなと感じたり。 だからこそ全電源喪失という事態の恐ろしさです。 想定していないことが起こってしまったときの絶望。 今から思えば「そんなのが想定外なんて」って思っちゃうけど、このときイチエフにいた人たちは事態の全貌がまったくつかめていなかったのだ。 それでもやるしかないと、仕事人ならば思うのではないだろうか。
 防護マスクに防護服を身に着けての演技は役者泣かせというか、アップになってやっと目のまわりだけ映るので、下手すれば誰が誰だかわからないのだ(ヘルメットや防護服にガムテープ貼って名前は書いてある)。 それでもだいたい誰だかわかるのだから、役者って素晴らしい。 あたしはもう、自衛隊の辺見曹長(前川泰之)のカッコよさにしびれたよ!
 防護服姿で懸命に動き回る人たちの構図が、妙にリアルに感じられてしまう今日此頃。 9年前を描きながら今日的であることの驚きと悲しみ。 地方に原発がある、という構図もまた、いつか見たもの。 進んで原発を建ててほしかったわけじゃない、でもそれがあることでもう出稼ぎに行かなくてもいい、という現実。 北東北出身のあたしにとってそれもまたまぎれもないリアル。
 原子力ってすごいんですよ、原発はクリーンでほんとに安全なんです、と折に触れ聞かされて思考停止してしまった自分のこと。
 申し訳ありません、役に立てなくてすみません、と泣いて詫びる若き作業員に、一体何の言葉を返せるというのだろう。

  フクシマフィフティ2.jpg 耐震棟では。
 地味系脇役俳優さんをごっそり集めてきたみたいなその豪華さは、あたしには『シン・ゴジラ』に匹敵!
 現場の人たちは名前があるが(確か吉田所長以外は仮名)、政府や東電本店側の人たちはそもそも名前が出ないようになっている、固有名詞ではなく肩書で呼ばれるところにこの映画の「ドキュメンタリーではない」姿勢が出ている。 ぱにくって頭に血がのぼっている内閣総理大臣は佐野史郎だが、実際が菅直人であったことをおくびにも出さない。 むしろ似ていない方向で、とにかくぶちぎれている人を好演。 「うわー、困ったやつ」とはじめは失笑を買うも、頭に血はのぼっているが最終的には筋が通ったことを言うやつになっている。 佐野史郎に助演男優賞を!
 官房長官が金田明夫、経済産業大臣が阿南健治など、政府側はコメディリリーフ的な佇まいでついニヤリとしてしまうキャスティング、いい! 東電トップ側の段田安則さん、その髪型・・・ヘン。
 より深く原発で働く人たちは福島第一原発を愛している。 地震や津波は憎んでもしょうがないというのは東北人のDNAに組み込まれていると思う。 だから政府や東電本店(本社ではなく本店と書いてしまうこともフィクションである示唆)が悪役のような割り振りをされているのだが、よく見れば単なる悪役ではないことがわかる。 仕事をするものとして“現場”対“非現場(会議室)”という対立はあるし、会議室の脇では仕事を投げているやつもいるが、本店側の本部長(篠井英介)は現場に無理難題を言っているだけのように見えつつ、篠井英介の目のまわりはどんどん赤くなり、彼もまた決死の覚悟で悪役を買って出ている。
 そういう形でしか組織を回せないことがおかしいのだ。 日本のこれまでのやり方はいろいろ間違ってるのがある!、と考えるきっかけにもなるんじゃないか。 そうなってほしいけど。 最悪の事態を想像としてもはっきり映像化したことも意味がある。

  フクシマフィフティ4.jpg 現場では怒鳴ったり叫んだりする自由はある。
 吉田と伊崎がたまたま一緒にタバコを一服する場面、この映画で一番ほっとできる瞬間になっているが、いちばん重要な問いかけがなされる場面でもある。 カメラのピントが渡辺謙に合っている間、ぶれる佐藤浩市の全身から余裕や色気のようなものが一瞬漂ってハッとする。
 後半、特に描かれていないことが多くある。 この映画は入り口で更にもっと調べて知ってほしいということなのか。
 そして2014年、春。 まるですべてが無事終わったかのような錯覚に陥るけれど、積まれた土嚢、道路脇には運転席から見えるように放射線量測定器があることが映される。 ほんのわずかな時間、これに観客はみな気づいてくれるだろうか。 なにも終わってない、まだまだ終わってない。 涙があふれる。 東京オリンピックが復興五輪と位置付けられている、聖火ランナーは福島からスタート、とテロップが出ても、今の状況では何の慰めにもならない(そもそもオリンピックの開催も危ぶまれているのだから)。
 この映画が事実に反している、プロパガンダだ、ということは簡単。 これを観てどう考えるのかのほうが大切なんだ。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする