2019年04月01日

新元号狂騒曲

 昨年末ぐらいから乱発されていた「平成最後の」という表現にちょっと辟易してきた。
 平成30年間を振り返る地上波の番組の似たり寄ったり感(全部見てないけど・・・チラチラ見た雰囲気で)にもげんなり。
 挙句の果ての「新元号大予想」にはあきれてものも言えないというか・・・<昭和 → 平成>のときにも似たようなことをやり、ことごとく外していたことをあたしは覚えている(どうやら予想上位のものをはずしていった、という話もあるらしいのだが、だったら余計に予想通りになるはずがない)。 あの頃よりネットやSNSの発達しまくってる今回は絶対に情報を漏洩させないと官房長官が固い決意を表明していたではないか。 その時間になればわかることなのに、ちょっとでも早く知りたいってなんなの?、と思う(それに、予想ははずれることもわかっている)。
 だから、元号に関するニュース、かなりあたしはスルーした。
 それでもちょっと目についちゃうのはどういうわけ?
 「新元号の候補となったものは公表しない」と言ったのに、「候補は6つあった」とか「“安”の字が入るものはなかった」とかチラチラ出てくるのってどういうこと? リークしても大したことない情報とはこれはレベルが違うでしょう。 かかわった人たちは「これは墓場まで持っていくこと」とは思えないのか?
 それと同じで「“平成”が決まるときに同時に候補になっていたもの」を公表するのもどうなのかなぁ、と。 もう30年も使った“平成”以上に親しみもインパクトもあるものはないわけだし、公表されたら落選した(?)その単語たちはもう二度と元号に採用されることはないと言われたようなものではないか。 ・・・なんか、かなしい。

 さて本日朝、仕事場でも「今日発表だね!」、「11時半だっけ?」とちょっと浮き立つ空気あり。
 こういうのは嫌いではない、むしろ好きだ。
 その当日のお祭り感というか・・・間近に迫ったカウントダウンをワクワクと楽しむ気持ちが伝わってくるからいい!
 しかし仕事をしていると・・・気が付いたらもう11時半をとっくに回っている。
 えらい人が「あ、見なきゃ!」と言ってくれたのでネットブラウザを立ち上げて同時中継配信を見た。
 ・・・<令和>の文字、音声は聞こえない。
 「これ、そのまま読んでいいんですかね」
 「“れいわ”かしら」
 「Rだ、新しい!」
 「でも“昭和”と字がかぶってるわ〜」
 平成発表のときよりも好意的な評価が多いのは、やはり慣れ親しんだ“昭和”に似てるからなんじゃないのかなぁ、と思ってしまうのは意地悪だろうか。

 「へいせいであります」と言っている当時の小渕官房長官の映像は使われまくっている。 彼が総理大臣であったときよりもはるかに多く。 今回の菅官房長官も「自分の映像が後世まで語り継がれる・いつまでも使われ続けるだろう」ことにプレッシャーを感じなかったかな・・・とそっちのほうが気になった。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする