ティモシー・シャラメ新作!、ということで一部の視線が熱いですが、あたしは父親役のスティーヴ・カレルが気になるのだ。 もともとコメディの人だけれど、それ故に彼のシリアス演技がずんずん沁みるんです。
デヴィッド(スティーヴ・カレル)は『ローリングストーン』誌にも招かれて記事を書くフリーの音楽ライター。 後妻のカレン(モーラ・ティアニー)との間に幼い娘と息子がいるが、先妻のヴィッキー(エイミー・ライアン)との間に生まれた息子のニック(ティモシー・シャラメ)は特別な存在。 賢くて成績優秀、スポーツも万能、ハンサムかつ気立てもよく育ったニックはデヴィッドにとってまさに<理想の息子>。 ところがあるとき、ニックが家に帰らず二日間消息不明になった。 それが、ニックがドラック依存になっていることを知ったきっかけだった・・・という話。
カウンセラーにニックのことを相談する現在、家に帰ってこなかったのは一年前のこと、まだ小さい頃のニック、など回想シーンが何の説明もなく挿入されるので、最初はちょっと戸惑う。 どういう流れになっているの? でも時間軸的な正しさよりもむしろ、父の思い乱れる気持ちがそのまま映像になっている、ということなのかもと感じるようになる。 飛ぶ思索、不意によみがえる過去の記憶、そんな感じか?
父が息子を愛しているのがよくわかるのだが(二人の合言葉の“Everything”は重いよ)、その気持ちがストレートに息子に伝わっているのかは微妙・・・期待が重すぎる? 再婚した父の新しい家庭における自分の身の置き所に気を遣う? そんなお年頃だから? きっかけはいろいろあろうが(本人に明確な理由があればやめることもできたのかもしれないけれど、はっきりわかっていないからこそズルズルいってしまったのかも)、彼がクリスタル・メス(いわゆるシャブ、手を出したら絶対やばいやつ)にはまっていくのは事実で、はまったからには自分の意志で抜け出すことは不可能なのだ。 だが、本人は自分の意志でなんとかなると思ってしまっているところが手におえない・・・仕方ないんだけど。
最初、薬物は目的ではなく手段だったのに、いつしかそれが目的になってしまうという恐ろしい事実。
才能がある、能力もあるから最初は「ちょっと興味本位で」とマリファナやいろんなクスリに手を出しても日常生活は浸食されなかった。 クスリやってる最中はハイになってなんだか楽しいし、ちょっと進んでも人にばれずにそれなりに生活を送れて、破綻してない。 だからどんどん深みにはまる。 ばれても、やめたふりをすれば信じてもらえる。 実際に本人はやめるつもりだったのかもしれないし、という内面の見えないあやうさを表現しているティモシー・シャラメはすさまじい。 魅力的に見えるからこそ、何を考えているのかわからない怖さ。
義理の弟妹は優しくしてくれる、実際に優しいお兄ちゃんのことが大好きなんだもの(下の子たちが大きくなってきて、お兄ちゃんが来たり来なかったり、約束を破ったりするのは「クスリのせいなの?」と呟くシーンの隠された戦慄といったら!)。
というか、そんなに簡単に手に入るんだ! どんだけ身近だよ!、とあらためてびっくりするよ。 やめるためにリハビリ施設に入ってるのに、入手ルートを持つ人とさらに知り合いになるチャンスが増えるとか・・・本人のやり直す決意だけではどうにもならない。
事実に基づく、なので、映画は淡々と進んでいく。
印象深いシーンは振り返るといくつもあるのだが、全体として劇的な描かれ方をしている場面はない。 だから盛り上がりに欠けると言われればそれまでなのだが・・・いつの間にかそうなってしまう、気づいたときにはどうしたらいいのかわからない状態になっているというリアルを表現しているといえるのかも。 静かであるが故に、恐ろしい。
特に前半は父親目線で描かれているので、親の人・親になる人は観ておいた方がいいのかも(観たからって答えがあるわけじゃないんだけど、自分だったらどうしようと考えるきっかけになるから)。 あたしは親ではないので子供目線のほうが理解しやすいけど、だからって何故そこに手を出す・・・と考えてしまうくらいには分別を備えた大人なので、どちらにも共感しきれず、傍観者としてとても悲しい気持ちになった。 両親の態度にどう口を出していいのかわからない、自分も心配してるけど自分の子供たちのことだって心配なの!、と正面からは描かれない義理の母親カレンの立場にも同情。 でも印象はデヴィッドとニックの二人芝居(二人で会話するシーンはそんなに多くなく、一人芝居同士がせめぎあっているような)みたい。
ひとりひとり状況も違うから正解もないのだけれど。 誰もいい思いをしないのに、なんで薬物に依存してしまうのかという答えのない命題がそこにある。 で、その問題は薬物だけではなく、アルコールや暴力などにも置き換えが可能で。 だから「何故薬物に依存するのか」ではなく、「何故薬物に依存しないですんでいるのか」を考えるべきなのかも。
だからほんとに立ち直っているのか、ヤクほしさにいい感じに見せようとしているだけなのか、こっちもわからなくなるんですよ! 家族だからとよいものを見たいフィルターがかかっていれば余計にわからないだろうなぁ。 ほんとに恐ろしい、性格を、人格をも変えてしまうものは。
アメリカでは50歳以下の死亡原因の一位は薬物の過剰摂取であるそうな。 マジか!
タイトルになっているジョン・レノンの『ビューティフル・ボーイ』よりも、ニール・ヤングの『ハート・オブ・ゴールド』のほうがしみてしまう不思議。 タイトル曲なんだからもっといい感じに使ってほしかったなぁ。 デヴィッドが音楽ライターだということもあり、そういう時代の曲が綺羅星のごとく使われるのは贅沢だけど。
でもこれだけ音楽を使っておきながら、エンドロールの終盤が朗読で締めくくられるというのも珍しいのではないかしら。 そこに希望があると信じさせるような。