2019年02月09日

こんなことがあってはならない

 パソコンを開け、ついでにネットニュースを見る。
 ・・・これは、なに? どういうこと?
 クリックすると・・・見たくない、信じられない一文が。

> 声優の有本欽隆さん 食道がんで死去。

 えっ、そうだったの?! あなたも食道がんだったの?
 全然知らなかった・・・アニメのほうでは休業中で代役の方と交代してたようだが、最近あたしの観てた海外ドラマではレギュラーがなく、単発のゲスト出演ばかりだったので、全然知らなかった・・・。
 ただただ、あぜんとしている。 こんなことはあってはならない。
 『クリミナルマインド』のジェイソン・ギデオン役が外画系では代表作ってことになるのだろうか・・・マンディ・パティンキン(ギデオン役の人)が字幕でドラマや映画に出てると、「欽隆さんの声ならどうなるかな」と考えてしまっていたし。
 最近アニメをあまり見ないあたしだが、『宇宙兄弟』の兄・ジェイは欽隆さんですごくよかった。
 はた、と気づく。 渋いおじさま系というか、一言のセリフでその人の背景などを表現できてしまう人がどんどん少なくなってる! 欽隆さんなしで外画吹替は成り立たないよ。 もう小川真司も運昇さんもいないのに!
 ジェレミー・アイアンズやクリストファー・ウォーケンの吹替はどうなるの!?
 日々楽しんでいる海外ドラマの吹替版、かなりすれすれのところに来ているのでは・・・中堅〜若手の方々が頑張っているのはわかるんだけど、声の質の違いはいかんともしがたい。 菅生さんのお仕事がどんどん増えるのでは・・・。

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2019年02月08日

天才作家の妻 ー40年目の真実ー/THE WIFE

 グレン・クローズがこれで、今回アカデミー賞主演女優賞に有力!だそうである。 中規模公開作品にしては事前の宣伝も早めにやっていたし(映画館で予告やチラシがあった、というレベルだが)、公開近くなってからは新聞や雑誌で取り上げられた映画評の切り抜きを掲示したりとシネ・リーブルではいつもやってることだが神戸国際松竹では比較的珍しい。 つまりそれだけ、「多くの人に観てほしい!」作品なのではないか、という熱意を感じるわけです。 まぁ、いまの映画館に足を運ぶ客層(50歳以上の方々)にアピールしそうな題材ということもあるかもしれないが。

  天才作家の妻P.jpg ノーベル賞の栄光に隠された【愛と嘘】

 1992年、アメリカ在住の現代文学界の重鎮とみられているジョセフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)はノーベル文学賞の知らせがくるのかどうか気をもんでいた。 妻のジョーン(グレン・クローズ)は「そういう電話は来るときは来るんだから、気にしないで普通にしていればいいのに」とゆったり構えているが、ジョセフは遠足前の子供のように落ち着きがない。
 不意に、待っていたその電話がくる。 飛び跳ねてよろこぶ二人、だがジョーンのほうが現実に戻るのは早かった。 お祝いのパーティーが開かれ、ジョセフの浮かれ気分は更に上昇する。 息子のデビッド(マックス・アイアンズ)とともにストックホルムで行われる授賞式に向かうジョセフとジョーンに、飛行機の中で記者・ジャーナリストのナサニエル(クリスチャン・スレーター)が声をかける。 是非インタビューを、という申し出に、ジョセフは「伝記作家はいらない」と冷たくあしらう。 しかしナサニエルの目的はジョーンのインタビューをとることだった・・・という話。

  天才作家の妻1.jpg ノーベル賞受賞をお知らせする電話、きました。
 なんで90年代設定にしたのか不思議だったが(年代まではっきりさせたら、その年にノーベル文学賞をとった人に失礼ではないのだろうか)、40年前の50年代ではまだまだ女性が社会的に活躍できない時代だったからか。 「夫を支える妻」という形でしか認められなかった時代・・・つらいです。 「糟糠の妻と思われるのはまっぴら」というジョーンの一言に、時代の抑圧のせいでしたかったことをあきらめた、という失意が漂う。
 それにしてもジョセフのダメなこと! 長女は妊娠中だというのに自分のお祝いなんだからちょっとぐらいいいだろ、とシャンパンの入ったグラスを強引に渡す・・・ひどいな! しかしそんな父に娘は慣れっこなのか、しぶしぶグラスを受け取るが持ち上げる気配ゼロ。 きちんと反論してもこの父親には通じない、と娘は学習しているのだな。

  天才作家の妻4.jpg ナサニエルと、デビッド。
 ある意味あきらめのいい(期待していない)姉に対し、弟のデビッドは自分でも作家の道を歩んでしまっているがために父親からのいい評価をもらいたくて仕方ない。 母であるジョーンがいくら「読んだわ。 素晴らしかった」と言ってもすんなり受け入れないし、いろいろこじらせている(だったら父親と同じ仕事するなよ)。 すぐすねる態度とか、全然大人になっていない雰囲気とか、「おまえ、父親にそっくりだな!」と言いたくなるぜ・・・ジョーン、子育て失敗しましたね。
 そんな機能不全家族に嵐を連れてくるナサニエル・・・なんか既視感があると思ったら、クリスチャン・スレーター、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』でもレポーターの役だった! 老けましたね・・・(おたがいさまですが)。
 メインキャスト少なめ、室内での場面が多いしとても舞台的なところがあたしの好みです。

  天才作家の妻5.jpg 若かりし日の二人、ジョーンとジョセフ。
 結婚前の二人は、大学で文学・創作を教える講師とその学生。 しかもジョセフには妻と子供がいた・・・って、ほんとにクズ男だ! しかしそんな男に恋してしまったのだから、それはジョーンのせいでしょう。 ジョセフの元妻がジョーンに、「夫を引き取ってくれてありがとう」と言っちゃうような相手ですよ! 私だったら大丈夫、と思ってしまったのでしょうか。 その責任感(?)から結婚生活を40年続けてきたのでしょうか。 ある意味、この二人は似た者同士ということなのか・・・。
 恋愛には当事者以外には理解できないことが多々あり、逆に言えばその二人が満足していれば傍からどう見えようともしあわせだったりするから。

  天才作家の妻2.jpg ノーベル賞授賞式と、その後の晩餐会。
 授賞式のトリビアは面白かった。 アメリカ人は基本、お辞儀をする習慣がないのね。 ホテル側がサプライズを用意するとか(断ってもいいらしいが、ジョセフが話を聞いていなかったのでそのまま決行)。 そう、旅先でジョセフがよりグダグダになっている・・・ノーベル財団の招待だから旅費・滞在費用その他は全部財団持ちだからか、ジョセフはとにかくやたらめったら食べている・・・普段はジョーンにもっと節制しろと注意されているのだろうか。 あげく担当のカメラマン(若い女性)に色目を使う・・・ほんとに現代文学において文学の枠を広げた画期的な作品を書いた人なんですか、この人?
 ジョーンの鬱屈やイライラ加減がなくても、ジョセフは信用できないってなっちゃうんだよ。
 ただ、部屋で大喧嘩しても、娘から「無事に孫が生まれましたよ」と電話が来れば手を取り合っておおよろこび、さっきまでの喧嘩がどこかに吹っ飛んでいる・・・それが夫婦としての40年の歴史なのかもしれず、片方はそれで終わったと思っていてももう片方には別の話になっただけで終わっていないということかもしれず・・・。
 この、男性にありがちな単細胞的思考と、女性にありがちな解決していない問題はどんどん降り積もる性質も、お互いがそのことをわかっていればうまくいくのだろうが・・・ジョセフは「その話はもう終わった」と思ってとんでもないスピーチをしてしまうので、ジョーンの怒りは40年分爆発してしまう。 「あー、それ言ったら終わりだ!」ということをジョセフは自信を持って言っちゃうんだよ・・・むしろそう言えばジョーンはよろこんでくれると疑っていない愚かしさに背筋が寒くなる。

  天才作家の妻6.jpg 更なる大喧嘩。
 自分の何が悪いのかいまいちピンと来ていないジョセフ、最悪だ・・・。 しかしだからこそ、ジョーンはやっとこの関係に終止符を打つことを決意したのかも。 自分ばかりが耐えてきた、という思いは自分をどんどんすり減らすものだから(この点、日本人女性のほうが共感しやすいかもね)。 でも、そういう相手を選んだのもまた自分だというのが絶望的。
 ダメ息子のデビッドも、幼少の頃から両親の不安定さ(その言葉だけでは表現しきれないが)を見てきているから今のようになり、姉はもう少し大きかったからその理由をうっすらと感じ取っていて、早く結婚して両親から早く離れることを選んだのかも。 アダルトチルドレンにならないように(デビッドは気づくのが遅いからすっかりアダルトチルドレンだが、今気づいたことでこれから回復できるかも)。
 だがジョセフの逃げっぷりは見事というほかなく・・・ほんとに卑怯のまま、心を入れ替えないのはいっそ清々しいほどだ。
 芸達者なみなさんを舞台風に観られることの至福がここにある。
 デビッド役、顔というか目つきが気になるなぁ・・・と思っていたら、マックス・アイアンズって、ジェレミー・アイアンズの息子? 若かりし日のジョーンは、グレン・クローズの娘? ちょっと雰囲気似てると思ったら〜。

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2019年02月05日

サスペリア/SUSPIRIA

 ダリオ・アルジェントが好きである。 とはいえ実際に映画館で観たことはほぼない・・・子供の頃TVでよく観ていて、そのすごさが刻まれた感じでイメージは鮮烈なのだが、それ以後レンタルビデオやケーブルテレビやWOWOWばかり。 そんな折、あの『サスペリア』がリメイクとな! 『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ監督は自ら「『サスペリア』を観て人生が変わった」と公言するほどの人物、いったいどんな感じなのか! 予告編を観て、音楽:トム・ヨークにおののき、前衛過ぎるダンスシーンにあっけにとられ、でも観てみたい!
 上映する神戸国際松竹では『天才作家の妻』のほうを推している気配、賛否両論らしい気配・・・レイトショーだったのですが、意外とお客さんの数が多くてびっくりする(上映館が少ないからか、神戸はバレエ・ダンス系の映画のお客が一定数いるから?)。
 20:55スタートで、上映終了が23:35なことにも驚いた・・・152分なの、マジか。

  サスペリアP.jpg その踊りは、死を招く。

 1977年、ベルリンにあるマルコス舞踊団を目指してアメリカからやってきたスージー・バニヨン(ダコタ・ジョンソン)は正式な経歴も紹介もなかったが、情熱だけでなんとか単独オーディションの機会を勝ち取ったのだ。 舞踊団を代表する振付師であるマダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)はスージーを認め、その日からスージーは団員たちと寮に住むようになる。
 だが、このダンスカンパニーではダンサーである女性たちが次々と失踪していた。 その中の一人パトリシア(クロエ・グレース・モレッツ)のセラピーを担当していたクレンペラー博士(ルッツ・エバースドルフ:実は特殊メイクのティルダ・スウィントン)は、パトリシアが残していった言葉から、そのカギがマルコス舞踊団そのものにあるのではないかと考えるが・・・という話。
 6幕+エピローグという構成だったので、思いのほか長さは感じなかった。

  サスペリア2.jpg クロエ、よく見ないとわからない。
 「この歌がずっと頭を回って離れない!」と言ってましたが、もしかしてその歌はゾンビーズですか?(終盤、呆然としてしまったのでエンドロールでチェックし損ねた)
 よくこの仕事を受けましたね、というほど出番が少なかった・・・パトリシアの名前はいっぱい出てくるけど。
 クレンペラー博士の老けっぷりがあまりに不自然で、「あぁ、特殊メイクか! そういえばティルダ・スウィントンが三役やってるとかいってたなぁ」と思い出すものの、同じ役者がやっていることに意味があるのかと考えすぎ、クレンペラー博士の言動のウラをいちいち読んでしまう・・・この情報、知らないほうがよかった。 博士のことを好意的に見られない。

  サスペリア4.jpg そのおかげでマダム・ブランの年齢不詳な美しさが引き立つのだけれど。
 前半は、オリジナルの『サスペリア』を思い起こさせる描写が多いのですが・・・ホラー的演出を一切していないのでまったく怖くない。 ただあまりに唐突だったり、意味がわからなかったり、不可解で不気味だったり、痛さすら共感を分断されているようで、「あえて怖くないようにしているのか?」と思ってしまうほど。 そして過去の記憶や妄想も含めたような深層心理的カットの積み重ねが繰り返されるのに及んで、「これはストーリーを追いかけようとしたら訳がわからないで終わってしまう、理屈は考えるな、もうありのままを感情で受け止めよう!」と気づく。
 Don’t Think, Feel. ですよ。
 トム・ヨークの音楽もまた全編美しくてびっくりする。 ドロドロした感じがあるかと思ったのに(もしかしたらあったのかもしれないが、全く気づかなかった)。

  サスペリア1.jpg 途中から主役が交代するし。
 パトリシア → スージーの流れかと思いきや、スージーの寮と同室のサラ(ミア・ゴス)視点に(スージーが来る前はパトリシアと同室だったから)。 1977年当時の社会不安(バーダー/マインホフやハイジャック事件、ドイツ赤軍など)もがんがんからんできて・・・オリジナルとは別物感が強くなるのですが、設定的にはアルジェントの<魔女三部作>全体を持ってきているっぽいので・・・あぁ、考えたらわからなくなる〜。
 閉ざされた環境に限られた人数でいる場合、たとえ集まるきっかけはそれぞれ違っても、追い込まれた結果は似たようなものになるということなのか。 行き過ぎた何かは粛清がないと終われない(変われない)のか・・・カルト扱いされちゃう魔女・・・別の意味でせつないんですけど。

  サスペリア3.jpg 最後は博士にバトンタッチ。
 気がついたら出てくる人たちはほぼ女性、クレンペラー博士には世の男性の愚かしさを一身に背負ってもらった感があるのかも。 妻アンケ(ジェシカ・ハーパー)とのことがナチスの存在までつなげる意味はあれど、一気に社会派になるのも映画のバランスとしてどうなのか。 愚かさをそれで許せ、とはなれない・・・いや、むしろ許さないのか。
 あぁ、そうか、世界を支配するのは女性である、ということですか。 いや、そんな単純な話じゃないんだけど・・・“女性であること”に負い目を感じる必要もない、持っているものを活用して生きていってまったく問題はない、というか、「女性が被害者の側に押し込まれている枠から逃れていい」とか?
 もしかしてすごいフェミニズムな話だった?
 血まみれシーンも全然怖くない・・・ある人たちの死が癒しとして描かれるのは抑圧や虐待(歴史的にはホロコースト等)などへの反発かな、と深読みをしようと思えばいくらでもできるのだが、怖くないどころか失笑しそうになるのはどう受け止めたらいいのやら。 夢オチ展開ならまだ納得いくのだが、と思ったら全部事実か! そこでいきなり時間の経過を描かれても! 愚かな人間にも一部いいところはあると魔女も認めた的な?
 いかんいかん、つい意味のある物語を見い出そうと思いがちになるのだけれど、いささか呆然自失のままエンドロールに突入。
 途中で忘却の魔法をかけられた!
 あたしが思っていることは全部後づけか?! 記憶と知識と思い込みの区別がつかない!
 とりあえず、なんかすごいものを観てしまった感。 観ていたときよりもあとからいろいろ来る・・・こういうのがカルト映画と呼ばれるものなら、なるほどオリジナルの『サスペリア』とゴールは近い、のか。

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2019年02月04日

レコーダーのリモコンを買う。

 しばらく前から、今の録画機のリモコンの調子が悪くなっていた。
 <クイックメニュー>というボタンが反応悪く・・・回数的にいちばん使うやつなので経年劣化は仕方ないのだけれど、このボタンを押さないとその作業ができないという・・・長押ししたりなどで対応していたのだが、ついに早送りや停止ボタンなども反応があやしくなってきた。
 リモコンだけ買い直せないかな?
 もっと早く気づけよ、なのだが、やっと気づいたのだから仕方がない。
 だが使っているレコーダー、ブルーレイも観れるがそんなに新しい機種ではないので、リモコン自体あるかどうか!
 焦ってネットで調べると・・・いくつかの機種共通で使える代替リモコンがあるらしい! まだ新品がある! 今のうちに買っておこう!

  レコーダー新旧リモコン.JPG 右がオリジナル、左が代替機。
 ボタンの場所が全然違うけど・・・それぞれ対応するものはちゃんとある。 ボタンがちっちゃいけど、リモコンとしては小型化。 あぁ、新しい配置を覚えるのは大変だけど、一安心! これでまだしばらくレコーダーが使えます!
 しかしこれまた大変よくあることに・・・新しいリモコンがきた途端に前のリモコンの調子がちょっと戻るという・・・。
 完全にダメになるまで使い倒してやりますよ! ということで二つを並行使用中。

ラベル:趣味・小物
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2019年02月03日

みかづき/森絵都

 NHKのドラマが始まる前には読もうと思っていたのだが・・・始まってしまった(とはいえ、そのドラマは録画しているだけでまだ観ていないのだが)。 まぁ、読み始めればどうせサクッと読めてしまうはずなのでのんきに構えてしまっていた。 実際、読み始めたらほぼ一気読みだったのだが。

  みかづき.jpg 表紙、なんか勝手に地面は雪だと思っていたら、違ったよ!

 千葉県、用務員として小学校に勤務している大島吾郎は、勉強で困っている子供たちに放課後教えるようになる。 それを知ったある児童の母・赤坂千明に強引に誘われ、学習塾の立ち上げにかかわることに。 その後の大島家三代と教育とのかかわりを描く大河小説。

 物語は昭和36年から始まり、ゆとり教育その後まで続く。 そこそこページ数はあるのだが、なにしろ三代にわたる物語であるが故に章と章の間が結構時間が飛んでしまい、「その間のことは?!」といまいち物足りなさがある・・・吾郎・千明についてはそれなりにページが割かれているが、その次は孫の一郎に行ってしまい、吾郎の子供たち(3人いるのに)はいまひとつ脇役扱いなのがちょっと。
 それぞれを均等に書いたら朝ドラ一年やっても足りないくらいの量になってしまうからかもしれないけど、塾業界の変遷を主題に据えるなら主人公が次々変わってもいいわけで、一族の話でもあるのだからもっと読みたかった。
 たとえば、聡明なよい子として育った蕗子が母に絶縁状をたたきつけ、その後いかにしてその母と同居することになるのか、蕗子視点で読みたかった。 視点人物以外のことが気になる。
 ということはそれだけ、入り込んでしまったということでしょう。 家庭の貧困さのための教育格差のあたりはちょっと泣いてしまう。 あたしは軽い登校拒否から読書によりのめり込み、本を読んでた貯金があったので義務教育はあまり苦労しなくてすんだから、結果オーライだったのだなぁ。 今の子たちは大変だ、2020年は入試改革だそうだし。
 あたし自身は塾にお世話になったことがなく、むしろ学生の時から働く場所のひとつだったので、塾の歴史は興味深かったです。 塾の理想的な形を模索すれば理想的な学校になっちゃうところとかね。

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2019年02月02日

#神戸ウェンブリー

 『ボヘミアン・ラプソディ』のラスト21分スタンディングOKの応援上映。
 神戸では24日がラストだというから24日に行ったのに、31日まで延長となり、更に2月3日まで延長! しかし2月3日が本当に最後、だという。 うっ、どうしよう。 ファーストデイで1100円だ、土日は通常料金になってしまうから行くならこの日しかない。 しかも日本オリジナルステッカープレゼントだと?
 やっぱり行くしかないか!
 2月1日、OSシネマズハーバーランド20:30の回、参戦!

  ボヘミアン・ラプソディ ステッカー.jpg THANK YOU DARLING!は裏の台紙。
 チケットは前日夜中にネット予約しましたが、その段階で参加者は45人くらい。 ファーストデイだから結構混むかも、とは思っていましたが・・・いざ映画館に来てみれば△(残席わずか)。 マジか! 入場開始のアナウンスに合わせて動き出す人々の波! 無事にステッカーはもらえるも、ポップコーンやビールなどを持っている人たちの多さにも驚く。 この映画においてはあたしはポップコーンを食べている余裕はないよ・・・。
 金曜の夜ということもあって小学生のお子様もいらっしゃり、年齢層の広さがうれしい。
 実際、ほぼ満席ではないですか、という状態。 これでスタンディングはキツイんですけど。
 お客さんいっぱいいるから、ということなのか前説の方も非常に真面目で注意事項の伝達が中心に・・・えっ、もう少しあおってくださいよ。 なんかあたしの席のまわりおとなしそうでヤバいんですけど。
 ドキドキしながらの最後の応援上映です。
 あぁ、もう“Somebady To Love”のイントロから泣きそうになるよ!(まぁそれを言うなら冒頭のファンファーレとフレディの掛け声からね)
 デクスター・フレッチャーの名前が製作総指揮にある!(方向性の違いから降板したが、ブライアン・シンガー解雇後メガホンをとった人)、とか、フレディの初ステージ衣装はお母さんが着てた服だよね!、メアリーを見る前のフレディにウインクをしてる人がジョン・ディーコン本人の息子ってこの人か!、などなど、細かいところを確認できてよかった。
 ポールがフレディに告白しようとするシーンは何回観ても緊張感がすごい。 ポールの覚悟というか・・・それが描かれているから悪役になっちゃっているけど彼の哀しみも感じ取れるのだろう。
 だけどやっぱりあたしのまわり、ノリが悪いよ! 中央列あたりがすごく盛り上がっているので助けられましたが、なんで手拍子もしない人たちが応援上映に来るのかと。 ドラマ内容に入り込んでしまってしそびれるのはわかりますが、明らかにライヴ流れのときも微動だにしないってどういうこと! この時間しかなかったのかもしれないけど・・・せめてちょっと空気読んで。

  ボヘミアン・ラプソディ1.jpg <ライヴ・エイド>は何度観ても素晴らしい。
 特にこれで最後だと思うからかしら、涙が止まらない。 あぁ、何度もこれを観に来てしまい、どうやらフレディはまだ生きていて、クイーンも普通に活動しているような気持ちになっていたらしい。 もしくは自分がクイーン活動期にタイムスリップしてきたような。 これで最後だと思うことは、あらためてフレディに別れを告げるということで。
 だったらこの映画観ないで当時のライヴ映像を観ろ、とリアルタイムのコアな一部のクイーンファンの方は怒っているのはわかるのですが、勿論本物の映像も観るし音楽も聴きますけど、古い映像だとタイムラグをやはり感じてしまうわけですよ。 この映画だと映像が新しくてきれいだし、メンバー全員をそれぞれ観られるし(YouTubeにあるライヴ・エイドはどうしてもフレディ中心)、だから今でも活動しているような錯覚に陥ってしまうのかも。 熱いファンの存在もまたこちらの胸を熱くする。
 それ故に、ノリの悪い人たちが気になって気を遣う・・・。 “Show Must Go On”でうしろから「座れよ」と声が聞こえてきたのにびっくりした。 えっ、見えないならそっちが立ちなさいよ! それがイヤならスタンディングOKの回に来るな〜。
 いやいや、この時間にしか来られないのかもしれない、ファーストデイなんだからこれが一回目ですという人がいても仕方がない、と思うけど、なんか割り切れないんですけど。
 でも帰りがけに20代女性4人組が、「やっぱりジョン・ディーコン、いい!」と言っているのが聞こえ、思わず「わかる」と呟いてしまう自分。 同好の士の存在はうれしいものだよ。

  ボヘミアン・ラプソディP.jpg 公開からそろそろ3か月か。
 熱がそれだけ続いている、というのはすごい。
 あらためてこの映画の編集のうまさを感じつつ、この詰め込み具合を4時間半あるという噂のオリジナル版で確認したい気もする。 「映画として」は批判されがちだからな〜。 でも仕方ない、これは映画というより<体験>だから。
 これであたしの『ボヘミアン・ラプソディ』体験は終わったのだろうか。
 なんだかずっと続きそうな気もする。

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2019年02月01日

バジュランギおじさんと、小さな迷子/BAJRANGI BHAIJAAN

 インド映画といえばそれ自体が一つのジャンルであるが、最近はインド映画も普通に日本で公開されているのがうれしいじゃないですか。 とかいいつつ、この作品も数年遅れではあるんだけど・・・やはり上映時間の長さがネックなのだろうか(結構カットされているんだけど)。

  バジュランギおじさんと小さな迷子P.jpg インドからパキスタン――700キロの二人旅が、世界を笑顔に変えていく・・・

 パキスタン北部のある山村で、声を出せない幼い少女シャヒーダー(ハルシャーリー・マルホートラ)をあわれに思い、母親はインドにあるイスラム寺院に願掛けに連れていくのだが、帰る途中のちょっとしたことで娘とはぐれてしまい、すでに国境を越えてしまったために探しに行けなくなってしまう。 自分がどこにいるのかもわからないシャヒーダーは、ヒンドゥー教徒のにぎやかな祭りの中で明るく歌い踊るパワン(サルマーン・カーン)と出会う。 人がよく嘘もつけないパワンは迷子の少女を預かることになり、名前もわからないのでムンニーと呼び、日々仲良く暮らす。 が、ムンニーがパキスタン人でイスラム教徒だと知り・・・いろいろと葛藤はあるが、ムンニーを親の元に返そうとパワンはパキスタンに行くことに・・・という話。

  バジュランギおじさんと小さな迷子1.jpg とにかくムンニーかわいい!
 映画は前半大きく2つのパートに、ムンニーが迷子になってパワンと会うまでの過程とパワンのこれまでの軌跡にわけられている。 迷子という範囲が広すぎるのは『LION〜25年目のただいま』を思い出させるものがあり、異教徒のためにヴィザもなしで国境を越えようとするパワンはどんなやつなのかを説明するために必要なのだ。
 歌と踊りも勿論ありますが、それが必要というか必然性のあるものとして描いているのが新しいというか、世界を意識してナチュラルミュージカル化に寄せているのか、マサラ的なド派手さは薄れていますが十分にぎやかで楽しいのです。 <いかにもミュージカル>を得意としないあたしですが、インド映画の歌と踊りはわりと大丈夫。 むしろマサラでもOK!、ぐらい。
 なのでこの映画の歌と踊りは普通・・・というか、なんか逆に洗練された感じがして物足りないくらいかも。 しかし歌の歌詞は見事に物語にリンクして支え、ちょっと涙ぐみそうになるほど。 インド映画初めてという人に是非おススメしたい!

  バジュランギおじさんと小さな迷子3.jpg あたしの知る中で最もアイメイクがしっかりしたヒロイン。
 あたしの知るインド映画は、主人公は信心深く朴訥で、一人の女性をまっすぐに愛し、不器用だが純粋で目的のためには一直線というキャラが多い感じ。 パワンもハヌマーン神をひたすら信仰する曲がったことはできませんな人。 自分がバラモンだからムンニーもバラモン、でも色が白いからもしかしたらクシャトリアかな?ぐらいしか考えないのです(しかし菜食主義者でもその体格・筋肉を維持できるのですね)。
 排斥デモも起き、インドとパキスタンの国家間の中が悪くなり大使館が機能停止してしまったがため、パワンはムンニーのために密入国することになるのだが・・・「事情を話せばわかってもらえる」と本気で信じているからドキドキだよ。 だって、場合によっては銃殺だよ? コメディタッチではあれど、そのへんのリアルさはきちんと描いている。
 前半と後半の断ち切り具合があまりに強引なので、日本公開版はインターミッション含めてばっさりカットされたんだろうな・・・。

  バジュランギおじさんと小さな迷子2.jpg カシミール地方の風景が美しい。
 なんとかパキスタンに入ったけど・・・パワンだけでは当然立ち行かなくなるので、途中でビデオジャーナリスト(?)と仲良くなって三人旅に。 インドからのスパイと最初は疑ってたけど、パワンの底なしの人のよさに心打たれちゃう感じが美しい。
 何日も旅をしているのにお風呂入ってないよね、でもそんなに汚れてないよ!、的なリアリティはこの際無視で。 そういう細かいところよりも大事なことがあるでしょ!、と大上段から振りかぶられるのがかえって清々しいのです。
 人間とはどういうものか、と深く考えていなくても「人としてそういうことをするのは当たり前」と堂々としていることの強さ。 パワンはちょっと単細胞っぽいんだけれども、彼が愛されているのはそういうところなんだよな、と観客の誰もが感じる素晴らしさ。 そりゃ初対面のムンニーがなつくよね、うんうん。
 物語に意外性はほぼなく、そうなるんだろうな、という予想の大枠をはずれることなく進む。 なのに、わかっているのにまんまと感動してしまう、泣いてしまう、心を動かされてしまう。 インドとパキスタンの間にある対立の歴史を踏まえつつも「それを乗り越えるために必要なのは愛」と言い切る強さ。 正しいことしか言っていないのにそれをひねくれて受け止めたり、「けっ!」とか言う余裕もないほどのポジティブで明るいパワーにあふれている。
 あぁ、素晴らしいね、心がほっこりするね、未来を信じたくなるね。
 それがインド映画のパワーなんだ。 そりゃ好きになっちゃうよね!

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする