2019年09月02日

存在のない子供たち/CAPHARNAUM

 予告を観たときに・・・「この映画はヤバい」と思った。 観なければヤバい!、と。
 『灼熱の炎』以降ひどくレバノンが気になっているが、最近レバノンから続々社会派映画が出てきている。 世界中を自分の目で見て回らないあたしは、その土地の“今”を撮ろうという強い意欲を持つ人たちの心意気を見届けたい。
 それと、子供が主役なのも惹かれてしまう原因かと。

  存在のない子供たちP.jpg 両親を告訴する。こんな世の中に僕を産んだから。
  少年ゼインは自分の誕生日を知らない――。
  過酷な現実を懸命に生きる姿を描いた奇跡の物語。

 スラム街に両親と多くの弟妹と共に暮らし、主たる家計を担っているゼイン(ゼイン・アル・ラフィーア)は12歳。 近所には学校に行っている子供もいるが、それを横目に見ながら毎日店の手伝いをしたり、通りに出てジュースを売ったりと少しでもお金を稼ぐ。 が、両親がカネのために一歳下の妹を嫁に出すと知り、妹と二人で家を出ようとするのだが・・・という話。
 イスラム教がかかわっているので11歳でも結婚できる(させられる)とか、成人男性の権力が強すぎる(女性に権利がない)とか感覚的に理解しがたいことはあれども、この貧しさはかつての日本でもあったことなので・・・冒頭からかなり入り込んでしまった。

  存在のない子供たち1.jpg このゼインのまなざしに!
 12歳、子供ですよ! なのにすべてを引き受ける強さと、この状況に対する怒り、そしてあきらめ。
 なんかもう、「どうにからなんのか!」と観ていてじたばたしてしまう。 大人って!、というか、なんなんだこの社会情勢は!、と怒りがわいて止まらないのだが、解決するために何から手を付けていいのかわからない無力感に押しつぶされそうになりながら、放浪(?)するゼインを見つめることしかできない。

  存在のない子供たち3.jpg この赤ちゃんも演技してる!、という。
 数々の困難にもゼインは立ち向かう。 驚くほどたくましく、それ故に痛々しい。 次第にゼインには手に負えない状況になっていくのが(いや、そもそものはじめから彼は重荷を負いすぎているのだが)、ほんとに苦しくて。 でもホッとできる場面もあって・・・ドキュメンタリーのようなのだが、ドキュメンタリーではないことに観客が救われる。
 ゼインがこの子との関係を聞かれて「兄弟だ」といったことに「肌の色が違うじゃないか」と返されて、「母親がコーヒーを飲みすぎたんだ」と答える・・・あんなにも賢いゼインが人種を知らないってある? いや、知らないからこそ違いを意識しない、差別などが生まれないのでは?、などと考える・・・。

  存在のない子供たち2.jpg 弁護士役はナディーン・ラバキー監督自身。
 『存在のない子供たち』とは、出生届が出されていない、統計にも反映されない子供のこと。 監督はゼインのような子供が存在することへの強い怒りをこの映画をつくる原動力にしたのだな・・・とわかるだけに、移民問題を否応なく考えざるを得ない。 日本にも無戸籍の人問題があるので「法律があればいいというわけではない、必ず想定からこぼれることはある」と想像できちゃうよね・・・。

  存在のない子供たち4.jpg ゼインの両親、彼らの気持ちもわかるけどさ・・・自分たちも証明書がなくて苦労してるんだから、それを子供に引き継がせるのもどうなのかと。
 個人としてできることはそれに尽きるが、個人にはできないことはどうすればいいのか。
 この映画は『万引き家族』が最高賞のときのカンヌ国際映画祭で審査員賞、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネート、貧困が題材など『万引き家族』と共通項も多いのだが・・・あたしはこっちのほうに心を持っていかれた。 とにかくゼインに、子供たちにフォーカスしているから。 大人の状況も切り捨ててはいないけど、あくまで子供の視点を揺るがさないから。
 ゼイン役の子は、実際のシリア難民としてレバノンに来たのだという。 他の出演者もみな(監督以外)素人、撮影中に不法移民として国外退去にされた人もいるという(監督が保証人となって子供と再会できた)。 この映画に出演したことがきっかけで、ゼインの家族も正規のルートで北欧に移住することができたらしい。 オフィシャルホームページにある撮影風景とその後を見ると、また泣けてくる。
 児童虐待問題を解決できない日本に、移民問題を解決できるのだろうか。
 泣くだけでは終わらない問いかけに、考え込む。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする