2019年03月03日

さよなら妖精【愛蔵版】/米澤穂信

 『さよなら妖精』の愛蔵版が出たのは数年前だと思うが・・・「まぁ、そういう形態が出るのもわかるけど、あたしはまぁ、文庫で読んだし」とスルーしていたところ、実は<書き下ろし短編「花冠の日」巻末収録>ということにふとしたことで最近気づき。
 じゃぁ、再読してみますかね!、という気持ちに。
 創元推理文庫版が出たのは2006年だそうで・・・となるとあたしが読んでからもう10年ぐらいにはなるのかしら?(文庫が出てすぐに読んだわけではなかったから)、ということにまたおののく・・・。
 米澤穂信文体に慣れてしまったということでしょうか、初読時はところにより「ん?」とひっかかりを覚えながら進んだような記憶があるのに、今回はそれを感じなかった。 むしろそんな部分に微笑ましさを感じてしまった。

  さよなら妖精【単行本新装版】.jpg 『王とサーカス』・『真実の10メートル手前』の太刀洗さんの若き日のことでもある。

 守屋くんが語り手となり、一年前の1991年4月に出会ったユーゴスラヴィアからの客人・マーヤとの短くも濃密な日々の回想と、現在である1992年における苦悩。 <出会いと祈りの物語>と裏表紙のあらすじはしめくくられている。
 マーヤと出会って親しくなることになったのは、当時高校三年生の守屋くん、文原くん、白河さん、太刀洗さん。 一年後にはそれぞれ大学生となり、全国各地に散らばってしまった。 マーヤは1991年7月はじめには帰国しているので、彼らの実質的な付き合いは2か月ほど。
 それでも・・・その年齢で出会ってしまったが故に強烈に<ここではないどこか・ここではできないなにか>に傾倒していく守屋くんの気持ちが、初読時よりも今回のほうが深く胸に刺さった。 その気持ち、わかる!、のである。
 しかしあたしもその間、今では<旧ユーゴ>と言われてしまう問題について知識は深まった(いや、むしろこれを読んだことがきっかけになって過去の情報や映画がつながり、更にそういう素材の映画を見てしまっているから)。 だから太刀洗さんの、守屋くんに感じるあやうさのことも、よくわかる! 考えてしまったらよりつらくなるからあまり考えたくない的な日本史専攻の文原くんの気持ちもわかるし、友達なんだからとにかく知りたいんだよ!、の白河さんの気持ちもすごくよくわかる。
 ひとめぐりして、あたしは「高校生のときの、自意識過剰でこの先の未来のことをちょっと舐めてて、不安や恐怖に気づかない振りをしていて、最も広い範囲で勉強していたことを無造作に日常会話に入れ込んでそれを普通と思っている、自覚がないちょっと鼻持ちならないやつ」であったことを受け入れ、許したということであろうか。
 本編にあったいくつかの<日常の謎>も、ちょっと強引かなと思っていたけど、マーヤに日本を知ってもらうためには必要なことだったと思えた。
 確かに心を奪われたこの物語を、あたしはもう一度受け入れ直した、ということなのかもしれない。

 そして<書き下ろし短編「花冠の日」>ですが・・・。
 これ、あってよかったのかなぁ!
 余計、ただひたすら、哀しくなった。
 マーヤが日本で過ごした日々を、日本の友を大事に思ってくれていた、とわかるのはうれしいけど、それは改めて言われなくともわかっていた、と思う。 少なくとも守屋くんや白河さんはこのことを知らない、というのがせめてものなぐさめ・・・。

ラベル:国内ミステリ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする