2019年04月07日

許されざる者/レイフ・GW・ペーション

 <スウェーデンミステリの重鎮>と紹介されてからもう一年以上・・・「重鎮とか巨人とか何人いるんだろう」と思いながら、別作品の翻訳が出ないのかと待っていたのだが、出る気配がさっぱりないので読んでしまうことにした(そう、ずっと読みたかったのだが、読み終わるのがもったいないかも・・・と手を付けられずだったのである)。
 そしたらもう、566ページというそこそこの大作なのにもかかわらず読むのをやめられず。 読みかけの別の本に手を伸ばすこともなく、一気に走り抜けてしまった。

  許されざる者創元推理文庫.jpg 表紙の美しさも読後、より迫るね。

 かつての国家犯罪捜査局長官のラーシュ・マッティン・ヨハンソンは定年で引退後の生活を送っていた・・・が、ある日突然脳梗塞で倒れ病院に運ばれる。 右半身に麻痺は残ったものの、命は助かった。 ヨハンソンの経歴を知った主治医のウルリカから、牧師をしていた父親が聞いた告解が過去の未解決事件に関係しているのでは、と相談される。 25年前、9歳の少女ヤスミンが殺された事件だが、残念ながら時効が成立していた。 警察では捜査できないため、ヨハンソンはかつての同僚(彼も定年している)、介護士、かつての部下(今はスウェーデン警察や公安部などの上層部にいる)らの手を借りながら、アームチェア・ディテクティヴばりに調査を進める・・・という話。

 いやー、幼児・子供を対象とする性犯罪者ってこんなにも全世界的に憎まれているというか、死刑のない国でも「無残な死を迎えて当然」と多くの人に思われているんだな・・・ということを改めて感じさせる。 勿論ヨハンソンは法律を重んじているので、私刑を決して肯定しない。
 『コールドケース』的な物語を重厚で長大にしているのは、ヨハンソンの闘病・リハビリの描写もあるから。 もともとヨハンソンを主役にしたシリーズがあるようで、シリーズ最後の作品を先に読まされてしまったような微妙な気持ちもある。 脳に負荷のかかった患者が、これまでの性格とはまったく違うような言葉や言い方をする、というのはよく聞くけど、事前にヨハンソンのキャラを知っていればもっと驚くことになったのかもしれないな、と思ったり。
 犯人は後半の早い段階でわかるのだが・・・犯人当てがこの物語の趣旨ではない。 法で裁けない犯罪者に対してどうするべきか、について多く割かれるのが非常に今日的で、日本だったらここまでいくかな?、と考えさせられる。
 なるほど、ヘニング・マンケルでもなく、アンデシュ・ルースルンドとも違う、<スウェーデンミステリの重鎮>という呼び名にふさわしい。 “事件”にかかわってしまった基本的に善良な人々は、その後の人生にずっとその影を引きずり、もう元の世界には戻れないということがこんなにも伝わるとは!
 そして<つながり>は人知を超えたことろにある、とでもいうような運命的なもの(場合によっては紙の采配ともとれるような)。
 やはり北欧ミステリは面白い。 やばい、またはまりそう。

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2019年04月06日

半世界

 もともとの公開日は2月ぐらい? 神戸市での上映予定にはなかったので仕方がない、と思っていたら、OSシネマズミント神戸が急遽約2週間限定公開として3月30日から上映決定。 レイトショー枠があるし、タイミングが合えば行ってみようか、と考えていたところ、タイミングが合いました。 

  半世界P.jpg 描いた人生になってる?
   愛と驚きがぎゅっと詰まった映画です。

 父親から引き継いだ炭焼き窯で、白炭と呼ばれる備長炭を作っている紘(稲垣吾郎)はいわゆる炭焼き職人である。 妻の初乃(池脇千鶴)と息子の明の三人暮らしだが、初乃の父(小野武彦)や小学校からの同級生・光彦(渋川清彦)とその父(石橋蓮司)らも同じ町に住んでいる。 ある日、同級生仲間である瑛介(長谷川博己)がふらりと町に帰ってくる。 40歳を目前にした同級生たちの再会は、自分の人生を振り返り、見直す役割を果たして・・・という話。
 冒頭、山道を歩く二人の男の姿に、つい沖田修一監督『キツツキと雨』を連想する。 でも沖田監督とのテイストの違いが、省略手法などもよく使われるためより明確に。 どちらがいい悪いではなく、好みの問題ですが、あたしは沖田監督テイストのほうが好きかな・・・阪本監督テイストは皮肉っぽいというか・・・ユーモアがドライすぎる感じがした。

  半世界3.jpg 同級生、揃う。
 さすが男性、という感じの微妙な会話がリアルだった。 思い出話に終始するわけでもなく、瑛介が帰ってきた理由を追求するわけでもなく(自衛官だったが海外派遣の後、辞めて戻ってきたということはわかるのでなんとなく想像はつきますが)、だらだらと酔っぱらう感じ。 かなり久し振りに会ってもつい数日前にも会ってたみたいな空気感はまさに昔からの付き合いそのものですごくよいが、女性とはやっぱり違うな、と思わせる面白さあり(男性なら「ふむふむ」と頷くのであろうか)。
 だから、同じく同級生らしいけど、「男同士、楽しくやって」と混ざってこない初乃さんの賢明さが輝く。

  半世界1.jpg 稲垣吾郎、普通のおじさんである・・・。
 <ごく普通の、当たり前の日常>を中心に据えたこの映画に“スター”は不要である。 だからそこにいるのは紘であって稲垣吾郎ではない、というのが徹底されている。 「そのひげはどうよ」と最初思ったけれど、山男的にはひげがあるほうがいいのかな?
 むしろ突然帰ってきた瑛介のほうが“異世界”を背負っており、影があってむしろかっこいい。 長谷川博己、以前は特に可もなく不可もなくだったのですが『MOZU』のイカレ気味殺し屋で「おや?」と思い、『シンゴジラ』で「いいかも」となり、『まんぷく』で「いいじゃないか!」となってしまったあたし、この映画は『まんぷく』のずっと前に撮られているので萬平さんっぽさは欠片もないんだけど、不用意にぞんざいで剣呑な感じ、よかったです。
 タイトルの『半世界』は、瑛介と紘の会話、
 「おまえは世間を知っている。 でも世界は知らない」
 「ここも世界だ」
 から来ていると思われる。

  半世界2.jpg 瑛介、確実にPTSDなんですが。
 誰も指摘しないし(紘は「疲れてるんだよ」と言うが)、それなりの対策が取られているのかはまったくわからない。 治療を経ても自分で乗り越えなければならないということなのか・・・。 だから学校でいじめられている明の手助けをすることが瑛介のリハビリの一環なのかも。 明くん、佐藤浩市の息子役で殺人者だった子だなぁ、と思い当たったけど、物騒な目つきは役作りではなくて地だったのか、と気づく(今回は殺人犯ではない)。
 人生はままならない、でも自分のできる範囲で変えることはできる。 たとえそれが昔思っていたものとは違っても。
 という、ある種<人生の負け組>と勝手に区分されてしまった者たち(人数的にも人口のボリュームゾーンの一部)が、世間の評価ではなく自分の判断で生きようとする話・・・なので、30代後半〜40代ぐらいの人狙いの映画で、ここ最近の日本映画としても珍しい存在では。 明らかにミニシアター系映画館でかかるタイプで、時期外れとはいえ一応シネコンでやる、ということに驚きを禁じ得ない。
 それが稲垣吾郎と長谷川博己のおかげだとしたら、いろいろとありがたいですね。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

今日は4冊。

 4月に入り、ちょっと買う本を抑制しようと考えていたのですが・・・いきなり4冊も買ってしまいましたよ。 しかも文庫なのになんか高い・・・(涙)。

  火星無期懲役.jpg 火星無期懲役/S・J・モーデン
 ハヤカワから一冊。 “火星が舞台の、<嵐の山荘もの>”と紹介されちゃったら「おぉっ!」と思わずにはいられないでしょう。 『火星の人』のヒットで依頼されたとのことですが・・・プロットは『アシモフのミステリ世界』を個人的に思い出させるものが! SFミステリというジャンルに、ドキドキしちゃうぜ!

  オスロ警察殺人捜査課 アイムトラベリングアローン 文庫版.jpg オスロ警察殺人捜査課特別班 アイム・トラベリング・アローン/サムエル・ビョルク
 「ディスカバー21の文庫ってどこ?」から始まりましたよ。 普段買わない・あまり見ない出版社、困る・・・(しかも背表紙のテイストは講談社文庫にちょっと似ている)。
 オスロ警察殺人捜査課特別班、ということで舞台も作者もノルウェーのようですが、英語から訳されてますか?
 あまり知られていない出版社からも出る、北欧ミステリはもはやブームではなく定着したな、と思う瞬間。

  オスロ警察殺人捜査課 フクロウの囁き 文庫版.jpg オスロ警察殺人捜査課特別班 フクロウの囁き/サムエル・ビョルク
 同じシリーズの第二弾、突然文庫で登場(『アイム・トラベリング・アローン』は単行本が出ていた)。 むしろ二作目を出すから一気に文庫化したような・・・だけど単行本と文庫の値段が200円くらいしか違わないって・・・なんか解せない。 でも本棚に並べやすい・整理しやすいということで、あたしは文庫版を選びますが。
 シリーズ2作品を一緒に買ったはいいが、これではずれだったら目も当てられないけど・・・ノルウェーの魅力が描いてあれば、それはそれで。

  有栖川有栖の密室大図鑑.jpg 有栖川有栖の密室大図鑑/文:有栖川有栖・画:磯田和一
 これは先月の新刊で、買うかどうか迷ってました・・・別にあたし、<密室>に萌えるタイプではないので(勿論、鮮やかに解決してくれればカタルシスは感じますけども、あまりトリックを重視していない傾向あり)。
 でもパラパラめくったら・・・イラストが結構楽しいのです。 取り上げられている作品(特に海外モノ)は読んでるはずなんだけど、意外と忘れているぞ、というのも決め手か。

ラベル:新刊
posted by かしこん at 02:44| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月04日

着実に、春。

 ここ数日、突然雨が降ったり(これが「通り雨」というより強い感じ)、おかげで風が冷たかったりと、「せっかく薄着に移行してきているのにどういうこと?」と着る服に困る今日此頃。
 しかし、植物たちは確実に春を感じ取っているらしく、にょきにょきと生え、花を咲かせている。
 今月から仕事場が変わったので、通勤経路はまだまだ新鮮ということもあり。

  道路わきの黄色い花.JPG 道路わきの株(?)。
 縦横無尽というか・・・太陽光を十分に受けるためにか広がりまくっておりました(カメラの視界に入りきれないくらい)。 翌日、大幅に刈られていました・・・せつない。 黄色は妹の色なのであまりあたしにはこだわりがありませんが、黄色には冬を越えた春の生命力を感じますよ。

  20190403の桜.JPG 桜、結構開いてますよ!
 風は強いがまだ散っていない。 5分咲きぐらいなのかな? ちょっと距離があったのでよく見えませんでしたが・・・この「遠目に見ると白い、でもよくよく見るとほのかに薄く緋色」ってのが桜、特にソメイヨシノの美しさだな、と思います。
 以前、「桜が幅を利かせすぎて梅の立場は」という人がいましたが、梅は住む地域によって咲く時期が違いすぎるから“春”のイメージじゃないのではないかと思う。 あたしの地元では「梅が咲いた三日後に桜が咲く」と言われてて、実際その通りだったし、でも関西に来たら1月・2月に梅は咲いちゃうし、北海道のある地域は桜よりも梅のほうがあとに咲くのですよ。
 梅の美しさは独自のもので、あまり季節に関連づいていない気がする。 北東北では梅は身近にあったけど、神戸では道端にあまり梅の木がない気がするし。
 なのでわかりやすい桜や、プランターにこぼれんばかりのマーガレットなどを見ると、ついニヤニヤしてしまう。
 暑くなるのはイヤなのだけれどね・・・。

posted by かしこん at 02:28| Comment(0) | 季節のこと/街の中の自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月01日

新元号狂騒曲

 昨年末ぐらいから乱発されていた「平成最後の」という表現にちょっと辟易してきた。
 平成30年間を振り返る地上波の番組の似たり寄ったり感(全部見てないけど・・・チラチラ見た雰囲気で)にもげんなり。
 挙句の果ての「新元号大予想」にはあきれてものも言えないというか・・・<昭和 → 平成>のときにも似たようなことをやり、ことごとく外していたことをあたしは覚えている(どうやら予想上位のものをはずしていった、という話もあるらしいのだが、だったら余計に予想通りになるはずがない)。 あの頃よりネットやSNSの発達しまくってる今回は絶対に情報を漏洩させないと官房長官が固い決意を表明していたではないか。 その時間になればわかることなのに、ちょっとでも早く知りたいってなんなの?、と思う(それに、予想ははずれることもわかっている)。
 だから、元号に関するニュース、かなりあたしはスルーした。
 それでもちょっと目についちゃうのはどういうわけ?
 「新元号の候補となったものは公表しない」と言ったのに、「候補は6つあった」とか「“安”の字が入るものはなかった」とかチラチラ出てくるのってどういうこと? リークしても大したことない情報とはこれはレベルが違うでしょう。 かかわった人たちは「これは墓場まで持っていくこと」とは思えないのか?
 それと同じで「“平成”が決まるときに同時に候補になっていたもの」を公表するのもどうなのかなぁ、と。 もう30年も使った“平成”以上に親しみもインパクトもあるものはないわけだし、公表されたら落選した(?)その単語たちはもう二度と元号に採用されることはないと言われたようなものではないか。 ・・・なんか、かなしい。

 さて本日朝、仕事場でも「今日発表だね!」、「11時半だっけ?」とちょっと浮き立つ空気あり。
 こういうのは嫌いではない、むしろ好きだ。
 その当日のお祭り感というか・・・間近に迫ったカウントダウンをワクワクと楽しむ気持ちが伝わってくるからいい!
 しかし仕事をしていると・・・気が付いたらもう11時半をとっくに回っている。
 えらい人が「あ、見なきゃ!」と言ってくれたのでネットブラウザを立ち上げて同時中継配信を見た。
 ・・・<令和>の文字、音声は聞こえない。
 「これ、そのまま読んでいいんですかね」
 「“れいわ”かしら」
 「Rだ、新しい!」
 「でも“昭和”と字がかぶってるわ〜」
 平成発表のときよりも好意的な評価が多いのは、やはり慣れ親しんだ“昭和”に似てるからなんじゃないのかなぁ、と思ってしまうのは意地悪だろうか。

 「へいせいであります」と言っている当時の小渕官房長官の映像は使われまくっている。 彼が総理大臣であったときよりもはるかに多く。 今回の菅官房長官も「自分の映像が後世まで語り継がれる・いつまでも使われ続けるだろう」ことにプレッシャーを感じなかったかな・・・とそっちのほうが気になった。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする