2018年12月13日

ワイルド・ソウル/垣根涼介

 「なんかすごかったです〜」と人に薦められ、読んでみることに。
 初めての日本人作家はためらいがちですが、高校生のときクラスメイトに「これ、面白かった!」と船戸与一の『山猫の夏』を薦められ、読んだら面白かった。 冒険小説系はあたしの手薄い部分なので、オススメしてもらえるのは大変ありがたい。 そこからまたつながっていくこともあるからね〜。
 しかしこれを薦めてくれた人、ハードなグロ系描写に慣れていないようで(もともと好きではないのかもしれない)、「第一部、読むのやめられない勢いがあるんですけど、気持ち悪くなっちゃいました・・・」とのこと。 どれだけ繊細、もしくはどれだけグロ耐性低いのか判断しかねるが・・・多分あたしのほうがそういうの慣れてる・耐性あるだろうということで身構えずに読み始めた。

  ワイルド・ソウル1.jpgワイルド・ソウル2.jpg この表紙イメージからはそこまでの悲劇性を感じさせないし。

 日本政府はかつて他国への移民政策を積極的に行っていた。 1961年、親戚からも借金して有り金はたいてブラジルに渡った衛藤だが、与えられた入植地は事前説明とはまったく違う赤土の密林地帯。 農業などできない土地で他の入植者たちと協力してなんとか耕作を続けるが、スコールや反乱する川など土が流され、彼らの苦労は水の泡に。 だが日本に戻ることもできず、ひとりひとりバタバタと斃れていく。
 その後、衛藤は長い苦労の果てに身を立てる。 当時の仲間の息子・ケイらとともに、日本政府、特に外務省への復讐を図る・・・という話。

 確かに第一部の迫力はすごい。 スピード感あふれ、読むことをやめられない。
 なんで南米への移民の話とかあったんだろう、と実は不思議だったのだが・・・(いわゆる長男以外は家督を継げない問題で、二男以下が一旗揚げるために、なのかと思っていた)、国が貧しくて国民全員を食べさせることができないので、出て行ってもらった(棄民政策だった)のね!
 それなのに今は少子化とか、移民を受け入れようとか・・・なんなんですか、と思ってしまう。 多すぎるからって減らして、今度は足りませんって・・・先のこと考えてない感がまるわかりでバカっぽい。
 そう、バカっぽいのだ。 どれほどの悲劇があっても、そもそものことがバカなので、より悲劇に無情感が漂う。 やりきれないし。
 で、復讐案が・・・ケイがブラジル生まれのブラジル育ちなので、日本人的な悲壮な何かを持っていないがために、彼のパートがラブコメ青年マンガみたいに感じられてしまい・・・軽い。 いや、それはそれでいいんだけど、第一部のトーンで最後まで行ったら一体どんなことになっていたのか、知りたい気持ちもなくはない。
 面白かったけど・・・この人の別の作品を読もう、とまではならないな。 女性の描き方がステロタイプだからだろうか。

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2018年12月12日

恋のしずく

 大杉漣さんのおっかけと化したあたしは、出番は少ないがまだ公開されていない映画を求めて近隣を探索。 遅ればせながら兵庫県では塚口サンサン劇場にて上映することを知る。 塚口サンサン劇場・・・名前は知っていたけど行ったことがない。 というかそこ、二番館じゃなかったんだ! 調べてみると、新作もやるし「それ、いつのですか」という作品もやるし、4スクリーンでなかなか攻めたセレクション。 おぉ、地元の某シネマディクトを思い出させるものが! この映画館、面白いぞ、という気持ちに。

  恋のしずくP.jpg 一生、忘れられないもの、みつけました。

 東京農業大学の学生・橘詩織(川栄李奈)はその舌で成分を認識できるため、様々なワインを飲みまくり、ソムリエを目指している。 当然大学の実習先の希望もワイナリー、のちのちはフランス留学も視野に入れている。 ところが実習先は広島県西条の日本酒蔵に決まってしまう。 日本酒嫌いな詩織はどうにか実習先を変更してもらおうとするが無理、今回は実習を受けないことも考えるが、そうなると単位が取れずに留学へのエントリーもできないことがわかる。 渋々、実習先となる乃神酒造を訪れるのだが・・・という話。
 地方発の映画らしい隙がありまくりの脚本にはときどき口があんぐりしそうになるが、それが味と思うしかないのか? 日本映画の製作本数が増えているのはいいことなのかどうなのか、ちょっと考えちゃうなぁ。

  恋のしずく3.jpg 西条は蔵の多い町。
 地方発であるが故のロケーションの妙味はあるでしょうが・・・しかし、「もっときれいな風景を入れたい!」と思ってしまうんですかね。 あたしは広島、詳しくないんですが、「おや、この風景、『この世界の片隅で』と『弧狼の血』で観たものと同じような。 呉市か?」というカットがありました・・・それ、結果的に西条にとってプラスになるのかな?
 美しさ優先の風景なのか、海の場所から考えると西条の位置はどこ? 詩織の決断の意味をどうとらえたらいいの?、と本筋にかかわってしまうミステイクが存在する気がするよ・・・大丈夫なのかしら。
 まぁ、ここは川栄李奈初主演作、ということで温かい目で見守ろう、ということなのか。 彼女はがんばっていましたよ、でも細かいところはまわりがちゃんと気を配ってあげなきゃ!
 相手役の人、誰かに似ているような顔立ちだがよくわからない・・・と思ってたら、小野塚勇人という劇団EXCILEの人だということで。 もはやダンスグループのEXCILEと劇団の区別がつかないあたし。 蔵元(大杉漣)とその息子役ということで、父子の葛藤やらわだかまりなんかも当然描かれるわけで。

  恋のしずく2.jpg 蔵元、出番少なかったぜ!
 とはいえ漣さん、心臓の病気で仕事引退・自宅療養中っぽいよぼよぼ感というか力のない感じ、よく出てたなぁ。 と評価しちゃえるあたしはやはり漣さんが死んだとはほんとに思ってないのでは?、と感じるのであった。
 まぁそんな漣さんとか、杜氏役の小市慢太郎、蔵元の長女・宮地真緒などが脇を締めているので観られた、というところがありますよ。
 ほんとにツッコミどころ満載なんだもの・・・物語に没頭できないぜ。

  恋のしずく1.jpg 日本酒の仕込みの様子も。
 日本酒のつくり方的HowTo部分もありながら、全部を見せることはできないのか結構中途半端・・・。 過去にいろいろ苦労したけれどやっぱり新しい酒を造ろう!、というのはいいのだが、その苦労をどう乗り越えたのか・どう工夫したのかまったくわからないまま完成してる(その間に登場人物のごたごたで話はそっちに行っちゃったけどさ)のは納得がいかない・・・。
 詩織の<日本酒嫌い>の理由ももうちょっとひねられなかったのかなぁ。 それがひっくり返る瞬間、をもっと印象付けられたと思うのに。
 納得がいかないところはほんとにいっぱいあって・・・それでもなにか力技で飲み込まされちゃうこともあるんだけど、この映画はそこまでの力がない。 いい場面もあるだけに、「地方発の映画だからこんなもんか」というのがつくる側にとっても観客にとってもいちばんよくない! 予算等の制約があろうとも、その制約の中でアイディアをひねる、それがものづくりの基本ですね、と思わされますね。

 ここで『恐怖の報酬【完全版】』のチラシを見つけ・・・アートビレッジセンターで公開することを知る。 お、観に行きたいなぁ!
 初めての映画館で知る情報があると、来てよかったな!、と思えてうれしい。

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2018年12月11日

お久し振りのルミナリエ

 お久し振りにお客様がいらしたので、何年ぶりかももうわからない神戸ルミナリエに行ってみることにした。
 当日はあいにくのお天気で、夕方に向かえば向かうほど雨が降るという。 暗くなってから点灯するルミナリエ、雨にあうこと必須・・・でも傘はさせないからなぁ。 ぼつぼつと雨粒を感じたが、まぁ気にならない程度といえばそんな感じ。 しかし傘をさしている人もいて、「(傘が邪魔でよく見えないんだから)人が沢山いること、考えてほしいわぁ」というぼやき&聞こえるような当てつけが至る所から聞こえるという・・・かなしい感じであった。
 そんな久し振りのルミナリエであったが、

  2018ルミナリエ2.JPG えっ、なんか色多い!
 なんか中華街みたい・・・って思っちゃったではないか。
 LEDのおかげで長持ち電球になり(かつては球が切れていたり、朝職人さんが取り換える風景をよく見たものだ)、色の種類も増えたのであろう。 でも4色ぐらいで作ってたときのほうが統一感があってキレイに感じたイメージ。 なんだかけばけばしいような・・・。
 あたしよりもご無沙汰だったひろさんもまた、「なんか記憶と全然違う」とのこと。
 しかもさらに驚いたことに。

  2018ルミナリエ1.JPG あれ、屋根付きみたいになってる!
 平たい板状のものを等間隔に並べることで目の錯覚的に回廊を作り出していた記憶・・・こんなしっかりつながってなかったよね!、と二人で確認。 ひろさんはもともと神戸出身なので、「確か、門であることに意味があったはずでは」と納得がいかない感じ。
 あ、<天国の門>みたいな感じ? そもそも鎮魂の行事なのだからそういう意味合いは変えてはいけないよね。

  2018ルミナリエ3.JPG そしたら次のブロックは昔通り。
 平たい板状のものが並んでいた。 あぁ、よかった、ここは変わっていない。
 でも近づいていくと、またしても「おや?」な感じが。

  2018ルミナリエ4.JPG 信号機が残念だな・・・。
 ポールの間隔が広くないか、前はもうちょっと間隔狭かったよね、みたいな話に。
 「昔、ここにローソンあったのにね」とか、昔話に花が咲いてしまう。
 そう、目の前の<今年のルミナリエ>を見ながら、あたしたちは<過去のルミナリエ>のに思いを馳せていたのである。 お互いにとって、いちばん印象に残っているときのこととか。 それもこれも十数年前の話である。
 区間ほんとに短くなったねぇ、まぁあれじゃ大丸もキレますよ、がっちり交通規制するようになってからシネリーブルに行くのも大変でさ、このへんでご商売してる人たちは大変ですよね、そういえば昔不明朗会計がどうのって問題になってなかったけ?、ルミナリエは資金的に大丈夫なんですか、まぁほぼ寄付に頼ってるって話だったような。
 東遊園地のサークル状の配置は、これまた記憶のイメージと全然違って、更に下回る出来のように見えたので写真を撮る気も起らず(雨が強くなってきたのと、人も多くなってきたのでカメラを向ける気力がなかったのも事実である)。
 それから地下道へ避難。 ハンカチでカバンを拭きながら、日常世界に戻ってきたことを感じる。
 なんだかいまひとつ、とは思っていても、やはり普段とは違う空間がそこにはあったのだ。

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2018年12月10日

今日は9冊。

 12月ももう1/3だよ・・・何もできてないわ〜、今年も。
 最近いきなり寒くなられても、服装とか準備しきれてなかった・・・油断しちゃったなぁ。

  クイーン ムックML.jpg MUSIC LIFE Presents QUEEN クイーン
 映画『ボヘミアン・ラプソディ』公開にあわせて、日本でいちばんクイーンとかかわりが深い音楽雑誌<MUSIC LIFE>からクイーンのムックが出ていた!、ということをつい最近知りまして(実は発売日は映画公開日と一緒)。 アマゾンでは1か月待ちぐらいで、やばい、もうないかもとジュンク堂の店舗在庫調べたら、三宮駅前店に一冊あることが判明。 取り置き依頼をしてしまいました。
 クイーンの歴史とメンバーのインタビュー、網羅。 充実しすぎてなかなか読み進むのに時間がかかる。 2160円ですが・・・リアルタイムを知らない身にとってはお値段以上の情報価値ありです。

  このミス2019年度版.jpg このミステリーがすごい! 2019年版
 今年ももう出ちゃいましたよ、このミス。
 国内版一位はやはりあれで・・・今年の日本ミステリ界いちばんの話題だったのはやはりこれだった、これを超えるものはなかったってことよね、と納得。
 海外版は「上位に入りますよね」と思っていた作品がほとんど入っているので、それは満足。
 <このミス30年総括対談>で、『薔薇の名前』を文庫化しない版元の話題が出て、「おっと、お金のない東京創元社の悪口はそこまでだ!」と思ったら、別な方が語った新事実、文庫化に向けて動いていたのだが、訳文に手を入れている最中だったのに訳者さんが今年の5月に逝去され、頓挫。 そのあとを誰が引き継ぐにせよ、また時間がかかる、ということを目にして・・・(まだ全部に目を通していないのだが)、これがいちばん衝撃的な情報だったよ、あたしには。

  サラマンダー殲滅1.jpgサラマンダー殲滅2.jpg サラマンダー殱滅/梶尾真治
 あ、これ、気がついたらいつの間にかなくなってたやつ! 復刻されたんだね!
 梶尾真治といえば<抒情系SF>のイメージですが、この『サラマンダー殲滅』は愛する家族を人質に取られた主婦が刺客となって戦いに乗り込む・・・というハードボイルドアクション色が強い。 しかもあらすじだけ見れば2018年も終わろうというこの時期に読むのにまったく違和感ない設定だという・・・。

  もつれ ジグムント・ミウォシェフスキ.jpg もつれ/ジグムント・ミウォシェフスキ
 『怒り』が2作目にあたる<シャツキ三部作>の1作目。
 順番通りでないことを悲しむべきか、遡って1作目が出せるくらい『怒り』が評判になったんだなとよろこぶべきなのか・・・複雑。
 ポーランド作品だから? でもこうなったら3作目もよろしくお願いします。

  モサド 暗躍と抗争の70年史.jpg モサド 暗躍と抗争の70年史/小谷賢
 <モサド>という言葉を多分初めて見たのは『エロイカより愛をこめて』で、「イスラエルの情報機関」という知識はありました。 でもモサドがどういう活動をしているか、について具体的に知ったのは映画『ミュンヘン』。 おかげでミュンヘンオリンピック人質事件に関するルポを何冊か読み、「うおーっ」と思ってしまったわけです。 おかげでパレスチナ問題について深く知ったし。 一筋縄ではいかない(何か一つボタンをはめるように事態が解決することはない)ことは世界にいっぱいあるぞ・・・と暗くなりました。 あ、スパイスリラー的なものも進んで読むようになったのもそれがきっかけだったかもしれない。
 そしたらモサドの歴史をまとめたものが出るというじゃないの、そりゃ買うでしょ。

  御宿かわせみ ミステリ傑作選.jpg 御宿かわせみ ミステリ傑作選/平岩弓枝
 平岩弓枝も一時期、いろいろ読んだことがある。 でも『御宿かわせみ』は長くて、どこから手をつければ・・・と考え、結局スルーしてしまったのでした。 それが、ミステリ要素強い作品群だけまとめて一冊にしてくれるという! だったらそれ、いただきましょう。

  初恋の世界05.jpg 初恋の世界 5/西炯子
 やっと5巻目。 今回は登場人物たちにいろいろ起こりすぎ、メイン人物を増やしたことによる弊害が(つまりこの一冊分では足りず、いろいろ中途半端なままで次巻に持ち越しという印象)。 完結してまとめて読むときには気にならないことでしょうが、リアルタイムに読んでいるとどうしても細切れ感があり・・・早く、続きを出してください、ということに。

  海街ダイアリー9行ってくる.jpg 海街diary 9 行ってくる/吉田秋生
 ついに『海街diary』、最終巻。
 そうか、すずちゃんが鎌倉にやってきて、一度鎌倉から出るまでの2年半ほどが、この物語の作中に流れた時間だったんだ・・・。
 いろいろあったけど、なんだかあっという間で。 でもこれからも彼女たちの人生は続いていく、と想像する余地を残していったん終わる。
 番外編には別な意味で胸を痛めた。 すずちゃんには家族ができた。 でも和樹には、そんな救いすらもなかったんだ、という。

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2018年12月08日

希望荘/宮部みゆき

 <杉村三郎シリーズ>、第4弾。
 杉村さんとは最近知り合った感じなんだけど、なんだかずいぶん長い付き合いのような気がする不思議な感じ。 これまで3作しかないけどわりとリアルタイムで読んできたからかな? 翻訳物のシリーズに比べればタイムラグは少ない(昔のシリーズものは結構短期間で集中して読んでしまうこともあるから)。 間にドラマ化もはさんだことですし、回想も含めて杉村さんの人生を結構知っている気になってしまっているからかもしれない。 時間の感覚が麻痺してきてるんで、あたしも。
 そんなわけで4作目にして、ついに杉村三郎、探偵事務所を開く。

  希望荘 杉村三郎4.jpg シリーズ初の中編集となっております。

 4編収録。 実家に戻った杉村さんはそのあと東京に戻って事務所を開いて・・・の過程と、出会ってしまった事件について順不同に。
 事件が起こった年代と、登場人物の年齢がはっきり書かれていることに驚いた。 杉村さん、もっと年上だと思ってたけどそんな若いの!、という衝撃(なので時折小泉孝太郎で脳内再生してみても違和感がない)。 本に挟まっていたチラシの<著者インタビュー>によれば、「どうしても震災当日のことを書いておきたくて」、「探偵になったときの杉村の年齢設定を少し若返らせている」とのこと。 だからか・・・。
 『誰か Somebody』・『名もなき毒』・『ペテロの葬列』とは環境も状況も全然変わったので、杉村さん以外引き続きのレギュラーはいないと思っていたら、<睡蓮>のマスターが引っ越してきて<侘助>という喫茶店をご近所に開いており、そこはなんだかうれしかった。 でも睡蓮っててっきりモネから採っていると思っていたので、実はマスターは花好きだったか、とニヤリだ。
 杉村さんに事務所を貸してくれる竹中家の方々とか、ご近所さんなどは古き良き江戸っ子気質みたいな人が多くて楽しいが、事件そのものは大変後味がよくないものとなっており・・・それを救うためのいい人多めなのかな、と思ったり。 杉村さん本人の人柄も勿論影響しているけれど・・・。 表題作の『希望荘』のみ文字通り希望のある終わりであるが、他の『聖域』・『砂男』・『二重身(ドッペルゲンガー)』はかなり重い。 でもそれがある意味現実なのだ・・・と感じてしまう哀しさである。
 全部で500ページほどであるが、「あぁ、一気に読んでしまってはすぐ次が読みたくなってしまうじゃないか!」と自分をいさめたのに結局一気に読んでしまった。 続巻『昨日がなければ明日もない』も出ているのであるが、単行本なのよね。

ラベル:国内ミステリ
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2018年12月07日

謎の毒親 相談小説/姫野カオルコ

 <毒親>っていつから使われ始めた言葉でしたっけね。
 「産んで、育ててもらった親を悪く言うな」という価値観も引き続きあると思うのですが、そういう感じが普通とされる中では親の悪口ととられる言葉は言いにくい、勇気を奮って言ってみても共感や理解を得られにくい、という背景があるから、<毒親>という言葉が出てきてそこに自分の居場所を見つけた人が多かったから一気に広まったのでしょう。
 あたしは幸運にも、「家族なんて幻想なのにね」とか言えちゃう相手がいたから、<毒親>という言葉に救われずにすんだ。
 でもきっと、こんな言葉に無縁な生活を送っている人のほうが大多数なんだと思う。 少数派だから、理解されなくて困るのだ。
 そして肝心な点は、<毒親>は自分をそんなだと思ってないし、その親もまた<毒親>である可能性が高いこと。
 もしそう気づいたなら、逃げるしかないんだよ。

  謎の毒親 単行本.jpg 表紙の黒縁が・・・まるでお葬式を連想させる気がするのはあたしだけ?

 ヒカルさんは大人になって一人暮らし、仕事もしています。
 ある日、たまたま小学生の頃よく行った学校近くの書店兼文房具屋兼雑貨屋さんの<文容堂>を通りかかり・・・かつて<文容堂>では「お悩み相談」を募集していて店内の掲示板にその回答が書かれていました。 ヒカルさんはそれを思い出し、過去の納得できなかった出来事を手紙にまとめ、<文容堂>に投稿します。 すると思いがけず、<文容堂>から回答が届いて・・・という人生相談のような往復書簡形式(だからタイトルも「相談小説」となっているのでしょう)。

 家のことは自分の家のことしかわからない。 他の家は違うのだろうけれど、具体例がわからないから自分の家のことが基準になってしまう。 それでも、「おかしい!」と思うことはある。 そのおかしさに説明がつかないので、子供はいつも大混乱。 育ててくれたのだから親には感謝しているし、おかしいと思う自分がおかしいのかもしれない、と消極的なヒカルさんに、文容堂のみなさまがこぞって「そんなことはないぞ!、おかしいものはおかしいからあなたは大丈夫!」と支え、一緒になって理由を考えてくれる。
 もう、それだけでなんだか胸が熱くなりますね。
 答えは一言では出ない謎ばかりだけれど、いろんな方面から考えが集まるっていい。 往復書簡がきっかけで新しい人間関係を構築できたヒカリさんに幸あれ!、と願わずにはいられない。
 だけど、「ちなみに、相談されるエピソードはすべて著者の実体験に基づいています」と書いてあるのが・・・怖い、すごくコワい。

 今は連絡とってないからよくわからないけど、かつていとこが親の過干渉にぐれていろいろとやらかしていたことがあった。
 あたしはそれを聞いて、「バカだな、早く高校出て遠くの大学に行っちゃえばいいのに」と思っていた。 よい成績をとりいい学校に行くのは親の願いでもあったのだから、ぐれたり反抗したりするエネルギーがあるならその分勉強に力を入れて、将来の自由のために使えばいいのに、と。 でもほんのちょっとでも親の思う通りに生きている風に見られるのも嫌だったのかもしれないけれど、家出したり連れ戻されたり、かなり年上の男性と同棲したりして、そのいとこ自身の将来の道は築けたのだろうか。 結局は、めぐりめぐってあれほど嫌った親のような大人になっていないだろうか。
 だから、逃げるにしても賢明な方法をとるほうがいい。 一時の反抗ぐらいでは絶対解決できないのだから。
 あたしはいろいろありましたが、「今は自由です!」と胸を張って言えます。
 この本が、悩み苦しんでいる人の救いになることを願って。

ラベル:国内文学
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2018年12月05日

イット・カムズ・アット・ナイト/IT COMES AT NIGHT

 昨今のホラー映画には、「『〇〇』製作陣による」的な惹句がよくつく。 ホラーはかなり細分化されているジャンルなので、その一言があるかないかで大違いだし、観る側としても「あ、そっちの傾向か」と参考になるのも確かなんだけど、その<製作陣>がどこまで正確なのか、という問題もあって・・・ま、所詮は宣伝文句なのだから、100%真に受けるな、という話ですよ。
 とはいえこれは『イット・フォローズ』製作陣ということで・・・「あぁ、現代視点から見る寓話や教訓的なものをホラーの衣にかぶせるタイプ?」となんとなく予測して・・・でも実際は観てみないとわからないから。

  イットカムズアットナイトP.jpg 外には恐怖。中には狂気。
   92分、あなたは<精神を保てるか>
   『イット・フォローズ』製作陣が仕掛ける、極限心理スリラー

 森の奥深くにある一家がひっそりと息をひそめて暮らしている。 だが祖父が感染し、まわりに広まる前に処分しなければならない、と父のポール(ジョエル・エドガートン)は現実を知らせるために17歳の息子トラヴィス(ケルビン・ハリソン・ジュニア)に手伝わせ、祖父を埋葬した。 以来、母のサラ(カルメン・イジョゴ)との三人暮らしだ。 世界が一体どうなっているのか、“それ”の感染がどこまで広まっているのかまったくわからない。
 ある日、家に侵入者があった。 祖父を燃やした煙を見てきたのかもしれない、感染者かもしれない、とかなり警戒して話を聞くと、その男はウィル(クリストファー・アボット)と名乗り、妻と小さな子供とともに廃屋に隠れ住んでいるが、水が足りなくなってきたので廃屋(と思われる家)に侵入して必要なものを手に入れようとした。 この家は人の気配がなかったからだれも住んでいないと思った、と告白。
 ウィルの家には家畜がいるとのことで、それら全部ひっくるめてポールの家に引っ越してきたら、と話はまとまる。
 新しい住人が増え、家の中の空気が変わる。 楽しい生活になるはずだったが、ある出来事から疑心暗鬼が一気に深まり、カタストロフへと突き進んでいく・・・という話。

  イットカムズアットナイト1.jpg <新たな家族>を迎えて、この家で暮らすためのルールが発表される。
 そもそも“それ”は夜に来るらしいのだが、病原体なのかどうかいまひとつわからない。 昼間外出するときにはガスマスク・ゴム手袋推奨だが、それ以外の対策はしていない(髪の毛も、他の肌の部分とか全部空気にさらされてますけど)。 家の窓ガラスが割れた後の修理に板を張っていたけど、結構隙間ある仕上がりで外気入ってきますけど! まぁ、そのあたりは緩和エリアで、住宅としているのはより家の内側・赤く塗ったドアよりも中が、安全エリアということなんだろう。 研究所のような設備は無理だけど、できる限り“それ”の侵入を防ごうとする努力は見えるんだけど、「まず、手を洗え! それから手袋をしろ!」と水の入ったポリタンクを渡されるけれど、タンクをあけるその手は素手なんだよ。 そのポリタンクはのちに洗浄されるのか? 彼らの取る対策は意味があるのかどうかよくわからないんだよな・・・という印象は最後まで拭えず。
 『クワイエット・プレイス』よりも更に、「この状況はどういうことなのか」を語らない。 大事なのはそこではない、ということですね。

  イットカムズアットナイト2.jpg 感染したものはすべて燃やしてから埋める。
 それで感染のモトを断てるのかもいまいち不明なんだが・・・遺体をビニールシート的なものにくるんで燃やしていて、それで拡散防止になるのかなぁ。 そもそもちゃんと燃えないのでは。 そんな細かいことがいちいち気になりましたが。
 問題はそこではない、多分。
 家族3人で暮らし、他者との交流のない<息子>という立場のトラヴィスはこのままでは一生子供のまま。 ウィル一家が登場することによってはじめて違う役割を持つ。 ウィルの妻キムは“母親ではない異性”だし、ウィルの息子アンドリューは“保護すべき存在”。 薪割りの仕方を教えてくれるウィルもまた、兄や師のような存在としてトラヴィスの刺激となる(でもそれはそれで“父親”としてのポールのプライドを刺激することでもあるのだが)。 トラヴィスがカギだ、という見方をするとすべてが不穏に見えてくる。
 恐怖の原因である“それ”は最後まで姿を現さない。 でもそういうことなんだろうな、とわかりはするんだけれど、ホラー映画としてわかりやすい何かを期待すると肩透かしかも。 一部フロイト的解釈は古いな、と思うけど、まぁそこは古典的なことということで。

  イットカムズアットナイト4.jpg 灯りが安心なのはわかるが、そんな強い光源を寝るとき枕元に置くなんて、きちんと寝れないのはそのせいじゃないの、とか思っちゃうよ。
 若さというか、思春期の不安定さのようなものはホラーと相性がよいけれど、ここまでいろいろトラヴィスに背負わせなくてもいいんじゃないの・・・と後半は悲しくなってくる。 父親の威厳は大事かもしれないけど、そもそも異常な状況下なのだからもっと会話をしたほうがよかったのに。 ウィル一家のこともそう、一度家に招いたのならもっと信じるべきだったし、もっと腹を割って話し合うべきだった。
 もしかしてこの映画、アメリカの<家族バンザイ思想>に一石を投じるモノですか?

  イットカムズアットナイト3.jpg そして銃を持っているからそれをたやすく他人に向けられてしまうという事実も。
 普通の状況ではないから、武器を人に向けることも場合によっては人を痛めつけることもいとわない。 気持ちとしてはそうなるだろうけど、やはり銃が身近にあるかどうかって大きな違いだよなぁ、と。
 ジョエル・エドガートンの「教養足りないマッチョ系、愛情深いが表現不足」のキャラは似合いすぎで、その頑ななおやじっぷり、なんとかならんか!、と何度も思うのだけれど、それ故にラストのせつなさや絶望感は深まる。
 あぁ、すっきりしないなぁ! なんかいろいろと、かなしすぎて。
 『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』のほうがカタルシスあったよ!

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2018年12月04日

ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ/SICARIO:DAY OF THE SOLDADO

 『ボーダーライン』の続編、といわれても・・・前作のヒットを受けて決まったものだし、脚本は同じ人(テイラー・シェリダン、『ウィンド・リバー』の脚本・監督もしている)だけど監督が違うし、あの話に続編ってどうなの・・・と思っていたのだけれど、公開されるとなるとやはり気になるわけですよ。 引き続きベニチオ・デル・トロとジョシュ・ブローリンは出るということなんで、「あ、これはもう主役交代というか、また違う話ってことだな」と前作のことは考えず、別物として割り切ろうと思いました。

  ボーダーライン:ソルジャーズ・デイP.jpg このルール無き戦いに、終わりはあるのか――
   緊迫化する国境麻薬戦争、極限の臨場感は次なる<境界‐ボーダー>へ

 メキシコからのアメリカへの不法入国は常に起こっている。 ある夜、アメリカ当局が取り押さえた一団の一人が自爆し、被害が出る。 その後、アメリカ国内のスーパーマーケットで自爆テロ事件が起き、多数の死傷者が出る。 メキシコルートがテロリストに利用されていると判断した当局は、国境地帯で密入国ビジネスを仕切って入り麻薬カルテルをどうにかしろとCIAの特別捜査官のマット・グレイヴァー(ジョシュ・ブローリン)に命じる。 困難な任務になると感じたグレイヴァーは、旧知のアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)に声をかけ、麻薬王レイエスの娘イサベル(イザベラ・モナー)を誘拐してカルテル同士の抗争を引き起こそうとするが・・・という話。

  ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ2.jpg しょっぱなからプロばかり登場するので・・・常にフルスロットル状態。
 素人や一般人視点を持つ登場人物がいないので、冒頭から「マジで!」という展開ばかり。 その中でグレイヴァーは無茶苦茶やる人なのに、アメリカ上層部の命令がより無茶苦茶なのでなんだか彼が普通の人っぽく思えてしまい・・・いや、むしろ絶対的な命令と自分の立場に挟まれて苦悩する姿は、まるで中間管理職の悲哀が漂うようで、前作でケイト(エミリー・ブラント)を手玉に取って善も悪もまったく関係ない世界で魔王のように君臨していた彼とはまるで違って哀しくなってきた・・・。
 いや、善悪を超越した場所にいることは同じなんだけど、「それも上からの命令次第」という<兵士>の存在がはらむ理不尽さを体現してしまったというか。
 満を持してのはずのアレハンドロの登場も、意外に地味だし(しかし緊張感はずっとある)。

  ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ3.jpg チームメンバーとしてスティーヴ(ジェフリー・ドノヴァン)もいて、ちょっと盛り上がる。 メガネがダサいが、設定が『バーン・ノーティス』とかぶるじゃない!(キャラクター全然違うけど)
 そんなチームプレイにはこちらの胸も熱くなりますが・・・もはや役者の顔ではなく、みなさんその登場人物としてその場にいる感が強くて、人生の一部分を切り取って見たみたいな気分になる。
 しかしアレハンドロがイサベルの警護の任務に就くことで、前作で見せつけられたアレハンドロの“非情さ”が揺らぐような気がして、別の意味でドキドキする。 アレハンドロには心の平穏を得てほしいのですが、でもそんな簡単なことで感情や良心を取り戻したりしてほしくない!、という我儘さがこちら側にもあるのですよ。
 それとも、そんなセンチメンタリズム・エモーショナリズムを漂わせることによって国家の非情さを際立たせているとか? 所詮個人の“非情さ”は国家のそれに比べればたかが知れているということなのか? でも、麻薬や密入国をメキシコのせいにしているけど、そもそも麻薬を欲しがったのはアメリカの方でしょ? 自業自得という言葉ではおさまらない、巨大なブーメランってだけだよね。

  ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ4.jpg だからか二人の逃避行は、その分美しい。
 イサベルは麻薬カルテルの王の娘らしく、自分が権力を持っている(周囲が父のことを慮って・恐れて、結果的に自分の思い通りになる)ことを知っている生意気な子供なのであるが、カルテルがどれほどハードな悪事をやっているかはよくわかってなかった・・・という、通過儀礼にやってきたのがアレハンドロだというのも運がいいのか悪いのか、ですが。
 誰が敵で味方なのかほぼ区別のつかない銃撃戦、それが国境を挟む街の実態なのかもしれない。
 終盤、ずっと心臓のドキドキが収まらなかった。 マットやアレハンドロの姿だけでなく、すべてに。
 もしかしてそうなるのではないか、とほぼ思った通りのラストシーンに、原題“SICARIO”(暗殺者)の意味を知る。
 エンディング最初に、<ヨハン・ヨハンソンに捧ぐ>と文字が出て・・・あ、この心臓のドキドキは終盤ずっと鳴っていた音楽(前作『ボーダーライン』のメインテーマと同じもの)のせいだったのか!、と気づく。 あとで調べたのだが、本作の音楽はヨハン・ヨハンソンのお弟子さんが担当されたらしい・・・前作への敬意は本編にずっとあったのだ。 比較されることを承知の上で。
 なんだか泣きそうになるではないか。
 そして『ボーダーライン』は実は三部作の予定らしい・・・こ、この続きもあるわけ?
 混沌の世界はまだまだ続く。 いや、世界の混沌はまだまだ深まる。
 深呼吸することができない映画を、あたしはまた観ることになるらしい。

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2018年12月02日

ウェディングケーキは待っている/ジョアン・フルーク

 <お菓子探偵ハンナ>シリーズ第19弾。
 ついに、というかやっと、ようやく、ハンナが結婚?!
 とはいえ、そう簡単に結婚式に辿り着けないであろうことは予想通り・・・なにもそこまで、みたいな気持ちになっちゃいますわ。
 お約束通り死体が出現、その後の展開は、これまで通り。

  ハンナ19ウェディングケーキは待っている.jpg てことは、このネコ的な絵はハンナなのか? いや、ハンナはナイフをこうは持つまい・・・。

 自分の結婚式を間近に控えているというのに、ニューヨークで行われるフードチャンネル主催のデザートシェフ・コンテストに出場することになったハンナ。 チャレンジャーは全部で5人、その中でもハンナは妹のミシェルとコンビを組んで高評価を受けるのだが、コンテスト会場がレイク・エデンに移動後、今回はハンナではなくミシェルが死体を発見してしまう・・・という話。 

 前作で恋の熱病にかかっていたハンナ、今作ではちょっと落ち着いて、いつも通りの感覚に戻っています。 でもこれまで通り全部自分で判断したり決断してきたりしてきてるので、妹たちやあの母ドロレスからも「・・・それ、ロスに言ったの?」・「そのこと、ロスに伝えてないのはなんで?」と聞かれてしまうという・・・。 なんでもかんでもすぐ相手に連絡しないのは、自分の仕事を優先したり相手も仕事中だから終わってから連絡しようと思うから。 ハンナは30代だし、<クッキー・ジャー>のオーナーだし、自立しています。 だからあたしはそれをヘンなことだとは思わないんだけど・・・(妹たちや共同経営者のリサたちに話すのは、すぐそばにいる存在だからだし)、カップル文化が浸透しているアメリカならではなのかしら。 それとも結婚式間近のラブラブカップルならばそうあるのが当たり前ということか?
 この誤差が、今後のハンナの生活に影響を与えないといいんだけど・・・。
 今回もレシピ充実。 ハンナが作っていないものでも、作中に出てきたもの全部が載っているほど。 特に前半は章のあとほとんどにレシピがあって、それを熟読しちゃうと本編への勢いが滞るほど。 ただしストーリーが急展開する後半にはレシピは出てこなくなるので、そのへんもちゃんと考えられてますね。
 今回はミシェルが大活躍! おかげで上の妹アンドリアの出番が少なくなった感じ。 リサもだ! ドロレスは出番が少なくてもハンナたちや読者をイラっとさせてくれるので存在感は減らないけど(それでもシリーズ初期の頃の毒親っぷりに比べれば多少丸くなったというべきか、ハンナが耐性をつけたというべきか。 アンドリアが自分の言うことがドロレスそっくりと気づいてはっとする、というくだりもあるので、アンドリアはだいぶハンナ寄りになってきたよね)。
 今作はいろいろ入れ込みすぎて大胆に省略されちゃった部分も複数あったけど・・・まぁ、ハンナがいつも通りの感じに戻ってくれてよかったです。 一年後の次作を待ちたい。
 しかし改めて考えて・・・アメリカのお菓子、砂糖入れすぎ。

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2018年12月01日

体操しようよ

 きたろうさんが見たかった。
 シティボーイズライブを観に行かなくなって(というか不意を突いたときに東京でしかやってくれないので物理的に行けない・・・)何年もたつので、彼らを見られないストレス? でもドラマなんかでのピンポイント的脇役だと物足りない。
 するとこの映画、脇ではあるが出番も多くなかなか重要な役割であるよう。 そういうきたろうさん、観たい!
 きたろうさんが観たい!、というだけで予備知識がほぼない状態であったが・・・これ、きたろうさんなしでは成立しない映画だったのでは?、といううれしい誤算。

  体操しようよP-2.jpg 定年お父さんへ、娘からまさかの“親離れ”宣言!?

 文具用品の会社に無遅刻無欠席で定年退職を迎えた佐野道太郎(草刈正雄)は、まさに仕事にこれまでの人生を捧げてきたような典型的な会社人間。 妻を18年前に亡くしてから、家事一切は娘の弓子(木村文乃)が取り仕切っていたが、「お父さんの定年を機に、私は佐野家の主婦を引退します。 あとのことはお父さんがやってください」と退職翌日から告げられる。 仕事を失い、家事の仕方もよくわからず、そもそも娘ともろくに会話をしてこなかった道太郎は一気にどうしていいか途方に暮れ、酒浸り・引きこもりの生活に。 すでに退職後の人生を楽しんでいる会社時代の先輩(平泉成)から、「ラジオ体操してみないか」と誘われ、はじめは先輩への義理で参加したが、そこには様々な年代・立場の人たちがいて、ラジオ体操会会長の神田(きたろう)やマドンナ的存在ののぞみ(和久井映見)と知り合う。 のぞみに憧れ、いい格好を見せようと神田がやっている便利屋の仕事も手伝うようになり、これまで全然知らなかった町の人たちとかかわりを持っていくようになっていって・・・という話。

  体操しようよ2.jpg 男の人は外に出なくなるとヒゲそらないんですね。
 道太郎さんは60歳という設定です・・・え、草刈正雄はもっと年上では!、と思うのですが・・・年齢より若く見えるから、普通の60歳ならこんな感じ、ということなのであろうか。 ダンディさも封印し、仕事もバリバリできてない・空気も読めない冴えないおじさんをかたくなに演じております。 価値観が昭和の人ってめんどくさいな!、とパン屋で働く娘さんの気持ちもわかるんだけど、「父が働いている間は」と黙って父親の世話をし続けてしまったことも原因なのでは・・・。
 <会社>でしか社会の接点を持っていなかった人は、それを失った途端にアイデンティティクライシスに陥る(だから過去の肩書にしがみつきがち)、とはだいぶ前から言われていることだけど、結局仕事人間として生きてしまっている人は途中で顧みることもできないのですかね。 仕事して家にお金を入れることが至上命題(逆に言えば、それ以外はしなくていい)な生活って楽だもんな・・・。
 平成も終わろうというのに<定年クライシス>が問題になるって、世の中ってなかなか変わらないものなのかな〜。
 で、今回そのきっかけはラジオ体操なわけですが、まずは「たったひとりでラジオ体操をやり始めた」という会長のどこか浮世離れした存在感が、よく考えたら無茶な設定も全部飲み込む要素に。

  体操しようよ5.jpg さすがきたろうさん、ジャージ・スポーツウェアではない、Tシャツ・短パンが似合う60オーバー、そんなにいない。
 神田会長、大変都合のいいキャラクターです。 生活感一切ないし、全然立場の違うメンバーたちも会長のもとであればまとまる(とはいえ、ラジオ体操会のメンバーが微妙に偏っているのも事実だ。 小学生女子が一人だけいるし、彼女の家族関係は一切不明)。 話が動くのは会長がケガして会長の代理をのぞみさんに渡してからだし、道太郎さんが便利屋の仕事をなんだかんだ文句言いながらもやるのは、会長が仕切って年下だが仕事では先輩の薫くん(渡辺大知)とコンビを組ませたからだ。

  体操しようよ1.jpg ほぼコントな場面でも、神田さんのキャラで成立しちゃう。
 かといってきたろうさんがやりすぎなわけではない。 いつものシティボーイズライヴとは全然違ってアドリヴ飛ばしてない感じがする(ゼロではないとは言わないが、かなり抑えていると思う)。 すごいぞ、きたろうさん! カメラに映っているかどうかわからない場面でもちゃんと演技してるし!、とあたしは終始ニヤニヤでしたよ・・・。
 しかしあたしのような見方をしているのは少数だと思うので・・・あえて盛り上げず淡々と日常を描くところをよしとするかどうか、観る人によってわかれそう。

  体操しようよ3.jpg 片桐はいりがいる光景、それだけでちょっとほっこり。
 日本映画にありがちな、感動の押し付け・お涙頂戴の気配が少ないのがよかった。 いろいろと説明が少ないのもあえてなんだろうな、と思えたし。 余白を楽しむ映画ですかね。
 おとうさんが左ききで、娘が右きき。 そんな二人が食卓で一緒にカレーを食べるシーンは鏡に映したようで、その構図がとても印象的だった。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする